全但バス,民家型,終点,軒下吊り下げ

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡駅から西へ、奈佐川沿いに山へ向かう目坂線の終点。

いい感じの小屋が現れる。

この奥に集落があり、バスはそこで折り返し。

ポストとポスターがいい味を出している。

下り6本・上り8本となかなかの本数。
一部便は京都との県境近い奥野まで1時間10分かけて直通している。なかなかのロングランだ。

この先は峠。
昔は峠を越えていたんかな、旧竹野町の床瀬という集落に通じている。
通じた先にもいくつかバス停があり、コミュニティバスのバス停らしきものが立っていた。

この目坂線沿線は他にもいくつか…

目坂の一つ前。

辻。

かなり街中まで下りた先の軒下案件の

福田。
他に小屋の残ってる宮井については、軒下に下がってた時代の大谷の写真と含めて後に…。

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伊予鉄バス,バス車庫,電柱,発見難易度高,廃止跡,ポール型,古バス停,地面型,壁型,小屋型

伊予鉄立岩線のバス停たち

愛媛のライブオファーがあったらなあとほぞをかんだ2021年3月。
この日廃止になった北条市の立岩線、そのバス停群はバラエティーに富んでいた。

このうち、ポール以外のものをストリートビューで確認していく。
※才の原~小山田に関しては別系統(難波経由)としてのちに取り挙げようと思っています。

北条小学校前


電柱。以前のストリートビューに切り替えると、解体された建物にバス停板が掛かっているのがわかる。ベンチもあったようだ。

中西


建屋の基礎近くに路上置き。2012年ストビューでも商店風の建物の下に直置きになっている。

正岡小学校前


民家(商店風)に板張り。

神田


商店の軒先床に直置き。

記念碑前


小屋型、バス停名板はなし。小ぶりのトタン小屋。

湯山


小屋型、バス停名板はなし。トタン小屋。

農協前


見落としそうな道路はじのサビサビの古ポールに、無理やりお知らせや時刻表が貼ってある。

立岩支所前


民家にバス停板。ベンチあり。農協前から旧道の狭隘路を走る。

立岩


ソーラー架台兼駐車場の支柱に貼りつけ。2012年時は小さい木造の駐車場小屋の支柱にくっついていた。

大遊寺


民家の擁壁下の車庫用スペース然とした場所に、時刻表がパイプ椅子の上に置かれているのが確認できる。2012年も同様。
分類するならパイプ椅子型?

中村


CB製の背の低い待合小屋。名板なし。

宮裏


2車線県道を一旦逸れた先、神社の裏にひっそりとサビサビのポールが。

小儀式


カーブの奥、桜並木のそば。サビサビのポール。

儀式


狭隘路沿いの廃商店の軒下にバス停板。キリスト看板や廃材など散乱。

宝入橋


新しめのログハウス風の小屋が立つ。名板なし。登山口。

庄府下


小さめのCB製小屋+バス停板。

庄府


終点にふさわしいバス車庫+バス停板。かつてはここより先の峠越え路線も走っていたとか。

JR九州バス,バス駅,古バス停,終点

宮田町のバス駅が解体に

国鉄バス時代からの自動車駅の最後の生き残りであった、JRバス宮田町バス停の待合室が解体されることに。


解体される前の日、2021年9月2日に行ってきました。

老朽化著しく

いたるところにガタが来ていて、こればっかしは致し方ない。

宮田の住民にとって「駅」とは?

廃止線を履修した鉄道マニアならば、宮田と言えば「国鉄宮田線の終点筑前宮田駅」を連想するでしょう。
宮脇俊三氏の書籍でも記述があるとおり、住民にとって便利のいいこここそが「宮田駅」であったと言います。

実際商店街も栄えていた様子が、街歩きをするとわかる。
バス駅と旧筑前宮田駅の間に商店街があったようで、バス駅付近は割と最近まで開いている店があった。
現在はロードサイド店がこのバス路線の県道沿い、ここから直方よりに建っていて賑わいはそちらに移った印象。

県道に面した博多駅方面のりば。バスレーンは広くとられている。かつては福間経由の博多行きも存在していたらしい。

中有木方面、筑前山崎行きがあった時代も覚えている。

トヨタ宮田工場そばを2往復程度走らせていた時代が懐かしい。

その反対側。直方行きはわざわざこのバスセンター内部の乗り場に全便立ち寄っていた。

千石峡入口・庄司本村を経由し新飯塚に向かう飯塚線、室木線の室木を経由し鞍手病院方面に向かう鞍手線ののりばが奥に。
飯塚線は「水町経由」「毛勝経由」「毛勝・七福経由」があって、その時乗らなかったのを結構後悔しています。
その路線網は、炭鉱住宅団地と炭鉱(旧貝島炭鉱)を結ぶ意味合いが強かったのだろうか。

路線表も寂しくなった。

売店跡。稼働してた時は、なんてことない光景だったのだけど…。

時代は巡る。

宮若市のコミバス。紫色のバスを走らせる地元会社の運行。

写真を撮りながら一周して、改めて立派なランドマーク駅だったと思い知らされる。
残念ではあるが仕方がない。現役の記憶があることをつくづく幸運に思っている。

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大分交通・国東観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ

にしきのあきらの時代の木造小屋終点バス停

現在は「日出町200円バス」の終点になっている小浜。
このバス停は丁度日出町と杵築市の境界線に位置している。


木造の気合の入った小屋が鎮座して

何気に少し傾いている。

軒先に下がっているのは大分交通の方のバス停で

杵築市のコミュニティバスのバス停が間借りしている。
杵築市コミバスのほうは電柱やガードレールなどの壁バス停がほとんどだ。

近寄ると傾きようが激しいのがわかる…。

相合傘

にしきのあきらは1970年代、女の子に大人気の大スターやったんやで…。
(※そのころの落書きだったかどうかは知らない)
そういえばにしきのさんは大分県出身だけど、大分市とのことでこの辺とはあまり関係ないと思う。

「にしきのあきら物語」「屋上で夕陽に向かってトランペット」「かわらぶきの屋根」
どうでもいいことを思い出したが、つらつら説明してもたいして面白くないのでその三つに「安永航一郎」も足して適当に検索してみてください…。

NHKの番組で現在を知る

このバス停を撮影したのは2021年2月。
12月にとあるNHK福岡の企画番組でこのバス停が紹介されることになって。

たまにこのブログで名前が出てくるちょんびんさんが大活躍していたりするんですが

収録は放送の一か月前くらいだったそうで、その頃にはもうどうも解体されていたらしく。


番組中でも「いつか無くなってしまうものを記録に残しておくことが尊い」みたいな言葉が出ていたのですが、自分のやってる作業はまさにそれで。

もう見る事の叶わないものとなってしまうのは、いつになるのか誰にもわからない…。

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伊予鉄バス,民家型,終点

愛媛、そこは民家型バス停のラストフロンティア

大昔、ちょんびん先生に紹介していただいたバス停仲間の方に
「愛媛にはこんなバス停がありまして…」
と写真を見せていただいたことがあり、

このオレンジ色の木の看板に憧れを抱いて何年たったか。
色々あって愛媛に音楽で呼んでいただき、ついに上陸することが!!
興奮して写真を撮ったのでスマホケースの留め具も見切れる有様(※右真ん中上の辺り)。

松山市の南、久万高原町にある上直瀬線の終点。

整備された県道から、旧道に入り込んで集落の真ん中で終点という

なんというか興奮する以外何もないシチュエーションなので、スマホケースの留め具は延々見切れっぱなしだ。

朝7時の便、ここ始発の轍とおぼしきものが見える。

この古めかしい木の看板はいつごろのものなのだろう。
「伊予鉄久万バス」とあるし、塗り替えられた形跡はない。調べてみたら分社化は1989年とのことで元年とはいえ平成(!)。
33年前の木の看板ともなれば確かに順当かな。

とりあえずようやく来れました、愛媛!


バスで訪れてたらこの角度で

終点へと入り込む

凄い標高の高いところで、助手席の妻は「お菓子の袋がパンパンだよ!」と興奮気味だった。

大分の山奥の終点みたいだ…と感じたんだけど、これはあれだ。むしろ大分のほうが愛媛の山奥みたいだったと考えるべきだろう。
赤石小学校前久保今畑安藤、色々思い出すがどれも民家型のバス停のたたずまいとして現存はしない。
現存してるんだもんなあ、すげえなあ。

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大分交通・玖珠観光,終点,軒下吊り下げ

菅原道真ゆかりの県境近くの集落

大分県の豊後森から、熊本の阿蘇の方に行く道沿い。
国鉄宮原線の伸びていたとこと言えばわかる人にはわかる道には、少し前まで県境を越えて肥後小国までのバスが走っていた。
その途中の枝線の終点の一つが菅原。


記念碑と

真後ろに公民館。

公民館と折り返し場、田舎の集落の終点としては最強タッグで。そしてこの立派な小屋である。

なかなか田舎ではかなり頼もしい本数。
なので…

たまにバスに遭遇すると何していいかわからない


バスがやってきてしまった。

えっと…

バスが。

来ちゃいました。

まるで憧れのあの子と二人きりになった瞬間、何話せばいいかわからなくなった男子中学生のように何するわけでもなく。

そのうちバスは去っていきました。

ごめんなさい、やっぱりぼくバス停さんのほうが好きです。

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さいかい交通,ポール型,小屋型,終点

みんな大好き、行き方のわからない終点

先日「マニアが喜ぶバス停とは!?」みたいな話をとある商業クリエーターさんとメールでやり取りしてたんですが、そこで自分が述べたもので
「路線表のはじっこだったり終点だったりするのはみんな好きです」
とはっきり私論をぶちかましましたが、多分これは正解だと思う。

学生時代を過ごしたのは長崎でありまして、住んでいたのは西彼杵半島の根っこ、時津という長崎市から北に行ったところ。この半島は非常に平地が少なく、山と海が複雑に入り組んでいる地形。長崎市と佐世保市を結ぶ最短ルートであるがゆえに道路は非常に整備が早く、バス網も結構充実していた。自分のいた時なかった路線は時津北ターミナル付近(先久留里止めがあった程度で現埋め立て地は広い空き地でもあった)、小口港、水浦廻りか。亀浦延伸はぎりぎり覚えてて、よく乗った風早行きが消滅したのを惜しんだ記憶はある。
長崎バスって今はどうか知らないけど、車内に会社の全路線表が絶対貼ってあるんですよね。
長崎バス全路線図公式サイト

この路線表を見て育った長崎バスっ子で、この画像の右のほうにある幸物支線に一度行って見たいと思った子は絶対多いと思う、いやほとんどだと思う。多分。きっと。

30年後の幸物を、今と変わらず愛しています

さて、ワイも高校卒業して今年で30年。

やって来てみた!!
ええー…

なんつうかですよここ、集落どころか家が全く見当たらない。
山中路線だとよくある「脇道の奥に行くとたくさん家があるタイプ」の、県道沿いのバス停に散見される立地らしく。

汚れは気になるが立派な待合室。

新しい柱…
余談だが四角い名称版を使っていたのは古いタイプで、平成に入ってから市内を中心に丸板に入れ替わって行ったのを覚えているので、四角のものがこうして新しく更新されているのを見るとスゲエとなる。

時刻表。実はこの年末年始のお知らせのところに、現存していたものでは最古級の路線図がつい最近まで貼ってあったらしい。
そこには「青雲学園」「光風台」が入っておらず、昭和60年以前のものになるのではなかっただろうか。惜しいものを見逃した。

使われてる雰囲気はしない。

行ったこの日は1/4、全国的には休日なのか学休日なのか微妙な日。到達時刻は16時20分で…

そう、あと50分したら実はバスが来たかもしれず、幸物行きバスを拝めたんじゃね?というチャンスではあったのだけれど。この日は嫁と同行であったのでさすがにそこまではせず。

そのまま県民の森の方向に向かいました。
あの頃たどり着けなかったあの場所をただ見に行く、それだけなんですけどなんでこんなに妙な感動があるんでしょうかね?
「マニアが好きなバス停とは?」に対するアンサーとして、そういう感動がある場所もその一つだよね、という結論を見たのでした。

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大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

極狭峠道の上の車庫バス停

前行ったときは2016年。
初めて訪れた時と、情景も運行本数も全く変わっていないのに正直驚き。


おっそろしい山奥のバス路線。

この看板の「フリーバス」とは「バス停じゃないとこからでも乗れますよ」というやつね。

相変わらずとっ散らかった待合室。

納屋なのか待合室なのか全くわからないが…

時刻表はちゃんと現役。

とはいえここでは落ち着かんよね…

ここはなかなかの立地条件の厳しいとこで、ほとんど平地のないとこに無理やり作ったような、退避場に車庫を無理くり置いたような。
転回場そばはもう川になっている。一応道路拡幅の予定はあるみたいなんだが、その時はここも無くなるかね…。


だいぶん減ってしまった大分バスの壁バス停なんだが、ここは完全に現役。

車庫の中には運転手さんの車が止まっていて、朝ここに来た運転手さんが始発バスをこの車庫から出して。
最終便でここに戻り、バスを泊めて車で帰っていく。

前の道幅はバス一台分で、そんな場所なのに結構工事用のトラックなんかが通りがかった。バスで鉢合わせたらどうなるんだろう?


河面の先、山を越えていくとこんな郵便局に到達するよ!!

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大分交通・国東観光,ポール型,終点

「するってえと金蔵、西のほうってのは一体何処なんでぇ」

国東半島の終点。
国東市側のバス停は結構ちゃんと標柱を立てているところが多いんですが、友人から
「西方寺はなかなかいい」
みたいなメンションをもらっていて、ちょっと行ってみたくなった。


西方寺の一歩手前のバス停。そうかあ、一日1往復か…よくあるね!
もう、こういうの見るのも麻痺してそういう反応ができる自分もどうだかと思う。

そして終点。
路線としては沢をひたすら登るという感じで、学校や店や公共施設、神社仏閣名所がある訳でもなくただただ農村地帯であった。

国東の終点は結構巡ってたつもりだったんだが一目で初見と気づく。

文殊

上成仏

この二つとも寺があったり集落がそこそこ大きかったりしたんだが、ここは本当に何のイベントもないまま終点にたどり着いてしまった。
こういう終点って、逆にそそるものがあるよね!!

時刻表もストリートビューもない終点にあるものは…

このバス停、ストリートビューがない(!)。
もう一つ大事なものが見当たらなくて

スゲエ!!何と時刻表が全く見当たらない。
風で飛んだかなんかだろうか。真相は知らず。
公式サイトなどでは一応やってる…はずである。

そんなこのバス停、一つだけ意外なものがあって。ポケモンGOのジムがあるのである。
ポケモンGOジムはバス停ではなかなか却下されがちな物で、別にバス停が認定されてるわけではないんだが、バス停のすぐ脇、田んぼの畔の下にあるお堂がジムとして認定されていたりする(!)。到達の証にポケモン置いて帰ることができるよ!!
同行者いわく50日くらい防衛してたとか聞いたぞ…。


ジムはあるが、結局時刻表はない。
一応一往復半あるはずなんだけどね…。

金剛自動車,古バス停,終点

多分日本で一番強そうなバス事業者名、金剛自動車

大阪の南のほう、富田林市、千早赤阪村あたりに「金剛自動車」あるいは「金剛バス」というバスが走ってるのは知ってた。
明らかに強そうな名前である。ここに勝てるのは鳥取県の「日の丸自動車」辺りではないだろうか?埼玉県の「イーグルバス」もなかなか強そうだ。しかし金剛には勝てるだろうか。

北ノさんから送られてきた南大阪の死角…

まさに生首状態…!!

金剛バス、路線範囲はそんなに大きくはないのです。富田林市、河南町、千早赤阪村が主体の小さなバス会社。
一応エリア内でバス停を調べて回ったが、おそらくリノベーションがあったのか

金剛バスのバス停(スタンダードエディション)。
四角いプレートに角柱、小さい時刻表。
「聖徳太子御陵」なんて味のあるバス停もこのスタイルであった。

古い丸型バス停板はおそらく旧式なんだろうけど、よく生き残ったもんですな…。
バス待ちの場所を変えたとか、そういう経緯で偶発的に残ったものなのか。一応他の終点いくつか見たけど見つけきれんかったとです。
区画整理にも宅地造成にも道路拡幅にも、微妙に逸れた市街地調整区域然の集落の中心といった風情。生き残る条件としてはバッチリです。

地元のバス停好き(※実数的にはどれだけいるのかは不明)もここはマストなんだろうな…
「金剛の旧式はここにしかないんだぜ!!」「いや俺は知ってるぜ!!〇〇にある!!」とかあるんだろう…。

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