JR九州バス,バスターミナル,古バス停,終点

宮田町のバス駅が解体に

国鉄バス時代からの自動車駅の最後の生き残りであった、JRバス宮田町バス停の待合室が解体されることに。


解体される前の日、2021年9月2日に行ってきました。

老朽化著しく

いたるところにガタが来ていて、こればっかしは致し方ない。

宮田の住民にとって「駅」とは?

廃止線を履修した鉄道マニアならば、宮田と言えば「国鉄宮田線の終点筑前宮田駅」を連想するでしょう。
宮脇俊三氏の書籍でも記述があるとおり、住民にとって便利のいいこここそが「宮田駅」であったと言います。

実際商店街も栄えていた様子が、街歩きをするとわかる。
バス駅と旧筑前宮田駅の間に商店街があったようで、バス駅付近は割と最近まで開いている店があった。
現在はロードサイド店がこのバス路線の県道沿い、ここから直方よりに建っていて賑わいはそちらに移った印象。

県道に面した博多駅方面のりば。バスレーンは広くとられている。かつては福間経由の博多行きも存在していたらしい。

中有木方面、筑前山崎行きがあった時代も覚えている。

トヨタ宮田工場そばを2往復程度走らせていた時代が懐かしい。

その反対側。直方行きはわざわざこのバスセンター内部の乗り場に全便立ち寄っていた。

千石峡入口・庄司本村を経由し新飯塚に向かう飯塚線、室木線の室木を経由し鞍手病院方面に向かう鞍手線ののりばが奥に。
飯塚線は「水町経由」「毛勝経由」「毛勝・七福経由」があって、その時乗らなかったのを結構後悔しています。
その路線網は、炭鉱住宅団地と炭鉱(旧貝島炭鉱)を結ぶ意味合いが強かったのだろうか。

路線表も寂しくなった。

売店跡。稼働してた時は、なんてことない光景だったのだけど…。

時代は巡る。

宮若市のコミバス。紫色のバスを走らせる地元会社の運行。

写真を撮りながら一周して、改めて立派なランドマーク駅だったと思い知らされる。
残念ではあるが仕方がない。現役の記憶があることをつくづく幸運に思っている。

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中国JRバス,バスターミナル

大きいことはいいことだ

秋芳洞という鍾乳洞がありまして、1kmある日本最大級の観光ルートを要しておりまして。
中は圧巻なのですが、この観光ルートの特徴として人工トンネルを使い一方通行で別の出口に通じることができます。
つまりここ、行って戻るをしなくて済む洞窟です。なかなかユーザーフレンドリーというべきところでしょうか。
でも1kmの道のりをどうやって戻るか、といえば…


出口すぐに存在するのは

巨大なバス停。
戻るために作られたという訳ではなく、実際のところは洞窟だし、順路なんて正確に決まってるわけじゃなくて正門が二つあるようなもの。観光順によってはここを正門として入るお客さんも勿論いる。

昔来た時はそこそこお客がいたが、この時期はな~。
写真撮った時はワシら含めて5人くらいだったか?

一応、標柱らしいものは立っている。がバス停施設は正直デカい。
団体ツアーによってはバスに乗っていくパックの人々もいたし、そのためのこの待合室である。

流石に入洞する際に時刻表を確認はしてたので、自分は時刻表を探さずに済んではいたんだが…

こういうバスセンターにありがちなでっかい時刻表は皆無。
ポスターのあるスペースの左の空白地、昔そこにあったんじゃなかろうか…

高級懐石のごときバス停

さて時刻表をガチになって探すことにしてみたが

この辺か…

窓口。ずいぶん前に閉鎖されているようだ。
前来た時は2007年くらいだったかな、記憶にはないな。
それにずいぶん人多かったし、流れ作業で乗ったような記憶あるな。

で、時刻表はよ…
何となく右の貼り紙を見る。

違うじゃん!!
…え?左の小さいやつ?

ちっさ!!

これだけの巨体のバス停でありながら、時刻表はA5サイズくらいというのもなかなかないのでは…。
大皿にちんまり盛られた高級懐石料理の如し。

もう一組のお客の女性たちも真剣に時刻表を探していた。ここがバス停なのか本気で不安になったらしい…。

ここに貼っておけばよいのではという気もするが…。
まあこのサイト的には、こんな珍妙な状況が生まれているのを楽しんだほうがよろしいのか。

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西鉄バス・福岡市内,ポール型,古バス停,終点

世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」
というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。
しかしここは色々事情が特殊。

場所は南区の井尻六つ角。
県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。
 
首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。
朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。
この折り返し場を拠点にする46番系統のために。
そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には
  
ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。

大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。

福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。
ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。

これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。
書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家暮らしの時
「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」
というライフハックが存在してました。覚えてます。

今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。

バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。
どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。

なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。

追記

この後、この折り返し場は廃止。今はこの敷地は女学院の学生寮になり、時代に一区切りがつきました。

JR九州バス,バス駅,古バス停,終点

「バス停は駅であった」という考察文を書いたら、これを取り上げざるを得まい。

巨大建造物です。駅です。
JR=国鉄バスの、本当に駅扱いであったバス停。
バスターミナルではあります。だけど、これは例えば駅前や中規模市の中心部に設置するようなものではなく、鉄道空白地の地域までバス路線が伸び、そこに駅を置いたという例。
「駅」はかつて「運輸」において必要なものでした。遠くに大きい荷物を送る宅配、あれ、宅配業が発達する前は「駅止め輸送」が中心であったようです。

大分県の山中もそうですが、中国地方の山中など、鉄道空白帯がある箇所には国鉄バスの駅が結構設置されています。長野には国鉄バスの貨物駅も存在したほど。

これは、その名残。

内装も立派な駅です。

この近くからは炭鉱が見つかりました。
貝島炭鉱。筑豊炭田最後に生き残った炭鉱。大規模な露天鉱でした。
今、その歴史を塗りつぶすようにメガソーラーの建設が進んでいます。

(この土地全部を埋め尽くす予定のようです)
後に国鉄、ここから1キロもないようなところまで鉄道線を延ばし、本物の鉄道駅を作ってしまいます。
それは後に「筑前宮田」のバス停として紹介しましょう。駅跡がある程度残っていてバス停になってます。

この街には「宮田町駅」と「筑前宮田駅」の二つの国鉄駅があったということになります。
しかし実際町並みを歩いてみると実際、この「宮田町駅」のほうに商店街が発達しています。

この乗用車というかタクシー、実はバス扱い。

ボットン便所も気合が入ってます。落書きだらけでした。

今はただの「バス停」です。
ここがこんなにも大きいのは、かつて「国鉄自動車駅」であっただけで…。