全但バス,民家型,終点,軒下吊り下げ

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡駅から西へ、奈佐川沿いに山へ向かう目坂線の終点。

いい感じの小屋が現れる。

この奥に集落があり、バスはそこで折り返し。

ポストとポスターがいい味を出している。

下り6本・上り8本となかなかの本数。
一部便は京都との県境近い奥野まで1時間10分かけて直通している。なかなかのロングランだ。

この先は峠。
昔は峠を越えていたんかな、旧竹野町の床瀬という集落に通じている。
通じた先にもいくつかバス停があり、コミュニティバスのバス停らしきものが立っていた。

この目坂線沿線は他にもいくつか…

目坂の一つ前。

辻。

かなり街中まで下りた先の軒下案件の

福田。
他に小屋の残ってる宮井については、軒下に下がってた時代の大谷の写真と含めて後に…。

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伊予鉄バス,小屋型

この日出会った唯一の小屋+板バス停

愛媛のバス停を巡った日は、久万高原町の河之内線・上直瀬線・富重線、東温市の松瀬川線に絞った。
天候不良を理由に面河方面は断念、海上線はフェリー時間までに鯛飯を食うため最初から除外。
割と時間とも戦いながら廻っていた。


一ノ谷を出て、次に出会ったのがここ。

小屋型だ!!
この日廻った路線唯一の小屋+バス停板のものであった。

なかなかよい風情のくたびれ切った木造トタン小屋。

横にあるのは

お地蔵さま。

学校前(直瀬小)とある。
伊予鉄久万エリアには合計3つ「学校前」バス停が存在していて、バス便によってはここを含めた2軒の「学校前」を通ることになっているらしい。
なんとややこしいんだ…。

久万エリアにはもう一軒廃止になった「学校前」も存在していて、古いストリートビューでも見れる。
4軒もあるのなら、小学校の名前を付ければよいと思うのだが…。

学校はちょっと離れていた。学校前というよりは、学校へと続く里道の入り口みたいな趣。

ところで帰宅して、伊予鉄の路線表を改めて確認していたら。
手前の一ノ谷と学校前の間に「大寄橋」というバス停があったことが発覚。
ストリートビューで確認してみたら、初見でとてもわかるものではなかった。
これはできることなら再訪しなきゃだな…。

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大野竹田バス,軒下吊り下げ

CMか何かに使えるような景色

一直線の緩やかな坂道、歩道のない昔ながらの道、大きな木、おそらく向こうからやってくるバス…


これ、ちゃんとバス待ちしたら映える写真撮れね?

この日はどうしょうもない曇り空。

この日は残念ながら映えもクソもなかった。

実は初めて訪れた時恐ろしく晴天に恵まれ、

割と素敵な写真を撮ることが出来ていたのだった。

竹田~長湯線のバス停。かじやは三つ先。鉄道は離れた場所で、高校通学需要もありなんとか堅調を維持している模様。
だからきっとバス待ち写真も粘ればイケるだろう。

5往復。

逃げろ、こうや!!死殺されるまえに!!

ここ、弾き語りのミュージシャンの方にはPVのロケ場所候補としてお勧めできるかな。
牧歌的な絵が映えるよい場所。

旧道に入り込んだところなので、あまり交通量も多くない。

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全但バス,軒下吊り下げ

太川陽介チーム、痛恨の時刻表確認ミス

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
最近バス旅番組をよく見ます。鬼ごっこの方の番組だったかな、ちょうどここの路線出てました。
出石で蕎麦を食べて、京都への峠を越えるべく奥藤か赤花の方に向かってたっけ。
そういえばこの先のモンゴル博物館の名前も出てきていたな…。

立派な瓦屋根の小屋。

バス旅の番組、やはり主役はバスなのでバス停がクローズアップされることはなかなかない。

こんな風情のあるバス停、自分は見逃さないんだけどね、他人からはどうでしょうかね。
まあ、自分はおそろしくグッとくるという話です…。
この景色を逃さなかった北野君はもっとすごい…。

隣の上太田も小屋+軒下


こちらは上下線ともに小屋になっていて

たまに全但バスの小屋に見られる青が映えるデザイン。

工場?の一角にあって

まるで工場の従業員出入り口のよう。

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※ちょっとブレイク,民家型,軒下吊り下げ

惜しくも一記事にならなかったもの特集

2枚とかピンボケ写真ばっかとか、一記事には出来んかったやつ。そういうのをまとめて。

下小竹(大分県日田市)/日田バス皿山線

皿山線は割とポールが立っているのだが、一軒だけ昔小屋が存在していた。
道路の拡幅と一緒に取り壊しになったと記憶している。
このバス停付近は2017年の豪雨災害で壊滅的な被害を受けていて、その時残っていても水害で壊れていたのでは。

何故か赤石小前の看板が下がっていた。

札町(大分県日田市)/日田バス有田線


これは正確には廃止跡。日田バス有田線は日田バスとしては運行を止めており、日田バスの車両で走ってはいるがあくまで日田市の福祉バスという形であった。札町のバス停は別の箇所に移転して、ここは使われていなかった。この次の年に訪れた時にはもう無くなってしまっていた。

三の宮(大分県日田市)/日田バス有田線


上の札町で述べた通り。福祉バスのバス停のほうが本体にあたる。

長らく倒壊寸前の小屋が県道沿いにかろうじて立っていたが、いつしか撤去されていた。

竹の首(大分県日田市)/日田バス杖立線・栃原線


現在杖立線の2往復のみと減便著しいこの区間。いくつか小屋跡が残っていた時代。
ピンぼけの時刻表の行き先は「杖立」「栃原団地」「日田」。

ストリートビューが来る前に取り壊されてしまっていた。

竹野(大分県中津市)/大交北部バス福土線

何故か1枚しか写真を撮ってない民家型バス停。写真フォルダ内で深耶馬渓エリアの中に紛れ込んでいて、延々その付近を捜索しては「早々になくなったのかな」と思い込んでいた。福土線はバス停が比較的整備されていたので完全に「見失っていた」バス停である。ストリートビューでも存在が確認できるくらい長命だったようだ。

野地入口(大分県宇佐市)/大交北部バス田所線

国道沿いに立っていた小屋のバス停。当時は民家の軒下バス停が至る所に残っていたので「小屋の軒下なんて珍しくないか…」と思っていたらあっという間に普通のポールが立ってしまった。

このバス停小屋、珍しく雨どいが付いている。小屋自体は今も残っている模様。

五明(大分県宇佐市)/大交北部バス日の岳線

ここも完全に場所を間違えて記憶していた軒下バス停。隣の沢を走る定別当線だと勘違いしてて存在をロストしていた。おまけに写真が全部ボケボケである。このころからデジカメの調子が悪くなっていた。思えばこの時期は、いろんなところに行きすぎて戦線を広げ過ぎていたな…。

ぶっちゃけストリートビューのほうがきれいな写真が確認できる。

越後交通,軒下吊り下げ

新潟県は立ってないバス停に驚かないのかもしれない

(この記事の写真は撮影:北ノ・2020年撮影)
北ノさんからのバス停写真整理。記事にしていないのが30近くあることが判明していて彼に申し訳がない。


新潟県第2の都市・長岡から海側に向かい、旧和島村を縦断する路線のバス停。
バスは越後線の小島谷駅へと向かう。一日4往復ほど。

長岡市内とその近郊は軽く確認すると結構小屋が立っていて、吊り下げ式にしている。
雪国だからなのか庇が高いのが特徴。雪を奥に落とすように作るものか、そうか。

この隣のバス停(グーグルより)。

同じく北ノさん撮影、栃尾市の山田町。九州人目線ではやはり庇が高い。

新潟のバス停名板独特の形。
福岡人の我々からすると「逆西鉄」。ということは新潟の方からすると、西鉄は逆さバス停に見えるのか…?

つまり逆新潟?

さて、越後交通他、新潟県内のバス会社は待合小屋の吊り下げ型がかなり残存していて、調べていくうち民家型の軒下バス停も点在しているのがわかってきた。


新潟交通、新潟市内は珍しく都市近郊に点在している。兎というかわいい名前。


越後交通を調べていて発見、あの「チャーザー村」。
林家こん平、今時の若い人は知らないか…。


頚城自動車エリアには軒下バス停も残っているようだ。

新潟かあ…こんなサイトやってるんだったら、いつかは一度行っとかんといかんのだろうな。

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伊予鉄バス,電柱,発見難易度高,廃止跡,珍名,ポール型,古バス停,地面型,壁型,小屋型

伊予鉄立岩線のバス停たち

愛媛のライブオファーがあったらなあとほぞをかんだ2021年3月。
この日廃止になった北条市の立岩線、そのバス停群はバラエティーに富んでいた。

このうち、ポール以外のものをストリートビューで確認していく。
※才の原~小山田に関しては別系統(難波経由)としてのちに取り挙げようと思っています。

北条小学校前


電柱。以前のストリートビューに切り替えると、解体された建物にバス停板が掛かっているのがわかる。ベンチもあったようだ。

中西


建屋の基礎近くに路上置き。2012年ストビューでも商店風の建物の下に直置きになっている。

正岡小学校前


民家(商店風)に板張り。

神田


商店の軒先床に直置き。

記念碑前


小屋型、バス停名板はなし。小ぶりのトタン小屋。

湯山


小屋型、バス停名板はなし。トタン小屋。

農協前


見落としそうな道路はじのサビサビの古ポールに、無理やりお知らせや時刻表が貼ってある。

立岩支所前


民家にバス停板。ベンチあり。農協前から旧道の狭隘路を走る。

立岩


ソーラー架台兼駐車場の支柱に貼りつけ。2012年時は小さい木造の駐車場小屋の支柱にくっついていた。

大遊寺


民家の擁壁下の車庫用スペース然とした場所に、時刻表がパイプ椅子の上に置かれているのが確認できる。2012年も同様。
分類するならパイプ椅子型?

中村


CB製の背の低い待合小屋。名板なし。

宮裏


2車線県道を一旦逸れた先、神社の裏にひっそりとサビサビのポールが。

小儀式


カーブの奥、桜並木のそば。サビサビのポール。

儀式


狭隘路沿いの廃商店の軒下にバス停板。キリスト看板や廃材など散乱。

宝入橋


新しめのログハウス風の小屋が立つ。名板なし。登山口。

庄府下


小さめのCB製小屋+バス停板。

庄府


終点にふさわしいバス車庫+バス停板。かつてはここより先の峠越え路線も走っていたとか。

産交バス,古バス停,小屋型,限界椅子

想定外の旅で想定外の発見

去年の12月末に熊本にライブ旅行に行った帰りのこと。
その日は雪模様で、阿蘇を見て日田方面に抜けようと考えていたが凍結を避けて国道三号線まで下りて、大牟田の知り合いの店に行くため山鹿から南関近くを通っていくことにした。

やや?
熊本の産交バスのバス停は、ポールの管理が行き届いている印象。

そういえば、待合小屋はあまり見かけないなあ…

これが入ってみると

うわあ

激渋!!

素晴らしい調度品たち!!

熊本市の北、植木から菊水を結ぶ路線の途中。本数は5往復ほど。

念のため調べてみたが熊本に該当しそうな業者はいなかった。

限界椅子その1。
さすがに座るのは怖い。

限界椅子その2。
限界を超えている…。

まもろう、交通道徳。
翔龍もハゲも…

最初スルーしようと思ったんだけど、思い立って引き返してまで寄ってよかった。

こんな木造の宝箱みたいなバス停、まだまだ知らんだけで日本中にあるんだろうな。

行きずりで写真を撮ったので、地勢的にどういう場所なのかよくわからぬまま後にして、大牟田に向かった。

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大分交通・国東観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ

にしきのあきらの時代の木造小屋終点バス停

現在は「日出町200円バス」の終点になっている小浜。
このバス停は丁度日出町と杵築市の境界線に位置している。


木造の気合の入った小屋が鎮座して

何気に少し傾いている。

軒先に下がっているのは大分交通の方のバス停で

杵築市のコミュニティバスのバス停が間借りしている。
杵築市コミバスのほうは電柱やガードレールなどの壁バス停がほとんどだ。

近寄ると傾きようが激しいのがわかる…。

相合傘

にしきのあきらは1970年代、女の子に大人気の大スターやったんやで…。
(※そのころの落書きだったかどうかは知らない)
そういえばにしきのさんは大分県出身だけど、大分市とのことでこの辺とはあまり関係ないと思う。

「にしきのあきら物語」「屋上で夕陽に向かってトランペット」「かわらぶきの屋根」
どうでもいいことを思い出したが、つらつら説明してもたいして面白くないのでその三つに「安永航一郎」も足して適当に検索してみてください…。

NHKの番組で現在を知る

このバス停を撮影したのは2021年2月。
12月にとあるNHK福岡の企画番組でこのバス停が紹介されることになって。

たまにこのブログで名前が出てくるちょんびんさんが大活躍していたりするんですが

収録は放送の一か月前くらいだったそうで、その頃にはもうどうも解体されていたらしく。


番組中でも「いつか無くなってしまうものを記録に残しておくことが尊い」みたいな言葉が出ていたのですが、自分のやってる作業はまさにそれで。

もう見る事の叶わないものとなってしまうのは、いつになるのか誰にもわからない…。

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日田市コミュニティバス,小屋型,崩壊系

中津江村の道は険しい


鯛生金山に向かう道の旧道を走ってたら…

凄い勢いで大きな穴!!

この鯛生までの道路沿いのバス停、日田バスとしては村営バスに移管されていて。
昭和頃のバス停跡などはあまり残っていないのだけれど、ぽつぽつとは存在していて

2008年くらいか、かなり古いバス停小屋が一個だけ残っていた

変わり果てた姿で再会


う、うーん。

見事に骨組みだけに…。

確か、中には稀少な村営バス時代の時刻表が貼ってあったはずなんだが…

枯れ蔦の向こうに発見!

日田バスが長らく終点としていた栃原のターミナルを起点として、福岡と熊本の県境に近い峠下集落の市ノ瀬・地蔵元とを結んでいた。
鯛生金山はこの本線上にはなく、おそらく支線として存在していたと思われる。
1972年の閉山後から10年後に地底博物館が出来ており、ここは完全なゴーストタウンにはなっていなかったのだろう。
2008年に訪れた時は1往復の定期運行も行っていたが、今はほぼ完全にデマンドタクシー化したようである。

この時には定期便では地蔵元も鯛生金山も行かなくなってる模様。

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