田舎バス停を撮っていて、結構つらいものがあるやつが「廃集落」のバス停。
果たしてこのバス停に意味はあるのか、と考えると同時に。
これを写真を撮っておく趣味は、ひょっとしたら悪趣味なのではないか。
そう思うときがある。
「秘境駅探訪」という趣味が最近静かなブーム(本当にこの表現がふさわしい)なのだけれど。鉄道趣味に含蓄がなく、それに魅せられた人々にとってのそれは「何もないところに癒しを求める趣味」として認識をしていると聞く。
何でもある都会人が何もないものに癒しを求める、そいつは都会人の傲慢じゃないのか。いやいやそんなつもりはないけれど。ないはずなのだけれど、それが傲慢であるというのはまったく否定することはできない。心の片隅に置いておかなくてはいけない。
このバス停は、大山ダム建設前に撮影したもの。
とっくの昔に人々は立ち退いたのか、それともここから行ける集落のほうが立ち退いたのか。
いずれにせよ壮絶に人の気配がしない場所にぽつんと置かれているバス停だった。
この当時時刻表には「ダムによる道路付け替えにより下流のバス停廃止のお知らせ」などが貼られていた。
この写真を撮りながら、冒頭の罪悪感を覚えてしまったのはきっと、「最初から何もない」ではなくて「もともとあった場所を、何もなくしてしまっている最中」であったからなのかもしれない。
現在はこのバス停のあった場所は、ダム工事道路として封鎖されている。
バス停は封鎖されている地点そばに移設されているが、相変わらず人の気配はまったく感じることはできない。