西鉄バス・筑豊,壁型

道目木、出口から行くか中原から行くか

「直方の上頓野小学校、最近壁のバス停になってるよ」
と情報が流れてきてほどなく、北九州に車で行く用事が。

という訳で来訪。
直方の3番系統頓野線のバス停。

見事なフェンス型の壁バス停になっている。

この路線は末端部分を山手線のようにOの字に一方通行で循環し、直方駅へと戻っていく経路。
団地などもあり利用者はそこそこ多いようで毎時1本は確保してある。
循環路の先の末端部にもいくつか路線があったが、廃止になってしまった。

竜王峡、内ヶ磯なんて行き先があって、それぞれに「中原経由」「出口経由」が存在してとなかなか華のある路線だった。今残っているものは「出口循環」というレア系統であったもので、「多彩な顔触れのパーティーメンバーが全滅後、意外なモブキャラクターのみが生き残ってしまった」みたいな趣がある。

この出口循環、山手線で言えば「内回り」になる経路を通っていて、現在はその一方向のみが運行されている。
以前はポールが道路の向かい側にだけ設置されていた。狭い道だと上下両方向のバス停を片側で共用することはよくある。
ここの場合、ポールが置いてある方の方向のみ廃止になってしまった。
そしてこちらにバス停を移す際、道路占用許可関連で問題があった故こうなったのではと推測をしています。

この時はもうちょっと待ったらバスが来たっぽいが、小学校前の立地で怪しいオッサンはとっとと退散。

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この時は奥の方にポールが立ってます。

西鉄バス・筑豊,小屋型

2020年10月、日本全国でバス路線の廃止が

4月と10月はバス路線の廃止などが多く発生する月です。
つとに今年の9月末廃止の多さは、後々語り継がれるんじゃないでしょうか。バス事業への長年の不況に加えてのコロナ禍。
大分ではこないだ発見したばかりの今畑が廃止になるとのこと…。

さて西鉄バスの福岡県の北部にある直方地区も大幅に廃止が決まっておりまして、この市は旧炭鉱街を縦横無尽に走るバス路線が特徴で。
中でもJR(国鉄)バスとの競合関係もあり、祭り縫いのように県道の回りに接しながら脇道を抜けて大回りを繰り返す10番系統宮田線は非常に面白い存在であった。

直方市の二字町の旧市街を抜けた後、県道21号に合流し西に行くかと思えば百合野団地の脇道に入り南下、そのまま大回りしていったん県道に戻った後に宮田の旧貝島炭鉱付近へと迂回して炭鉱・炭鉱住宅・国鉄駅などを嘗め回し大回り。北上後宮田の町役場を抜けてまた県道に戻って、今度はさらに北へ西へと集落を回って鍋蔓線状に倉久・中有木・十石とのたうち回るといった様相で。
度重なる廃止の末今は宮田の役所までになっているけれど、この大回りぶりはなかなか類を見ない。
この路線も9月末で全廃になります。


大回り区間にある筑豊最後の炭鉱町。菅牟田の炭鉱に分け入って、宮田の貝島炭鉱方面に向かう丘陵の上。

バス停、廃止寸前だからなのかこの周辺のポールはボロボロ。

歴史ある路線なんだけどな…

本数は平日(片道)7本とそこそこ残っており、今なおちゃんと生活動線として定着しているのがうかがえる。

接写すると昔の行き先とか浮かび上がらないか、と考えたがどうでしょう。出て「中有木」だろうかね…。
ここのバス停の名物が

これである。

稀少な西鉄バスの木造バス停小屋

西鉄バス、大昔は木造待合室も軒下吊り下げも存在していた記憶はあるのだけれど、その存在の記憶はあくまで当時福岡市在住の小中学生の行動範囲でしか観測できなかったものなわけで。

流石に筑豊の田舎にホイホイと車で行くような身分ではなかったので、こんなところを知る由もなく。

正直よく倒壊しなかったな、と感じる外見。

出自は待合小屋じゃなく商店だったのかしらん。出入口の構造見るとその面影あるかも。
この「キップ・回数券売り場」看板の現存はここぐらいじゃなかろうか。まだ他にもギリ発掘可能か?

実は向かいの道で工事が行われていて

対向車線のポールは残念ながら撤去済み。

ムネン アトヲ タノム…

工事関係の物置代わりにもなっていて寂しさが募る。
とりあえずこのバス停もあと5日。残念。

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西鉄バス・筑豊,フェンス,壁型

何気に老舗の西鉄バスの壁貼りバス停

そういやこのバス停、昔から知ってはいた。


反対側は普通の待合室バス停なんだけど…

向かいの壁に

…!!

ひょっとしたらひょっとすると「こうなっちゃった壁バス停」では最古参の部類で。
実際福津市の東バス停よっか成立は古いと思うし、見かけたときは
「事故の後の臨時措置かな」
って思ったこともあるくらい。東がああなったのももう15年くらいたってると思う。同じくらいか?

場所は飯塚市の中心街から少しだけ離れた個所で、このバス停のほうが飯塚バスセンター行きのほう。だから、バス停的に待合室で人が待つシチュエーションは

こちらより

はるかにこちらのほうが高い。
このアンバランスよ…。
最近筑豊にまたこういう案件が新たに発生したらしく、今後は西鉄沿線もくまなく見て回らないといけないかもしれんな…。

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西鉄バス・筑豊,民家型,軒下吊り下げ

この形状はほかにどこもない謎のバス停

ある日、ツイッターのタイムラインにこのバス停の写真が流れてきてビックリ。
というのもその何日か前そこを通ったりしていて、
「そんなバス停あんなとこにあったん!?」
と驚愕。

道路の向こうは町立病院で…

ばっちり軒下バス停やん!!

ここの存在は真面目に知らなかった。
友人のブログを丹念に過去ログ掘ってみたら、ちゃんと紹介をしていて
「うぬー、ちょんびん先生に気軽に『いつもブログ見てますよ!』とか言えなくなっちゃったぞ!!」
と今冷や汗をかいています。

このバス停は片側。向こう側に立派なバス停があるので、この存在は気付かれなくても仕方なし…。
とりわけ驚きなのがこの四角いプレートで。

他地域でもこういうの見た、とかそういうのがまるでない。
昔を知る地元の証言があれば変わってくるのでしょうが、自分の(数少ない)知見では初めて。

西鉄なのか、国鉄なのか

このバス停のこの路線、かつては国鉄バスとの並走・競合路線でした。
宮田から山を越え、かつて国鉄室木線のあった室木駅を経由して鞍手駅まで並走、この鞍手町の中心街の中山地区の真ん中に向かう。

この通りの先は郵便局。
炭鉱住宅が由来と思しき家並みの住宅街と商店街が広がっています。
1976年に宮田の貝島炭鉱が閉山するまでこの周辺の炭鉱社宅街から宮田行きのバス路線は結構あって、ここのほかにも七福ストアーのあった路線もその例か。

よく見ると「西鉄」の「西」の辺りに激しく書き換えられたような跡が見えなくもない…んだけど。
しかし「国鉄」→「西鉄」に改めたと仮定して、JRバスの時代まで継続してここ乗り込んでいたはずだから、現役時に書き換えるなら「JR」入ってないとおかしくね?とも思うし。

※直方市の内ヶ磯近くのバス停にある路線図跡、昭和末期。ここには間違いなく乗り入れていたのがわかる。鞍手病院~鞍手駅は未開通のころか。

ここ、バス路線をただ追跡するだけのドライブ趣味の人(※自分もそうなのである)には格好の場所で。(この向かい側の)鞍手病院のポール見ただけでも普通にテンションが上がるとこではあるんで、この存在は盲点だったなあ。いやはや、ただただビックリ。

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西鉄バス・筑豊,民家型

目指せ吊り下げ式待合室…のはずが

直方市の内ヶ磯線という路線。国鉄バス線の生き残りであり、西鉄と違った形で運営されてきたせいかバス停も独特。3つくらい待合室が残ってるはずなんでとりあえず撮っておくかという気分で向かったんだが…

お!?

前見たとき待合室はこの道路の向こう側にあった…はず。

でも…

なんかこのバス停昔からあった感じしかしなくね?
むしろこっちのほうがしっくりする感じで佇んでる…みたいな…

狭隘線ではこれが一番しっくりくるのかもしれない

このバス停前、恐ろしく狭隘な路線なうえに結構通行量多い。
車を停める場所がろくになく。いそいそと降りて、一時駐車の範囲にとどめるように留意してすぐ帰った。

西鉄バスの丸盤は結構珍しいのだが、数がないわけでもない。
形状の基準がキツキツに決まっているわけでもないようで、時代と場所によってかなりまちまちなのが西鉄の特色。

こないだ見た古門口と同様、割とフレキシブルに現場対応するところがある。

正直ここは壁で置くのが邪魔にもならず人も待つスペースができてよいのではなかろうか…

しかし絵面だけ見ると大分のバス停感半端ない。
西鉄だけどな!!

ストリートビューはこちら(旧バス停!!)


関係ないけど旧バス停内にいるおばちゃんがめっちゃ気になる!!

西鉄バス・筑豊,小屋型

西鉄バスの小屋型は違和感がある

以前西鉄バスも小屋型あったよ、って話をしたんですが那珂川市の西畑線「渕ノ上」がおそらく最後。
西鉄バスのバス停名板って、独自の形してるんですよね。だから軒下からぶら下げると変な形…

ええ…


いや、こんな新作知らんし…

場所は鞍手郡鞍手町、筑豊北部の町直方とJR遠賀川駅を結ぶ路線・68番系統の途中バス停。
古門の炭鉱住宅の歴史はかなり古い。当然ここ発祥のバス路線はかなり昔からあるようで、道路が整備されたりでこの地が68番系統の中間地点になった後も、しばらくこの古門口からちょっと路地裏に入った「古門」までの支線が残っていた。支線と言っても朝夕に1本ずつくらい、路線の免許維持という名目で残っていたにすぎない。平成の半ばくらいまであったんじゃなかろうか。

珍しくバス来た。

やっぱ来たら来たでテンション上がる。

一部待合室バス停を引き取ってる西鉄バス直方営業所

この路線の管轄は西鉄バスの直方営業所。
JRバスと激しく鎬を削りまくった直方市内線の担当です。
いくつかの赤字路線の廃止の際、路線を譲り受けて運行していたりするんですね。
そのうち一つは今も壁1、待合室2が残存してます。それは後々。

このバス停は前述のとおりずっと西鉄バス、のはず。
まあ、正確には戦前の小さなバス会社の一つが前身なのだろうけど…。
待合小屋は西鉄はよほど頑丈でもない限りガンガン壊すほう。
やっぱりJRの引継ぎ路線のおかげで心境に変化があったのか。

西鉄の時刻表がこうなってると違和感がマシマシ。

反対側の遠賀川方面は普通に立ってます。ちなみに小屋が鞍手~直方方面行き。
どうなんでしょう、立てるより貼るののほうがコストもかからないし、これから増えますかね?

ストリートビューはこちら(探してみよう)

西鉄バス・筑豊,小屋型


バス停小屋の維持管理というのは
大分「古いものを大事に」
福岡「スクラップ&ビルド」もしくは「徹底放置」
と県民性が見事に分かれるところだなあと思うわけですが、ここはもう大事に大事に徹底放置されてる感がいつもします。変な日本語かもしれないが行けば理由がわかる。

社宅、いっぱいあったんだろうな~。

農村の地名由来みたいな名前ですが、元炭鉱街の社宅の真ん中のバス停といった風情です。

もと商店だったのか。

中、スゲエ落書きだらけです。これも県民性なのかなー。まあ学生感丸出しで、いい感じですけれど。それも味か。
HDD掘ってたらもっと昔のも出てきました。ガラケー時代に撮ったやつかなー。

まあ、変わらないといえば変わらないか。

西鉄バス・筑豊

2f56455d.jpg 炭鉱住宅、略して炭住。

ところで自分は写真については本当に無知である。
しかも大昔、自称写真家の男にとんでもない目に遭わされた事があり(※詳しく話を書くと「賠償」だの「訴訟」だのという素敵に生臭い言葉が並ぶので、絶賛割愛)。またこの男がよく写真技術の薀蓄を語ってるのに辟易してたのね。
ゆえに写真技術の向上という部分は意図して勉強しようと思っていない、というか複雑な気分になる。

なもんで、時折物凄いものを撮ってるにもかかわらず、撮影技術的なもので台無しになっているものをこしらえてしまうのである。
この画像はそんな部類に入るものらしい。
ビバ逆光。
筑豊で育った年配の方が驚愕していた。まだ残っていたのかと。

最近同じ場所に行ったら、あの木造の炭鉱住宅群は素敵な新築の鉄筋の家並みになっていた。
恨むんならその自称写真家の男を恨もうか、いやだめだ。別にどうでもいいや。
VFSH0107-1.JPGVfsh0111-1.jpg


西鉄バス・筑豊

daibuko01.JPG昔西鉄バスの乗降調査なんてアルバイトをやったことがある。
しかも行ったのが田川後藤寺営業所である。

打ち合わせに知り合いのバスマニアと向かい、飯塚で別れて電車で帰る道すがら。
どうせまっすぐ帰るならと、ええいままよと今は亡き17番、高田経由大分坑行きに飛び乗った。「大分」だし、どうせ筑前大分駅の近くだろう。

・・・バスは、高田までは素直に県道を走っていたが、途中から田んぼの真ん中の狭隘路を突進。
筑前大分駅の横を目もくれずかすめ、旧街道の宿場跡みたいな農協前バス停まで到達。運転手はここでも降りない自分に気づいた。
「あ、趣味で乗ってますね?」
・・・ということは、早い話。終点はおっそろしく何もないか、こっち廻り系統が遠回りか・・・どっちも正解だったのだけれど。運転手は色々話をしてくれたのち「あっち経由(現存の路線)のほうも面白いから、帰りはそっち使ってみてください」とのこと。

バスはジェットコースターみたいに、狭隘路をひたすら曲がりくねって進んだ。進路に急に平地が開けた。
草原。ところどころ、廃屋。そしてその真ん中に古ぼけた購買店と、バスの営業所が立っていた。
バスを降りた。店はやっていた。店の横には、屋根がつぶれかかり、柱は斜めになった廃屋が2~3軒。

帰路のバスまで30分あり、草原の向こうまで歩いた。
道路の真ん中に、次のバス停が立っていた。
「新町住宅」という名前のバス停は、おそらくここにみっしりと炭坑住宅が建っていたんだろう、という証。

あれから何度もここに来る。
まず廃屋が消えた。
それから、購買店がなくなった。上の写真は、営業所のみになってしまったなあと感慨深げに撮った記憶がある。
そして今年、営業所までもがなくなった光景を見ることになった。

まだ、バス停は消えていない。
PICT0191_R.jpg PICT0194_R.jpg

西鉄バス・筑豊

meiji06.JPG さすがに筑豊といえど、現存する「坑」のつくバス停はもう3つしかない。
平恒坑・天道坑・三井四坑・斜坑はもう消えてしまった。

このバス停は終点なのです。現役バリバリです。
インターネットのヤホーでも当然出てくる上、あのいまいましい
「明治坑の賃貸アパート/マンション/一戸建て物件/分譲住宅/賃貸情報は …」
だって出てきます。

寂れた公園には子供っけなし。
しかしこのバス停には、人っ気は感じられます。それも多大に加齢臭が漂うような。
待合室にはドサ周りの大衆演劇のポスター。
いかにも年配好みの外装をしたスナック。

残った「坑」の一角、まだまだ元気です。
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