産交バス,古バス停,小屋型,限界椅子

想定外の旅で想定外の発見

去年の12月末に熊本にライブ旅行に行った帰りのこと。
その日は雪模様で、阿蘇を見て日田方面に抜けようと考えていたが凍結を避けて国道三号線まで下りて、大牟田の知り合いの店に行くため山鹿から南関近くを通っていくことにした。

やや?
熊本の産交バスのバス停は、ポールの管理が行き届いている印象。

そういえば、待合小屋はあまり見かけないなあ…

これが入ってみると

うわあ

激渋!!

素晴らしい調度品たち!!

熊本市の北、植木から菊水を結ぶ路線の途中。本数は5往復ほど。

念のため調べてみたが熊本に該当しそうな業者はいなかった。

限界椅子その1。
さすがに座るのは怖い。

限界椅子その2。
限界を超えている…。

まもろう、交通道徳。
翔龍もハゲも…

最初スルーしようと思ったんだけど、思い立って引き返してまで寄ってよかった。

こんな木造の宝箱みたいなバス停、まだまだ知らんだけで日本中にあるんだろうな。

行きずりで写真を撮ったので、地勢的にどういう場所なのかよくわからぬまま後にして、大牟田に向かった。

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西鉄バス・北九州市内,民家型

思ったところと全然違うところにあった壁バス停

「門司のあそこも西鉄じゃ数少ない壁バス停ですよね!」
「あー確かに」
みたいな会話で認知したままになっていて、実際に行ったことはなかった。
別の路線のとこにあるとなぜか勘違いしていて、到達までえらく時間がかかってしまった。

大きな商店の壁に置いてあるみたいな話は聞いてたが…

壁というより柱。

門司47番系統の、門司駅から南の斜面上市街地にある団地群を循環する路線上。
この酒屋の駐車場の形状を見るとバス停が死ぬほど邪魔になるし、いっそのことここに貼るかってなったのか、みたいな推測はできるがどうだろう。

実は「」「上の谷」と並んで老舗の西鉄壁バス停なのである。
いわば御三家。

門司はなかなか遠くて到達できなかったですよ。福岡県内だけど、絶妙な遠さなので…。
「高速とか使うまでもない距離、としての遠さ」
みたいなやつ。要件もなかなか発生していなかったし。
山口に遊びに行った帰りにようやく寄れました。

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伊予鉄バス,崩壊系,民家型

「この辺にバス停があるはず」

伊予鉄のバス停は「探せばおおむねちゃんとある」ことがわかったので、グーグルの位置情報を頼りに付近を探索。


ここも難易度高かった…。
現存する伊予鉄バスの発見難易度の高いバス停でも1~2を争う。

とはいえ、こちらもエキスパートなんである。

「民家の壁にさりげなくあるパターンなら、時刻表然としたものを探せばよい」
すかさず視認。

どうやらこれがバス停のようだ。

久万高原町、久万から伸びる伊予鉄バス路線のうち、西の方に伸びる唯一の路線が富重線。

2014年のストリートビューを見ると、この民家の玄関にバス停板が設置されているのがわかる。
事情を察するところはあるが、まあ板が撤去されるような何かがあったのだろう。

バス停は奥が深い。
バス停名の書かれた時刻がそこに貼ってあれば、そこは社会通念的にバス停という場なのだろう。
その場の概念とは果てしなく曖昧で…。

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JR九州バス,バス駅,古バス停,終点

宮田町のバス駅が解体に

国鉄バス時代からの自動車駅の最後の生き残りであった、JRバス宮田町バス停の待合室が解体されることに。


解体される前の日、2021年9月2日に行ってきました。

老朽化著しく

いたるところにガタが来ていて、こればっかしは致し方ない。

宮田の住民にとって「駅」とは?

廃止線を履修した鉄道マニアならば、宮田と言えば「国鉄宮田線の終点筑前宮田駅」を連想するでしょう。
宮脇俊三氏の書籍でも記述があるとおり、住民にとって便利のいいこここそが「宮田駅」であったと言います。

実際商店街も栄えていた様子が、街歩きをするとわかる。
バス駅と旧筑前宮田駅の間に商店街があったようで、バス駅付近は割と最近まで開いている店があった。
現在はロードサイド店がこのバス路線の県道沿い、ここから直方よりに建っていて賑わいはそちらに移った印象。

県道に面した博多駅方面のりば。バスレーンは広くとられている。かつては福間経由の博多行きも存在していたらしい。

中有木方面、筑前山崎行きがあった時代も覚えている。

トヨタ宮田工場そばを2往復程度走らせていた時代が懐かしい。

その反対側。直方行きはわざわざこのバスセンター内部の乗り場に全便立ち寄っていた。

千石峡入口・庄司本村を経由し新飯塚に向かう飯塚線、室木線の室木を経由し鞍手病院方面に向かう鞍手線ののりばが奥に。
飯塚線は「水町経由」「毛勝経由」「毛勝・七福経由」があって、その時乗らなかったのを結構後悔しています。
その路線網は、炭鉱住宅団地と炭鉱(旧貝島炭鉱)を結ぶ意味合いが強かったのだろうか。

路線表も寂しくなった。

売店跡。稼働してた時は、なんてことない光景だったのだけど…。

時代は巡る。

宮若市のコミバス。紫色のバスを走らせる地元会社の運行。

写真を撮りながら一周して、改めて立派なランドマーク駅だったと思い知らされる。
残念ではあるが仕方がない。現役の記憶があることをつくづく幸運に思っている。

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伊予鉄バス,民家型

ささやかな屋根付きバス停

この日はこんなものだけど、久万高原町にはスキー場があるほどだそうで、四国にしてはそこそこ雪が積もることがあるらしい。


標高1000メートルの山々に囲まれたらそりゃ冷える。

沿線の建物の一角にバス停はひっそりと存在する。

何と三角屋根付き!!
ささやかな待合スペースもある。

かわいい屋根が付いた板バス停、見かけたのはここだけだった。
木は劣化が早いものだし、どこもこんな工夫をしていれば…いや、とっとと金属製やらのポールに置き換えてしまうのか。
確かにそれが一番手っ取り早いか。

農協前の隣。なので時刻表の内容はほぼ同じ。

上直瀬方面を臨む。

ささやかなバス停、ささやかな工夫、そんな景色だった。
それは一瞬で見過ごされるだけの風景に過ぎないのかもしれないけれど…。

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大分交通・国東観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ

にしきのあきらの時代の木造小屋終点バス停

現在は「日出町200円バス」の終点になっている小浜。
このバス停は丁度日出町と杵築市の境界線に位置している。


木造の気合の入った小屋が鎮座して

何気に少し傾いている。

軒先に下がっているのは大分交通の方のバス停で

杵築市のコミュニティバスのバス停が間借りしている。
杵築市コミバスのほうは電柱やガードレールなどの壁バス停がほとんどだ。

近寄ると傾きようが激しいのがわかる…。

相合傘

にしきのあきらは1970年代、女の子に大人気の大スターやったんやで…。
(※そのころの落書きだったかどうかは知らない)
そういえばにしきのさんは大分県出身だけど、大分市とのことでこの辺とはあまり関係ないと思う。

「にしきのあきら物語」「屋上で夕陽に向かってトランペット」「かわらぶきの屋根」
どうでもいいことを思い出したが、つらつら説明してもたいして面白くないのでその三つに「安永航一郎」も足して適当に検索してみてください…。

NHKの番組で現在を知る

このバス停を撮影したのは2021年2月。
12月にとあるNHK福岡の企画番組でこのバス停が紹介されることになって。

たまにこのブログで名前が出てくるちょんびんさんが大活躍していたりするんですが

収録は放送の一か月前くらいだったそうで、その頃にはもうどうも解体されていたらしく。


番組中でも「いつか無くなってしまうものを記録に残しておくことが尊い」みたいな言葉が出ていたのですが、自分のやってる作業はまさにそれで。

もう見る事の叶わないものとなってしまうのは、いつになるのか誰にもわからない…。

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北九州市営バス,発見難易度高,壁型

若松区新名物の裏路地系壁バス停

北九州市営バスの前身は若松市交通局といい、元々5市で対等合併し北九州市の一部になった若松市の市バスだった。そのため北九州市営と名乗ってはいるが路線網は若松区を中心としている。
若松の駅前から伸びる大通りの裏路地に

ひっそりメッシュフェンスに括られている。

以前紹介した畑谷町に向かう系統の途中バス停。

この付近の住宅地は高低差が激しい。
市街地向けは駅・商店街・区役所・図書館・病院とフルコースで回ることができる。

休日は運休するが、なかなかの本数。
狭隘路線バスとしてはそそられるものの、10人乗りだし趣味で乗るのは少し躊躇してしまうか。

若松区のミニバス路線、ほかに数路線ありどれもこんな隘路を走っていて到底バスが走ってるとは思えず…

裏路地でこんなバス停に出会ったらビックリするものである。
小さな柱が立ってるところもある。

安養寺下、凄い高低差あるとこだった…

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伊予鉄バス,民家型

農協の自販機で一服して

慎重な道中になった冬の探索旅、だいぶ日が昇ってきた。
この日は滅法寒くて車内の温度計は常にマイナス1度くらいを記録。
丁度自販機があってそこで一服がてら…

目の前の民家にオレンジ色のアレが見える。

軒下に貼られたバス停板。
バス停名はシンプルに農協前となかなか力強いが、今目の前にあるのは農協の出張所。
経験則で言えば、農協前はバス停率がクソ高い。そのまま「農協前」になるかどうかは別のところで。

バスは3.5往復。
かつてはほかに1路線があったそうだが…

横に下がってるのは住民の持ち物だろうか…。

終点の上直瀬まで、ここからまだまだ登っていく。

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