大分交通・大交北部バス,秘境,ポール型

深耶馬渓のそばを食べながら考えた

思えばこのブログを始めたのは20年前に作っていた個人サイトの日記で、バス停行ってきたよコラムをたまに書いてたら
「ジマオ君の日記、バス停モノは面白い」
と知人女性が言ってきたのが最初だったような気がします。
ここ数日、久しぶりに更新した際にふと思ったんですよ。なんか筆が進まなくて。うーん、ここはどんな感じで平の文を書いていたものか、と。
初心に戻るというか、ウケたことがあるときどんな文章だったかとか。
おおよそ前身含め休み休み15年近くやっている計算なんですが、そういえば明確にバズったことはないのよね。だから後者は特にないとして。
初心に、戻る…
それを冷静に考えてみたら、50近いオッサンが30半ばで書く文章をこしらえようと考える事態…
おおこれは寒い、もう少し年相応にですね、文豪にでもなったくらいの佇まいを考えてみてはどうだろう?
年相応…とか、音楽活動でもそんなこと考えてたっけ…?

細く長く、粘り強く行きましょう。
とろろ蕎麦のごとく…
まあ、この歳迄続けてるの偉いな、やれなくなったことも多々だけど。
深く考えず、素で行こうと思います。文章力が落ちてたら、そりゃもうそれまでよ。
最近大分行くときこのそばにドはまりしています。
深耶馬渓のとろろ蕎麦本当においしい。

そんな深耶馬渓のもうちょっと山奥に…

岩肌の中にバス停発見!!

軍艦岩バス停です。

辺り一面は岩、森、川、そして岩。

背中にでっかい一枚岩。

特に集落がある訳でもなく、ひたすら岩と森しかない真ん中にポツンと。
道路地図で見ていると、なんか変わった名前のバス停あるなと気にはなってたんですが、ここまでバス停と岩以外何もないバス停とは思わず。
実際ここらを車で走るとわかるんですが、岩肌が迫る道路が延々と続いていて。
心の中でバイきんぐ小峠に「バス停も岩なのかよ!!」と叫ばせると結構心情的にマッチします。

え?軍艦岩はって?
確かこのアングルの先にあったような、見たような…
絶賛撮っていないのである。
(心の中のバイきんぐ小峠に「でしょうね!!」と叫ばせてみよう)

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いわくにバス,壁型,小屋型

大藤までの道のりは長くて狭い

下畑からの続き。道路、幅員は3メートルあるだろうか。


カーナビで地図を見ても、道路らしい道路はこの沢沿いのこれしかない。
本当にこれがバス通りなのかを考えていたら下畑の集落とバス停を見た。

んで、まさかの

このバス停、標柱が立ってない。

中国地方のバス停は、黄色いネームプレートが必須になっている。ここと下畑は珍しくそれがない。
いわくにバスは市交通局出資の民間会社。とどのつまりは市営バスが前身。

下畑、高畑の地名でわかる(地形的な意味合いでの)上下関係。

ちょっとした掲示板です。

何気に大藤行き、数回見かけたことがあるんだけど最近理由が分かった。ちょうどライブの本番待ちの時間に駅前商店街辺りをうろつくことがあって、その時間に来るんだ。

大藤の方を眺める。

一応大藤バス停も行ってきたよ

大藤、何とグーグルストリートビューも到達していない凄いとこで。

これが、意外と終点オーラに乏しいあっけない場所だった。道路で引き返すのか折り返し場もよくわかんなかったし…

まあここまで来た記念に…

終点かと思いきや、実は別方向(南岩国駅の方角)から叶木方面に別路線がやってきます。
やっぱり終点オーラゼロ!!

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いわくにバス,壁型,小屋型

標柱がない以前に電波が来ない場所

山口県の岩国市の山間部路線大藤線。玖珂や柳井方面に抜ける峠道の途中から分岐するが、地図で見ると

これがなかなかの長距離かつどうしてそっちから行く?って感じの路線で。
六呂師(大藤)の沢に向かって、人家及び整備された道のある所を選ぶとこうなったのか。
この岩国の山間部は旧国鉄バスが路線を伸ばしていた場所でもあるし、一時期は柱野まで来ていたようだから競合状態の末こんな路線が生まれたのかも。この地域が岩国市に合併したのは結構古く昭和30年で、いわくにバスは市営交通局が前身。なるほど古くから市営バスがあっても問題ない場所か。
所要時間は当然、圧巻の1時間強らしい(62分)。

国道から分かれるとまず採石場があり。さらに狭い道を延々向かうとこの集落が現れる。

岩国、いや中国地方では珍しく標柱レスのバス停。

いわくにバスで柱のないバス停はグーグルマップの事前調査でもう一つ見つけることができた。
携帯の電波は届かなかった。

ワイはプロや!猿ゴルファープロや!!


バス時刻表は待合室の中にあり、バス停名板はどうやら

この側面の看板が相当しているよう。

なぜか置かれているラジオ。

嫁、バンドメンバー・たまきお君の3人で到達。
大分のバス停旅に同行している嫁はさておきたまきお君はこういうのが新鮮だったようで、
「嘘でしょ、この細い道の先にバス停とか」
「マジか!あるんか~!!」
などと非常においしいリアクションを繰り広げ。

この帰り道、下畑~六呂師口の間でバス停旅史上二度目のサルの群れに遭遇。無駄にテンションは上がった。
そういえば結局この沢を走って生身の人間には出会わなかった。対向車は3台ほど通っただろうか。サル6匹(概算)のほうが多い結果に…。

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さいかい交通,ポール型,小屋型,終点

みんな大好き、行き方のわからない終点

先日「マニアが喜ぶバス停とは!?」みたいな話をとある商業クリエーターさんとメールでやり取りしてたんですが、そこで自分が述べたもので
「路線表のはじっこだったり終点だったりするのはみんな好きです」
とはっきり私論をぶちかましましたが、多分これは正解だと思う。

学生時代を過ごしたのは長崎でありまして、住んでいたのは西彼杵半島の根っこ、時津という長崎市から北に行ったところ。この半島は非常に平地が少なく、山と海が複雑に入り組んでいる地形。長崎市と佐世保市を結ぶ最短ルートであるがゆえに道路は非常に整備が早く、バス網も結構充実していた。自分のいた時なかった路線は時津北ターミナル付近(先久留里止めがあった程度で現埋め立て地は広い空き地でもあった)、小口港、水浦廻りか。亀浦延伸はぎりぎり覚えてて、よく乗った風早行きが消滅したのを惜しんだ記憶はある。
長崎バスって今はどうか知らないけど、車内に会社の全路線表が絶対貼ってあるんですよね。
長崎バス全路線図公式サイト

この路線表を見て育った長崎バスっ子で、この画像の右のほうにある幸物支線に一度行って見たいと思った子は絶対多いと思う、いやほとんどだと思う。多分。きっと。

30年後の幸物を、今と変わらず愛しています

さて、ワイも高校卒業して今年で30年。

やって来てみた!!
ええー…

なんつうかですよここ、集落どころか家が全く見当たらない。
山中路線だとよくある「脇道の奥に行くとたくさん家があるタイプ」の、県道沿いのバス停に散見される立地らしく。

汚れは気になるが立派な待合室。

新しい柱…
余談だが四角い名称版を使っていたのは古いタイプで、平成に入ってから市内を中心に丸板に入れ替わって行ったのを覚えているので、四角のものがこうして新しく更新されているのを見るとスゲエとなる。

時刻表。実はこの年末年始のお知らせのところに、現存していたものでは最古級の路線図がつい最近まで貼ってあったらしい。
そこには「青雲学園」「光風台」が入っておらず、昭和60年以前のものになるのではなかっただろうか。惜しいものを見逃した。

使われてる雰囲気はしない。

行ったこの日は1/4、全国的には休日なのか学休日なのか微妙な日。到達時刻は16時20分で…

そう、あと50分したら実はバスが来たかもしれず、幸物行きバスを拝めたんじゃね?というチャンスではあったのだけれど。この日は嫁と同行であったのでさすがにそこまではせず。

そのまま県民の森の方向に向かいました。
あの頃たどり着けなかったあの場所をただ見に行く、それだけなんですけどなんでこんなに妙な感動があるんでしょうかね?
「マニアが好きなバス停とは?」に対するアンサーとして、そういう感動がある場所もその一つだよね、という結論を見たのでした。

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大分交通・国東観光,ポール型,終点

「するってえと金蔵、西のほうってのは一体何処なんでぇ」

国東半島の終点。
国東市側のバス停は結構ちゃんと標柱を立てているところが多いんですが、友人から
「西方寺はなかなかいい」
みたいなメンションをもらっていて、ちょっと行ってみたくなった。


西方寺の一歩手前のバス停。そうかあ、一日1往復か…よくあるね!
もう、こういうの見るのも麻痺してそういう反応ができる自分もどうだかと思う。

そして終点。
路線としては沢をひたすら登るという感じで、学校や店や公共施設、神社仏閣名所がある訳でもなくただただ農村地帯であった。

国東の終点は結構巡ってたつもりだったんだが一目で初見と気づく。

文殊

上成仏

この二つとも寺があったり集落がそこそこ大きかったりしたんだが、ここは本当に何のイベントもないまま終点にたどり着いてしまった。
こういう終点って、逆にそそるものがあるよね!!

時刻表もストリートビューもない終点にあるものは…

このバス停、ストリートビューがない(!)。
もう一つ大事なものが見当たらなくて

スゲエ!!何と時刻表が全く見当たらない。
風で飛んだかなんかだろうか。真相は知らず。
公式サイトなどでは一応やってる…はずである。

そんなこのバス停、一つだけ意外なものがあって。ポケモンGOのジムがあるのである。
ポケモンGOジムはバス停ではなかなか却下されがちな物で、別にバス停が認定されてるわけではないんだが、バス停のすぐ脇、田んぼの畔の下にあるお堂がジムとして認定されていたりする(!)。到達の証にポケモン置いて帰ることができるよ!!
同行者いわく50日くらい防衛してたとか聞いたぞ…。


ジムはあるが、結局時刻表はない。
一応一往復半あるはずなんだけどね…。

筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型,民家型

山と山と山の間の集落

こないだアップした三箇山公民館の隣のバス停。


三箇山の集落を抜けると、山と棚田が見え。人家もなくひたすら、山と棚田しかない景色。
櫛木の集落は県道から脇道に入ったところに、森に埋もれるように佇んでます。
これがなかなかの秘境感。道も非常に狭い。

こんなところに、正直バス停があるのが凄いと思った…。

隣の三箇山と同じく、掲示板に貼ってあるスタイル。こちらはちょっと外に貼ってますね。

本数うんぬんよりここまでバスが来てるのは正直偉いと思う。
新品のこのバス停プレートも嬉しい。地元の集落の人はどう思っただろう。
おそらく有史以来ここにバスが来たことはなかったと思うのだ。

バスでたどり着いても自家用車でたどり着いても、ここは相当の達成感があると思う。
ここへのアプローチはバスが来る夜須町から、飯塚市側から、朝倉市側からどれを通っても峠を越えなくてはいけない。
果たして何もないかと思いきや、この盆地近くの集落にカフェとソフトクリーム屋さんなど飲食店は少しばっかしあるそう。


それにしても正直筑前町のバス停、こんなに面白いとは思わなかった。まだまだ掘ったら独特のたたずまいのバス停が見つかりそうだ…。
いろんなところのコミュニティバスを掘ってみねば。

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筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型

有史以来バスが来れなかった集落は多い

田舎の地図を眺めていると、隅々の集落って有史以来一度はバスが訪れているんじゃ?と思うことはあるが、実際はそんなもんじゃない。
バスが通れるような道路が開通するのと、自動車運輸輸送の発展の歴史とその衰退のタイムラインと。田舎では特にそれらがアンバランスで、特に地形的制約が発生する峠の奥の山間集落や、海岸べたの閉ざされた港町なんかにはバスが訪れたことなんて一度もない、みたいな集落は山のようにある。


朝倉郡筑前町、旧夜須町の三並付近は昔からバス空白地。「西鉄100年史」の1968年ごろのバス地図でもぽっかり空白になっているし、かといって集落も道路もないわけでもなく、小学校や郵便局なんかもあるし人口が皆無という訳でもない。
そこから先のさらに奥、三箇山・櫛木などの集落のある夜須高原に至っては、ゴルフ場や国立青少年自然の家なんかが建っているがここにバスが通ったという話はほぼほぼ聞かない。地勢的に道路はこの集落を流れる川の沢を下った隣の筑穂町(現飯塚市)側に先に開通してしまっているし、こういった行政境界線と地勢のアンバランスな集落はどうしても秘境化してしまう。

四方が山。

道の駅がある三並からつづら折りの峠道を15~20分くらい登って、たどり着くまで一苦労。
まあそんな集落です。

…ここのどこかにバス停がある、はず…

え?

掲示板内バス停という新ジャンル

新ジャンルと言っていいのだろうか…

公民館の掲示板に貼ってあるという新しいスタイルである。

実際、ここが初めてという訳じゃなくって、結構日本中のコミバスでこれは出現していたりする。
ただ「コミバスの試用運転です!!」ということで各地区の公民館伝いにまず試験運行、みたいな流れでできたようなものがいくつか発見されていて、それらも本当にエクセル出力の時刻表だけが掲示板に貼ってあるだけという例のほうが多い。
ここのように本番プレート(※微妙に斬新な表現)をそのまま掲示板に、というのは初めて見た。
貴重な掲示板のスペースが恒久的なバス停の掲示に占用されておるがよいのだろうか。村祭りの告知とか、がん検診の告知とかはいいのか…。

そう思うと心なしか窮屈な掲示板にも見えてこないわけでもない…。
撮影後、下界の道の駅で、ハイエース改造のここ行きバスとすれ違い。あの峠道にこれから挑むんやな…と遠い目。

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昭和バス,ポール型,終点

博多の駅前は日本一を争うバスの往来があるらしい…

そうなのである。上の見出しに書いた通り、博多駅前にある「駅前一丁目」バス停は片道1300本強のバスが往来するヤバすぎるバス停であり…

とは全く関係のない博多バス停。

往来どころか、ここにたどり着くまでにサルが出たよ!!
バス停探索でサルが出たのは大分県佐伯以来2度目だ!!

大マジで博多です。
佐賀県の唐津市にあります。昭和末~平成頭くらいに七山村(2006年に唐津市に合併)の村内通学路線として開業。
ずいぶん前に探訪(当時は原付)したときはバスにも遭遇したんですが、バスの幕にあった「博多屋敷」がどうも正式な地名の名前っぽいということは、博多の人がここに居ついたから名前が付いたということなんかな?北海道の松前町にも同じように博多バス停があるそうで、ここもそうかもしれないな…。

ここにたどり着くまで同乗の嫁に
「今からここ曲がって博多に向かうよ!!」
ってボケて
「そうなんだ、こっち行くと博多なんだ…って遠いよ!!」
みたいなノリツッコミをしてくれてたんですが。

まさか本当に博多に着くとは思うまいて…。
嫁、妙に感心してました。
「博多ってサルが出るんだ…!」

この博多バス停からJRの博多駅までは旧七山村の役場バス停から唐津市方面に乗り換えて、浜崎駅で乗り換えで電車。うまくつながれば2~3時間あればたどり着くだろうか。
遠いようで…実はそんなに離れてるわけでもなく、微妙な…。
前来た時とバスの本数が変わってなくて逆にびっくり。

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太宰府市コミュニティ・まほろば号,ポール型

常人が入りづらいとこにあるバス停は世の中にいくつか存在する

今日のバス停は趣が違います。

なんだ、普通に立ってるじゃん。

名前も普通。実際、ここにあるのは太宰府市の上下水道に関する事業関連全て。

本数もまあ普通でしょ。

立地も…

よく見るとここ、門の中…
でも建物は上下水道事業センター?

めちゃくちゃ入りにくいだろ!!
世の中には、めちゃくちゃ入りにくいとこまで行くバスというのは結構存在する。
まさにこれとかその例の最たるものだと思う!!

かくして私はこの門をくぐる選ばれし勇者となった

昔私は太宰府の民だったのですが、役所の手違いで下水道料金が割高で徴収されてまして、2年くらい過払いになってたことがあったんですね。
先日ようやく空き時間がありまして、市役所に行ってそのへんの手続きをしたら…。
「上下水道事業センター行ってください」
マジか!!じゃあの門をくぐって、正当な理由で上下水道センターの中行けるやん!!

という訳でちゃんと用事があって入った上下水道事業センターで撮った例のバス停です。撮影に躊躇しているシャイな太宰府市のバス停ファンの皆様、お納めください!!

日本にはそういう「選ばれしものしか行けないバス停」の話は多々ありますが、自分の知る限り極北は間違いなくあれでしょう。
長崎バス・香焼工場線「香焼修繕部」です。

ここは三菱造船香焼工場という巨大工場の敷地内に一般バス路線が入り込むという路線なんですが、社有地内だけでバス停3つを有し、平日4往復、日祝日も1往復。

このゲートにて乗客には入構証の提示が求められ、このチェックをかいくぐることは極めて稀といわれています。
チャーターバスとかでもなく!この門のとこまでは普通に一般人を乗せて!!通常の一般路線バスとしてこういう運行してるのはここだけなのでは?

いやね、今日全くバス停とかまーったく関係ない打ち合わせに出席したんですよ。
「で、仕事で三菱の造船所の中行きましてね…香焼の」
「えーっ!!」
思わず変な声出してしまった。バス停とか全く関係ない話だし、膨らんでも困ったのでそのまま必死にスルーさせたんですが、要はアレですよ!!
それ、その人にもし自分のようなバス停趣味があったなら千載一遇の合法的に写真撮りに行くチャンスって話ですよ!!もう羨ましくって!!

…でもなあ、撮れたところでネット上に公開はやっぱアカンわけじゃん?だよね、だよねー。

ところでこのバス停はグーグルも入って写真撮ってるし、別に問題ないみたいです。
なんで門になってるかといいますと、ここは実は大学が閉校になった居抜きなんですね。上下水道センターのほかにも入ってる部署があったりして、さらに奥には運動公園もあります。実はかなり自由に出入りできます。
はっきり言えば香焼工場のバス停なんぞよりはるかにスルーです。

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2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!