日田バス,壁型,民家型,終点

ツイッターで#全日本雑な名前のバス停選手権というタグが大流行。
まとめられたりもしてる模様。
どうしてこうなった!? #全日本雑な名前のバス停選手権
こんなまとめまで。
思わずツッコミ!『#全日本雑な名前のバス停選手権』にビックリ。

さて、ツイッターではここで紹介したバス停もお蔵出ししてたのですが、このバス停は正直負けじ劣らず色々雑。
赤石小学校前といいながら小学校は閉校してかなり日が長いそうな。
本当なら「旧赤石小前」が正しいのですが、日田バスはこの雑さが味だし長所。

民家直貼りです。美学を感じます。 最初にこのバス停を発見した時は正直驚きました。 日田市の福岡県境近くに延びる路線(小鹿田線)にこんなバス停があります。

あれ、「赤石小学校」の板を流用してるやん?

で、初めて訪れた時がこちらです。

板、あるやん!すごいとこに!!
去年行った時は「このままでは飛んでいってしまう」と考えたのか。

挟めて置いてありました。賢者の知恵だね!

このバス停は「川原」の次のバス停。前の記事を読んで頂いた方ならわかりますが現在絶賛休止期間中です。

上の地図の迂回路を使って前津江振興局から赤石小前のほうまでだけ代替のデマンドバスが走っています。

おしらせ。
このデマンドバスのルートを通って帰りは帰りました。道こそ狭隘なものの「赤石本村」付近は民家がそこそこあり、軽トラや林業作業車にも結構すれ違ったりして、本来はこの山の上までバスが行った方がいいんじゃないの?って感じたほど。

お知らせの紙が貼ってあるだけで

風景は変わらず。


今年もはさまってました。どうやら安定期のようです。
閉校した小学校は2012年に閉校したとか。えー、最近じゃない!!

校庭の桜。

小さな小学校ですが確かに立派で、139年の歴史があったとか。「旧赤石小前」なんて名前に改名しちゃうのは野暮なものかもしれません。

でもデマンドバスの時刻表には思いっきり「旧」…。

太宰府市コミュニティ・まほろば号,壁型,擁壁,終点


醍醐バス停なくなってんじゃん!!
と思ったのが去年。

うーん、このへんにあったはずが見つからない。醍醐寮なんてあるんだ…

でもこの場所をちょっと下った辺りに、同じような道路上の地形が存在していて。

無事再発見。こないだ始発地の五条駅辺りでバスを見かけましたが、結構満員で繁盛してました。

そしてこの付近をくまなく捜してみると・・・

!!!

こんなとこにバス停があったとは!!

自分の徒歩圏内で3年越しにバス停を発見するという体験はなかなか出来まい。

この駐車場を使って折り返すよう。そういえばここ、折り返しようのない袋小路道路をどう折り返すか謎だったんだ。
謎も解決!!

このマミーズまほろば号連歌屋地域線、バス停自体には路線表がないんです。市役所のサイトしかないという。
なので現地に行ってバス停を「探しに行く」のをオススメします。
天満宮に程近いので観光気分で行けます。

全但バス,終点,軒下吊り下げ


(※今回の写真は全て北ノ君撮影)
前回の「上院内小学校」と同じくなバス停。
大分と但馬、県民性が似ているのかもしれない。
北ノ君は優れたカメラマンだと思っている。
だからちゃんとこんなシャッターチャンスが舞い降りる。

ここをバスが通るのは一日3往復。ここは終点。
流石だなあ、と思う。

鄙びた待合所のあるバス停の風景、ってのは今の時代にとって憧憬であると同時に故郷の喪失の予感、それをひたひたと感じさせるのです。都会に住んでいてはもう戻れない場所。「青年部」という言葉は一度都会の隣人関係の無関心さに慣れてしまうと、恐怖になりえるものです。いや、悪いことだらけなわけでもないのだけれどね。

京都との県府境近くにあります。

一日3~5往復かあ、妥当かなあ。
とか地図と写真見てすぐ納得できてしまう自分もずいぶんおかしい気がします。
でも、本当にそんなもんですよ。

JR九州バス,バス駅,古バス停,終点

「バス停は駅であった」という考察文を書いたら、これを取り上げざるを得まい。

巨大建造物です。駅です。
JR=国鉄バスの、本当に駅扱いであったバス停。
バスターミナルではあります。だけど、これは例えば駅前や中規模市の中心部に設置するようなものではなく、鉄道空白地の地域までバス路線が伸び、そこに駅を置いたという例。
「駅」はかつて「運輸」において必要なものでした。遠くに大きい荷物を送る宅配、あれ、宅配業が発達する前は「駅止め輸送」が中心であったようです。

大分県の山中もそうですが、中国地方の山中など、鉄道空白帯がある箇所には国鉄バスの駅が結構設置されています。長野には国鉄バスの貨物駅も存在したほど。

これは、その名残。

内装も立派な駅です。

この近くからは炭鉱が見つかりました。
貝島炭鉱。筑豊炭田最後に生き残った炭鉱。大規模な露天鉱でした。
今、その歴史を塗りつぶすようにメガソーラーの建設が進んでいます。

(この土地全部を埋め尽くす予定のようです)
後に国鉄、ここから1キロもないようなところまで鉄道線を延ばし、本物の鉄道駅を作ってしまいます。
それは後に「筑前宮田」のバス停として紹介しましょう。駅跡がある程度残っていてバス停になってます。

この街には「宮田町駅」と「筑前宮田駅」の二つの国鉄駅があったということになります。
しかし実際町並みを歩いてみると実際、この「宮田町駅」のほうに商店街が発達しています。

この乗用車というかタクシー、実はバス扱い。

ボットン便所も気合が入ってます。落書きだらけでした。

今はただの「バス停」です。
ここがこんなにも大きいのは、かつて「国鉄自動車駅」であっただけで…。

大分交通・国東観光,ポール型,終点,鉄道跡

以前、まあここなら外さないだろうと勇んで国東半島に行ったことがありまして、そりゃもうワクワクして軽を走らせたのですがものの見事にごらんのごとく
 「立っている」(※このブログ独自の表現)
 案件ばかりで肩透かしにあいました。どの支線も結構最近に施設を刷新した感じもして、ああー、こりゃねえな、ということで国東半島の北半分で調査は終わらせて帰ったことがあります。

しかし国東半島というのは実に寺社やら石仏の多い場所でありまして、表題に出している路線の終点「文殊線」、まさに極めつけの「成仏線」など、珍名系のバス停が大変多い。
以前にも一度紹介した「下成仏」。これは地獄の門へのバス停!?

終点は「上成仏」。
天国は意外と、普通の集落でした。

ほかに本当に夫婦岩の下に置かれた「夫婦岩」とか

由来が気になる「豆腐坂」。

国東観光のバス車庫は、大分交通国東線の終点国東駅の跡を使っており、バス路線はその名残で国道を通らず海岸線側港町の細道を使うローカル線が多々あります。
これは「小原」バス停のところで見つけたもの。バス停は別に立ってました。
中に朽ち果てたベンチがあり、待合室の跡っぽい雰囲気だけはする何か。

この建物はなんだろう・・・?
最初、バス停のあとと思って近寄ったのですが、ひょっとすると鉄道のほうの遺構なのかもしれない…。

長浜。めっちゃ海に近すぎる。

大分交通・玖珠観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ


えらく立派な建物の軒先に、ひょっこりと顔を出すバス停。
バス用の車庫が鎮座している。

例えば朝の第一便、山奥の学生たちや通勤者が朝一で町にバスで出かけるとして。その山奥からの始発便は、町の車庫から早朝から回送で、くたびれるような長い距離を走って始発地にたどり着いている・・・と思うとそうではなく。始発地にあらかじめバスを止めて、運転手もそこに宿泊して、朝の第一便を運行するのに備えている。
福岡市内にもいくつかその名残があって、金武という集落に比較的最近までそれが残っていたなあ。東区の大岳は今も残っているかもしれない。

豊後森駅(玖珠町)~守実温泉(旧山国町)を結ぶいまどき珍しい峠越えの路線。豊後森からの夕方最終便だけがこの梶原で止まって、夜を越します。以前別のこういう車庫で見かけたけれど、いまどきの運転手さんたちは自家用車でここまでやってきていて、バスを止めたらそれに乗ってお帰りになられておりました。