大分のバス停の考察(2)

※ちょっとブレイク

前回分。

4年前に書いたこの文章の続きを書きます。
気まぐれにも程がある。

 バス停の設置基準というのは各都道府県、あるいは中核市レベルであればそちらの条例に「道路占用許可基準」というものがあります。土建屋さんならおなじみのアレですね。
 東京都ではこのほかに道路占用物件配置標準というものが存在します。
 北海道にも「バス停留所設置安全基準の制定について」といったものが存在します。
 これらの文書にことごとく行き当たるのが「いわゆる乗合バス停留所設置位置の基準の制定について(昭和35年10月28日(都道府県)本交甲例規第205号)」は、廃止する。」という記述です。
 (1)で書いた
 昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があった
 という記述から鑑みると、この昭和35年にバス停の設置基準が緩くなったと考えられます。

 この時点で、前回の結びで書いたバス停が担わされていた「駅」としての機能から開放されたと推察できます。ゆえに、道端に柱を立てるだけでもバス停として機能するということになったわけです。
 壁バス停に関しては現存しているものの多くが「個人商店」の場合が多く、個人商店を待合室とみなして認可が下りていたのではないかと推察しています。これは「ととろ」の隣のバス停「南田原」が個人商店に貼り付けてあるバス停であったことからです。

 現在の日田市の条例を当たってみたのですが、バス停に関しては記述がありません。公共占有物として一括されていると思われます。


 大分県は山と海の県です。大きな平野部は大分平野、それも本当に他の県に比べれば小さい。
 道路のインフラ整備が大変な県なんです。
 大分県は非常にトンネルが多い県で、素掘りの現役トンネルがいくつも存在します。

 さて、大分県のバス停を見回ったり、情報を得たりしてるうちに傾向がつかめてきたのですが、待合所が比較的少ない地域は道路改良が遅いところです。
 昭和57年ごろ、九州最東端の梶寄地区にバスが開通した時は新聞記事になりました。
 実際に津久見、佐伯地区を乗りバスした友人に聴くと「待合所は皆無に近いよ」との返事。
 海岸線には代替交通機関があります。そう、船です。
 一方で山中はどんなに貧弱なインフラの道路でも、バスは乗り込んでいかなくてはなりません。

 行政としてはバス停施設の更新より、道路の改良のほうが優先順位です。
 バスの運営側は困ったもので、たとえば道路が新しく付け変わった場合。廃止届けやら新道の免許申請をしなくてはなりません。
 大分の山奥は、野菜の一大産地です。網の目のように広域農道が走っています。もちろん国道、県道の改良も大きく進んでいます。
 付け変わった県道部分のバス停は大抵「標柱が立っている」のみです。

 テレビの影響もあるでしょう。
 都会のバス停は軒下に下がってなんかいません。木造の待合所などがあるわけもありません。

 近くに同じような事情の県があります。長崎県です。
 こちらの長崎市周辺、大分県とかなり事情が似ているのですが、バス停施設の更新は頻繁で、待合室型のものはほとんど見かけません。
 この街は意外にもバスの依存が高かったりします。長崎市内、自家用車よりも公共交通機関のほうが使えるからです。バス会社が儲かってるんですね。
 それに新し物好きな長崎人の気質もあるのでしょう。
 島原のほうでも、こんな感じでしたし。
 
 北部にはあったりするんですけどね。

 写真はケータイが死に掛けの頃に撮ったもので申し訳ない。

 「大分の県民性」
 ひょっとしたら、この一言に尽きるのかもしれない。
 思えば西鉄バスは、よほど堅牢なもの以外待合室は撤去の方向で進んできした。その西鉄が今唯一大分に乗り込んでいる路線のバス停の写真がこれですから…。また、気が向いたら(3)を書きます。