日田バス,古バス停

おそらくこのアナウンサーの手の部分にのびてる縦方向の道のどこかが「竹尾橋」になるのでしょう。


災害ニュースを見てたくさんのバス停写真群を眺めました。小野地区のバス停は小鹿田線、この路線は通学用路線として比較的本数が残っていて、また下流も人口の多い住宅地を比較的長めに通るので「普通のバス停」が多かったんです。なので通った記憶はあれど、あんまり写真に撮れてない。 そんな「普通のバス停」なのに風景に心を奪われて撮った写真。

小さな床屋さんの向かいに立っていました。

木の下にぽつんと立つバス停。

ツイッターでこの写真を上げたら、地元の住人の方が二人ほど「ありがとうございます」と感謝のレスをくださいました。写真を撮ったのは9年前。実はこの道路、拡幅されて今は2車線の道路になってます。

「十何年前毎日通った景色です」という地元の方の返信は、慙愧に堪えないものがありました。かけがえないものを喪う痛み。それも理不尽に。心中悼み入り極まりない。あえて「悼み」と書くのは犠牲者が出たからもありますし、ここを一緒に車で走り抜けた、助手席にいた亡き嫁のことを想い出してのことであります。

去年「今村」に行っているので当然ここは通りました。道が新しくなってるなあ、おしゃれなパン屋さんなんかできてて相変わらずドライブスポットやなあと。そこが、あんなことになるなんて…。
たくさんの住民様方のご無事と、一刻も早い復旧を願っております。

※業務連絡その他

今年4月に久しぶりに鉄道旅をしました。

日田彦山線。久大本線。乗り継ぎました。


このバスに乗り行きました。人生で、久しぶりの純粋な乗りバスでした。
日田は大好きな街です。

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このブログの中で日田の人と接した時、バス停の写真ということで怪訝な顔をされたことは一度あったのだけれど、他はおおむね
「変わった趣味をお持ちですねえ」
という反応が返ってくるばかりで。
なもので、乗ったバスの運転手さんとの会話も
「そんな用事でわざわざですか」
途中病院帰りだろうか?大きな病院から乗ったお客さんは、バス停でもない家の前で降りて行った。
「うちの会社は金のないけんバス停のボロかとですよ」
いえいえそこがよいのですよ。
とはいえ案内放送が一切ない(!)。もりもりと上がっていくタクシーメーターのような運賃。とはいえ片道600円といったところだけれど。

帰りの便はおばさんが乗車、運転手さんはすっかりなじみ。
「あら?今日は休みじゃなかと?」
「そ、急な出勤になったと」
愚痴をこぼし始めた。
田舎のバスは川沿いの道をそうやって下って行った。

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プノンペンラーメンの中華さと。
日田天領水の里。
木花ガルテン。
思えばカミさんにとって、夫婦で県外に旅行をした最期の場所にもなった。去年の春。

ニュースが流れてくるたびにショックを受けています。
きっと出会った人の中に大変な人がいるだろう。それこそあのおばさんのお店は大変な騒ぎだろう。駅前のお店だった。

どう言葉をかけていいかわからないのです。
また必ず日田に行きます。
その日までの無事、とにかくお祈り申し上げます。