大分交通・大交北部バス,古バス停,民家型,終点

去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。

中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。
だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。


ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。

終点にこんなものが残っていたのと
 
途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。

ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。
コミバス化というのは全然悪いことではないのです。
偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが楽しい。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

このバス停、なかなかにいい条件が揃っていて。とても恵まれている。

こーんな立派な国道沿いだし、生活道路だし、日田と中津を結ぶ国道の真ん中。ローカル線だけど特急含めて10往復強バスが走ってるのは健闘している部類じゃないでしょうか。

そんな生きてるバス停であり、おそらく最古様式のバス看板が現役でどーんと飾ってある物持ちのいいバス停。
うっすら名前が見える「割子谷」とは…。

大昔(昭和40年代)は小河内までの支線になっていたそうで、 どうやらバス停自体は国道開通時に作られたもののよう。

大分のバス停を巡って、本当にわかった事がある。
彼らは他に比べて人一倍、本当に物持ちがいい。誇ってよい話なんだと思います。

とはいえ兵庫の全但バスも凄いけどね・・・。

あ、そうそうそのみやじゅうさんから
「ワイ住んでるのどっちかというと奈良に近い大阪なんやけど奈良の軒下のバス停写真いる?」
わわわわ!!もう一つの本場じゃねえか!!!

乞うご期待!!

大分交通・大交北部バス,小屋型


小学校通学路線というのは過疎地では当然のごとく存在します。
子供たちの手で手入れされて、きれいなバス停になっているかわいいバス停。

この看板が気になっています。

ひょっとしたらこれ、現存する最古のバス停標識の様式かもしれない。
これは本当に限られた箇所でしか見つからない稀少なもの。
耶馬溪のほうにある「上伊福」で収集したもの。

ひょっとしたらだけど、一番最初はあの黒板状のものが「バス停標識」だったのかもしれない。
そう考えると、ひょっとしたら以前紹介した「東の前」、日本最古級のバス停施設である可能性もあるかも。

このバス停がある定別当線は、面白いことに日曜の夕方に一便バスが営業運行されて、終点定別当の駐車場にバスが泊まっていってました。月曜日の朝の始発のために。今はなくなったみたいです、残念。ここも折り返し不能な1往復になったか・・・。この先に前紹介した月の俣があります。岩肌ぎりぎりをかすめる凄い路線です。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

普通の待合室+ぶら下がりバス停、と言ったら失礼かもしれないけど、 大分県ではもはや当然のごとく普通に2~3バス停ごとに残ってるエリアがあるレベルなので、まあ普通のバス停。

確かに普通・・・

ここは上下ともにあります。

この道路自体が結構整備された立派な県道であり、このバス路線が華々しきトランスポーターの中心として機能していた証。今でも急行バスが走っているほど。中津~森線。もちろん、本数は往年にははるか及ばない一日数便ですが。

うーん。

隣の「持田」はなんと新調されてます。

こちらも上下線があり。
さりげなく、その近くの商店の脇にこんなものが置かれていました。大分交通の昔のスタイル看板。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ


先日ちょんびんさん他同行の志4人で行った大分バス停巡りツアー道中の話。

最初のうちは、日田バスの待合室バス停なんかにも「お~」と夢にときめいたり、明日にきらめいたり出来たわけですよ。
ところが大分の山奥というのは本当に待合室バス停のひさしにプレート、がむしろスタンダードだってことに気付くわけ。だんだんとそういうバス停に見向きもしなくなってくるわけです。

そんな感じでこのバス停も「極上の待合室バス停」なんだけれども、記事にするのを見落としてた感じのバス停。壁・軒先、1.5往復の支線分岐・・・と周囲にスターがありすぎるのがいかんのだ。

待合室のこの「物持ちのよさ」に感動する感じか。
同じくらい古いものが、もう半壊同然なものは何個もお見受けしている分、このバス停にはちょっとした感動を覚える。標識がそもそもえらく古いタイプで、この会社は子会社化の際に古いバス停の上にべたべたシールを貼ったりしちゃってる場合が多いんだけれども、このバス停には一切それがなぜかなく、「大分交通」のまま。おかげで保存状態がよく見える。

探訪したとき、次のバス停あたりでバスに遭遇。
バスはこの道路にしては結構大きいのがやって来た。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


待合所型。
荒れ果てているというかなんというか。

トイレがあったのか、それをもう基礎段階から取り壊したのか。ともかくわからないが何もかも取っ払って作業倉庫風になっているものの、もはや何に使われてるかもわからない。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


軒先型なのか、待合室型なのかわからないバス停がたまにある。

近寄って見てみると、家の離れを待合室風に改造していたり、公民館や格納庫の一角だったりすることが多い。
その建物自体が廃屋になっていたとしたら、こうなりそうなバス停。
これ、待合室として建てられてたとしたらちょっとでかすぎる。
建物の横の看板から察するに、農協倉庫か何かの一角の間借りバス停だったのかなあ?

内部は荒れてるんだけど、意外にも最近書かれた感じの中高生と思しき落書きがひどく、「使われてるんだなあ」と妙に実感。屋根はぼろぼろで、雨が降ったら凄く漏りそう。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


旧安心院町。
別府へと向かう大分交通線の途上で、安心院から別府の路線は亀の井バスという別会社の路線も存在する(経路は全く違う)。本数を見るとどうも、こちらが不利の様子。・・・とはいえ、亀の井が5~6往復、大分交通が2往復だけれど。

この日はあまりこれはというバス停が見つからず、足早に帰ろうと引き返したところで見つけた。
傾きかけの小さな小屋に、比較的新しい標識とわざわざ時刻表をしつらえ続けるこの労力!!ボクは敬意を表するッ!!

大分交通はこの「待合所+屋根ぶら下げ型」を発見するのが楽しい。さて、この小屋はあと何年使うつもりなんだろう?・・・そして、ここでバスを待つ人は不便して・・・と思いきや。周辺には民家は一つも見当たらず。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ,鉄道跡

 鉄道線跡のバス停。
駅跡がそのままバス停になっている。
豊州鉄道といい、大分県宇佐市の豊前善光寺駅から院内町を経由し、豊後森までを目指していたようだ。
線路跡の殆どは県道になっている。そしてその県道は、鉄道の伸びることはなかったその先の険しい山岳地帯を、やすやすと快適に越えられるようになっている。開通したのは昨今のようだ。

この駅のちょっと下流の鉄橋が流されて、廃止になったという。

待合所は駅のそのままを使っているし、バス停の敷地はホームのそれ。だから、道路と待合室の間に妙な余裕がある。道路側に立ってみると、汽車がやってきそうな気・・・は、しない。交通量、多いっちゅうねん。
当たり前の話、廃止からもう40年以上経っている訳だから待合所の外壁はぼろぼろ。しかし、本当に思う。大事に使っているなあ。

この沿線、駅跡のこういうバス停が他にも何個かあったのだが、夕暮れが押し迫ってこれしか撮影できず。
豊前二日市駅跡は風情があった。
集落を見下ろすの高台の上のおらが駅、が想像できてしんみり。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ


大分交通系統のバス会社のもので、初めて発見した軒下バス停。
見つけたときは声を上げてしまった。

自分の遍歴は福岡市→長崎市(郊外)で、この二つの市ともに共通するのが「バス会社が発達しすぎてる」ってこと。バスに関する施設の充足は特に事細かで、長崎バスに至っては印象として「ぼろぼろのバス停なんて見当たらないよな?」ってくらいどこも標柱がきれいだったりする。
つまり、軒下型なんて昭和中期の遺産が残ってる望みなんざ、はなっからない街にしかいなかった訳で、こういうものを見つけて一喜一憂する自分は大分県ではきっと寓話「一つ目村」の主人公さながらなんだろうなあ。

待合室に見えるようで、実は単なる民家の車庫。

道路は改良工事の真っ最中。
福岡の県境まで延びてはいるがこの県道、いまだに峠越えは果たせていない。