西鉄バス・福岡市内,古バス停

懐かし系バス停看板

西鉄バスのバス停は厚みがあってなかなか頼もしい。これは他の地方に行くと実感する。

宗像市の赤間駅前の次のバス停。もうすぐ終点の赤間営業所。

…これは?

見る人が見たら「あれ?」と思うデザイン。
相当古い形式が珍しく残っている。
真ん中のスポンサー枠を強調する青色枠が太いバージョンは、昭和50年代後半くらいによく見たもの。

西鉄バスのバス停看板の歴史(※自分の憶えている範囲で)


西鉄バスのバス停には、丸看板と独特の角丸のものと2種類がある。
物心ついたころ(昭和50年代中ごろ)はこの丸看板から角丸看板の移行期であり、郊外に行かないと丸は残っていなかったと記憶している。

ごくまれに吊り下げ小屋のバス停も存在していた。看板は丸を使っていたが、末期の渕ノ上は角丸だったような記憶がある。

角丸になった理由を考えていたが、下半分に系統を入れるためではないかと。

空白部分には、ここにはおびたたしく廃止路線を書き込んだ跡が残っている。
西鉄バスはとにかく系統が多い。
経路の変更の頻度も高い。
ここでは「光陽台4丁目」「波止場」(神湊波止場か)等の文字が入っていました。

三郎丸バス停の反対側。
比較的最近のものらしく西鉄ロゴが新しい。

右の行き先の空白は75番直方方面か。

そういえばこんな電照系のバス停もあったな…。よく劣化して割れてた。
自分は北九州とか大牟田とかのバス停までは把握できていないし、どこかに残ってるかどうかはわからない。
もちろんこの青地枠の大きいのも、ここ以外どこかにいるかもしれない。

割と「いつのまにか無くなって後悔しそう」と思っているバス停の一つです。上で述べた吊り下げ式最後のバス停はまさにそれで。
思い立って写真撮っといてよかった。

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西鉄バス・福岡市内,小屋型,限界椅子

限界椅子シリーズ第3弾である

限界椅子シリーズ、極北のバス停椅子シリーズ。

中鹿口

大亀

国道495号線、いわゆる旧国道3号線として福岡~北九州間の幹線として活躍を続けてきた道路。
ここを走るバス路線は西鉄バス栄光の20番系統、北九州・門司(田野浦)~福岡・西新営業所の末裔である福岡市内線26番系統であり、今もなお鉄道平行線でありながら平日40往復ほどが走っている。


ここの地形はそんなに標高は高くはないが峠になっていて、国道のほか鹿児島本線も掘割で抜けていく。
バス停があるのは峠の尾根に当たる場所。

付近にはコンクリート工場や会社など。家はないがなぜか公衆電話はある。

割と趣は寂れた田舎の終点バス停っぽいのだが

意外とある本数に驚く。
ここから先の宗像市エリア、鉄道駅の場所と役所などがある場所が全く離れていて、この26番を使ったほうがはるかに便利なんですね。
実際この沿線を通りがかってバス停を目にすると、バス待ちをしている人を見かける事は多い。

超名物「灰色のソファー」

さて主題である。このバス停の名物…

この古いタイプの待合小屋、粕屋郡~宗像エリアにかけてみられるコンクリートブロック製のもの。
福岡市内でも福岡空港近くのバス停にいくつか残っている。
多分頑丈だからね…。

これである。この道を通るといつも気になる、名物のソファー!!

いつからあるのか記憶が定かじゃないが、そういえば昔からある、と記憶している。
灰色なのか、それとも白が汚れてこうなったのか今回初めて確認した。

間違いない、汚れだ。排気ガス系。
なかなかの限界椅子っぷりである。

とはいえこのバス停の、いやこの赤間線のシンボルである(本当か?)。
しばらくここは路線も健全で廃止になることはないとは思うが、いつまでもこのソファーには鎮座していただきたいものである。

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西鉄バス・福岡市内,ポール型

バス停の名前にも「昭和しぐさ」というのはある

バス路線というのは鉄道と違い頻繁に路線新設が行われます。
しかし、最近のバス停新設のお知らせにときめかなくなった理由の一つに、
「最近新しくできるバス停の名前が(マニア的に)面白くない」
という問題が…。

福岡市、博多湾に浮かぶ陸繋島・志賀島。歴史の教科書には金印出土の地として掲載されてるあの島の、出土地点のバス停です。

この写真撮ったのは10数年前で、バス停は今も健在。この当時は天神系統(※福岡市の中心街直通系統)もあったんじゃないかな。渋滞も激しい個所を何か所も通るし、通しで乗ったら1時間半くらいかかったような記憶が。今はかなり手前の西戸崎というJR駅までの系統になっています。
また志賀島の市営渡船桟橋まで船が出ていて、ぶっちゃければそれが便利。渋滞知らずだしね!!

能古島と玄界島が見えます。

玄界島、いっぺんバイトで行ったな…。

今のバス停ネーミングのセンスからすると「金印公園前」でいいはずなんですよ。もし、いまコミバスでここにバス停新設、という話になったとしたら、間違いなくそうなると思う。
それが「金印塚」になるのは、やっぱり昭和の感覚じゃないと通らないんです。

韻を踏むように「塚」が続く、このセンス

志賀島の金印塚のバス停、好きなポイントとして隣にある「蒙古塚」の存在がいいんです。

このバス停もどうなんだろう。「蒙古塚」になってたかどうか。
これは基本、物騒なモニュメントなんですよね。

元寇の蒙古兵の供養塚なんです。

金印塚も蒙古塚も宅地のない人口希薄地で(※家が全くないわけではない)、この二つのバス停は割と観光目的か、といった趣のバス停なんですが、その二つに「金印塚」「蒙古塚」とリズミカルに韻を踏むように名前をつけるセンス、ちょっと今だと出ないんじゃなかろうか。

「シンプルでわかりやすいが、いろんな人に配慮しているという努力も感じさせる名前」
みたいな現代基準のアタマで考えるとこの蒙古塚もこの名前になったかどうか。蒙古軍供養塔前にしたか。それともここの小字名を付けただろうか?
「名前が特殊なバス停」というのをいろいろ考えると、自分にとってはこのバス停ふたつは外せません。
おそらく、昭和の人のセンスでしかこの名前は付けられていないと思うし、それがこれほど色濃く残っている個所はそうそうないよなと思っているので…。

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金印塚

蒙古塚

西鉄バス・福岡市内,ポール型,古バス停,終点

世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」
というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。
しかしここは色々事情が特殊。

場所は南区の井尻六つ角。
県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。
 
首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。
朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。
この折り返し場を拠点にする46番系統のために。
そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には
  
ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。

大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。

福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。
ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。

これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。
書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家暮らしの時
「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」
というライフハックが存在してました。覚えてます。

今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。

バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。
どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。

なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。

追記

この後、この折り返し場は廃止。今はこの敷地は女学院の学生寮になり、時代に一区切りがつきました。

西鉄バス・福岡市内,終点


名前から縁起がいいバス停。と言いながら私ギャンブルは一切やりません。
これ撮ったのいつくらいなんだろう。とにかく大昔。
そういや福岡市の地図を見ると、寄生獣のミギーみたいだなあと今になって思うんですが似てません?あの手の鎌みたいになったのが志賀島で。いや目玉か。

同意を得られない場合「シンイチ、ツメタイ」と拗ねることにします。平野綾の声のほうで。


まあ、そんな志賀島の先端にあります。バス停は海岸べたではなく、農村に引っ込んだとこです。
志賀島には漁師町の集落が二つ、ここは農村のほう。
終点の佇まいも思いっきり農村集落の終点。


農協の購買店なんかがありました。当然今はなし。田舎の購買店って角打ちがあったりしたよね!!
これ撮ったのは13年かそこら前。結婚(一回目)前だなあ。確か海にドライブ行く、といういかにもカップルなことしてる最中についでに撮りに行ったのでした。なんでこの写真庫の次には前嫁(故人)が写ってました。

海のバカヤロー!!

何でこんなもんが落ちてるんだーーー!!!!

懐かしい冬の玄界灘の思い出!!ああ、おかしい人…じゃなかった惜しい人を亡くした。

西鉄バス・福岡市内,壁型

ちょっと身内の闘病とか看病とかが大変だった時期です。

確かね、そんな闘病中の暑い日だったと思います。発見した時期とか色々思い出した。この近くのリサイクルショップに見繕いに行った道すがらだ。ボロい自転車でね。本当に日常の行動範囲内なのですよ。
うお!柱なくなっとる!!
昔は普通のバス停だったのに!!

いきなりの壁化にびっくり。

確かにここ、歩道スペースが全然ない。しかしなんか変わったデザインの薄い標柱は建てたくない。貼るのもありか、ありだよな。ついでにいうと太宰府にほら、変わったバス停の写真撮るやついるからネタにしてくれるんじゃね?
そういう理由なのかはさておき。

うーん、太宰府は壁バス停の巣窟になってしまった。

まさか西鉄バスまでやってしまうとは・・・。
反対側は普通のバス停なのがおもろい。

西鉄バス・福岡市内,ポール型,小屋型

ロシアのバス停が凄いらしいです。
ソビエト時代に建てられたバス停を12年取材しまくったカナダの写真家さん。
http://herwigphoto.com/project/soviet-bus-stops/
ちょっとこれは凄すぎる。ソビエトというのは文化をこういう労働の日常の中に消費するのが美徳だったのかな。まあいくらなんでもジマオ財閥にはお金がなくシベリアの荒野を走るまでの金も体力も自信がないのですが、丁度近所に木造小屋のあったバス停が道路拡張で新調されていた事を思い出して行ってきてみました。

そういや路線的には、山の上に住む小中学生たちがリアルで使ってるバス停です。


このバス停を境にして西鉄バスは不採算ということで廃止の意向を出したのですが、市が肩代わりをしたお陰で「筑紫野バス」という名前で存続することにして、上下で会社の名前が違います。
 
こちらは西鉄のほう。ここは折り返し場であり、木造の大きな待合室がありました。本数多いのに狭隘路線でも知られてました。個人的には「よく立ち退いてくれたなあ」と思うくらい集落のまんまんなかを通る道路の反対側。


この機能美!!

デザイン性!!

バス待ちをするとこんな感じ。見えやすい!暗い夜も安心の蛍光灯完備。
 
道路拡張をするとたまーに、家も建てられないような小さな敷地が生まれます。
よく見ると田んぼのあぜの境界、そんな感じできっとここはそういう三角地になっていたのではと。上手く利用したものですし、このデザインもよく作ってるなーと感心するのであります。

「これはかわいい」
本気で思いました。そりゃ何年もバス停ばっか見てたらそうなりますとも、ええ。

西鉄バス・福岡市内,ポール型

日本語ワープロを作るというプロジェクトは大変だったそうです。
何せ文字数が桁違い。
一番のネックになったのは、同じでも発音で全く違う意味になる「同音異義」語が山のようにあること。だから入力した時まずひらがなやローマ字の「発音」をキーボードで入力させて、そこから「変換」をさせる。この発明に苦労したと、先人は語っていたのを覚えています。
果てしない山を登るような気持ちだったと思いますよ。そしてその言語数は山のようにありますし。しかしユーザビリティを優先してこの山を登りきった結果、日本語ワープロは完成を見たわけです。
そしてその変換機能はどんどん進化を遂げていきます。

さてこないだの「上臼井」。考えてみたら「上臼井バス停で待ち合わせね」と変換しようとしたら
「髪薄いバス停で待ち合わせね」
と変換されて初めて気づいた、と推察されるのは想像に難くないわけで。

上臼井から行けるバスの一つ、43番は月隈という方向に行きます。「つきぐま」と読みます。

その次のバス停はその上流。
当然、「上」がつきます。

・・・

みなさんも「かみつきぐま」とローマ字で打ってみてください。
高い確率で現れます。

「噛み付き熊」!!

珍名系のバス停を集めているマニアには有名な案件。
しかしこれ、ワープロソフトが普及しなかったら絶対誰も思いつかなかったと思う。

写真撮り行った時、反対側のバス停には人待ちがいました(ので撮らなかった)。女子中学生が二人はしゃいでおりました。こんな危険なバス停なのに・・・!食われちまうぞ!!早く逃げろ!!

西鉄バス・福岡市内,ポール型

このブログ、およびバス停トークはあまり「珍名系」「難読系」はやりません。
何故かって、「面白い」というハードルは個人によって違います。
うちの近所に「いきいき情報センター」ってバス停あるんですが、それを笑える珍名のカテゴリとして紹介している方がいた。
ぼくはその面白さがわかりません。なぜなら「ああ、いかにもハコモノ行政で付けた施設の名前っぽいなあ」っていうのが先に立つから。そんなもの日本じゅうにいくらでもあるんです。その中でも笑える、ってんなら話は別だけど、これは全然突き抜けてない。

また無知というのも加わります。「太閤水」ってバス停があるんだけど、変な名前ですよね。これは珍名の部類なんですけど、このバス停の名前の「閤」の字を「閣」と勘違いして「変だ、変だ」と紹介してる人がいた。
由来は豊臣秀吉が朝鮮征伐の行軍の際に井戸を掘ったあとがぽつぽつとあって、「太閤水」なわけです。「閣」の字にしてはしゃいでいてはこれは己の学術的素養の貧困さをさらしているようなものになってしまう。
難読系のバス停で飯塚市に「目尾」というのがあります。「しゃかのお」と読むのですが、これの由来をちょんびん氏が見事に解説していて、ああなるほどと。解説はリンクをご覧になっていただけたらと思います。だからそのハードルが物凄く低く、誰にでもわかるものだけならなんとか扱えるなあと。

曇天模様の福岡空港そば。
もし全国の薄毛でお困りで、しかも職場で
「きみ髪薄いなぁ~!俺んちは遺伝でどっちかっていうと白髪でさぁ~!後ろから来るんじゃないのぉ~?」
とか笑いに変えたいのか本気で侮辱してるのかわからないいじられ方をしている全国のアナタ!
そう、私も猫っ毛で叔父に一人向こう側に行ってしまった人が居るからわかります。

「お前がハゲろ!!!!!」

そんな呪いの念を抱いた方、沢山居たでしょう。
あなた方にこの画像を送ります。是非その呪いの念パワーを込めて、あくまで表面上は自虐ネタを装い贈ってあげてください。

さあ!!

前嫁も今嫁も散髪から帰ってくるたびにため息をつかれてもう何年たったでしょうか。
何となくまだ髪がある感じがするから大丈夫です!!

このバス停、珍名系では有名でやっぱり福岡空港そばという立地のよさもあるんでしょうかね。その道の人にはとても全国的に知られています。
福岡空港の地下鉄駅からの乗り換え通勤通学客が多く、結構にぎわってます。空港がそういうハブになるのは珍しいのでは?他地方だとこんなに街に近い空港なんてないからね。

西鉄バス・福岡市内

こないだ街に出て。
ふとこのバス停を観ながら考えたわけです。

屋根がある待合所に

真ん中に鉄板・・・


これと構造同じじゃね!?


まあ、渡辺通りがこれだけの本数なのに比べ、

日向はこんなもんですが・・・。

バス停の先祖返りとでも言うのでしょうか。