日田バス,民家型


道路は生き物。ゆえに流れの悪くなった道路は打ち捨てられ、やがて人の流れが絶えて枯れ行く運命なのですがまさにそういうバス停。

このバス停は橋が掛け替わって、川の向こうを国道が走るようになった場所。バス停自体はその国道と、川向こうの新道たる国道がかつて担っていた、 別方向へと結ぶ幹線の県道との分岐点に存在していたようで、橋の袂にあるでっかい三つ角と大きな標識。峠の茶屋然とした商店の軒先には「乗合自動車待合 所」・・・。

と、想像を張り巡らせるくらいしか出来ない、人っけの全くないバス停にはプレートも標柱もなく、二度と開くことのない峠の茶屋の商店の木戸には無 粋な、エクセル出力のバス時刻表が貼り付けてあるだけ。ぶつ切りになった橋の向こうには物産店などが並びにぎやかな気配。こちらから聴こえてくるのは木々 のざわめきだけ…

堀川バス

89a1e74b.jpeg堀川バスという、小さなバス会社の持つ星野村線の一日一往復の迂回線。

 こんな路線に乗ろうというのは野暮だろう。地元の学生のために残しました、といわんばかりの早朝と夕方設定のダイヤ。バスってのは公共物なので、たかだか眺めるのが好きな好事家なんかが上がりこんでゴメイワクになってしまってはいけない。

 星野村の特徴はもう風光明媚、だが人はいない。これに尽きる稀有な村だと思う。お世辞ではなく本当に。ゆえにバス停の写真ももうむちゃくちゃ撮っ てしまって、一週間に一辺ひとつづつやってもおっつかないくらいな上にまだまだ撮り残しがあるというくらいなのだが、この迂回線のバス車窓から眺められる であろう風景たるや。

 青々とした茶畑、広がる棚田。真ん中を流れる清流。これ以上に何があるかという日本の原風景にうっとりしてほしいのだけど、そのバスに乗れるのは地元の人々だけでよいのです。宝石というのはガラスケースの向こうにあって、眺めるものだと思っているのです。

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日田バス


バス停の標柱というのは道路交通法的には常識的な範囲内で別段、特に規制はないようです。高さが何センチ、厚さが何センチ以内といった規制もなければその逆に、こんな例もあるのよね。

ここは大分県日田市(旧前津江村)の最果ての終点、バスが入り込む隙間もないような隘路としか言いようがない場所もバスは容赦なく入り込んでやってくる、そして終点はよくわからない柱にぶら下げられたプレート。そしてやってきたバスが突っ込む一言は、こうだ。

「時刻表はどこだ!」

ひょっとしたら訪問者はそのバス以外来そうにない日もありそうなここに、そんなものいらないのかもしれない。

白石町コミュニティバス

VFSH0034.JPG マップ・トラベラーだと「このバス停どうなってんだ?」的な名前のバス停に行ってみたい衝動に駆られるバス停の一つや二つがあるだろう。佐賀県の南のほうにあるこのバス停なんて極北で、何せ海側の干拓地に向かって行く枝線の終点三つのバス停名が

 「1B」「2A」「2B」

 である。手抜きとばかりにおなめになっておられるのか、それともそもそもそういう土地であり公用語が英語のアメリカンな場所なのか。で、相当以前 に確かめに行った事があるのだが写真には収めていない、近くまで来たし行ってみるか、そんなこんなで行ってみたらば嫌な予感。どうも自治体によるコミュニ ティーバスに運営を転換されているじゃないか。

 こうなると珍妙だったり、自体にそぐわなかったりするバス停は大抵改称されてしまうのである。いくつそういう味のあるバス停がなくなったことか・・・と思い終点「2B」に到達してみると。錆びた標柱に「2B」という力強い文字が入った標柱は真新しいものに変わってしまっていて、そうして嫌な予感は的中していた。しかも、より珍妙な方向に。

 「5B」

 増えてるよ!

 ちなみにバス停名の由来は多分、新しい干拓地で細かい地名がないからじゃないでしょうかね。想像で物言ってますが、それほど整然とした比較的新しい区画地でした。

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西鉄バス・筑豊

Vfsh0137-1.jpg 昭和59年西鉄バス時刻表という分厚い冊子を(おそらく手打ちで)PDFにしたためた偉業を成し遂げた方がいらっしゃって、勇んで閲覧してこのバス停の本数を見て絶句。

 このバス停は豊前川崎という、国鉄(敢えてそう記す)のジャンクションの駅前広場から商店街を通り抜け、その店並みが途切れるちょうど真上に大き な折り返し場とともに存在していました。大きな県道を通って、田川(その付近の中核都市)からやってきたこの町の他の方面に行くバスには駅に入ること自体 がわざわざ枝線の袋小路に入るようなもの。しかし時刻表を見れば、まずバスはこのバス停に敢えて寄り、そこからその袋小路を戻ってさらにこの町の枝端のあ ちこちに向かう。そのことと、その沿線の駅前商店街の栄華のあとは、この場所が生活上の拠点であったことを思い起こさせます。

 ここで日々の食事の準備、生活の用足しに足を向け、出会う、別れる、旅立つ…さまざまな人の流れの集まりであったこの場所にはバスはもうやってき ませんし、駅前商店街に来るはずの人々は近くの県道沿いにある大きな駐車場のあるスーパーに自家用車ですいっと行ってしまうのでした。

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西鉄バス・筑豊

Vfsh0134.jpg 今日付けで、筑豊地方のいくつかのバス路線が廃止になることになりました。

 筑豊にはいまだにバス停に「坑」の字が入ったものが残っていて、その多くが終点だったり重要な経由地であったりするところが時代を表している気がするのですが、そのうちのひとつで一日1本のみの迂回線の経由地、「三井四坑」がその廃止路線の中に入っていました。

 道路は拡張工事の真っ最中、看板すら落ちた商店も、バス停も飲み込んで、全く違う町並みができるのでしょう、そこには。何もかもを忘れたようでい て、生き証人のように立っていたこのバス停も今日で廃止。もしここに、新たなバス停が別の業者や町によって立てられたとしたら、おそらく「坑」の文字がつくことはないでしょう。

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