西村(熊本県小国町)

産交バス

P1000125_R.jpg かつて日本には国鉄というのがあってだな。国が鉄道を運営していて、いたるところに鉄道網を張り巡らせていた時代があった。そしてその鉄道網は、いわゆる過疎地のほうにまでも延び。あるいは時代が変わり、人の住まなくなったような場所に空気だけを運ぶ鉄道線が生まれ。

 大分の山奥から、熊本の方向を目指したまま盲腸線になっていた宮原線が廃止になったのは昭和59年12月1日。かなり早い時期の廃止だ。鉄道とい う重厚長大な施設を維持するコストと、そのコストを捻出するために見込まなくてはいけない乗客数には全く見合っていない、沿線の人口密度。いかに温泉地 で、観光地であったとはいえ、それは仕方が無かったことなのだろう。

 ちょうど先日、五馬線を 再訪して写真を撮り尽し、杖立のほうから小国を通って九重のほうに抜けようと思った通りがかった県道。不意に、その巨大な橋が現れた。周辺は谷沿いの農 村、草生した鉄橋の真下にあるバス停は、それに見合うようにこじんまりとしていて、その橋だけが異様に大きな存在感を醸し出していた。
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