伊予鉄バス,発見難易度高,廃止跡,珍名,バス車庫,ポール型,古バス停,地面型,壁型,小屋型

伊予鉄立岩線のバス停たち

愛媛のライブオファーがあったらなあとほぞをかんだ2021年3月。
この日廃止になった北条市の立岩線、そのバス停群はバラエティーに富んでいた。

このうち、ポール以外のものをストリートビューで確認していく。
※才の原~小山田に関しては別系統(難波経由)としてのちに取り挙げようと思っています。

北条小学校前


電柱。以前のストリートビューに切り替えると、解体された建物にバス停板が掛かっているのがわかる。ベンチもあったようだ。

中西


建屋の基礎近くに路上置き。2012年ストビューでも商店風の建物の下に直置きになっている。

正岡小学校前


民家(商店風)に板張り。

神田


商店の軒先床に直置き。

記念碑前


小屋型、バス停名板はなし。小ぶりのトタン小屋。

湯山


小屋型、バス停名板はなし。トタン小屋。

農協前


見落としそうな道路はじのサビサビの古ポールに、無理やりお知らせや時刻表が貼ってある。

立岩支所前


民家にバス停板。ベンチあり。農協前から旧道の狭隘路を走る。

立岩


ソーラー架台兼駐車場の支柱に貼りつけ。2012年時は小さい木造の駐車場小屋の支柱にくっついていた。

大遊寺


民家の擁壁下の車庫用スペース然とした場所に、時刻表がパイプ椅子の上に置かれているのが確認できる。2012年も同様。
分類するならパイプ椅子型?

中村


CB製の背の低い待合小屋。名板なし。

宮裏


2車線県道を一旦逸れた先、神社の裏にひっそりとサビサビのポールが。

小儀式


カーブの奥、桜並木のそば。サビサビのポール。

儀式


狭隘路沿いの廃商店の軒下にバス停板。キリスト看板や廃材など散乱。

宝入橋


新しめのログハウス風の小屋が立つ。名板なし。登山口。

庄府下


小さめのCB製小屋+バス停板。

庄府


終点にふさわしいバス車庫+バス停板。かつてはここより先の峠越え路線も走っていたとか。

伊予鉄バス,崩壊系,民家型

「この辺にバス停があるはず」

伊予鉄のバス停は「探せばおおむねちゃんとある」ことがわかったので、グーグルの位置情報を頼りに付近を探索。


ここも難易度高かった…。
現存する伊予鉄バスの発見難易度の高いバス停でも1~2を争う。

とはいえ、こちらもエキスパートなんである。

「民家の壁にさりげなくあるパターンなら、時刻表然としたものを探せばよい」
すかさず視認。

どうやらこれがバス停のようだ。

久万高原町、久万から伸びる伊予鉄バス路線のうち、西の方に伸びる唯一の路線が富重線。

2014年のストリートビューを見ると、この民家の玄関にバス停板が設置されているのがわかる。
事情を察するところはあるが、まあ板が撤去されるような何かがあったのだろう。

バス停は奥が深い。
バス停名の書かれた時刻がそこに貼ってあれば、そこは社会通念的にバス停という場なのだろう。
その場の概念とは果てしなく曖昧で…。

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伊予鉄バス,地面型,崩壊系

このサイト的には「横綱」なんである

同乗していた嫁に
「次のバス停はなかなか見つからないよ…」
と告げた。グーグルストリートビューで一応「発見」はしていたが、確証なんてなく現地に行くしかないと思ってた。

うん、明らかに手ごわい。
バス停がそこにあるとは到底思えないが、

グーグルマップはここにバス停あるよと示してくるのだ。

道路沿いの更地は宅地の痕跡なのか?

一軒だけある斜面上の民家への階段。
事前調査でおそらくそれと確信したブツを確認する。
トタンの物置のそばを凝視すると見えてくる。

やはり…
これはバス停板!!

ひっくり返してみたら大当たり!!

もはやバス停名など判別不可能!!
周囲に時刻表やお知らせの類は、何も見つからなかった。
伊予鉄バスの公式サイト、路線表にもこのバス停は明記されている。
そもそもこの付近はフリー乗降区域だそうで、バス停見つからなくてもバスに向かって手を挙げれば乗り降りできるとか。
丁重に、バス停板の原状回復をして現地を後にする。

個人的には、大分交通の樋桶山線以来の衝撃。
どういう経緯でこうなったかはわからないのだが、これは極上の現代アートではなかろうか?
この板切れが置かれていることがこの場の「バス停」としての社会的価値をかろうじて維持しているし、この状況になっていることはおそらく複雑かつ奇跡的な経緯にある。この状況を壊してしまうのは恐ろしいなあ。
果てしなく美しいと思った。

狭隘度も相まって、ここは乗りバスで行ったらもっと興奮したろうなあと。

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日田市コミュニティバス,小屋型,崩壊系

中津江村の道は険しい


鯛生金山に向かう道の旧道を走ってたら…

凄い勢いで大きな穴!!

この鯛生までの道路沿いのバス停、日田バスとしては村営バスに移管されていて。
昭和頃のバス停跡などはあまり残っていないのだけれど、ぽつぽつとは存在していて

2008年くらいか、かなり古いバス停小屋が一個だけ残っていた

変わり果てた姿で再会


う、うーん。

見事に骨組みだけに…。

確か、中には稀少な村営バス時代の時刻表が貼ってあったはずなんだが…

枯れ蔦の向こうに発見!

日田バスが長らく終点としていた栃原のターミナルを起点として、福岡と熊本の県境に近い峠下集落の市ノ瀬・地蔵元とを結んでいた。
鯛生金山はこの本線上にはなく、おそらく支線として存在していたと思われる。
1972年の閉山後から10年後に地底博物館が出来ており、ここは完全なゴーストタウンにはなっていなかったのだろう。
2008年に訪れた時は1往復の定期運行も行っていたが、今はほぼ完全にデマンドタクシー化したようである。

この時には定期便では地蔵元も鯛生金山も行かなくなってる模様。

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大分交通・玖珠観光,崩壊系,軒下吊り下げ

ふうぜんのともしび

中津の方角から、深耶馬渓のそばを食べる前の下流に聳え立つバス停。
下流には鴫良温泉があり、旅館や土産物屋がぽつぽつと並んでいてそこそこ観光客も多い通りだ。
バイクのツーリングによくすれ違う。


この辺は待合室吊り下げバス停の宝庫だ。


きわめてスタンダードなバス停と言えるが

シースルーである。

残念ながら、おそらく災害等でこうなったのか。二次被害などもなくつつがなくそのまま、というのは不幸中の幸い。

出会いは一瞬、いつなくなるかわからない


この通り、結構前にも一度通っていて下流の山移や持田の写真を撮っている。
この時は上下5往復、中津~森(JR久大線の豊後森駅)間の急行バスが走っていた。

今でも変わらないとは感じるが、土日便がなくなっていたり急行は無くなり中津まで行かなくなっていたりと退潮著しい。

あの時は写真を撮らなかったけど、こうなってしまうと撮っておかねばとなる。
いつまであるんだろう…いつ消えるのだろう…

「福岡くん」というテレビでやっていたが、「大木切ります!」の看板は筑豊の会社が頑張って貼っているそうだ。1984年創業だそうだから、ほぼほぼ平成期に貼られ始めたものか。
これは平成の田舎アイコンとして語り継がれるのかもしれんね…。

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大分交通・大交北部バス,ガードレール,ポール型,古バス停,崩壊系,道路構造物一体型

大分屈指の秘境路線のその後

かつて大分交通北部バスが中津市(旧耶馬渓町エリア)で運行していた樋桶山線。
朝上り1本、夕方下り1本の行って帰れないタイプの一日1往復運行。
そして中途のバス停は錆び落ちていたり

ガードレールに雑に括り付けられたり

果ては路肩に放置されたりと。

おおよそ5年程前に廃止になったこの路線、中津市のコミュニティバスとして存続はしています。
本数も一日三往復と大幅アップです!!


ビフォー


アフター


凄い!!ちゃんと立ってる!!

なお3本あるとはいうんですが、「金曜日」の文字通り一週間に3本です。
この耶馬渓地区コミュニティバス、日替わりでいろんな方面にバスが運行されるシステムですね。

初めて来た時度肝を抜いたこの終点も今は立派です。

折り返し場、当時からかなり手狭です。

もう行って帰れないダイヤとは言わせない…金曜日だけだけど。

この調子で途中のバス停も見てみよう


首が折れていると評判であった中の原。


綺麗です。白い花も祝福しています。

まあ、立派になって…。


バス停が完全に崩壊していた舞野。


コミュニティバスのバス停は置かれなくなっていた。

ちょっと離れた個所に新しい別のバス停が立っています。


擁壁に埋め込まれたバス停、下越。


撤去です。ここも現在バス停はなし。

バス停は本当に何もなくなるもんですねー。

こんな感じでくっついていました。


ガードレールバス停、二瀬。


…まあ、当たり前っちゃなんなんですけど何もないですな!!

一応橋の名前で確認。

家に帰って調べると、二瀬のバス停自体は存在してるようです。

ストリートビューで見ると圧巻

ここのバス停群はなかなかストリートビューで見ると圧巻で、ぜひずっと上まで辿りながらバス停を見つけてほしい。
2021年現在、まだ2013年のものが使われており現役時代のバス停が観れる。

都会ほど変化はめまぐるしくはないけれど、少しづつ工場が出来ていたり下流にカフェが出来てたりと、変わりゆく景色もあります。

大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

極狭峠道の上の車庫バス停

前行ったときは2016年。
初めて訪れた時と、情景も運行本数も全く変わっていないのに正直驚き。


おっそろしい山奥のバス路線。

この看板の「フリーバス」とは「バス停じゃないとこからでも乗れますよ」というやつね。

相変わらずとっ散らかった待合室。

納屋なのか待合室なのか全くわからないが…

時刻表はちゃんと現役。

とはいえここでは落ち着かんよね…

ここはなかなかの立地条件の厳しいとこで、ほとんど平地のないとこに無理やり作ったような、退避場に車庫を無理くり置いたような。
転回場そばはもう川になっている。一応道路拡幅の予定はあるみたいなんだが、その時はここも無くなるかね…。


だいぶん減ってしまった大分バスの壁バス停なんだが、ここは完全に現役。

車庫の中には運転手さんの車が止まっていて、朝ここに来た運転手さんが始発バスをこの車庫から出して。
最終便でここに戻り、バスを泊めて車で帰っていく。

前の道幅はバス一台分で、そんな場所なのに結構工事用のトラックなんかが通りがかった。バスで鉢合わせたらどうなるんだろう?


河面の先、山を越えていくとこんな郵便局に到達するよ!!

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大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ

一番最初に待合小屋がこわれた

大分県の宇佐市、特に国道387号線沿いには不思議と待合小屋が結構残っていたりします。
国道は結構歩道まで整備が進むせいか、あんまり残らないもんなんだけど。この国道は鉄道線跡を利用した比較的古いやつだからだろうか。
昔書いた三又川のちょっと下流です。


おお、いい感じの待合小屋発見…

お、これは珍しく看板がない型かな?

…と、思いきや。

壊れたのか、吹き飛んだのか…。

壊れてるシリーズは今まで色々見てきました。

首なしだったり

待合室から落ちていたり

死にかかっていたり

完全にくたばったり…


このバス停は割と本数がある場所で、宇佐市と旧安心院町、院内町を結ぶメインルートの途中。バスもあれば普通に車通りも多い。
安心院にはなかなか昭和なバスセンターもあり温泉だってある。

…にしては行先が少ない気もせんでもないが、末端の行き先はおおむね安心院から出るようになっている。

ストリートビューでは普通に待合室吊り下げ型で、これ台風かなんかで吹き飛んだのだろうか、はたまた老朽化か。もうすぐ柱が立つかな?
反対側は普通に柱だしな!!

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日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。

日田バス,発見難易度高,ポール型,古バス停,壁型,崩壊系,民家型,終点

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!