ちょっと長崎に行ってきました。
せっかくなので地元の狭隘路線にチャレンジです。
向かったのは島原市。
島原市は、かつて1991年、雲仙普賢岳の噴火災害に見舞われました。
このとき、バスの路線がいくつか寸断、廃止されています。
災害発生時、長期化する火山活動の中。山を隔てた小浜側の温泉地に、大学の卒業旅行で訪れた際。島原鉄道バス全線時刻表が無料で配布されておりました。
経路の一部が立ち入り禁止区域に指定されて、路線が寸断されたのが、島原市の山裾伝いを走る県道58号線を走る路線。その災害復旧までの代替路線として、礫石原線を運行している旨が、時刻表には明記されていました。
元の、58号線にあったこのバス停まで、全く違う経路でアプローチする路線です。一致するバス停はたった2つ。バス停の数も、1.5倍近く増えた格好になり、大回りする感は否めません。
それから20年近く。元の路線への復旧は無く。
経路は複雑を極め、農道・里道を縫うように走破していきます。
意外なことに、起点からの通しの客は全く現れず、中途の農村部からの途中乗車が多かった。もう、すっかり根付いてしまっているんですね。変わってしまった人の流れ、か。
とか考えていたんですが、結局終点の礫石原まで乗った人は我々以外皆無。
みんな、付け換わった路線上のお客さんでした。
到着した終点の周囲は農地が広がり、おそらく開墾時に掘り出されたのであろう火山岩が石垣に使われておりました。石くれが忌々しいほど転がる、荒涼とした土地だったのでしょうか。曇り空の向こうにはおそらく普賢岳。