日田市コミュニティバス,小屋型,崩壊系

中津江村の道は険しい


鯛生金山に向かう道の旧道を走ってたら…

凄い勢いで大きな穴!!

この鯛生までの道路沿いのバス停、日田バスとしては村営バスに移管されていて。
昭和頃のバス停跡などはあまり残っていないのだけれど、ぽつぽつとは存在していて

2008年くらいか、かなり古いバス停小屋が一個だけ残っていた

変わり果てた姿で再会


う、うーん。

見事に骨組みだけに…。

確か、中には稀少な村営バス時代の時刻表が貼ってあったはずなんだが…

枯れ蔦の向こうに発見!

日田バスが長らく終点としていた栃原のターミナルを起点として、福岡と熊本の県境に近い峠下集落の市ノ瀬・地蔵元とを結んでいた。
鯛生金山はこの本線上にはなく、おそらく支線として存在していたと思われる。
1972年の閉山後から10年後に地底博物館が出来ており、ここは完全なゴーストタウンにはなっていなかったのだろう。
2008年に訪れた時は1往復の定期運行も行っていたが、今はほぼ完全にデマンドタクシー化したようである。

この時には定期便では地蔵元も鯛生金山も行かなくなってる模様。

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日田市コミュニティバス,小屋型

日田から熊本に抜ける途中

珍しく、上津江を越えて熊本に向かった。普段なら夕暮れ迄山間部を走って、肥後小国とか見て廻りたい性分だけど、この日は用事があって日の高いうちに熊本市内に行きたかった。


以前その上津江の道の駅に行った時に撮ったレトロ自販機。
どうもこの後リニューアルを敢行したようで、自分が行ったその日が再オープンの時であった。

上津江村内は昭和50年代に日田バス路線が廃止になっており、かなり古い時期から村営バス移管になっている。そのため日田バス的な遺構はほとんど見当たらない。

と思っていたところで発見。

都留バス停。
古い道路地図(88年度人文社)ではバス路線は載っていない。手前の小平で切れている。
小学校が当時はあったようだ。

上・中津江とある。上津江村と中津江村ともども日田市に合併されたためか、もはや一緒くたになっている。
多分このバス停は遺構的なものじゃなさそうな気がしている。日田市街まで降りていく道中、何個も小屋バス停は見かけるしね。
ログハウス風のおしゃれな小屋はまだ新しい感じがした。

この地に学生がまだいるんだろうか。

あと少しで熊本という峠道。
バスはここは事前予約制で、前日の18時30分までに電話を掛けるとやってくるデマンドバスになっています。
一応朝に定期便があるそうだけど、もう時刻表なんていらないんだろうか、見当たらなかった。

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日田市コミュニティバス,古バス停,壁型,民家型


有名な都市伝説で「犬鳴村」という話があります。
こんな話。(いや、イマドキのネットは楽だね!!)
ネットもなかった時代から伝わっていたから相当のもの。
「あの旧道だけはヤバイ」と言い合っているうちに悲惨な殺人事件が起き、ゲートのようなものができて半封鎖されてしまいました。

・・・で、大昔自分は某Z社でバイトをしていました。住宅地図最大手のあの会社です。
5年間もの間、いろんな場所を巡ったものでした。
まだバイトして間もない頃に、家5軒くらいの分け入った山奥の村にお邪魔したとき、住人にこんな話をされたのです。
「この辺の人は畑がここにあるけん、家は倉庫にしちょる人ばっかよ。普段は下に住んどる」

そのうち同僚が、この犬鳴の旧道からしか行けない集落に赴くことになりました。我々の世界ではそういう山奥の村は、そういうもんだとわかっています。
同僚は普通に仕事を遂行して、帰って来ました。人っ気はなかったそう。あそこもそういう村なんだな、という結論に。

ちょうどその時期、別の友人と飲んでいて、なぜか犬鳴村の話に。
「友達が行ったらしいんだよね。建物あるのに人っ気がなくて・・・そしたら斧持ったおっさんに追っかけられたらしいよ!!」
怖がる振りをして聞いていましたが、農作業中のおじさんに当たったな、おじさん辟易してるだろうな・・・と思いましたとさ。

・・・長々と関係ない場所の話を延々としたけれど、このバス停はちょっと怖かった。
ここは6軒くらいの集落なんだけど、本当に人っ気がないのだ。この集落の前後を含めて。

というか、この道自体本当に鬱蒼としたロケーションが延々続いて、不安にしかならない。
バス停が貼ってある家の荒れ果てっぷりが、いっそう不安感を増す。

何より怖いのが、田畑が見当たらない。いや、目に入らないってのが正しくて、たぶん斜面上の方角に耕作地があるんだろうけれど。それも余計に恐ろしく感じる。

日田バス式の標識が唯一残る旧中津江村のバス停。
ネットで調べる限り、昭和末期にはもう村営転換したとのこと。
バス停の名前も変わっているのに、この標識は昭和から時を止めたまま。

車を発進させるまでついぞ、人の気配はまったく感じなかった。
この恐怖も、尾ひれがついたら都市伝説に変わるかもなあ。そう心の中で納得しましたとさ。

日田市コミュニティバス,古バス停,小屋型


大分県、旧中津江村のバス停。

中津江村って調べてみると、大正~昭和~平成とおそらく、どこにもないくらいの触れ幅でものすごい変革を遂げて今に到る所で。近代史、そしてちょっと未 来を含んだ日本現代史の縮図なのかもしれない。鯛生金山→蜂の巣城事件→カメルーンチーム招聘。何気に第一次産業・第二次産業・第三次産業の全ての資源を 駆け足で消費し尽くさせられた村ともいえよう。

産業革命、農業から工業へのシフト、公害・環境問題、巨大公共事業、反政府運動、ハコモノ行政、国際的イベントへの参加とその経済効果、市町村大合併…。これら全部、経験した場所とは俄かに信じがたいくらい小さく、静かな村だった。
行ってみて思ったことは一言、「そして今は…。」

バス停は想像以上に素晴らしかった。

村営バス時代の時刻表。