※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

行っとけばよかった、にはいろんな意味がある

人生は
「あれをやっとけばよかった、これをやっとけばよかった」
の連続なんですが、自分を振り返ってですよ。このバス停趣味において。
何度かバス停の廃止情報やらを漏れ聞いたりする時期。
「行きたいけど行けない!!」
時期って、もう直截的にぶっちゃけて書くと
「そんなことやってる立場と場合じゃないしそのためのお金も車も時間もない」
でありまして、そのことにはものすごく納得している。あの時得た体験も経験にも後悔はない。
「ここ行っときゃよかったー!」
って悔悟の念よりそれらがはるかに大きいのは納得しています。


でも、でもですよ。自分の中の小学生は納得いかないわけですよ。
「やだ!タイムマシン作る!!」
当然作れないんで、グーグルマップのスクリーンショットで我慢させてください。

大分県佐伯市のやつ


平成終わりに廃止になった上浦川線唯一の軒下バス停。あまりに美しいんで地図に星を書き込み勇んで向かったら、このバス停のみ経路変更で2015年ごろ?廃止になっていた。
あの時のガッカリ度は計り知れない…。
この旅館、割と泊まってみたいのだけどネットにはあまり情報がない。グーグルには外国人旅行者のレビューが一軒あり、かなり興味をそそられる。

あの猫バスオブジェでマスコミにも知られている「ととろ」の次のバス停。この路線「木浦鉱山線」も終点までほぼ軒下バス停・壁と何でもありの路線だった。今は特に面白みのない背の低い標柱が立っている。

ここもととろの次のバス停。
終点の木浦鉱山は軒下型だったが、ここに至ってはバス存命中にグーグルのストリートビューがたどり着けていない。
あと5メートル行けば見える位置まで来てるのが惜しい…。

存命中のととろバス停は実は場所が違っている。現役の姿は今グーグルマップで閲覧可能。
元々は用水路の上に立っており、いまは反対側の田んぼの上に移設され、桜の木が横に植えられている。

大分県竹田市のやつ


竹田駅からちょい北にある雉ヶ平線。2016年ごろに派手目の道路改良がおこなわれバス停施設も突如一新。

ことごとく新しい標柱に入れ替わっており

筆者の心をバキバキにへし折るゆかいな大惨事となった。ショックで写真一つ撮っていない。


これは竹田ではなく正確には豊後大野市。
このバス停、大昔ある登山ブログで存在は知っていたのだが、グーグルマップにあるのはつい最近まで知らなかった。
実は手持ちの道路地図でバス停位置が大幅に間違っており、おまけに道の改修で大きく道が変わっていて探索しきれていなかった。
「安藤」バス停自体、2016年に新道上にあるのを見たおぼろげな記憶があるが、あれは隣の貫原バス停だったのかも…。まだあるかもしれない、ということで早急にみに行きたい。なんやかんやで忙しくなる前に!!

こちらも豊後大野市。未確認…だったか、どうなんだか…。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ

安心院~亀川線、惜しまれながらも廃止

今時珍しい山越えの長大路線で、山間を縫うように走っていた安心院亀川線が去年秋に廃止になりました。
一日2往復だったけど、割と大きな町(大病院がある亀川)を結んでいたから地味に需要があり続けたのは想像に難くない。

廃止前からこの付近のバス停はなんというか、かなり…

危険なまま放置されたバス停小屋。ほかの小屋に比べて建物は大きめ。

バス停名の「塔尾」の名前の集落はここからもうちょっと奥に存在していて、家は2~30軒ほど。
その住民たちの登校用に使われてたのか、中学~高校生と思しき落書きがびっしりあって昔を偲ばせる。

当時デジカメを買ってたんだが、使い方が全く分かっておらずピントはまるで合っていない。

このバス停、道路改良で取り残された脇道沿いにあって遭遇したときはたいそう驚いてしまった。
地図で見る限り、奥の塔尾集落からはこのバス停とは別方向への道路(広域農道)が開通しており、そっちに向かうほうが早く安心院の市街地に出られてしまう。
あらゆる意味で忘れ去られているような場所になってしまった、とみている。

廃止前の崩壊

友人のツイッターで廃止直前の画像を見て、驚愕してはいたんだが。


ようやく再訪が叶うことに。

廃止前

廃止後

ヤベエ!バス停の墓場じゃん!!

近寄ってみると何と時刻表が残ってるのを発見!!

晩年の一日2往復、通学線とも通院線とも…

この路線、待合室バス停ばかりで恐ろしく味のある路線であったのだが、結局白眉のバス停はここであったか…。
回っているときは隣の三反田が一番と思ってたし、ここは危険なんで標柱立てると読んだんだけど…最期は本当に意外。よく最後までこれで通したな!!

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日田バス,壁型,崩壊系,民家型

川原バス停、大地に立つ

前回の続き。

2017年は車で来訪できず入美のバス停と2択になり。2018年は大きなライフイベントがいくつかあって結局行けず。
2019年の4月に向かいました。

立ってる!!

まずこれに驚き。いや、わかりにくいなら最初からやれという話です。
…ということは…

ああー!!

ついに

あの建物が!!

なんというかですね、こういうバス停に限らず昭和の遺産みたいなものって、無理やりにでも存続ってのはないと思っています。
いつか儚く消えるからこそ、愛でる価値があるものだと。
消えた時まで看取ることができた事が幸福だと思っています。

改めて思う、最初に見つけた時のインパクトなあ…。

2020年4月30日をもって日田バスとしての運行は終了しました

ご存じの通りコロナ騒動のおかげで、その最期を看取ることはかないませんでしたが。
4月の廃止の件は事前に新聞記事等で告知されており(記事では当初3月末の予定だったようである)、緊急事態宣言前に写真を撮りに行きました。

全体像。

例の建物のあったあたり。

最期の時刻表。

このバス停と付き合って気づけば15年。
毎回友人を連れて行って驚かれたり、地元の人に説明して「そんなに珍しいですかね?」と苦笑されたり。
思えば最初に撮影許可を頂いた木工所のおじさん、今も元気にしてらっしゃるだろうか?

とりあえず川原バス停の話はこれで完結です。今はデマンドバスが運行されるということで、また違った形のバス停になっているのかもしれない。
それを確かめにまた遊びに行こうかな。
大山の道の駅で鮎うるかでも買いに行くついでにでもね!!

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日田バス,壁型,崩壊系,民家型

こんなところに先生が!?

前回の続き。
そりゃもう、発見した日は凄くテンション上がりましたよ。
そもそもこのバス停を探すとき、誰もが

このあたりを探すでしょうよ!!道路はバスの退避場所っぽい形状だし家の近くだし、ごみ置き場あるし!!
実際そのごみ置き場に貼られてないか調べましたもん!!

このバス通り沿いに山を登っていくと、この川原の集落が見えた瞬間って

この建物が目に映るんですね。

やっぱインパクト抜群だよな!!

なんか、その日は
「いやあ、まさかあの建物にバス停貼られてたら笑えるよな」
ぐらいの気持ちでそっと覗いてみたんですよね…。

「わあいた!!」って感じで。

発見してすぐに勇んで記事を書いたの覚えてます。
川原(大分県日田市)
この日はほかにも小坪尻下久木野を発見していたりします。豊作の日でした。

災害のたびに思う「あの建物大丈夫!?」

このバス停、ずっと定点観測に出かけておりました。
日田に友達をエスコートして見せに伺ったり。
何となく日田に遊びに行くと立ち寄ったり。

友人と訪れた時。

 
2015年に訪れたときの記事。

日田、ないし北部九州は災害の多い土地です。
豪雨災害は幾度となく起き、近隣の鉄道は寸断され。
台風被害もありました。
極めつけは熊本地震でしょう。日田市自身熊本県と接しており、震度5を観測した地域もあります。
そのたびに思う訳です。

ああ、あの建物無事かなあ、と…。

2016年の転機

2016年はその熊本地震の起きた年。


熊本地震直前に訪れたとき、バス路線の県道が工事で通行止めになっていました。
防災対策のない斜面を大規模に回収する工事のさなか。
詳しくはその個別記事で書いています。

日田市前津江町での観測された震度は5強。
果たしてあの建物は無事だったのだろうか。

…しかし個人的事情で再訪するのは2年後になってしまいます。
こればっかしは申し訳ない。色々あったんや!!色々!!

果たして川原バス停の運命は?次回に続く!!

日田バス,壁型,崩壊系,民家型

日田バス大野線・出野線・有田線の廃止

ついにこの時が来たか、という感です。
公式サイトによる廃止のお知らせ

大野・出野・有田3路線ともこのブログ内ではスターぞろいです。
定点観測し続けた、思い出のバス停も数多く。
まずはそのうちの一つ、大野線の川原(かわばる)バス停から。
余談なんですが大野線には下流の旧大山町中心部にも「川原」(こうばる)バス停があります。読み方違うだけで紛らわしいけど、よかったのだろうか…。

初めて遭遇した大野線の思い出

原付を買って乗り回していました。
いろんなところに行けるのが楽しくて、背伸びして八女に行ったのが最初。

昔は地図に載ってるバスの終点を見に行くのが楽しくて、それだけで遊びに行ったんですね。
八女の終点から、峠を越えると前津江に行けると標識が出てました。軽い気持ちで峠を越えてみたんです。
すぐに星払のバス停を見て仰天するわけです。

興奮してすぐに谷を越え、座目木集落に向かったことを覚えています。

それからしばらく、このあたりに行っては
この固定記事にある通り
バス停を「発見」しに遊びに行くことをやっていたわけです。
地図通りに確認するわけでもなく、最初のうちはグーグルのストリートビューなんてものもなく、そもそもスマホもなく。回りくどいやり方であったので、ひょっとしたら自分がまごついてるうちに普通のバス停に置き換わっていたのもあったかもしれない。

ちなみに最初に来訪した2005年くらいではそれぞれの路線は日に3~4往復。廃止直前の運行は1往復。
まずバスでは行けない。
ちなみに実際にバスで行っても実は日田バスにはテープによる放送車内アナウンスがありません。
乗っていてもどこがバス停なのかは判断が難しい。

「ないものとして存在する川原バス停」

川原のバス停は幾度となくアタックを試みました。
地図まで確認しても本気で見当たらず、ずっとバス停のありそうな雰囲気の道路を見ながらくまなく探索し
「ここはないものとして運行している」
と結論付けたこともありました。
だって本当に見つからないんだもん。
Googleストリートビュー

そう一度結論をしたこの場所のちょっと先にこんな

バス停があり、そういう「壊れたりしていても放置しているのでは?」といったこともあるかもしれないと考えたのもあります。
なおストリートビューを動かせる環境の方、ぜひ「探して」見るのをお勧めします。(2020年現在、2013年撮影のストリートビューだとちゃんとバス停も入っています)

のちに発見した時の驚きは衝撃でした。
ある他バス停を発見して、浮かれてここにやってきたことを覚えている。
そういう訳で過去記事を見たことのない方々のために、在りし日の写真はこの記事中には貼らないことにします。
是非ノーヒントで探してみてください!!

(次回に続く)

※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

グーグルマップでしこたまロケハンをして臨んだ今回の旅でしたが、いろんな理由でなくなっていたバス停がありました。
そりゃあビフォーアフターで比較写真撮ればわかりやすくもなるけどさ、遠いとこまで行って…の落胆たるや!!
中学校前(大分県竹田市)
道が拡幅されて建物がなくなってました。
これが朝一番、最初に見に行きたかったとこだったんですよ!!
その落胆たるや!!
南田原(大分県佐伯市)
ととろの隣。まあこれは事前情報があったのでそこまで落胆はなし。
でもやっぱり生きているうちに見たかった、というのは感じます。いろんな意味で。
久保(大分県竹田市)
これがちょっと予想外。終点までは古いバス停ばかりで楽しかったんですよ。
これから刷新が始まる直前だったのかなー、と。
福園(大分県佐伯市)
今回最大のがっかりポイント。新道のほうに町営住宅が出来たらしく、バスがそちらを迂回するためだけにこのバス停だけを廃止にしたらしい、と住人の方から情報を得る。なんと風情のある軒下バス停を…。これははっきりと大分バスにも訴えたい、大きな損失であると。グーグルマップで眺めるだけでも美しい…。

大野竹田バス,崩壊系

凄い場所が現れた。
いや、この日の取材旅行は、グーグルマップで見た竹田市北部を通る雉ヶ平線

この三つがどれも消滅しているという最悪の立ち上がりからスタートですよ!!
中学校前は道路の拡幅で建物なくなってるし!!
なんか全部バス停きれいに建て換わってるし!!

テンション駄々下がりのまま、そしてそのあとに訪れたちょっとしたバス停でテンションが持ち上がった状態で向かったのが、竹田市内の久保線。

終点の久保がグーグルの時点で

行った時点で

というわけでさあて、この状態がいつまで持つかな?という状況に差し迫っていることはお分かりになられただろうか。

で、ここ本当に狭隘路の度合いもひどくて。撮影のために長く車を止める、ということすら難しく写真2~3枚撮るくらいしか止められなかった事はお許しいただきたい。

久々に来ましたよ!!崩壊系のやつ!!
ダストボックスなのもなかなかしんどいものがあるが、名前が時刻表見るまで判別できなくて。
ここ別に地形的に道路が分岐してるわけでもなく一本道、バス停の名前も久保の手前だからなのじゃなかろうか?

追い抜いた地元のトラックと再び遭遇するのを気にしつつ、いそいそと4枚撮ったんだ!!勘弁してくれ!!
…ってか、よくこんな細い道をバスが行くもんだ…いや、これは実は日本中の田舎じゃ大概そうなんですけどね。

大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

こんな不条理なバス停はない。
最初の印象はそれだったし、「バス停の概念の解体」とも思えた。
もつ鍋がにらとキャベツともつの三身一体で成り立っているように(※例えがわかりづらいです)、バス停もバス停名板・時刻表・待合スペースで成り立っているのが普通なのだが、どれもこれもねじくれている。

まずこの状況である。なおここが終点。あの車庫前広場の横はすぐに谷になっていて、ここでぎりぎり折り返せる、というスペース。時刻表と待合室が手前にあるが…

なんか思いっきり人んちの倉庫の一角。

問題は名板のほうである。どっちに貼っているんだ。
そりゃ、ここは終点だし名前を気にする人もいないとは思う。
しかしたとえば山歩きの人で道に迷ってこのバス停を探しに来た人がいたとしたら。この時刻表と銘板が離れた状況を見て、「果たしてやっているのか?」と思うに違いない。


事態をややこしくしているのが彼である。
「僕が本物の河面バス停だよ!!」
然と立っているが、これは平行路線の別路線のバス停である。だまされてはいけない。
 
そう、立派な方が週2本しか運行してなかったりするのだ。

ここは友人のブログで「極上の壁バス停」と絶賛されていたが、極上とか絶賛どころじゃない。存在とは?概念とは?何よりバスで行こうが車で行こうが到達したときの達成感は半端ない。最高です。

日田バス,壁型,崩壊系,民家型



凄いことになっていた。

拡大した地図がこれ。まわり道とありますけどね、恐ろしい距離と高低差があるんですよ。いったん隣の沢を登って、峠を越えて下りなおさなきゃいけないという。
なもので、バスは道路の開通を待って休止中になってました。

意地で行ってきましたよ!ええ!!

だってここは封鎖地点は内側ですもの!!
温所は川原の隣のバス停。「ぬくどころ」と読むそうです。
前津江本村からの迂回路はまあ慣れてしまえばたいした事はなく、多少舗装が荒れはしていましたが道幅もそこそこの峠道をえっちらおっちら。しかし距離は当然4~5倍…。
キリル文字の「д」の字の"-"の部分が工事中部分と思っていたらけたら、苦労はわかっていただけるだろうか。とにかくたどり着きました。

川原は「かわばる」と読みます。

今年も日本一ロッケンロールなバス停に出会ってきたぜ!!

破滅的なフォルムは相変わらず健在だぜ!!

今まで写真で「どんな風に道路と接してるんだろ?」と疑問に思った人がいたかもしれないので、分かるようなアングルから撮ってみました。

近寄って足元を見たら、おがくずに半分埋もれて

これが出てきた…。
去年訪れた次の月から休止してるんだ。
ちなみに隣の赤石小学校前まで、迂回路を使って代替バスが走ってます。それはまたあらためて…。
日本一パンクなバス停は健在、それが分かっただけでもよしとしよう、うん。