日田バス,ポール型,小屋型,崩壊系


うん、名前は凄くかっこいい。
「やまなみハイウェイ」というカッコイイ観光道路上にあります。
豊後中村駅から伸びる久住登山口までの路線は2系統あり、1系統は谷沿いの集落をなめるように回る筋湯線。それをショートカットするように草原地帯を貫くこちらはこの中間バス停一つのみで1.5往復。とにかく、行けども行けども草原・草原。

そういう集落があったのか。活火山の久住の山が見えます。

「立ってるバス停」(※このブログ独自の表現)だけど、ここに立つと文明崩壊後の地球感が半端ないです。交通量は割りと多いですけどね。

で、思う。何で大将軍なんだ。夷陵の戦いで負けた劉備玄徳が落ちのびでもしたんかな…。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


待合所型。
荒れ果てているというかなんというか。

トイレがあったのか、それをもう基礎段階から取り壊したのか。ともかくわからないが何もかも取っ払って作業倉庫風になっているものの、もはや何に使われてるかもわからない。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


軒先型なのか、待合室型なのかわからないバス停がたまにある。

近寄って見てみると、家の離れを待合室風に改造していたり、公民館や格納庫の一角だったりすることが多い。
その建物自体が廃屋になっていたとしたら、こうなりそうなバス停。
これ、待合室として建てられてたとしたらちょっとでかすぎる。
建物の横の看板から察するに、農協倉庫か何かの一角の間借りバス停だったのかなあ?

内部は荒れてるんだけど、意外にも最近書かれた感じの中高生と思しき落書きがひどく、「使われてるんだなあ」と妙に実感。屋根はぼろぼろで、雨が降ったら凄く漏りそう。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


旧安心院町。
別府へと向かう大分交通線の途上で、安心院から別府の路線は亀の井バスという別会社の路線も存在する(経路は全く違う)。本数を見るとどうも、こちらが不利の様子。・・・とはいえ、亀の井が5~6往復、大分交通が2往復だけれど。

この日はあまりこれはというバス停が見つからず、足早に帰ろうと引き返したところで見つけた。
傾きかけの小さな小屋に、比較的新しい標識とわざわざ時刻表をしつらえ続けるこの労力!!ボクは敬意を表するッ!!

大分交通はこの「待合所+屋根ぶら下げ型」を発見するのが楽しい。さて、この小屋はあと何年使うつもりなんだろう?・・・そして、ここでバスを待つ人は不便して・・・と思いきや。周辺には民家は一つも見当たらず。

日田バス,壁型,崩壊系,民家型


日田バスの公式サイトの路線図pdfデータをCADに起こして、尋ねたバス停を改めて数えなおしてみた(※これ・未完成、急いでaiにして書き出したので一部文字化け)。 うーん、軒下・壁はなおのこと、意外と待合室も少ないなあ。2年前に比べると5~6個はやっぱり減ってるし。「鼠谷」、「山口」(実は標柱)、「星払」、「出野」が視認で消えてしまった。標柱の角型になってるものは、本当にここ何年かの置き換えだろうしなあ。

地元の人はこれらのバス停が生き残ってる現状が全国的にも珍しいことを、やっぱり知らないようだ。ちなみに福岡市内・郊外線にはつい最近まで待合室・ぶら下げ型のバス停が存在していたが、2年前行ったらなくなっていた。「うちにあるよ!!」という情報をお持ちの方、ご一報いただけるとありがたい。飛んで行きます。

さて、旧前津江村。
ここには宿題のバス停が二つあった。どうしても、見つけ切れなかったのだ。
1つは前津江旧役場付近の「梅木」。路線図で確認するも一度発見できず・・・ん、壁型バス停か!!

こんなんなってました。

がっくりしながら次の「川原」へ。前津江線は末端が二股に分かれていて、バスはまずこの赤石支線のほうにいったん潜り込む。それから、元きた道を折り返してもう1つの沢の大野支線、終点の座目木に向かう。
その終点がこちら。
「何もない」「忘れ去られた」なんて言葉が出る、寂寥たる風景の終点。

さてその一歩手前のバス停が、この「川原」。
バス停カット状に、道路が大きく左にスペースを開けている。その真ん中にあるのは・・・ん、ごみ置き場か。車を降り、ごみ置き場に時刻表がくくりつけられていないか、また周囲に標識が落ちてないか確認する。・・・ない。そこから分かれる道、旧道になっていないか。・・・地形的になさそうだ。近くの川、橋が一本しかないようだ。

で、建物といえば隣の赤石小学校からここまで、ひいてはその隣の温所まで。一向に見えないよなあ。あるとすれば、そこの本当に傾きかけた作業小屋・・・だけ・・・ええええええ!?

画像では普通に写っているんだけれど、この作業小屋。
反対側のほうから見ると、本当にいろんな部分がゆがんでしまっていて、指で押しても壊れるんじゃないか?って心配になるくらい。もうさすがに、この建物はまったく使っていないようだった(当たり前だ)。

手前の小屋はまったく別物、かつ現役の木材置き場。
中では地元のおじいさんが作業中、バス停の撮影許可をとる。
にこりと笑って「よかですよー」。

そういえば以前ここに来たとき、この赤石の支線沿線では誰とも出会わなかったはず。
ようやく人に出会えた。と同時に、自分の中にあったこの村の景色が、ようやく人肌を感じる色に染まっていったのを感じた。

大分交通・大交北部バス,地面型,崩壊系

バス停探すのも大変。

・・・どこだ?

・・・ここか!!

ここなのか!!!

 実際ここまで来ると自分も手馴れたもので、「ああこんな集落あんだったらどっかにありそうだね」で車を降りるとそこにあったみたいな、そんなことばっかりです。
・・・たけのこ掘り名人みたい。

日田バス,崩壊系,民家型


以前「下一ツ戸」を訪れたときの話。

「そういえばこげなバス停、出山もそうじゃった」「荒平もじゃなかと?」

・・・ごめんおじさんおばさん、その二つとも見落としとった。
てなわけで、道路地図を改めて眺めながら(※ここで読者の皆さんは「最初から見とけよ!!」と突っ込んでください)道を下ったところあっさりと発見。

ってか次のバス停じゃないか。道理で距離長すぎると思ったよ。
しかもこれ、さすがにバス停って誰も気づかないよ。

普通はバス停探すミッション与えられたら
「待合所か標柱が道端に立ってるから、それを注視しよう」
なんだけど、これが日田バスの場合
「紺色の四角いやつが、道路付近のどっかにまぎれているからそれに注視する事」
って、いきなりウォーリーを探せ状態までレベルが上がってるわけですよ。

俺のウォーリーは道端に晒し首になっていました。
何をしたんだウォーリー。火付けか!?盗っ人か!?

ところでこのバス停で存在を知ったんですが、日田の壁バス停には超旧式として「次」表示のある壁標識があります。このあとこれが「中津江村営が日田バスであった証明」をしてくれるとは、思わなんだ。