大野竹田バス,軒下吊り下げ

CMか何かに使えるような景色

一直線の緩やかな坂道、歩道のない昔ながらの道、大きな木、おそらく向こうからやってくるバス…


これ、ちゃんとバス待ちしたら映える写真撮れね?

この日はどうしょうもない曇り空。

この日は残念ながら映えもクソもなかった。

実は初めて訪れた時恐ろしく晴天に恵まれ、

割と素敵な写真を撮ることが出来ていたのだった。

竹田~長湯線のバス停。かじやは三つ先。鉄道は離れた場所で、高校通学需要もありなんとか堅調を維持している模様。
だからきっとバス待ち写真も粘ればイケるだろう。

5往復。

逃げろ、こうや!!死殺されるまえに!!

ここ、弾き語りのミュージシャンの方にはPVのロケ場所候補としてお勧めできるかな。
牧歌的な絵が映えるよい場所。

旧道に入り込んだところなので、あまり交通量も多くない。

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全但バス,軒下吊り下げ

太川陽介チーム、痛恨の時刻表確認ミス

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
最近バス旅番組をよく見ます。鬼ごっこの方の番組だったかな、ちょうどここの路線出てました。
出石で蕎麦を食べて、京都への峠を越えるべく奥藤か赤花の方に向かってたっけ。
そういえばこの先のモンゴル博物館の名前も出てきていたな…。

立派な瓦屋根の小屋。

バス旅の番組、やはり主役はバスなのでバス停がクローズアップされることはなかなかない。

こんな風情のあるバス停、自分は見逃さないんだけどね、他人からはどうでしょうかね。
まあ、自分はおそろしくグッとくるという話です…。
この景色を逃さなかった北野君はもっとすごい…。

隣の上太田も小屋+軒下


こちらは上下線ともに小屋になっていて

たまに全但バスの小屋に見られる青が映えるデザイン。

工場?の一角にあって

まるで工場の従業員出入り口のよう。

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※ちょっとブレイク,民家型,軒下吊り下げ

惜しくも一記事にならなかったもの特集

2枚とかピンボケ写真ばっかとか、一記事には出来んかったやつ。そういうのをまとめて。

下小竹(大分県日田市)/日田バス皿山線

皿山線は割とポールが立っているのだが、一軒だけ昔小屋が存在していた。
道路の拡幅と一緒に取り壊しになったと記憶している。
このバス停付近は2017年の豪雨災害で壊滅的な被害を受けていて、その時残っていても水害で壊れていたのでは。

何故か赤石小前の看板が下がっていた。

札町(大分県日田市)/日田バス有田線


これは正確には廃止跡。日田バス有田線は日田バスとしては運行を止めており、日田バスの車両で走ってはいるがあくまで日田市の福祉バスという形であった。札町のバス停は別の箇所に移転して、ここは使われていなかった。この次の年に訪れた時にはもう無くなってしまっていた。

三の宮(大分県日田市)/日田バス有田線


上の札町で述べた通り。福祉バスのバス停のほうが本体にあたる。

長らく倒壊寸前の小屋が県道沿いにかろうじて立っていたが、いつしか撤去されていた。

竹の首(大分県日田市)/日田バス杖立線・栃原線


現在杖立線の2往復のみと減便著しいこの区間。いくつか小屋跡が残っていた時代。
ピンぼけの時刻表の行き先は「杖立」「栃原団地」「日田」。

ストリートビューが来る前に取り壊されてしまっていた。

竹野(大分県中津市)/大交北部バス福土線

何故か1枚しか写真を撮ってない民家型バス停。写真フォルダ内で深耶馬渓エリアの中に紛れ込んでいて、延々その付近を捜索しては「早々になくなったのかな」と思い込んでいた。福土線はバス停が比較的整備されていたので完全に「見失っていた」バス停である。ストリートビューでも存在が確認できるくらい長命だったようだ。

野地入口(大分県宇佐市)/大交北部バス田所線

国道沿いに立っていた小屋のバス停。当時は民家の軒下バス停が至る所に残っていたので「小屋の軒下なんて珍しくないか…」と思っていたらあっという間に普通のポールが立ってしまった。

このバス停小屋、珍しく雨どいが付いている。小屋自体は今も残っている模様。

五明(大分県宇佐市)/大交北部バス日の岳線

ここも完全に場所を間違えて記憶していた軒下バス停。隣の沢を走る定別当線だと勘違いしてて存在をロストしていた。おまけに写真が全部ボケボケである。このころからデジカメの調子が悪くなっていた。思えばこの時期は、いろんなところに行きすぎて戦線を広げ過ぎていたな…。

ぶっちゃけストリートビューのほうがきれいな写真が確認できる。

全但バス,軒下吊り下げ

大ぶりの骨太軒先バス停

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡市の円山川東岸側の県道沿い。
デカい建物の軒先に、単管パイプを使って下がっている。


大きなガレージか何かで…?

終点ではない模様。
農協か何かっぽいが確証はない。
路線は東に進み、奥野へと向かう便と出石に向かう便と。

ここら辺は豪雪地帯らしく道路には消雪パイプつきの中央線が。
これは九州にいるとなかなかお目にかかれないもので、東北のストリートビュー見てると「なんだこれ?」とずっと思っていた。
これの南限はどの辺だろう?意外にここか?

系統が多いゆえか時刻表スペースが縦に広いし、軒先バス停としては妙に大がかりで大ぶりだ…。

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臼津交通,古バス停,民家型

分け入った旧道同士の合流点に…

ツイッター経由で知って、佐伯に行った帰りに寄った場所。
大分県中部の臼杵市から山間部の豊後大野市の三重町まではかつて国鉄バス臼三線が走っており、野津市(旧国鉄バス野津駅)を経由する幹線道路を主に走っていた。大分バスは臼杵石仏から別れてその南側の県道を乙見経由で進んでいて、王子という集落の分かれ道から野津市まで経路を延ばす格好になっていた。現在は臼三線はJRバスから大分バス系列の臼津交通・大野竹田バスに継承されている。
ネットのウェブアーカイブでギリ見られる2004年ごろの時刻表を確認すると、3往復ほどがここを通過していていた。


分岐点とは言うが、こんな細い道3本の合流点であった。

臼津交通のバス停、全般的に真新しく古いポールはあまり見当たらない印象。

さて、このバス停の前には酒屋が一軒あるのだが…

自販機の上に

おそらく民家の軒下のものであったらしいバス停板が残っている。
ここはちゃんとバス停の場所でもあるしこれが掲示されても問題はない。
大変珍しい古バス停。

アイドルマスターシンデレラガールズ、略してデレマス。
そこまでしか知らない。

こういう「民家の軒先型の撤去されるべきものが奇跡的に残ってる」みたいなの、ひょんなことで流れてくる情報以外で仕入れるのは難しかろうなあと。月の俣再訪)、田の口なんかが近いか。
ここ一度行ったことあるんだよね。初見でそこまでわかるわけがないので…。

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伊予鉄バス,古バス停

全国的に局地的にしか見られない棒バス停…っぽい何か

最初にスケジュール立てをしたとき、フェリーの時間を2時間遅らせて高知の梼原に行けないか考えていた。
高知県に行くと棒のバス停がたくさん立っている。
興味深いので、1~2か所くらいでも撮っておけたらと思っていたが


久万高原でこのありさま、さらに奥に行ったらどうなるんだと断念。

このバス停は…

棒なのか、ポールなのか。
見てくれは高知のそれに似ている。

一ノ谷バス停、かつてはここから分岐路線があった。
杣野前組までの杣野線という路線。
これは2014年に廃止になっており、地元の有志の情報を整理すると「バス停は宝探しのようであった」という。

途中バス停・西浦(2012年のストリートビューより)。
時刻表のみが画面中央の草むらにうずもれていたらしい。
終点には小さな車庫があったとかで、今も残っているんだろうか?
この日はこの悪天候だし、流石にそこまでは行かなかった。

杣野側から来た標識。
ワシらはこの後直瀬へ…

農地はあるが家は見つからない一角。
杣野方面の集落に向かっても歩いて2~30分以上かかりそうな場所にひっそり立っている。
使う人いるのか、みたいな言葉は野暮かな。

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伊予鉄バス,民家型

「この辺のどこかにバス停がある」と言われても

音田口」「坂口」で度肝を抜き続ける松瀬川線。まだまだ控えがいるから驚きだ。
グーグルのストリートビュー予習で、10分くらいかかって発見したバス停。
と妻に告げた。そんな大げさな、という答えが返ってきた。


この道よ、道。

バス停があるのはこういう路肩の余裕のあるところが多い。
ので、この一角は怪しい。

のだが見つからず…

いや、この反対目線から見たら見つかるか?

いやもう一回反対向いて

やや!?

あー!!

この「伊予鉄バス時刻表」の看板はたいそう古い形式だそうで、現役のものはここ含め2~3か所しか無いとのこと。
かつてはバス停板も並んで貼り付けてあったそうだが、行ったときは存在していなかった。
誇張じゃなく10分かかったストビュー予習のおかげでスムーズに写真撮って終わったけれど。
事前情報なしで行っていたら全然見つからずにうろついちゃって、不審者扱いで通報されていたかもしれんなあ…。

まあ、この景色を見てバス停と分かったらすごいと思うよ…

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この辺から探してみると苦労がわかる位置にしておきました。

越後交通,軒下吊り下げ

新潟県は立ってないバス停に驚かないのかもしれない

(この記事の写真は撮影:北ノ・2020年撮影)
北ノさんからのバス停写真整理。記事にしていないのが30近くあることが判明していて彼に申し訳がない。


新潟県第2の都市・長岡から海側に向かい、旧和島村を縦断する路線のバス停。
バスは越後線の小島谷駅へと向かう。一日4往復ほど。

長岡市内とその近郊は軽く確認すると結構小屋が立っていて、吊り下げ式にしている。
雪国だからなのか庇が高いのが特徴。雪を奥に落とすように作るものか、そうか。

この隣のバス停(グーグルより)。

同じく北ノさん撮影、栃尾市の山田町。九州人目線ではやはり庇が高い。

新潟のバス停名板独特の形。
福岡人の我々からすると「逆西鉄」。ということは新潟の方からすると、西鉄は逆さバス停に見えるのか…?

つまり逆新潟?

さて、越後交通他、新潟県内のバス会社は待合小屋の吊り下げ型がかなり残存していて、調べていくうち民家型の軒下バス停も点在しているのがわかってきた。


新潟交通、新潟市内は珍しく都市近郊に点在している。兎というかわいい名前。


越後交通を調べていて発見、あの「チャーザー村」。
林家こん平、今時の若い人は知らないか…。


頚城自動車エリアには軒下バス停も残っているようだ。

新潟かあ…こんなサイトやってるんだったら、いつかは一度行っとかんといかんのだろうな。

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伊予鉄バス,珍名,バス車庫,電柱,発見難易度高,ポール型,古バス停,地面型,壁型,小屋型

伊予鉄立岩線のバス停たち

愛媛のライブオファーがあったらなあとほぞをかんだ2021年3月。
この日廃止になった北条市の立岩線、そのバス停群はバラエティーに富んでいた。

このうち、ポール以外のものをストリートビューで確認していく。
※才の原~小山田に関しては別系統(難波経由)としてのちに取り挙げようと思っています。

北条小学校前


電柱。以前のストリートビューに切り替えると、解体された建物にバス停板が掛かっているのがわかる。ベンチもあったようだ。

中西


建屋の基礎近くに路上置き。2012年ストビューでも商店風の建物の下に直置きになっている。

正岡小学校前


民家(商店風)に板張り。

神田


商店の軒先床に直置き。

記念碑前


小屋型、バス停名板はなし。小ぶりのトタン小屋。

湯山


小屋型、バス停名板はなし。トタン小屋。

農協前


見落としそうな道路はじのサビサビの古ポールに、無理やりお知らせや時刻表が貼ってある。

立岩支所前


民家にバス停板。ベンチあり。農協前から旧道の狭隘路を走る。

立岩


ソーラー架台兼駐車場の支柱に貼りつけ。2012年時は小さい木造の駐車場小屋の支柱にくっついていた。

大遊寺


民家の擁壁下の車庫用スペース然とした場所に、時刻表がパイプ椅子の上に置かれているのが確認できる。2012年も同様。
分類するならパイプ椅子型?

中村


CB製の背の低い待合小屋。名板なし。

宮裏


2車線県道を一旦逸れた先、神社の裏にひっそりとサビサビのポールが。

小儀式


カーブの奥、桜並木のそば。サビサビのポール。

儀式


狭隘路沿いの廃商店の軒下にバス停板。キリスト看板や廃材など散乱。

宝入橋


新しめのログハウス風の小屋が立つ。名板なし。登山口。

庄府下


小さめのCB製小屋+バス停板。

庄府


終点にふさわしいバス車庫+バス停板。かつてはここより先の峠越え路線も走っていたとか。

全但バス,軒下吊り下げ

久しぶりに全但バスの軒下案件

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
養父市。兵庫県の北部、但馬の真ん中ぐらいの位置か。
美味しそうなそばの写真が連番で出てきたが、この辺りは出石そばで有名。

養父市八鹿から石原へと向かう路線。

地名は八鹿町九鹿。一~七はどうしたのか、十以降の予定はどうなのか気になる。
このバス停近くに八鹿酒造があるとのことで、あの焼酎出してるとここの町が出自なんかと色めきだったが、偶然同名の造り酒屋のようだ。
九州のは「やつしか」と読みます。こちらは「ようか」。

カジュアルに軒下バス停があるのが全但エリア。
背の高いフォルムが梶原みたいだ。

時刻表は手前側の壁、写真の死角に貼ってあるようだ。
この石原線、末端部になればなるほど意外にちゃんとバス停ポールは立っており、自分で回っていたらさぞ拍子抜けしただろうなあ…。

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