大分交通・玖珠観光,崩壊系,軒下吊り下げ

ふうぜんのともしび

中津の方角から、深耶馬渓のそばを食べる前の下流に聳え立つバス停。
下流には鴫良温泉があり、旅館や土産物屋がぽつぽつと並んでいてそこそこ観光客も多い通りだ。
バイクのツーリングによくすれ違う。


この辺は待合室吊り下げバス停の宝庫だ。


きわめてスタンダードなバス停と言えるが

シースルーである。

残念ながら、おそらく災害等でこうなったのか。二次被害などもなくつつがなくそのまま、というのは不幸中の幸い。

出会いは一瞬、いつなくなるかわからない


この通り、結構前にも一度通っていて下流の山移や持田の写真を撮っている。
この時は上下5往復、中津~森(JR久大線の豊後森駅)間の急行バスが走っていた。

今でも変わらないとは感じるが、土日便がなくなっていたり急行は無くなり中津まで行かなくなっていたりと退潮著しい。

あの時は写真を撮らなかったけど、こうなってしまうと撮っておかねばとなる。
いつまであるんだろう…いつ消えるのだろう…

「福岡くん」というテレビでやっていたが、「大木切ります!」の看板は筑豊の会社が頑張って貼っているそうだ。1984年創業だそうだから、ほぼほぼ平成期に貼られ始めたものか。
これは平成の田舎アイコンとして語り継がれるのかもしれんね…。

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西鉄バス・福岡市内,小屋型,限界椅子

限界椅子シリーズ第3弾である

限界椅子シリーズ、極北のバス停椅子シリーズ。

中鹿口

大亀

国道495号線、いわゆる旧国道3号線として福岡~北九州間の幹線として活躍を続けてきた道路。
ここを走るバス路線は西鉄バス栄光の20番系統、北九州・門司(田野浦)~福岡・西新営業所の末裔である福岡市内線26番系統であり、今もなお鉄道平行線でありながら平日40往復ほどが走っている。


ここの地形はそんなに標高は高くはないが峠になっていて、国道のほか鹿児島本線も掘割で抜けていく。
バス停があるのは峠の尾根に当たる場所。

付近にはコンクリート工場や会社など。家はないがなぜか公衆電話はある。

割と趣は寂れた田舎の終点バス停っぽいのだが

意外とある本数に驚く。
ここから先の宗像市エリア、鉄道駅の場所と役所などがある場所が全く離れていて、この26番を使ったほうがはるかに便利なんですね。
実際この沿線を通りがかってバス停を目にすると、バス待ちをしている人を見かける事は多い。

超名物「灰色のソファー」

さて主題である。このバス停の名物…

この古いタイプの待合小屋、粕屋郡~宗像エリアにかけてみられるコンクリートブロック製のもの。
福岡市内でも福岡空港近くのバス停にいくつか残っている。
多分頑丈だからね…。

これである。この道を通るといつも気になる、名物のソファー!!

いつからあるのか記憶が定かじゃないが、そういえば昔からある、と記憶している。
灰色なのか、それとも白が汚れてこうなったのか今回初めて確認した。

間違いない、汚れだ。排気ガス系。
なかなかの限界椅子っぷりである。

とはいえこのバス停の、いやこの赤間線のシンボルである(本当か?)。
しばらくここは路線も健全で廃止になることはないとは思うが、いつまでもこのソファーには鎮座していただきたいものである。

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大分交通・玖珠観光,終点,軒下吊り下げ

菅原道真ゆかりの県境近くの集落

大分県の豊後森から、熊本の阿蘇の方に行く道沿い。
国鉄宮原線の伸びていたとこと言えばわかる人にはわかる道には、少し前まで県境を越えて肥後小国までのバスが走っていた。
その途中の枝線の終点の一つが菅原。


記念碑と

真後ろに公民館。

公民館と折り返し場、田舎の集落の終点としては最強タッグで。そしてこの立派な小屋である。

なかなか田舎ではかなり頼もしい本数。
なので…

たまにバスに遭遇すると何していいかわからない


バスがやってきてしまった。

えっと…

バスが。

来ちゃいました。

まるで憧れのあの子と二人きりになった瞬間、何話せばいいかわからなくなった男子中学生のように何するわけでもなく。

そのうちバスは去っていきました。

ごめんなさい、やっぱりぼくバス停さんのほうが好きです。

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宮若市コミュニティバス,軒下吊り下げ

なんでこの道をずっと回らなかったんだろう

自分は特殊バス停の定義の一つを「標柱が立ってない」としています。
今現在ほとんどのバス事業者が標柱は絶対に立てているものであり、特に都市部になるとそれは顕著であるからで。そんな標柱のない小屋型のバス停がJRバス直方線に点在していたのは知ってたものの

自分の見知った道路沿いにあるのは結構こうやって立ってる例が多く、結構掘れば残ってるの見つかるよということを知ったのは実はずっと後。
この町の山の向こうに引っ越したので、買い物やら何やらでこの道を通るようになって、発見してビックリ…と、知ったのは2年前のこと。


国鉄バス直方線の支線で、福丸~清水口~脇田温泉と運行していた枝線のバス停。
なだらかな斜面に田んぼが広がり、ずっと向こうまで道が見える圧巻の景色。

あるもんですなあ

JR九州の流用なのはちょっとポイントが高く、この沿線のいくつかのバス停は丸看板を新調していたりします。
しかしなぜ気付かなかったのか?単にズボラだったからですよ!!


当然ズボラなもので、おそらく腕のいい写真家であるなら空模様やバスの時間を気にしたら、めちゃくちゃいい写真が撮れるよねと毎度思う訳ですよ。

なおストビューのほうが好天に恵まれていて、自分の撮ったものより遥かに…


しかし、比較的通るほうの自分ですらバスに遭遇したことは皆無。

別の日の夕暮れ。ここには本当にバスが来ているのか?
実は最近このバス停、定期運行は無くなってしまっています。

先の方のバス停小屋が一つ取り壊されていたし、ここはいつまで残るものか…。

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サンデン交通,ポール型,小屋型

畏れ多い珍名バス停としては日本髄一

実は日本には何個か「天皇」がつくバス停がありまして、徳島県の四国交通というバス会社には「天皇森」、惜しむらくは廃止になった愛媛県のせとうちバス「天皇」バス停など。まあ天皇にゆかりのある地名が付いた場所にあるバス停が生まれたのなら、天皇がついて何が悪いの、と言われたら…

…はい、「様」です。

いや、結構すんごいとこだった。すぐ下流はダム。登ったさ、ひたすら。

一緒に行った嫁には「珍名だよ!!名前は着いてからのお楽しみ!!」と告げていたせいか、この名前に大満足!!

この名前について。
この近くに「安徳天皇御陵墓参考地」があります。
壇ノ浦の合戦で入水した幼君・安徳天皇の亡骸がここに弔われている、という伝承のある場所の一つと言われています。
このバス停から歩いてさほど離れていない場所ではあるんですが、ここから直接は見えない。

「天皇様」という字名からバス停が付いたのか、この陵墓そのものを指してこの名前が付いたのかは不明だけど、まあどちらかでしょう。
「様」が付いているところが、土着的な生々しさを感じます。

とはいえこの場所、特ににぎわってる風でもなく、観光地として人を集めるわけでもなく。あまり人気のないダム湖の奥にある集落に、異様な彩を添えて聳え立ってる印象はぬぐえず。

ここ、上下線ともに立派な待合所があります。

天皇様だけに貴賓室と呼ぶべきか。

それは不敬だと思います。

付近に世帯は4~5軒くらいしかなかったんじゃ。
流石に、管理は厳しいかな…

こう切り取るとなんかCDのジャケみたいだ。
「天皇様」でなければ。

でも片道で本数はこんな感じで、「意外にある!!」と思っている。
実際帰りにバスにすれ違ったし。
まだまだ廃止は先やと思うで!神の国!!(※さりげない神の国発言)

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いわくにバス,壁型,小屋型

大藤までの道のりは長くて狭い

下畑からの続き。道路、幅員は3メートルあるだろうか。


カーナビで地図を見ても、道路らしい道路はこの沢沿いのこれしかない。
本当にこれがバス通りなのかを考えていたら下畑の集落とバス停を見た。

んで、まさかの

このバス停、標柱が立ってない。

中国地方のバス停は、黄色いネームプレートが必須になっている。ここと下畑は珍しくそれがない。
いわくにバスは市交通局出資の民間会社。とどのつまりは市営バスが前身。

下畑、高畑の地名でわかる(地形的な意味合いでの)上下関係。

ちょっとした掲示板です。

何気に大藤行き、数回見かけたことがあるんだけど最近理由が分かった。ちょうどライブの本番待ちの時間に駅前商店街辺りをうろつくことがあって、その時間に来るんだ。

大藤の方を眺める。

一応大藤バス停も行ってきたよ

大藤、何とグーグルストリートビューも到達していない凄いとこで。

これが、意外と終点オーラに乏しいあっけない場所だった。道路で引き返すのか折り返し場もよくわかんなかったし…

まあここまで来た記念に…

終点かと思いきや、実は別方向(南岩国駅の方角)から叶木方面に別路線がやってきます。
やっぱり終点オーラゼロ!!

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大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

下から目線のアイツ

大分の国東半島線。豊後高田~伊美の路線のみ、待合室と軒下のバス停が生き残っている。
国東の営業所管轄は積極的にバス停ポールを置いている印象があるので、まあこの分布は現場の好みとかそういう問題なのではと思っている。


…ん?

きみ、ずいぶん下から目線では…

ここにしか貼りつかなかったものなのか。

理想的な軒下の貼り付けは

こんな感じだろうし

もしくはこれか。

下から見られている感がすごい…


伽藍の手前のバス停です。本数はそこそこ。

こっちから見るとチラッと覗くところがなんとも中途半端…。

待合室も築ン10年物ばっかりだからなあ…

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いわくにバス,壁型,小屋型

標柱がない以前に電波が来ない場所

山口県の岩国市の山間部路線大藤線。玖珂や柳井方面に抜ける峠道の途中から分岐するが、地図で見ると

これがなかなかの長距離かつどうしてそっちから行く?って感じの路線で。
六呂師(大藤)の沢に向かって、人家及び整備された道のある所を選ぶとこうなったのか。
この岩国の山間部は旧国鉄バスが路線を伸ばしていた場所でもあるし、一時期は柱野まで来ていたようだから競合状態の末こんな路線が生まれたのかも。この地域が岩国市に合併したのは結構古く昭和30年で、いわくにバスは市営交通局が前身。なるほど古くから市営バスがあっても問題ない場所か。
所要時間は当然、圧巻の1時間強らしい(62分)。

国道から分かれるとまず採石場があり。さらに狭い道を延々向かうとこの集落が現れる。

岩国、いや中国地方では珍しく標柱レスのバス停。

いわくにバスで柱のないバス停はグーグルマップの事前調査でもう一つ見つけることができた。
携帯の電波は届かなかった。

ワイはプロや!猿ゴルファープロや!!


バス時刻表は待合室の中にあり、バス停名板はどうやら

この側面の看板が相当しているよう。

なぜか置かれているラジオ。

嫁、バンドメンバー・たまきお君の3人で到達。
大分のバス停旅に同行している嫁はさておきたまきお君はこういうのが新鮮だったようで、
「嘘でしょ、この細い道の先にバス停とか」
「マジか!あるんか~!!」
などと非常においしいリアクションを繰り広げ。

この帰り道、下畑~六呂師口の間でバス停旅史上二度目のサルの群れに遭遇。無駄にテンションは上がった。
そういえば結局この沢を走って生身の人間には出会わなかった。対向車は3台ほど通っただろうか。サル6匹(概算)のほうが多い結果に…。

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さいかい交通,ポール型,小屋型,終点

みんな大好き、行き方のわからない終点

先日「マニアが喜ぶバス停とは!?」みたいな話をとある商業クリエーターさんとメールでやり取りしてたんですが、そこで自分が述べたもので
「路線表のはじっこだったり終点だったりするのはみんな好きです」
とはっきり私論をぶちかましましたが、多分これは正解だと思う。

学生時代を過ごしたのは長崎でありまして、住んでいたのは西彼杵半島の根っこ、時津という長崎市から北に行ったところ。この半島は非常に平地が少なく、山と海が複雑に入り組んでいる地形。長崎市と佐世保市を結ぶ最短ルートであるがゆえに道路は非常に整備が早く、バス網も結構充実していた。自分のいた時なかった路線は時津北ターミナル付近(先久留里止めがあった程度で現埋め立て地は広い空き地でもあった)、小口港、水浦廻りか。亀浦延伸はぎりぎり覚えてて、よく乗った風早行きが消滅したのを惜しんだ記憶はある。
長崎バスって今はどうか知らないけど、車内に会社の全路線表が絶対貼ってあるんですよね。
長崎バス全路線図公式サイト

この路線表を見て育った長崎バスっ子で、この画像の右のほうにある幸物支線に一度行って見たいと思った子は絶対多いと思う、いやほとんどだと思う。多分。きっと。

30年後の幸物を、今と変わらず愛しています

さて、ワイも高校卒業して今年で30年。

やって来てみた!!
ええー…

なんつうかですよここ、集落どころか家が全く見当たらない。
山中路線だとよくある「脇道の奥に行くとたくさん家があるタイプ」の、県道沿いのバス停に散見される立地らしく。

汚れは気になるが立派な待合室。

新しい柱…
余談だが四角い名称版を使っていたのは古いタイプで、平成に入ってから市内を中心に丸板に入れ替わって行ったのを覚えているので、四角のものがこうして新しく更新されているのを見るとスゲエとなる。

時刻表。実はこの年末年始のお知らせのところに、現存していたものでは最古級の路線図がつい最近まで貼ってあったらしい。
そこには「青雲学園」「光風台」が入っておらず、昭和60年以前のものになるのではなかっただろうか。惜しいものを見逃した。

使われてる雰囲気はしない。

行ったこの日は1/4、全国的には休日なのか学休日なのか微妙な日。到達時刻は16時20分で…

そう、あと50分したら実はバスが来たかもしれず、幸物行きバスを拝めたんじゃね?というチャンスではあったのだけれど。この日は嫁と同行であったのでさすがにそこまではせず。

そのまま県民の森の方向に向かいました。
あの頃たどり着けなかったあの場所をただ見に行く、それだけなんですけどなんでこんなに妙な感動があるんでしょうかね?
「マニアが好きなバス停とは?」に対するアンサーとして、そういう感動がある場所もその一つだよね、という結論を見たのでした。

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大分交通・大交北部バス,壁型,小屋型

恋叶ロードも旧道には入らない

こないだアップした猫石で書いた「恋叶ロード」。
終点は豊後高田市の東端の漁港町香ヶ地で国道・バス通りを逸れ、長崎鼻のほうに向かうことになっている。
…一方そのころ、大分交通バスの豊後高田からの東行バス・伊美方面行きも、旧道沿いにある集落向けに現国道を逸れることになっていた!!
果たしてこっちに来ても恋は叶わないのか!!


国道から逸れたので、思いっきり旧国道な感じです。
…え?どの辺が旧国道かって?よく見てみると中央分離帯が白。主要地方道以上の国道の中央分離帯は黄色なんですね。
他にも路側帯(歩道部分にあたる道路のはじの側線)がありません。


集落は遥か下のうら寂しい通りを抜けると…

立派な待合室。

はい!!珍名来た!!
多くの人がここに来ると
「うわ…がらんとしてるねえ~」
という言葉を残します。うん、最早禁句です。

恋が叶うかもしれないバスは来る

最近の傾向で、旧道経由というのは一日1~2本のみを除いて廃止という例が多いんですが、ここのバス停はいまだに全便旧道に入るもので

8往復ほど、まあまああるんじゃないでしょうか。
恋叶ロードのラッピングバスなんかも走るみたいです。…ここを。
ラッピングバス就航のお知らせ、豊後高田市ホームページ

名前は伽藍堂でもあるのかなと思いきや、近隣の集落名。

一部の道路地図に地名として載ってました。まあ伽藍堂があるから伽藍集落なのかもしれない。

このバス停を過ぎると、一車線半しか道幅がないトンネルが現れます。それこそ旧道たるゆえん。
廃墟が並んでいたりと、この通りを通って恋が叶うことは…いや、ピンクのラッピングバスが通るくらいだから、あるのかもしれん。

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