大野竹田バス,民家型

スマホで撮ってるから慌てると指が入る問題。

いやね、このバス停。
このバス停を撮るためにはと考えたんです。しかしこのバス停が貼られてる家、なにやら中から忙しげな音と声がしてたの。

この半開きの隙間から。

歳とったのと、この時心労あって昔みたく「特殊な交渉術」使えなかった。
おじさん、心が疲れてたんです。

この極上のバス停を目にしながら、指の入った2枚を含む3枚しか写真に収めきれず退散してしまった。次回こそリベンジ!!

全但バス,小屋型

昔仕事で現場の「基準積雪量」を調べなきゃいけない仕事してた事がありまして、まあいろんな町のホームページを見ては建築基準の例規をあたったりしていたんですが、そのうちで
「舞狂」という地名に当たっておったまげました。

バス停はその集落の対岸。
陰陽師たちが住む集落であったのが由来だそうで、それにしても「舞に狂う」とは。
今は静かな集落のようだけど、

この名前、とてもインパクトある。

しかもご丁寧に上り下りと別々に、このインパクト小屋があってね。


調べてみると今も大字舞狂。
軽く調べてみると結構な場所で、「時の為政者がはるばるこの地を訪れていた」とか伝承が残っているようで…ひょっとしたら今も続いているのかも?

西鉄バス・福岡市内,ポール型,古バス停,終点

世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」
というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。
しかしここは色々事情が特殊。

場所は南区の井尻六つ角。
県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。
 
首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。
朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。
この折り返し場を拠点にする46番系統のために。
そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には
  
ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。

大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。

福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。
ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。

これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。
書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家暮らしの時
「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」
というライフハックが存在してました。覚えてます。

今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。

バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。
どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。

なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。

追記

この後、この折り返し場は廃止。今はこの敷地は女学院の学生寮になり、時代に一区切りがつきました。

大分交通・大交北部バス,古バス停,民家型,終点

去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。

中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。
だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。


ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。

終点にこんなものが残っていたのと
 
途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。

ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。
コミバス化というのは全然悪いことではないのです。
偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが楽しい。

日田バス,軒下吊り下げ

高速道路を使わないときに使う「シタミチ」というやつ、それも200番台以内の国道だとそれ沿いにあるバス停を見かけると「ま、こういうバス停は安泰でしょ」と思いがち。
だから、いつまでもあると思っておざなりな写真しか残っていないことになる。

こんなふうに

ちょっと、撮っとくかって感じで

わからないものなんです。バスの廃止ってのは。
ちなみにこの路線は森町と筋湯線を結ぶところで、写真撮った10年前は恒久的に残っていそうな感じであったのだけれど。

実は去年10月辺りから大分の北部では猛烈な廃止の嵐が吹いたみたいで、特に耶馬溪付近の路線の廃止が発表になったのには驚いた。
法事やらでばたばたしてた頃だな・・・。まあ、バス停どころではない日々だったので気付く訳がない。しゃーない。
 
これとか今「立ってる」んだろうなあ。
こないだの取材旅行の際、実は何も知らずその付近も再訪する腹積もりだったのだけど、とある事情で大分~湯布院を1.5往復する羽目になってしまって、ガソリン代ケチるために断念。

まあ、行かなくてよかった。落胆してたろうから。

全但バス,ポール型

あ、これあれだ。日本のマチュピチュとか言われてるあれですね。タモさんと宇宙人が行ったやつ?
そこにほど近いバス停です。

こういう標柱+電柱のダブル攻撃バス停があったのを思い出したのですが、

まさか兵庫にも同じようなやつがあるとは思わなかった。

標柱が真新しいのを考えると、ひょっとしたら小屋があって、取り壊したやつをそのままそこに残しているのか、今から小屋を建て替えるつもりなのか(全但バスはやりかねない)、まあ色々想像は付きません。

大野竹田バス,小屋型


終点がいろんな意味で衝撃的だったこの犬飼のバス路線。

途中のバス停で立派な眼鏡橋も見つけてテンションが上がった。

さてこの路線(多分「山内線」ではないか?)ヒゲ線を一つだけ持ってまして、「栗の木」まで伸びてます。
その分岐バス停。

分岐点に立ってます。立派なバス停です。

言われてみればこのあたりは震度5~6であった熊本・大分地震の被災地にあたります。
いくつも訪れたこの木造の建物群だけど、全然壊れてないというのは凄いことなのでは?
なお隣のバス停もほぼ同じ構造ですが、それはまた別の機会に。

妙に本数が多いように感じますが、実質は平日一日5往復。

なお栗の木バス停は異様に終点オーラがなくて(※バス停オタク独特の表現だが共感者多数)写真撮りませんでした。

大野竹田バス,小屋型

去年の12月某日にレンタカーを二日ばっかし借りて旅に出たのですが、その時の日程は家で晩御飯(自炊)食べてから、店の締まる時間からレンタルをスタート。夜8時くらいから車をかっ飛ばし、竹田市の道の駅で車中泊。

夜中に到着した。
道すがら、発見してしまった。

これはもう本当に妖怪ポストの世界。
いや、サツキとメイが待ってる時間帯。

このバス停みた瞬間、もうテンションあがったあがった。
これからどんな旅になるんだろう?

終バスなんてとっくに出ている。

はじめっからこれだから、もう楽しみで楽しみで。
そして夜は寒くて少ししか眠れなかった。
次の日は本当に、興奮と落胆が入り混じった日になった。
さて、次竹田に行くときは、このバス停を昼撮ろう。

大野竹田バス,軒下吊り下げ


ごめん。現存する軒下バス停はもう現れないと思ってた。ノーマークだった。
そんなわけで豊作だったのにいそいそと写真撮らざるを得なかった久保線から待望のニューカマーが登場です。

ちょっとトリミングしたら、水木しげるの漫画に出てきそうな雰囲気になった。

一日2往復らしいです。

もう雰囲気からして夕方写真撮ったら、おっかないと思いますよこのバス停。
例え停留所の標柱が新しく立ったとしても。季節は初冬。春とかに撮ったら雰囲気も違ったかな。

いやー、それにしても凄いところだった。これもいそいそとしか撮れてないんだよな。
そういや少し思い出したけど、久保線撮ってる間中ガソリンの残量もずっと気にしてたんだった。山深くて高低差あったしな、まーしゃーない。