日田バス,小屋型

6月になりました。本当はもうちょっと前に更新をしたかったのですが、この前の記事の赤石小学校前、川原ともに先日の熊本・大分地震で被災をしたらしく、集落が大変だったそうです。

現地の方々による復旧作業が大変だったとか。現地の方々おくればせながら被災見舞い申し上げます。

私の住んでいる太宰府市も震度5弱と恐ろしいほど揺れました。川原バス停、壊れてないかかなり心配です。

さて、下久木野小坪尻山口鼠谷とスターがそろっていた五馬線ですが最近はこんなお洒落な標柱にバス停がつけ変わりつつあります。

ついにあの山口バス停の倒壊しかかった小屋も完全に取り壊されました。

ビフォー

アフター

で、ついに五馬線で小屋型のバス停はこれだけになってしまいました。
自分は路線表も地図も見ずに何度も訪問しては「え!こんなとこにバス停が!」ってなるのを楽しみに五馬線を何度も訪問したのですが、このバス停が最後の「発見」したバス停。

道路から見える角度が悪すぎる。
ひっそり、神社の祠のような形で存在するバス停。

小屋型だらけだった五馬線の支線に当たる本城線が廃止になった今、実質このバス停が五馬地方の最後の「バス停小屋」。なお軒下の袋と小坪尻は健在でした。その辺は追々…

しかしこのバス停、本当に見つけにくかった!!

一遍わかってしまえばなんてことないんですけどね。これを探しきるには「バス停は立ってるもの」という固定概念を捨てないと本当にわからないものです。

最後に、山火事注意!!

全但バス,軒下吊り下げ

ストリートビューでぶったまげたバス停です。

この系統の軒下バス小屋、奇跡だよ…。でも、この辺こういうのばっかりの沼。
友人北ノ君が全但の現地に行ってくれた写真がこれ。

中はこんな感じ。

以前書いた赤花の手前にあたります。路線自体も待合所率が高いということ自体が素晴らしすぎる。「鬼子母神」なるおどろおどろしい名前と、中にある施設のゆるさのギャップがまた素晴らしい。このソファ座ると、多分ごわごわしてんだろうなあ。そのごわごわがまた「田舎的なゆるさ」の演出になるのですよ。空気やにおい、埃っぽさを感じる。フィールドワークをする楽しみはそこにある。こないだ行った南畑発電所のときみたいな。

ストリートビューで調べるという作業をしていると、やはり雪の深いところに残存率が高いのが分かりました。新設率も高いです。日本海側は特に顕著。

これは富山県のもの。石川県や福井県は待合所率が高いそうです。意外と東北になると小屋と一体化してなくて柱率が高いんだけど、まだまだ調査不足か。
バス停の沼を探す作業は奥が深い・・・。

全但バス,民家型,軒下吊り下げ

こないだの広島のライブで
「バス停の沼」
という単語が生まれました。そうです。漫画なんかに出てくる形の概念を覆すバス停が現れたとき、人は言葉を失う。

先日長板を紹介した時、撮影者の北ノさんから補足文が送られてきました。それと一緒にこの地域のバス沼っぷりを紹介したいと思います。

こんばんは。 毎度マルサン醤油の方で採りあげてくださって、ありがとうございます。 さて、今回「長坂」の記事、でいくつか解説をと思いメッセージさせてもらいました。 この「長坂」

が通る路線(氷ノ山の麓まで走る国道482号線の途中にあります)は、かつては、「美方町(みかたちょう)」と呼ばれた地域になります。 地図を見て頂くと、国道9号線から、国道482号線に沿って、「小代(おじろ)」という字が続いていますが、旧来は、この「小代」という一つの谷の一帯で町が形成されていました。 そんな小代地域では、現在は1日3往復しかバスがなく、両側で2車線の狭い国道を車が走り抜け、申し訳程度の中心街には、スーパーもコンビニもなく、せいぜい服や日用品をまとめてうっている商店や、5時で閉まる小さな食料品店がある程度の、「寂れた街道沿い」という鄙びた雰囲気が残る町でした。

小代の旅館に泊まったとき、女将さんに町の歴史を聞いたなら、戦後は冬になると出稼ぎで大都市に出ていく産業構造で、 そうならないために町が金を出し合ってスキー場を建てたそうでした。 スキーブームの80年代は町は活気はありましたが、現在それもすたれてきて、冬でさえもお客が少なく、観光業も苦戦気味と聞きます。 現在はスキー産業も残しつつ、「美しい村」という触れ込みで、棚田の美しさや但馬牛で売り始め、新たな活路を見出してきているようですが、まだ模索中のように見えます。


(送った写真に、「鍛冶屋」「東垣」「居望」というバス停がありましたが、いずれも棚田の上に建っています。)


「九州人にはいまいちピンと来ない、スキー場という観光スポットのありかた。」とありましたが、別府や湯布院に温泉めぐりに行くのとは、違う観光のスタイルになります。 目的としては、ひたすらスキーをするためのツアーになります。 具体的にいいますと、例えば関西の場合、 京阪神では積雪がほとんどないので、信州や奥美濃、兵庫県但馬等の、積雪のある地域にあるスキー場に遠征して、スキーして帰ってくる、というものです。 自家用車やツアーバス、スキー列車に前夜から乗りこみ、朝早くから滑り出し、時にはロッジや旅館に泊まりこんでひたすらスキーをし、帰れる時間までスキー場にいる、というスタイルの旅行になります。温泉宿は、そのおまけ、といった感じになるでしょう。 (余談ですが、福岡県民がスキーに行くなら、鳥取県の大山スキー場が多いという話を聞いたことがあります。たしか、『クッキングパパ』にも、そんな話があったと記憶しています。掘り起こせば福岡にも、スキーという観光スタイルがあるかもしれませんね。) そんな感じで、今回紹介してくださった「小代」町域(長坂は旧村岡町になりますが)の地域事情と、スキー観光についての解説をさせていただきました。

これらのバス停はあまりに不似合いで、立派過ぎる。最初にストリートビューで見つけたときそう思った。しかしむしろ逆な話で、ここは観光地にしたかったのだ。立派で頑丈でなくてはいけなかったのだ、と考えるといろんな意味で
「残ってくれてありがとう」
という気持ちにさせられます。

先日スキーツアーのバスの悲しい事故がありました。
これらのバス停を使うバスを使ってスキーに出かける人はいないでしょう。でも昔は観光客を乗せて走っていた時代があったはず。いまこのバスは、スキー観光地に住む人のもの。その証拠に1日3本でも座布団が敷いてあります。綺麗です。



写真見ただけで分かる。うん。
生きてるバス停だ…きっと生徒たちが使うのでしょう。大分の山奥の温泉街のバス停のような。そんな匂いがします。

もし、酔狂ならばせめて、スキーバスの車窓からバス停を眺めてみてください。

日田バス,発見難易度高,壁型,小屋型,擁壁,民家型

塚田!!

本城!!

東方!!

鍵野!!

エースぞろいだった本城線、ほかにもいくつか写真があるのでお蔵だし。

もうこの4つの前では霞んでしまっていた迫の久保。

わき道に入らないと発見できなかった栃井。秋に行くとイチョウが綺麗。

本城線のあった辺りには、天瀬温泉の源泉を使った銭湯があります。ここが超穴場。安くて庶民的で体にいい。

「塚田温泉センター」。

廃止になったのは2~3年前かな。
末期の運行状況がこれではやむなしか。

日田バス,ポール型,小屋型,崩壊系


うん、名前は凄くかっこいい。
「やまなみハイウェイ」というカッコイイ観光道路上にあります。
豊後中村駅から伸びる久住登山口までの路線は2系統あり、1系統は谷沿いの集落をなめるように回る筋湯線。それをショートカットするように草原地帯を貫くこちらはこの中間バス停一つのみで1.5往復。とにかく、行けども行けども草原・草原。

そういう集落があったのか。活火山の久住の山が見えます。

「立ってるバス停」(※このブログ独自の表現)だけど、ここに立つと文明崩壊後の地球感が半端ないです。交通量は割りと多いですけどね。

で、思う。何で大将軍なんだ。夷陵の戦いで負けた劉備玄徳が落ちのびでもしたんかな…。

日田バス,軒下吊り下げ


皆様は漫画「魁!男塾」をご存知でしょうか。ジャンプ全盛期に出た超男臭いバトル物格闘漫画。
知ってたらわかる「と、虎丸ー!!」というセリフが出てしまった。

昔は後ろの空き地、集落か店だったのか。
九州レベルで名の知れた安産の神・高塚地蔵に行く道の途中だから、高速道路が通る前はこの道ももっと賑々しかったのかも。今は九州横断道のインターチェンジが高塚地蔵の直近に出来てしまって、この道も寂れてしまった。土産屋の跡のような廃墟が沿線にはそこかしこに。
ここもそんながらんとした空き地。バス停の反対側に道が分かれていて、山の上には本当の寅丸集落があります。

バス停だけが取り残されたようにぽつーんとあります。美しい待合室型のバス停だけど、なんか寂しい。

全但バス,終点,軒下吊り下げ


(※今回の写真は全て北ノ君撮影)
前回の「上院内小学校」と同じくなバス停。
大分と但馬、県民性が似ているのかもしれない。
北ノ君は優れたカメラマンだと思っている。
だからちゃんとこんなシャッターチャンスが舞い降りる。

ここをバスが通るのは一日3往復。ここは終点。
流石だなあ、と思う。

鄙びた待合所のあるバス停の風景、ってのは今の時代にとって憧憬であると同時に故郷の喪失の予感、それをひたひたと感じさせるのです。都会に住んでいてはもう戻れない場所。「青年部」という言葉は一度都会の隣人関係の無関心さに慣れてしまうと、恐怖になりえるものです。いや、悪いことだらけなわけでもないのだけれどね。

京都との県府境近くにあります。

一日3~5往復かあ、妥当かなあ。
とか地図と写真見てすぐ納得できてしまう自分もずいぶんおかしい気がします。
でも、本当にそんなもんですよ。

大分交通・大交北部バス,小屋型


小学校通学路線というのは過疎地では当然のごとく存在します。
子供たちの手で手入れされて、きれいなバス停になっているかわいいバス停。

この看板が気になっています。

ひょっとしたらこれ、現存する最古のバス停標識の様式かもしれない。
これは本当に限られた箇所でしか見つからない稀少なもの。
耶馬溪のほうにある「上伊福」で収集したもの。

ひょっとしたらだけど、一番最初はあの黒板状のものが「バス停標識」だったのかもしれない。
そう考えると、ひょっとしたら以前紹介した「東の前」、日本最古級のバス停施設である可能性もあるかも。

このバス停がある定別当線は、面白いことに日曜の夕方に一便バスが営業運行されて、終点定別当の駐車場にバスが泊まっていってました。月曜日の朝の始発のために。今はなくなったみたいです、残念。ここも折り返し不能な1往復になったか・・・。この先に前紹介した月の俣があります。岩肌ぎりぎりをかすめる凄い路線です。

全但バス,小屋型


(※今回の写真は全て撮影:北ノ君)
北ノ君とは長い付き合いの友人です。11年近く「お父さんのための芸能通クイズ」という大喜利サイトをやっていたときの、彼はそのお客さん。
あのサイトは再開をさせたいのだけれど、自分にとっては
「しまった、このアイディアは早すぎたSNSだったのではないか」
という忸怩たる思いが先立ってしまいます。技術的にはCGI止まりだし。で、プログラムを学べばいーじゃん、って話になるたびにリアルで最低な人格のプログラマに出会うんです。ぷろぐらむ・いず・のっと・ぎるてぃなのは分かってます。でも、これは宿命なんでしょう。

脱線が過ぎました。彼の写真、青がきれいです。

鉄道マニアには有名な旧余部鉄橋。一部、残されてるんですね。
彼の写真で知りました。
この隣の沢にあたる駅が「鎧」。珍名駅とも秘境駅としても有名な駅です。
でも、バス停も全然負けてない。

一時期は件の鉄橋のために不通区間になっていて、JRが代行バスを走らせていたそうです。
このときの代替バス停が立っていた事もあるようです。ポールが立ってたそうです。

でも今はそんな無粋なことはぜず、ちゃんと元の鞘の静かなバス停に。

バス停・駅ともども、港に広がる集落の上にあります。

餘部方向に戻るとこんな道の駅が。

・・・これは、顔ハメですか・・・。

西鉄バス・福岡市内,ポール型,小屋型

ロシアのバス停が凄いらしいです。
ソビエト時代に建てられたバス停を12年取材しまくったカナダの写真家さん。
http://herwigphoto.com/project/soviet-bus-stops/
ちょっとこれは凄すぎる。ソビエトというのは文化をこういう労働の日常の中に消費するのが美徳だったのかな。まあいくらなんでもジマオ財閥にはお金がなくシベリアの荒野を走るまでの金も体力も自信がないのですが、丁度近所に木造小屋のあったバス停が道路拡張で新調されていた事を思い出して行ってきてみました。

そういや路線的には、山の上に住む小中学生たちがリアルで使ってるバス停です。


このバス停を境にして西鉄バスは不採算ということで廃止の意向を出したのですが、市が肩代わりをしたお陰で「筑紫野バス」という名前で存続することにして、上下で会社の名前が違います。
 
こちらは西鉄のほう。ここは折り返し場であり、木造の大きな待合室がありました。本数多いのに狭隘路線でも知られてました。個人的には「よく立ち退いてくれたなあ」と思うくらい集落のまんまんなかを通る道路の反対側。


この機能美!!

デザイン性!!

バス待ちをするとこんな感じ。見えやすい!暗い夜も安心の蛍光灯完備。
 
道路拡張をするとたまーに、家も建てられないような小さな敷地が生まれます。
よく見ると田んぼのあぜの境界、そんな感じできっとここはそういう三角地になっていたのではと。上手く利用したものですし、このデザインもよく作ってるなーと感心するのであります。

「これはかわいい」
本気で思いました。そりゃ何年もバス停ばっか見てたらそうなりますとも、ええ。