全但バス,小屋型,軒下吊り下げ

そもそもの始まりは、何かと「バス停」で画像検索したところからだったと思います。

http://www.hyogonet.com/bus/rt/nandoku/nandoku08.html

兵庫県の難読地名バス停を集めたものだったのですが、もうこれ「一品」どう見ても柱にくくりつけられたものにしか見えません。早速グーグルマップで調べてみて、本当にそのものだったのです。ってか大分県と全く同じ流儀。

(※写真はグーグルマップです)

で、周辺のバス停を調べるとあるわあるわ。全但バスというバス事業者のバス停が、大分県と全く同じ軒下系・待合室系のバス停の宝庫と判明したわけです。
そして大阪の友人が、先日彼女同伴で太宰府にやってきました。旅行が趣味で遊びに来たというわけです。友人のほうだけうちで一泊、つもる昔話。でここのバス停の話をしたら「写真撮ってきまひょか」と…。

一泊一飯の恩義で撮っていただいた全但バスのバス停数、実に30か40以上!いやまだ数えてない!

そんなわけで早速かからせていただきます。一個目はやはりエースを出さなきゃいけません。驚愕のエースです。

(※写真はグーグルマップです)
子午線が通っている場所にあるバス停です。
軒下型のバス停の先に空き地が見えますが、そこに昔子午線のモニュメントがあったそうです。この道、旧道。モニュメントは新道に移ってしまったけど、バス路線だけは新道に移らず旧道を走ります。故に軒下に子午線前。
実にシュールです。
 でも話はそこで終わりません。撮ってきて貰った北ノくんからこんな返事が返ってきました。

「子午線前、軒下じゃなくなってました…」
えー!!じゃあ、立っちゃったのかな(※このブログ独自の表現)。

(※撮影:北ノ君、2015年9月末)

…ごめん、ちょっと待って。
この平成の時代に?
昔の形式の木造待合所が出来て。
丁度子午線のジャストの場所に。

 全但バス、恐るべし!!!!!!

JR九州バス,軒下吊り下げ


バス停とは、人生である -ニーチェ-

と「バス停トーク」のオープニングで使っているバス停です。

苦悩した顔で立ってみるとまさにそう思えるではありませんか。(※バンドマンなので顔出しは厭わない)

このバス停は筑前山崎という終点へ向かう支線のバス停。
筑前山崎線は、JR、ないし国鉄バスと西鉄バスが昭和30~40年代路線網を引くにあたり、大変しのぎを削った場所であります。直方から赤間のほうに抜ける峠の路線を引くために、蜘蛛の糸のように絡み合った路線網が敷かれていた場所です。長閑な農村地帯なんですが、JR晩年期も桶田経由、有木経由の2系統存在していたし、西鉄はJRと重ならないよう必死に遠回りをしてこの周辺に路線を延ばしたり、時には和解をしたのか競合路線を引いたり。

西鉄もJRもなーんにも居なくなってしまって、今は宮若市乗合バスとして運行されています。

この黄色のがJR時代のバス停名板。

裏から見てもサビサビです。

おそらく譲り受けたのか。新しく立てた感じですが、もうレトロ感ある。

病院の名前は「有吉病院」でした。

カミさんに撮ってもらいました。

このバス停を紹介してくださったちょんびんさん、ありがとうございました。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

普通の待合室+ぶら下がりバス停、と言ったら失礼かもしれないけど、 大分県ではもはや当然のごとく普通に2~3バス停ごとに残ってるエリアがあるレベルなので、まあ普通のバス停。

確かに普通・・・

ここは上下ともにあります。

この道路自体が結構整備された立派な県道であり、このバス路線が華々しきトランスポーターの中心として機能していた証。今でも急行バスが走っているほど。中津~森線。もちろん、本数は往年にははるか及ばない一日数便ですが。

うーん。

隣の「持田」はなんと新調されてます。

こちらも上下線があり。
さりげなく、その近くの商店の脇にこんなものが置かれていました。大分交通の昔のスタイル看板。

日田バス,軒下吊り下げ

あ、ごめん、後編書くの忘れてた!

ある日カミさんと二人で近所に散歩に出かけた最中、裏路地に1軒のぜんざい屋さんを発見。住居を改造したもののようです。中には竹のオブジェがびっしり!異空間のようなその店内に圧倒され…と書いておいてそこのぜんざい屋さんの写真を撮り忘れてる失態。
撮ってから後編書こうとなってたら嫁さんが病気見つかって、と忙しくなったわけであります。
なので後編書けなかったんですね。ええいままよ、写真はもう別の機会でいいや。

店主と話をしてるうちに、この竹は日田のものを使ってる・・・との説明がありまして。え、日田のどの辺でしょう、色々聞いているうちに、あの入美ある有田線の周辺の地主さんであると判明。
「親戚が銀杏の缶詰ば作りよってですね」
あ、それ有田線の途中バス停「缶詰工場前」のそれか!!あれ銀杏のだったんだ・・・。
入美は道路の区画整理でなくなっていないかどうか情報を聞き出す機会が出来ました。曖昧な返事が返ってきました。
「あったような、なかったような・・・」

行ってみるしかなくなりました。
入美~横畑間の新道への路線付け替えのお知らせがあった以上、今年の桜が最後かもしれないと踏みました。
その日の天気は大荒れで、最初に向かった、毎年行くことにしている行楽地秋月では花腐しの豪雨が降りました。秋月を出て1時間強で、日田の奥へとレンタカーを走らせ。 
この周辺、小雨は降っていましたが桜はそこまで散っていませんでした。
まるでわれわれを待っていたかのごとく満開の入美桜が待ち受けてくれました。
晴れてたらなー、1日ずれてたらなー(前日は晴れてた)。多少はそう思いましたが。

もうここからは夢中になって何枚も写真撮りました。

このバス停、本当に美しい!!

惜別の気持ちを秘めて車を日田中心街まで走らせはじめたら、5分くらいでどっと豪雨が降りました。
まるで自分たちを待ってくれていたかのような、そんな気持ちになりました。
このバス停の去就はわかりません。ひょっとしたら桜を上手く残して、道路が整備されるかもしれません。が、この狭い道路のたたずまいは消えるでしょう。
なんだかんだで来年もあるかもしれないし、なくなるかもしれない。
とりあえず、今年こうやって桜の咲く入美が撮れたことに感謝し、また
「行こう!」
という気持ちを後押しした、あのぜんざい屋さんにも感謝せねば。

豪雨はその後数時間続きました。きっとあの直後に桜は散り果ててしまっていたでしょう。
「日田バスの女王」は待っていてくれてた、と自分は信じることにします。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ


先日ちょんびんさん他同行の志4人で行った大分バス停巡りツアー道中の話。

最初のうちは、日田バスの待合室バス停なんかにも「お~」と夢にときめいたり、明日にきらめいたり出来たわけですよ。
ところが大分の山奥というのは本当に待合室バス停のひさしにプレート、がむしろスタンダードだってことに気付くわけ。だんだんとそういうバス停に見向きもしなくなってくるわけです。

そんな感じでこのバス停も「極上の待合室バス停」なんだけれども、記事にするのを見落としてた感じのバス停。壁・軒先、1.5往復の支線分岐・・・と周囲にスターがありすぎるのがいかんのだ。

待合室のこの「物持ちのよさ」に感動する感じか。
同じくらい古いものが、もう半壊同然なものは何個もお見受けしている分、このバス停にはちょっとした感動を覚える。標識がそもそもえらく古いタイプで、この会社は子会社化の際に古いバス停の上にべたべたシールを貼ったりしちゃってる場合が多いんだけれども、このバス停には一切それがなぜかなく、「大分交通」のまま。おかげで保存状態がよく見える。

探訪したとき、次のバス停あたりでバスに遭遇。
バスはこの道路にしては結構大きいのがやって来た。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


待合所型。
荒れ果てているというかなんというか。

トイレがあったのか、それをもう基礎段階から取り壊したのか。ともかくわからないが何もかも取っ払って作業倉庫風になっているものの、もはや何に使われてるかもわからない。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


軒先型なのか、待合室型なのかわからないバス停がたまにある。

近寄って見てみると、家の離れを待合室風に改造していたり、公民館や格納庫の一角だったりすることが多い。
その建物自体が廃屋になっていたとしたら、こうなりそうなバス停。
これ、待合室として建てられてたとしたらちょっとでかすぎる。
建物の横の看板から察するに、農協倉庫か何かの一角の間借りバス停だったのかなあ?

内部は荒れてるんだけど、意外にも最近書かれた感じの中高生と思しき落書きがひどく、「使われてるんだなあ」と妙に実感。屋根はぼろぼろで、雨が降ったら凄く漏りそう。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


旧安心院町。
別府へと向かう大分交通線の途上で、安心院から別府の路線は亀の井バスという別会社の路線も存在する(経路は全く違う)。本数を見るとどうも、こちらが不利の様子。・・・とはいえ、亀の井が5~6往復、大分交通が2往復だけれど。

この日はあまりこれはというバス停が見つからず、足早に帰ろうと引き返したところで見つけた。
傾きかけの小さな小屋に、比較的新しい標識とわざわざ時刻表をしつらえ続けるこの労力!!ボクは敬意を表するッ!!

大分交通はこの「待合所+屋根ぶら下げ型」を発見するのが楽しい。さて、この小屋はあと何年使うつもりなんだろう?・・・そして、ここでバスを待つ人は不便して・・・と思いきや。周辺には民家は一つも見当たらず。

日田バス,小屋型


このバス停、妙大寺中通りと続いたあとしばらく行った先に出現する。
一日2往復のローカル線に似つかわしくない立派な待合所に、気の利いた手製の木の看板。

「のっちょくれ」は地元の方言で、「乗っていってくれ」「乗ってけ」か。この路線の先の終点近くまで行くと、廃止反対看板も見受けられたりするから、地元住民にとっては現状ですらどうにかしたい状況なのだろうと思う。

どうなんだろう。地元民にとっては実際「コミュニティバス化」がよい選択肢な現状。しかし・・・このバス停趣味的にはどうかなー。標柱とか看板とか撤去されちゃうだろうしなあ、惜しげもなく。しかしまあ、それでこそ健全ともいえるし・・・うーん、痛しがゆし。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ,鉄道跡

 鉄道線跡のバス停。
駅跡がそのままバス停になっている。
豊州鉄道といい、大分県宇佐市の豊前善光寺駅から院内町を経由し、豊後森までを目指していたようだ。
線路跡の殆どは県道になっている。そしてその県道は、鉄道の伸びることはなかったその先の険しい山岳地帯を、やすやすと快適に越えられるようになっている。開通したのは昨今のようだ。

この駅のちょっと下流の鉄橋が流されて、廃止になったという。

待合所は駅のそのままを使っているし、バス停の敷地はホームのそれ。だから、道路と待合室の間に妙な余裕がある。道路側に立ってみると、汽車がやってきそうな気・・・は、しない。交通量、多いっちゅうねん。
当たり前の話、廃止からもう40年以上経っている訳だから待合所の外壁はぼろぼろ。しかし、本当に思う。大事に使っているなあ。

この沿線、駅跡のこういうバス停が他にも何個かあったのだが、夕暮れが押し迫ってこれしか撮影できず。
豊前二日市駅跡は風情があった。
集落を見下ろすの高台の上のおらが駅、が想像できてしんみり。