日田バス,軒下吊り下げ


日田バスの有田線は、公式サイトにも載っているにもかかわらず一応市の福祉バスに転換されている。
バス停のほとんども市の福祉バス用のそれに変わっている。

俺は日田バスのバス停としての「王手石」や「缶詰工場」が見たかったけれど、それはまあ仕方がない。
いや、この路線にそんな名前のバス停があるわけよ。
スッゲーそそる名前と思わね?
・・・無くなってしまったのだから男ならぐっと我慢だ。
一応行ったけど、真新しい標柱はやっぱ興ざめた。

さてそんなリストラクチャーをくぐりぬけて、早い話取り壊したり取り外したりが面倒なバス停が4~5個現存していたりする。とはいえちゃんと、真新しい標柱も一緒に設置してあるんだけれども。
終点・岩下の一歩手前のバス停。

美しい。
なんつうかこう、峠道の木陰で日傘を指す清楚なお嬢さんみたいな、そういう景色だった。
いや、幾つもこういうバス停には行ってるんだけどね。そんな感情になったのはこのバス停が初めてだった。

何でそんな感情になったのか、いまひとつ言葉にできないんだけれど。
桜の季節にもう一度訪れてみたい気がした。
あの木、桜だったら出来すぎだよな。確か違ったと思うけど。

大分交通・大交北部バス,地面型,崩壊系

バス停探すのも大変。

・・・どこだ?

・・・ここか!!

ここなのか!!!

 実際ここまで来ると自分も手馴れたもので、「ああこんな集落あんだったらどっかにありそうだね」で車を降りるとそこにあったみたいな、そんなことばっかりです。
・・・たけのこ掘り名人みたい。

産交バス

PICT0481_R.jpg 旧中津江村に行くと、立派な木で作ったバス停にあんまりにも大まかな時刻表がついている。見た人ならわかる、大雑把かつダイナミックな時刻表。何故って定期便は0.5往復の1本だけでその時刻が全バス停分書いてある。あとは前日予約で時間指定をすると乗ることができるらしい旨が書いてある。

 その時刻表の右下に、
 「室原発小国行き」
 なる一日5本の時刻が入っている。

 室原は中津江の中心・栃原から車で5~10分、歩いて多分1時間くらいか(高低差きつい)。
 県境を越えたとこから、小国というやや開けた街に出られる交通手段になっている。日田よりもずいぶんと近いし、病院などはこっちにあったほうが便利だろう。

 で、行ってみた。
 あ、バスがいた。
PICT0479_R.jpg
 このブログバス停を扱っているが、バスそのものはなかなか出会うことがない。
 自分の撮ったバス停画像庫を見ても、バスが写っているものは本当に少ない。
 バスそのものに興味がないというのもあるが、バスそのものに携わっている関係者(ここでは運転手)に出会うと気恥ずかしいというのがある。

 声を交わさずそっと一礼をして、バスを見送った。
PICT0480_R.jpg

 ところで中津江村と聞いて室原とくると、ぴんと来る人がいるかもしれない。
 そう、日本の巨大公共事業による土地収用に一石を投じた、蜂の巣城事件。
 1956年の筑後川大水害に端を発した治水目的で、松原・下筌ダムがここに建設されることになった。しかしあまりに事を急いた建設省は、地元住民への説明不足・一方的とも言える事業認定など、住民への不信感を高まらせるに余りある失策を重ね。
 室原知幸氏率いる住民たちは、蜂の巣城と呼ばれる監視小屋を建て篭城。

 その顛末はぜひ調べてみてほしい。
 室原氏は、ダム建設後のインフラ整備について、特に現存する橋や道路についての注文をしたという。
 そういわれてみれば、中津江は橋や道路はしっかり充実しているのに、どぎつい人工物の色を一切感じない不思議な感じがした村だった。
PICT0489_R.jpg PICT0491_R.jpg

日田市コミュニティバス,古バス停,壁型,民家型


有名な都市伝説で「犬鳴村」という話があります。
こんな話。(いや、イマドキのネットは楽だね!!)
ネットもなかった時代から伝わっていたから相当のもの。
「あの旧道だけはヤバイ」と言い合っているうちに悲惨な殺人事件が起き、ゲートのようなものができて半封鎖されてしまいました。

・・・で、大昔自分は某Z社でバイトをしていました。住宅地図最大手のあの会社です。
5年間もの間、いろんな場所を巡ったものでした。
まだバイトして間もない頃に、家5軒くらいの分け入った山奥の村にお邪魔したとき、住人にこんな話をされたのです。
「この辺の人は畑がここにあるけん、家は倉庫にしちょる人ばっかよ。普段は下に住んどる」

そのうち同僚が、この犬鳴の旧道からしか行けない集落に赴くことになりました。我々の世界ではそういう山奥の村は、そういうもんだとわかっています。
同僚は普通に仕事を遂行して、帰って来ました。人っ気はなかったそう。あそこもそういう村なんだな、という結論に。

ちょうどその時期、別の友人と飲んでいて、なぜか犬鳴村の話に。
「友達が行ったらしいんだよね。建物あるのに人っ気がなくて・・・そしたら斧持ったおっさんに追っかけられたらしいよ!!」
怖がる振りをして聞いていましたが、農作業中のおじさんに当たったな、おじさん辟易してるだろうな・・・と思いましたとさ。

・・・長々と関係ない場所の話を延々としたけれど、このバス停はちょっと怖かった。
ここは6軒くらいの集落なんだけど、本当に人っ気がないのだ。この集落の前後を含めて。

というか、この道自体本当に鬱蒼としたロケーションが延々続いて、不安にしかならない。
バス停が貼ってある家の荒れ果てっぷりが、いっそう不安感を増す。

何より怖いのが、田畑が見当たらない。いや、目に入らないってのが正しくて、たぶん斜面上の方角に耕作地があるんだろうけれど。それも余計に恐ろしく感じる。

日田バス式の標識が唯一残る旧中津江村のバス停。
ネットで調べる限り、昭和末期にはもう村営転換したとのこと。
バス停の名前も変わっているのに、この標識は昭和から時を止めたまま。

車を発進させるまでついぞ、人の気配はまったく感じなかった。
この恐怖も、尾ひれがついたら都市伝説に変わるかもなあ。そう心の中で納得しましたとさ。

日田バス,民家型

在りし日の晒し首バス停。

とはいえこのバス停、2年前くらいにもう標柱になってたので、こういう壁・軒先型バス停を標柱にするゼーレのシナリオはひそかに進行中なのかも知れない。日田バス補完計画、すべてはシナリオ通り。

この写真撮ってたときはそこまで「こういうバス停を集めよう!!」って意識が低くて。これ1枚しかないのよ。
うーん、もっと撮っておけばよかった。