大分バス(大分地区),小屋型

山の上の終点

先日の記事で「壁のバス停無くなっとったバイ」報告をした場所。ここから今畑という終点までの路線が分岐している。
気になって登ってみた。
途中「三国境」なんて気になる名前のバス停とかもあったりして趣深い。全然国境ない場所だと思うんだけど…。確かに町境が三つ別れてたんだけど、合併で今や二国境になってるし。
結構実感でかなり山を登る。なだらかな斜面の下に農地が広がる山の中腹の集落に…

お!!

ありましたな!美しい待合室バス停。

古めかしい看板。

本数は2往復。なお大分市内線です。
今は旧野津町側からの路線しか残っていないのだけれど、昔は旧挟間町側からもこの今畑まで路線が伸びており、前述した三国境バス停付近にはその路線部分も含めた「自由乗降ゾーン」の案内看板が残っている。

写真には写らない達成感


このバス停まで、探索しに行ったときは自家用車ですいっと行ったわけですが、ここはさすがにバスで行けばよかったかなと後悔をしたのは確か。
一時期田舎のバスに乗るような仕事をしていた時期がありまして、終点の場所までバスで行く醍醐味みたいなものはよく知っている。
この終点、ひたすら登った果てみたいなところにあるんですよ。


流石に一日2本だとなかなか乗れそうにないし、いつ無くなるかという気持ちにもなる。
ここは機会ができたら一度乗ってはみたい。いいとこ見つけた。

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※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

日田往還での発見

まだ日田バスのバス停を見つけたばかりでウキウキしていたころ。
日田バスのバスセンターでは時刻表が配られていまして、日田バスだけでなく大分交通の日田~中津のバスの時刻表が入っていました。
鉄道好きだと、1976年まで残っていた大分交通耶馬渓線の完成経路といえばわかるでしょうか。
この時刻表には気になる但し書きが入っていました。一日1往復の「伏木経由」。

行ってみると、今や国道からそれた脇道。1車線の狭い道路沿いに、集落から逸れてしまった山の中にバス停が。
これ見た瞬間に「え!こっちもあんの!!」となったのは言うまでもなく。


うーん、道はまだ先に続く。こうなったら先に行ってみようじゃないか。


おおお!やっぱりあんじゃん!!こういうバス停!!

日田市と中津市を結ぶ国道212号線が今越えるのは、大石峠のルート。トンネル等の整備で曲線が少なく向かえるルートはこちらであり、鉄道もおそらくこちらを通っていたと思われる。
もう一つの山越えルートはこの伏木峠経由で、江戸時代からの街道「日田往還」がルーツであるためか、峠頂上付近には比較的大きな集落が残っている。


坂ノ辻バス停。「伏木キャンプ場」の駐車場付近に存在した。
このあたりからなだらかな高原が続いていた。地図で河川を確認すると、分水嶺がこの高原上の伏木集落の真ん中に存在する。

ひょっとしたら知らぬまま消えていたのかもしれないバス停

この路線の廃止は割と早く、2012~13年頃だったと思います。
この時期、まあブログの前のほうを読むと色々あったのだなあと想像はつくと思うのですが、廃止だからとおいそれと出ていけないタイミングだったのは想像に難くなく。

ちょうどこの時バス停趣味の友人ができていまして、まあ「ほぼ西鉄バスの旅」のちょんびんさんなんですけど。
「壁とか待合室とかのバス停面白いね!!」
と言ってくださいまして大変励みになってまして。

この「足ヶ谷」探訪のちょんびんさんの記事もぜひ
彼はこの伏木線の最後あたりに写真撮りに行ったんですね。一緒に行きたかったなあとかは気分的にあるんですが、当時はしょうがないねー。

さて、彼からブログに書かれる前にメールか何かが来たんですよ。
「ジマさん!まさかの壁バス停発見しましたよ!!ありました!!」
「えーーー!!」
まさかの廃止直前まで見落とし!!
彼の記事「杉山」。

誰にも看取られずに消えた壁バス停、もっともっとあるんだろうなあ…。そんなことを考えさせられたあの日でした。
実際地図上だとこの隣にある「仮屋」バス停とか記憶が全くないよ…。

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※この付近にあったらしいですが、今はもう何も見当たらないです。

大分バス(佐伯地区),小屋型

旧道に佇む盲腸線



佐伯市エリアはバス停の施設更新が結構まめなほう。
ほとんどのバス停がちゃんとポールを立てている。

なんでここは珍しいほうだろう。

三重町と佐伯を結ぶ国道沿い、峠を越えてすぐの脇道を登っていくとすぐに見つかる。
地図を見ると「あ、こっちは旧道か」とわかる。

ダイヤは減りに減った結果現在は朝ここ発のバスが1本のみ。ここにたどり着くバスは存在しない。

小学校の通学が一番の用途なんかね…

狙い目は旧道

この集落、ちょっと上には大きな石材所がありトラックがひっきりなしに通る場所。

とはいえ結構な通行量の国道の本線から外れてしまっているので、寂しい集落になっているのは否めない。

旧道のこういうとり残った部分は旧来のこういうバス停が残ってる確率は高い。
これは数多くを見てきた経験則でもあるし、道路工事の際に引っかかって待合室や建物が取り壊される確率が低い、というのも意味する。
改修工事、拡幅、まあ道が新しくなるのはいいことだし、実際バス停も新しくなることのほうが自然な在り方だと思う。
たまたま少ない数が残る、くらいがちょうどいい。

そういえば珍しくここ、グーグルのストリートビューが到達していないんだよね…。


ここを出てすぐの話。メガソーラーの中に消えて行った…

※ちょっとブレイク,小屋型,民家型,軒下吊り下げ

西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)のバス停たち

昔は割と限られた場所しかなかったグーグルストリートビュー、今や割と日本中に広がって居て驚愕し仕り候。
正直こんな離島のバス停とかが見られるとか思いもよらなかったが、情報の集積の進化って凄いよね。

島根県の離島、隠岐の島の「島前」にあたる島の一つ。
西ノ島のバス停は基本待合室完備でバス停の柱が存在するのは数バス停しか存在しない。壁・待合室のみがほとんどで、大分のバス停で見られる古いタイプの発展形がほとんど。バス停の分類学から推考すると、「標柱が出現しなかったまま進化したバス停文化の未来」になるのかも。貴重です。

西ノ島の壁型

西ノ島の待合室

西ノ島町営バスの公式サイト、路線表がとにかくかわいい。

岐阜バス(岐阜県美濃市)のバス停たち

最近発見したバス停群。
大分県と同じく昔の様式のバス停が残存している感じ。ただ絶滅寸前感は割とひしひしと感じる。

壁と軒下が連なっていてほぼ大分と一緒なんだけど、新品のバス停も沿線で割と見かけられておりいつまで残るかは正直わからない。

わかりやすい壁式

あざやかな軒下

電柱?交通標識?それとも変わった形の標柱?

標柱?それにしては場所が変

モザイク処理されているバス停名。なお名前は蕨生局前バス停。

富山地方鉄道(富山県魚津市)のバス停たち

富山地方鉄道の魚津地区を中心に軒下バス停が散在している。

富山のものは魚津以外の分布はまだ不明。

こちらは魚津市の東蔵線。
前の道路は地図で確認すると現在拡幅中で、ひょっとしたらもうなくなっているのかもしれない。

黒部市の路線。割と連続で残っている。

終点の池尻は立派な待合室完備で美しい。

岩国市生活交通バス,小屋型

はるかなる島根県への道

前回の続き
岩国の北端の一歩手前、錦町の北にて。
山口県のバス停は大体標識ポールがあるものばかりと思っていた自分の眼に

突然現れた待合室オンリー型のバス停。
しかもここ、上下線完備です。

こちらは行先としては島根県六日市、寂地高原の方向。

清流線とは錦川鉄道のこと。
沿線通るだけですっごく風情あって正直乗ってみたくなった。
なお当日は嫁の「えー」という一言で断念!!(※オタクの結婚あるある)


待合室は町内掲示板のよう。

窓の外の錦川、本当にきれいで飽きない。

国鉄岩日線と国鉄岩益線

ポール標識のないバス停、福岡県内だと旧国鉄バス(直方本線)のエリアに集中して存在します。
このバス停のあるエリアは旧国鉄バス岩益線が走っていたエリアです。岩は岩国、益は益田。瀬戸内海と日本海の本州縦断線だったと聞きます。
ここから先のバス停のいくつか、六日市方面や寂地登山口方面に待合室のみバス停が残っています。

1973年(昭和48年)の時刻。寂地登山口の名前も出てくる。

もともと国鉄バスは鉄道が予定される空白地にまずバス路線を、というコンセプトで日本のあちこちに路線を敷いています。
ここは未開通であった国鉄岩日線のために。のちに錦町まで開通した岩日線は開通目前、国鉄再建法のために途中で頓挫。
90%完成していた錦町以北は、錦川鉄道に移管されても開業を見込めず日の目を浴びることはなく。一度も汽車の来ない駅だけが2~3駅残される結果に。
そしてのちに、国鉄からJRに引き継いだこの付近のバスも1990年代末期くらいに順次廃止に…。

錦町の駅から未成線を使ってトロッコ列車的なものを走らせてる「とことこトレイン」というのが出てまして、次の未成駅まで行けたりするんですが俺が行った日はなんちゃら病原体のおかげで絶賛運休中。
河本のバス停は錦町を出て次の未成駅に向かう中間あたりに位置します。

「乗って残そう」の言葉の意味がかなり重い…。

次岩国に用事あるときは夏。今度はもうちょっと北まで行くかな…。

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岩国市生活交通バス,小屋型

岩国、それは広い

いろんな案件で岩国によく行きます。

ミーハーな鉄道オタクっぽく清流新岩国駅に。

錦川鉄道の終点!!

怪しさ満点の美川ムーバレー!!
(※バス停もあるよ!!)

岩国、ひいては山口~広島までバス停は僻地に至るまでちゃんとした標識が立ってることが多いです。

西中国地方はとにかくこの形のバス停が多い。複数事業者が採用しているし、いわゆる並走・競合路線の統一標識にも採用されている。
もともと広島~島根~山口の広い範囲で、国鉄バスと各地元バス会社が路線を競合しあっていた時代が長かったのも影響にあるのかな。


つまり「立ってるバス停」しかないと思っていたところがあります。
岩国、用事が朝10時前で終わって帰りに観光行くには早すぎると判明。
まあ前述のように錦川鉄道沿いに車で北上していたら…

標識ポールなし待合室バス停出現

え?あるの?


「岩国市生活交通バス」である。場所によっては「岩国過疎地域乗合バス」ともある。


予想に反して本数は結構多い。


ちゃんと時計はあってました。


「岩国市営錦バス」。岩国市に合併した旧錦町の町営バスが前身。合併して岩国市営錦バスになったのち、現在の形になる。

…さて、山口県は大半のバス停が立ってるのを確認した後これを見てしまうと「えっ?」となってしまったんだが、どうもここから先の、島根県境付近になると実はこういうタイプのバス停が頻出することがあとのグーグルストリートビュー調査で判明。
この時はガソリンの残量を考えてここで引き返さざるを得なかったのだが…。
次回に続きます。

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大野竹田バス,小屋型

出る予定のなかった峠道

あるバス停を見に行って、そこから先は行くあてもなく。面白そうだし峠でも超えてみるか、とずんずん進んだらこんなところに出てきた。

知らんよこんなバス停、と思うも一応場所を確認。豊後大野市の田中~貫原(道路整備以前は安藤)線のバス停か。
まあ一応写真は撮っておくか…
と、嫁が一言。
「あれ…」

え?

なんじゃあれ!こわっ!!

家に帰って知った驚愕の事実

実はこの路線、2016年に調べに行ったとき行かなかった場所の一つ。
道路がきれいに整備されていたので、バス停標柱の立て直しも進んでいたしここには自分の好きそうなの(※あいまいな表現)はなさそうだ、と判断してた。

…ワオ。

おそらくこれ、2016年の段階でもう立ってたと思うんだ。
だが、俺ひとりなら後ろのアレを発見している自信がない。

一日嫁が「してやったり」な顔をしておりました。
何というか、小屋は撤去じゃないんかい!!
あとプレートは持ち帰り厳禁やで!!

ツイッターで旅の報告してたらからあげのるつぼ先生が変なイタズラをしていた。

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西鉄バス・筑豊,小屋型

西鉄バスの小屋型は違和感がある

以前西鉄バスも小屋型あったよ、って話をしたんですが那珂川市の西畑線「渕ノ上」がおそらく最後。
西鉄バスのバス停名板って、独自の形してるんですよね。だから軒下からぶら下げると変な形…

ええ…


いや、こんな新作知らんし…

場所は鞍手郡鞍手町、筑豊北部の町直方とJR遠賀川駅を結ぶ路線・68番系統の途中バス停。
古門の炭鉱住宅の歴史はかなり古い。当然ここ発祥のバス路線はかなり昔からあるようで、道路が整備されたりでこの地が68番系統の中間地点になった後も、しばらくこの古門口からちょっと路地裏に入った「古門」までの支線が残っていた。支線と言っても朝夕に1本ずつくらい、路線の免許維持という名目で残っていたにすぎない。平成の半ばくらいまであったんじゃなかろうか。

珍しくバス来た。

やっぱ来たら来たでテンション上がる。

一部待合室バス停を引き取ってる西鉄バス直方営業所

この路線の管轄は西鉄バスの直方営業所。
JRバスと激しく鎬を削りまくった直方市内線の担当です。
いくつかの赤字路線の廃止の際、路線を譲り受けて運行していたりするんですね。
そのうち一つは今も壁1、待合室2が残存してます。それは後々。

このバス停は前述のとおりずっと西鉄バス、のはず。
まあ、正確には戦前の小さなバス会社の一つが前身なのだろうけど…。
待合小屋は西鉄はよほど頑丈でもない限りガンガン壊すほう。
やっぱりJRの引継ぎ路線のおかげで心境に変化があったのか。

西鉄の時刻表がこうなってると違和感がマシマシ。

反対側の遠賀川方面は普通に立ってます。ちなみに小屋が鞍手~直方方面行き。
どうなんでしょう、立てるより貼るののほうがコストもかからないし、これから増えますかね?

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大分バス(大分地区),小屋型

大分の海辺の稀少種


昨日の更新で
「大分の海にはあんまり変わったバス停ないよ?」
とか書いておいて言うのもなんですが、待合室バス停に関しては微妙に偏りがある感じで存在します。
このバス停のある佐賀関半島と、国東半島。


見事に立っていない。

時刻表は中に貼ってあります。

海まで1分もナシ!

海辺のバス道路は結構改良されている説

ここはトンネルを出た先のバス停なんですが、こういう道路を見ると職業柄
「お、ここの道路予算が出て改良されたな?」
って思う訳です。

昨日の話の続きで、山の道路は改良されていないか、改良されても集落から外れていてバスがそっちに移らないことが多い。
しかし海側は結構改良されること多くない?だから海のバス停はあんまり小屋とか残ってないのかも?
…という仮説を考えたんです。もっともらしいかなとも思ったんです。

しかし、実はこのあたりを車で走ってた時
「海辺だからバス停はもうなかろうよ~」
とか高をくくっていた事実!!慌てて写真撮った事実!!

反対側にポール+待合室。実はここから臼杵までこの形のバス停が多数点在してました。
ポールなしが他に2個見つかったのも事実!!

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