筑前町地域巡回バス,壁型,民家型,終点

久々・本格的にバス停を探しに行く旅

バス停探索用にグーグルマップ・ストリートビューと併用してナビタイムの地図検索を使っています。
グーグルのもの、バス停の位置情報は一部は載っているものの、地方ではまだまだ未掲載。
それで調べて、ナビタイムにはバス停あるけれど、グーグルのストリートビューには載ってないものが出てきました。
車で行ける場所なんなら、ぜひ行ってみようではないか。


この辺が、ナビタイム地図でバス停があるあたりでストリートビューでは何も見えなかった箇所。

…んん~

ばっちりありますな!あっさり発見!

家に帰ってもう一度グーグル見てみると写真には全くなく。…でも、この時期下のほうにある別のバス停は載ってたりして。この撮影日と思しき日はなぜなかったかは謎。延伸とかかね…。

落ち着いて写真に撮ってみてみると、大分・日田バスの川原と同じ趣のあるバス停。

この待合スペースといった風情も最高。
福岡県の筑前町曾根田という集落にあります。バス停の名前にある小字・坂根を冠した古民家料理屋もある模様。

平成生まれの味のある景色はまだまだ埋もれているはず

今まで日田バスなんかの景色に魅了された中で、「昭和っぽさ」とかそういう言葉のくくりの下でこれはいい、と評価してきたものはたくさんあったのですよ。

でもこのバス停、生まれは2013年とかでバリバリの平成。

実際この景色とか、自分も流石にノーマークで本当に驚いた。
まさかこんな風景が令和の世に…という感じではあるんだけど…

まあバス停自体のフォントを見たらこれやっぱ令和やねえ。

バス停としてはここが行き止まりの場所。この風景の向こう側にバスは下りていきます。

ストリートビューはこちら(※当然バス停は何もなし)

日田バス,小屋型,終点

日田バスの老舗ローカル線も廃止に

4月に日田バスは路線の大量整理を行って、いわゆる定期便としての運行を大幅にやめてしまいました。
バス停を置いてそこに何時にバスが来て、という形態をやめるという話。
長らく日田バスの路線は、一日2~3往復になっても路線自体は維持を続けてきていたし、実質市の福祉バスとしての運行であったとしても公式サイトの時刻表には載っていたりをして維持は続けていたんですが、ついに力尽きました。


という訳で、その路線網の中で唯一壁型もバス停小屋型もほとんど存在しなかった山手線。
終点の小山小学校、沢伝いに登る路線なんだけど沢の入り口に新興住宅地と小学校がすでにあってですね。
こっから先登って行った先に小学校があるのなら、相当大きめの集落があってしかるべきとは思ったんだけど…

小学校(廃校)。

立派な学校なんだけど周囲には民家も人気すらナシ!!
昔一度到達したとき、あんまりにもおっかない雰囲気で写真撮らず帰った記憶がよみがえってくる…。

あれ、記憶と違ってて待合室あるよ?

立派なゴミ捨て場に変貌しとる…

田舎ではバス停すら姿を消しつつある

デマンドバスという形態の話。予約をしていれば運行という形で、となればバス停というのは必要が無くなる。
実際一切置かない自治体も出ています。

このバス停は廃止前に写真を撮ったのだけど、その後どうなったかはコロナもあって確認に行けてない。
ホームページで確認する限り「運行予約をしたら〇〇時頃にここ地域を運行します」というざっくりな配車予定のみがある。
バス停必要かといえば、うーん半分半分だろうか。それこそ公民館の掲示板で事足りると思う。

かつての国鉄の赤字ローカル線というものに対して、線路や駅を指さして「こんな大掛かりな物を作って」となったのと、またずいぶんとスケールがミクロすぎて貧乏くさい話。バスが廃止になるってのはなかなかどうしてこりゃ些末なスケールなんやなと感じさせられる。公共交通が無くなる無くならないという、切迫した事情ではあるんだが…。

バス停の裏には地蔵堂。

2~3軒の家が見えるんだけど、小学校もあったわけだから昔は栄えていたんだろうか、そう信じたい…。
一応道は峠に通じているようだけどこの道路は絶賛未整備で、おそらく乗用車で行ったらおっかなびっくりなとこだ!!

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昭和バス,ポール型,終点

博多の駅前は日本一を争うバスの往来があるらしい…

そうなのである。上の見出しに書いた通り、博多駅前にある「駅前一丁目」バス停は片道1300本強のバスが往来するヤバすぎるバス停であり…

とは全く関係のない博多バス停。

往来どころか、ここにたどり着くまでにサルが出たよ!!
バス停探索でサルが出たのは大分県佐伯以来2度目だ!!

大マジで博多です。
佐賀県の唐津市にあります。昭和末~平成頭くらいに七山村(2006年に唐津市に合併)の村内通学路線として開業。
ずいぶん前に探訪(当時は原付)したときはバスにも遭遇したんですが、バスの幕にあった「博多屋敷」がどうも正式な地名の名前っぽいということは、博多の人がここに居ついたから名前が付いたということなんかな?北海道の松前町にも同じように博多バス停があるそうで、ここもそうかもしれないな…。

ここにたどり着くまで同乗の嫁に
「今からここ曲がって博多に向かうよ!!」
ってボケて
「そうなんだ、こっち行くと博多なんだ…って遠いよ!!」
みたいなノリツッコミをしてくれてたんですが。

まさか本当に博多に着くとは思うまいて…。
嫁、妙に感心してました。
「博多ってサルが出るんだ…!」

この博多バス停からJRの博多駅までは旧七山村の役場バス停から唐津市方面に乗り換えて、浜崎駅で乗り換えで電車。うまくつながれば2~3時間あればたどり着くだろうか。
遠いようで…実はそんなに離れてるわけでもなく、微妙な…。
前来た時とバスの本数が変わってなくて逆にびっくり。

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日田バス,発見難易度高,ポール型,古バス停,壁型,崩壊系,民家型,終点

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!

太宰府市コミュニティ・まほろば号,壁型,終点

市民センター駐車場の一角にひそむオーラ0バス停


これはここ数年出始めている話なんですが、せっかく自治体がコミュニティバスを作ったのにもかかわらず不採算で廃止になってます。
廃止された路線を継いだもの、要望で新しく作ったもの、様々ですが廃止の理由は大抵
「走らせてるけど乗らない」
なもので…。

前住んでたとこのコミュバス「マミーズまほろば号」(旧名)のバス停です。マミーズ撤退しちゃって空きテナントになってたけどね!
今は「東観世地域線」。高低差がある地域なのでその買い物用に作られた路線です。

この一角、バス停だというのを地元民もほとんど自覚してない。


いきいき情報センターは、太宰府市の市民センターですね。
後は西鉄五条駅です。
他にも西鉄ストア、駅前商店街、病院多数。

このバス停は引っ越して客観的にみている今
「え?こんなとこがバス停だったの!?」
感があるんだけど、日常にこれがある生活を送っていると
「もうちょっと目立つようにしないとなんだかなー」
だったんですよね、実際。

乗って残そう東観世地域線

こないだちょっと所用で太宰府市役所行ってきまして、ここもちょこっと寄ったんですが
「乗って残そう!」
みたいなフレーズを見て寂しくなりました。そうか、乗ってないのかあ。
いや、このバスが向かう東観世地区はめっちゃ坂の上にあるし高齢住人も多いので、残ってほしいんですけどね。

バス停とは全く関係ないんですが、このバス停の近くにはこんな耳鼻科があります…
引っ越す前は行ってました。いたって普通の耳鼻科です。

この耳鼻科もそうなんですが、日常目にしていてそのフォルムに慣れてしまっていると
「あー、このバス停めっちゃ目立たないよねー。この形が悪いんじゃない?」
とか普通に考えていた気がするんですが、遠くにあってしまうと
「あのバス停わかりにく過ぎて逆に面白い!!」
ってなるという。今更気付かされました、うむ。

ストリートビューはこちら(近寄れない)

西鉄バス・大牟田,壁型,終点

世界遺産認定とともに爆誕したニューカマー

世界遺産、万田坑。(コチラ

 
去年の6月くらい。嫁と何の気なしに大牟田に遊びに行ったとき万田坑ステーションができてるのを発見。
そういや昔は線路跡とか施設跡とかあったよね~、というくらいの感覚で。
あとついでにトイレ寄ってジュース買ってくか、という気分で駐車場にインしたら。

ん、あれ?


これってそういうバス停よね?


だよね!!

万田坑までバスが来てるの初めて知った件

時刻表を見ると完全に観光客を想定したバス停。

土日祝のみの運行になってます。いや観光客でも知ってる人はいるんだろうか。
観光に来た人が知っているんだろうか。バス停に気づくだろうか。


こういう出会いがあるとは思いもよらず。
西鉄バスもこれからこういうバス停が増えていくかもしれんですね。
三条台口やらやらの例もあるし!!

ストリートビューはこちら(裏側から)

西鉄バス・福岡市内,ポール型,古バス停,終点

世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」
というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。
しかしここは色々事情が特殊。

場所は南区の井尻六つ角。
県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。
 
首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。
朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。
この折り返し場を拠点にする46番系統のために。
そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には
  
ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。

大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。

福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。
ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。

これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。
書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家暮らしの時
「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」
というライフハックが存在してました。覚えてます。

今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。

バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。
どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。

なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。

追記

この後、この折り返し場は廃止。今はこの敷地は女学院の学生寮になり、時代に一区切りがつきました。

大分交通・大交北部バス,古バス停,民家型,終点

去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。

中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。
だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。


ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。

終点にこんなものが残っていたのと
 
途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。

ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。
コミバス化というのは全然悪いことではないのです。
偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが楽しい。

西鉄バス・福岡市内,終点


名前から縁起がいいバス停。と言いながら私ギャンブルは一切やりません。
これ撮ったのいつくらいなんだろう。とにかく大昔。
そういや福岡市の地図を見ると、寄生獣のミギーみたいだなあと今になって思うんですが似てません?あの手の鎌みたいになったのが志賀島で。いや目玉か。

同意を得られない場合「シンイチ、ツメタイ」と拗ねることにします。平野綾の声のほうで。


まあ、そんな志賀島の先端にあります。バス停は海岸べたではなく、農村に引っ込んだとこです。
志賀島には漁師町の集落が二つ、ここは農村のほう。
終点の佇まいも思いっきり農村集落の終点。


農協の購買店なんかがありました。当然今はなし。田舎の購買店って角打ちがあったりしたよね!!
これ撮ったのは13年かそこら前。結婚(一回目)前だなあ。確か海にドライブ行く、といういかにもカップルなことしてる最中についでに撮りに行ったのでした。なんでこの写真庫の次には前嫁(故人)が写ってました。

海のバカヤロー!!

何でこんなもんが落ちてるんだーーー!!!!

懐かしい冬の玄界灘の思い出!!ああ、おかしい人…じゃなかった惜しい人を亡くした。

大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

こんな不条理なバス停はない。
最初の印象はそれだったし、「バス停の概念の解体」とも思えた。
もつ鍋がにらとキャベツともつの三身一体で成り立っているように(※例えがわかりづらいです)、バス停もバス停名板・時刻表・待合スペースで成り立っているのが普通なのだが、どれもこれもねじくれている。

まずこの状況である。なおここが終点。あの車庫前広場の横はすぐに谷になっていて、ここでぎりぎり折り返せる、というスペース。時刻表と待合室が手前にあるが…

なんか思いっきり人んちの倉庫の一角。

問題は名板のほうである。どっちに貼っているんだ。
そりゃ、ここは終点だし名前を気にする人もいないとは思う。
しかしたとえば山歩きの人で道に迷ってこのバス停を探しに来た人がいたとしたら。この時刻表と銘板が離れた状況を見て、「果たしてやっているのか?」と思うに違いない。


事態をややこしくしているのが彼である。
「僕が本物の河面バス停だよ!!」
然と立っているが、これは平行路線の別路線のバス停である。だまされてはいけない。
 
そう、立派な方が週2本しか運行してなかったりするのだ。

ここは友人のブログで「極上の壁バス停」と絶賛されていたが、極上とか絶賛どころじゃない。存在とは?概念とは?何よりバスで行こうが車で行こうが到達したときの達成感は半端ない。最高です。