母方の血の話ばかりしていて、親父の血の話を忘れるときがある。オヤジは間違いなく筑豊堅気の人間で短気で手が早く、良くも悪くも義理に厚くて人情に弱い世渡り下手な人。「青春の門」を読んでも「え?こういう人物像って普通じゃないの?」と思う辺りまさに親子なんだが(本当)、そんな親父の母方のふるさと、つまり祖母の育った町にある、炭鉱跡の町であります。
いろんな炭鉱町を回って思ったことがある。ひとつの共通点なんだが、子供たちが底抜けに明るいのだ。そして、写真を撮ろうとしている自分に話しかける年配 の方々、その声色も底抜けに明るい。福岡なんてクソ田舎だ!とか大都会を見上げて叫んでる自分が恥ずかしいくらい、今住んでる町なんか擦れすぎてるんだな あ・・・。
都会で一生を終えたその祖母が自分にくれた最後の言葉は「強く生きてくださいね」だった。底抜けに明るい、しかし皆が貧しい町からこの街で生き抜いた祖母のその言葉は、なんと重いことか。
…いや、重くはないのかもしれない。そのばーさまの血を受け継いでいるんだから、きっと。
真岡(福岡県田川市)
神杉野(大分県日田市)
福岡県の広域地図、もちろんちゃんとバス路線が書き込んであるやつを見るとですね、大分との県境に程近いところのうきは市(先日誕生した)のそのまた県境付近に、3本の山間の集落行きの支線があります。
で、このうちの一本が凄い。何せ、山をひたすら登りきって、ついには県境を越えた一集落まで言ってしまうすげえ路線。県境を越えるというのは実はあまり事 例としてはなく、実際近所の山奥の集落行きのバスは、県境ぎりぎりの人のいないところを終点にしているものなのです。まあその辺にお役所仕事的な煩雑さな どが垣間見えるのですがともかく。その村においてだけは、例外的に一バス停分だけの県境越えを果たしているのです。
で、ここに行く前に 「本宮」も行って、まあ果てしない狭隘路線(いわゆるバスが限界ぎりぎりで走るような路線)っぷりに驚いたものなんですがここももう登るまで何度も「これ か?こっちなのか?」と叫び続けるくらい狭い道を選んで沢を縫うように走り続けて・・・どれくらい経ったか?
バス停はとにかく、森の中にありましたよ。
民家がありましたが廃屋でした。奥には集落があるようでした。
県境なんて人間の引いた線など意味もなさない、ただ広がり続ける森の世界に取り込まれるような場所でしたよ。しかし、その場所に人がいることを示そうとするかのように、定刻どおりに森の向こうからバスがやってきて…。
そうそうここのバス待合所にはなぜか、福岡タワー方面のバスの路線表が置いてあったんだが・・・何か意味があるのかなあ・・・?
それが結構謎。