在りし日の軒先型バス停。
今年はじめくらいにどうも標柱が立ち、軒先のものは撤去された模様。
この軒先の置かれ方が実は凶悪で、三叉路にこのバス停は位置していまして。
1やや広い1車線道路
2二車線の改修済み道路
3林道のような1車線の小道
が交差する場所。バス停は2に面する角度に置かれていたんですね。
こんな感じです。
・・・で、ここのバスは実は1→3ないし3→1の経路を通ります。
正直、ここに探訪を始めて3~4回目に初めて気づきました。こんなんわかるか!!
主に九州の壁とか軒下とか待合室とかのバス停
在りし日の軒先型バス停。
今年はじめくらいにどうも標柱が立ち、軒先のものは撤去された模様。
この軒先の置かれ方が実は凶悪で、三叉路にこのバス停は位置していまして。
1やや広い1車線道路
2二車線の改修済み道路
3林道のような1車線の小道
が交差する場所。バス停は2に面する角度に置かれていたんですね。
こんな感じです。
・・・で、ここのバスは実は1→3ないし3→1の経路を通ります。
正直、ここに探訪を始めて3~4回目に初めて気づきました。こんなんわかるか!!
これは民家をそのまま撮ったわけではなく、まごう事なきバス停の写真です。
家の方は留守だったのですが、隣の方に色々お話を伺うことができました。
なんでも道路沿いに玄関があって、バス停も通りに出していた形になっていたのだけれども、家を改築した際に玄関が通りから引っ込んだ。玄関にかけてたバス停は、通りに面してる車庫にでもおいとけばいいものを、大工さんが玄関の奥に取り付けてしまった。集落の人はみんなここがバス停って知ってるから不便とは思わない。
屋根付きバス停進化系。
ちゃんと、建替えられてるようなとこもあったりします。しかもここ、上下線ともに存在。手厚いなあ。
この辺のバス停にたまに現存してる駅名板のような大きな古い看板、建物や待合室の壁に貼ってある場合があります。
近くの商店の片隅にひっそりと置かれてる看板を発見。その向かいには更にさびしげな看板も・・・。
というビッグボディチームも驚くようなロケーション、しかもバス停の名前のこのインパクト。
このちょっと上流のほうに「成仏寺」という寺がありまして、この辺の大字は「成仏」。この路線は山の上の「上成仏」に向かって走っております。
ちょっと行ったところに、この道が沿う沢の向こう側への集落へ続く橋がかかっていて、ここはその道への分岐点。
バス停の名前はその向こう側の集落の名前です。
今はその向こう側のほうに改修済みの県道が延びていて、こっちは寂れた旧道。
大分県で一番有名なバス停といえば、大分バスの「ととろ」でしょう。いずれは訪問したいバス停なんですが、あそこの生い立ちをネットで調べていると、気になる記述がありました。
ととろの路線開通当時には、バス停の開設に「バス停の待合所を作るのが必須条件」だったようで、「土地を出し合ってここに待合室を作った」という記述が。
もちろん道路交通法などの法律に基づいた義務ではなかったと思いますが、そういった理由でか、待合所のあるバス停が大分県には実に多い。
バス停の前におられた地元のギャル(※敬意を表し)たちに伺いましたところこの待合室も、開通時昭和35~6年ごろに建てられたのこと。
すっかり傾いてます。壊れる前に写真に納められてよかった。
軒先型バス停。
日田バスも、実はここ何年かで標柱に入れ替える作業をしているらしく。いくつかの写真に納めたバス停が標柱になったりしている。
いや、この軒先型バス停って見つけにくいのよ!!
今日出かけた先でも、標柱になって始めてバス停を発見。「あー、あの店の軒先、ぶら下がってたのか!!」と地団太を踏んだばっかし。
このバス停は見つけやすい部類ですが、後々わかりにくい凄いのが登場することでしょう。
谷というか高原を縫うようにして走る、細い県道沿いの小さな集落のバス停。
バス停の写真のブログ、開設してみました。ネットでは変な大喜利風サイトをうっかり8年続かせてみたり、変なテキストサイトをやったり、ネットラジオしたりというわけのわからない遍歴があるのですが、こういう至極真っ当な、しかもテーマのあるブログは実は初めてだったりします。
これ以前の文章は、以前持っていたブログでたまに書いていたもの、mixiの日記で書いたりしたものをまとめたものです。
引越しやらで写真データが散逸して、残念ながらこちらへの収録を諦めたものもあります。ご容赦を。
一回目は、敬愛する日田バスのバス停「赤石小学校」。
忘れ去られたような山奥の村の真ん中に、忘れ去られたように足元に置かれた標識。
民家の茶色の壁に、時刻表が貼ってあります。日田バスはこういういわゆる壁バス停、あるいは軒下型のバス停が異様に残存していて、廻っていて全く飽きません。