越後交通,軒下吊り下げ

主流は小屋+ポールバス停

北野さんから送っていただいたバス停で、一個だけ新潟の越後交通のものがありました。

グーグルマップやら、バス停訪問系ブログを読みふけると新潟県には越後交通と頚城自動車にどうやら残存してる模様。

場所は長岡市。ここで扱ったものとしては今最北端か。

北陸ではほかに福井、石川、富山に残ってるようです。
軒下型バス停も含め、この「ポールを立てない」スタイルは本当に絶滅危惧種です。
立派な小屋があっても、バス停名と時刻表の標識は小屋外にポールを立てるのが一般的。
その勢いで小屋オンリーバス停(もしくは壁、軒下)を調べているんですが、東北地方に至ってはいまだに発見すらできていません。あんなに広いのに!!

大分県にみる小屋型バス停分布

以前ととろバス停建設の際「小屋を建てることが条件で、バス停開設に至った」という文献を目にしたことがありまして、おそらく昭和40年代くらいまでは小屋もしくは待合施設のある施設・建物が必須だったのでは、と推測したことがあります。
実際に大分の山間部のバス停は待合小屋のない場合は商店・公民館そばであることが多い。

不思議なものでこれが海沿いになると、普通のポール型が大多数だったりします。


大分には海そばを走る長大路線ローカルバスがたくさんあります。
海のそばだから錆びたり壊れやすかったりするんかな?とか、割と道路の改修が多いからその都度壊されてるんかな?とか。
ひょっとしたら海に見とれてて探しそびれているのでは説も間違いではないのかも?
とはいえ知人の乗りバス将軍ちょんびん先生曰く、
「佐伯の海のバス停は意外と普通に立っとるよ」
うーん…。

まあ、だいぶん回って肌で感じてきたことですが昔の待合室バス停が残ってるかどうかって、結局バス会社によりけりな事多いです。
大分はたまたま多く残ってるだけ、兵庫の北の全但バスもそう、奈良の奈良交通もそう…。
宮崎も熊本も長崎も普通に立ってるバス停ばっかりだしね!!むしろ、なんで大分だけなんだろうね…。

小屋型最北端、最南端

ところでこういう変わったバス停の極北地はどこかという話になると即答できます。
北海道礼文島スコトン

南は与那国島には昔は壁バス停があったっぽいんですが、今はないみたい。

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大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ

安心院~亀川線、惜しまれながらも廃止

今時珍しい山越えの長大路線で、山間を縫うように走っていた安心院亀川線が去年秋に廃止になりました。
一日2往復だったけど、割と大きな町(大病院がある亀川)を結んでいたから地味に需要があり続けたのは想像に難くない。

廃止前からこの付近のバス停はなんというか、かなり…

危険なまま放置されたバス停小屋。ほかの小屋に比べて建物は大きめ。

バス停名の「塔尾」の名前の集落はここからもうちょっと奥に存在していて、家は2~30軒ほど。
その住民たちの登校用に使われてたのか、中学~高校生と思しき落書きがびっしりあって昔を偲ばせる。

当時デジカメを買ってたんだが、使い方が全く分かっておらずピントはまるで合っていない。

このバス停、道路改良で取り残された脇道沿いにあって遭遇したときはたいそう驚いてしまった。
地図で見る限り、奥の塔尾集落からはこのバス停とは別方向への道路(広域農道)が開通しており、そっちに向かうほうが早く安心院の市街地に出られてしまう。
あらゆる意味で忘れ去られているような場所になってしまった、とみている。

廃止前の崩壊

友人のツイッターで廃止直前の画像を見て、驚愕してはいたんだが。


ようやく再訪が叶うことに。

廃止前

廃止後

ヤベエ!バス停の墓場じゃん!!

近寄ってみると何と時刻表が残ってるのを発見!!

晩年の一日2往復、通学線とも通院線とも…

この路線、待合室バス停ばかりで恐ろしく味のある路線であったのだが、結局白眉のバス停はここであったか…。
回っているときは隣の三反田が一番と思ってたし、ここは危険なんで標柱立てると読んだんだけど…最期は本当に意外。よく最後までこれで通したな!!

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JR九州バス,軒下吊り下げ

やっぱし犬鳴峠の近くは怖い

古き良きバス停を多数抱えるJR直方本線。
その中でも清水口の支線は結構由緒正しい路線で、その存在もずっと前から知ってた。
しかし悪名高き犬鳴村伝説を紐解いてみると思う訳ですよ。日本の法律がなんとかだとか。何とかだとか。
実際はのどかな村だし、表稼業でお世話にもなった某会社があるから実際はこの辺は何もないのです。
とはいえ…という訳で意外なことに認知して約30年めの初来訪。

なんか壊れてる!!

これ、トラックとかに突っ込まれでもしたのか。
この後バス停が普通にポールが立つだけなのか。
それとも…

いやー、このまま壁で放置されるってのもあるかも?

とか思ってた1か月後

あっさり、新しい待合所が立ってました。

バス停名盤はどこかにとっておいてたんかな…。


バス停待合室自体が最近減っています。
現実的な話だと、道路改良で減る傾向が高いです。これは仕方がないと思う。
待合室のスペースが道路施設に飲み込まれる形になると、道路設計上再設置はかなり難しくなります。


宮若市バスに移管されてるし、元々本数もそんなにないんだけど。この路線のバス停は結構維持がされていて(4つくらい立派な待合室型だったりするし)、このあたりの人々はきっとバス停があることを誇りにしているのだと思う。
でなきゃここまで維持しない。

残していただいてありがとう、地元の方々。そしてくだらない都市伝説で恐れをなしていてごめんなさいでした。

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JR九州バス,軒下吊り下げ

博多駅から一本で行けるタイプの待合室バス停

文字通り。

「福岡のバスといえば西鉄バス」というパブリックイメージがありますが、福岡市東区の一部と粕屋郡久山町、そして宮若市から直方市にかけてJRバスが展開するエリアがあります。
戦後まもなく開通して、西鉄バスとの路線競合にも勝ち。今時珍しい峠を越えて複数自治体をまたぐ長大路線・直方本線。
ルーツとしては峠のトンネルの開通とともに敷かれた路線です。

峠の名前は、犬鳴峠。
実はね、ここら辺のバス停は古い待合室があるって知ってたけど、割と怖くて行ってなかった。
本当にいるかどうかは知れないけどおばけも怖い。が、何よりやはり「心霊スポット扱いしてからくさ(方言・~してからに)!!フンガー!!」って怒られるのではないかとも。

西鉄じゃないからこそ残ってるこのタイプのバス停

西鉄バスって、バス停が結構豪華なんですよね。ほかの地方じゃ見ない太さと頑丈さがあるよね!

左がJRバス、右が西鉄なんですが西鉄やっぱ手が込んでるんだなあ。
このバス停施設にちゃんと出資をしているところがアリアリとわかるとこからも、なかなか昔のような待合室バス停が残りにくいというのがわかるというもの。刷新しちゃうんですよ。
実は西鉄の待合室型、福岡市に隣接した那珂川町(現那珂川市)に、昭和末期くらいまで散見されてたんですよ。一個は平成ぎりぎり残っていたんじゃ…。まあその頃なんて写真に残そうとか思いもしませんでしたけどね!!
一部は軒下型に復活してるし!!これとかこれとか!!

いや、まあ西鉄のような事業者のほうが正しい在り方かもです。ただ古いものを大事に手入れするタイプの事業者も、それはそれでよいかと。
倒壊したのをそのまま、とかいう例もありますしね、こことかちゃんと手入れはあるんだろうしな…。

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JR九州バス,軒下吊り下げ

JRバス福間線、廃止に

福間~福丸という起点と終点が異様にややこしい路線がありまして、もはや福岡県内では数少なくなった峠越え路線であり宗像郡内では唯一、JR(旧国鉄)バスエリアの確率に寄与していた路線でもありました。
この路線が2019年9月に廃止。

JRバスエリアは待合室の残存率が高いとは知ってた。昔ケータイはないし、ましてカメラなんぞ持ち合わさなかった時期に何度かこの路線に乗ったり、仕事で訪れたりはしたのだが。
せいぜい記憶にあるのは、その当時の福間東中学校か鞍掛バス停が「待合室型で変わってるな」と感じたものしかない。
ので、実はこの近くに引っ越してドライブで散策したらいきなり「発見」してしまった。まったく気づいてなかったのね。

  

晩年のこの付近のバス停、「本木入口」「筑前本木」は同じ型の待合室が立ってるんだけど、どっちも標柱が置いてあったりするから畦町だけこれなのは謎。

 
バス停由来の畦町宿からは少し離れていて、昔の地図を見るとひょっとしたら元は宿場町の中にあったのでは?という想像が。
しかし年期は入っている。

  
峠越えのバス、もう少ないんですよ。なかなか複数の自治体が絡むと、赤字路線支援が難しいとか何とかで。
太川陽介の出るバス旅の番組でもたびたび問題になってますよね。山が越せない、というやつ。
その流れでも割と長い間残っていたこの路線、JRバスとしては廃止にはなりましたが。なんと山を越えた宮若市の支援で峠越え部分含めて存続しました。
しかし福津市側は大幅にバス停を削減されここは廃止に。今は停留所の名盤と時刻表を外された形で、廃駅のようにひっそりと残っていたりします。

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全但バス,小屋型

昔仕事で現場の「基準積雪量」を調べなきゃいけない仕事してた事がありまして、まあいろんな町のホームページを見ては建築基準の例規をあたったりしていたんですが、そのうちで
「舞狂」という地名に当たっておったまげました。

バス停はその集落の対岸。
陰陽師たちが住む集落であったのが由来だそうで、それにしても「舞に狂う」とは。
今は静かな集落のようだけど、

この名前、とてもインパクトある。

しかもご丁寧に上り下りと別々に、このインパクト小屋があってね。


調べてみると今も大字舞狂。
軽く調べてみると結構な場所で、「時の為政者がはるばるこの地を訪れていた」とか伝承が残っているようで…ひょっとしたら今も続いているのかも?

日田バス,軒下吊り下げ

高速道路を使わないときに使う「シタミチ」というやつ、それも200番台以内の国道だとそれ沿いにあるバス停を見かけると「ま、こういうバス停は安泰でしょ」と思いがち。
だから、いつまでもあると思っておざなりな写真しか残っていないことになる。

こんなふうに

ちょっと、撮っとくかって感じで

わからないものなんです。バスの廃止ってのは。
ちなみにこの路線は森町と筋湯線を結ぶところで、写真撮った10年前は恒久的に残っていそうな感じであったのだけれど。

実は去年10月辺りから大分の北部では猛烈な廃止の嵐が吹いたみたいで、特に耶馬溪付近の路線の廃止が発表になったのには驚いた。
法事やらでばたばたしてた頃だな・・・。まあ、バス停どころではない日々だったので気付く訳がない。しゃーない。
 
これとか今「立ってる」んだろうなあ。
こないだの取材旅行の際、実は何も知らずその付近も再訪する腹積もりだったのだけど、とある事情で大分~湯布院を1.5往復する羽目になってしまって、ガソリン代ケチるために断念。

まあ、行かなくてよかった。落胆してたろうから。

大野竹田バス,小屋型


終点がいろんな意味で衝撃的だったこの犬飼のバス路線。

途中のバス停で立派な眼鏡橋も見つけてテンションが上がった。

さてこの路線(多分「山内線」ではないか?)ヒゲ線を一つだけ持ってまして、「栗の木」まで伸びてます。
その分岐バス停。

分岐点に立ってます。立派なバス停です。

言われてみればこのあたりは震度5~6であった熊本・大分地震の被災地にあたります。
いくつも訪れたこの木造の建物群だけど、全然壊れてないというのは凄いことなのでは?
なお隣のバス停もほぼ同じ構造ですが、それはまた別の機会に。

妙に本数が多いように感じますが、実質は平日一日5往復。

なお栗の木バス停は異様に終点オーラがなくて(※バス停オタク独特の表現だが共感者多数)写真撮りませんでした。

大野竹田バス,小屋型

去年の12月某日にレンタカーを二日ばっかし借りて旅に出たのですが、その時の日程は家で晩御飯(自炊)食べてから、店の締まる時間からレンタルをスタート。夜8時くらいから車をかっ飛ばし、竹田市の道の駅で車中泊。

夜中に到着した。
道すがら、発見してしまった。

これはもう本当に妖怪ポストの世界。
いや、サツキとメイが待ってる時間帯。

このバス停みた瞬間、もうテンションあがったあがった。
これからどんな旅になるんだろう?

終バスなんてとっくに出ている。

はじめっからこれだから、もう楽しみで楽しみで。
そして夜は寒くて少ししか眠れなかった。
次の日は本当に、興奮と落胆が入り混じった日になった。
さて、次竹田に行くときは、このバス停を昼撮ろう。

日田バス,小屋型

この1枚だけだと「風光明媚」と思うかも知れないが、大分県はひたすらこの景色が続く。
その理由は地質にありましてな。大昔阿蘇山がドカーンと行きまして火砕流が人智を越えた勢いで周辺を覆いつくして、川がその火山から降ってきた堆積物を削って切り立った崖と狭い谷を作って

国道・川・鉄道がそんな地形を縫って走ってるのを象徴する感じでバス停。

この道は交通量多いんですよ。しかしさしたる広告も貼られることなく。
いや、昔はあったかもしれない。
だけどこの国道、平行して高速道路もあってねえ・・・。
 
完全に鉄道と平行してる上、集落も駅がカバーしてしまってるのでバスが走る意義があまりないこの場所。国道沿いなんだけどなあ。

この前に紹介した全但バスのバス停と比べると立地条件近いと思うのだが、不憫だなあ・・・。