西鉄バス福岡市内線46番

ここの趣旨は面白バス停のブログではあるのですが、たまには大真面目なバス路線の話でも。
題して
「西鉄バス福岡市内線46番の歴史と考察」
です。

この路線、現状および変遷がとっても面白いんです。
今回は現状までを伝えることにします。現在の46番の経路を調べてみましょう。
http://jik.nishitetsu.jp/map?f=maproute&routeno=0&sdate=2015/05/25&f_list=0000,L00032&t_list=0001,580330

この路線は
「ほかの番号と重複する部分がほとんどない」
という特殊な習性があります。博多駅から城南線を通り人参公園のほうに曲がった地点から、井尻駅入口~井尻六角間の県道31号線合流まで重複する系統番号がない。

この矢印の部分は、路線上にあたる県道575線の未開通部分があるため道路がぶつ切りになっています。このため上りと下りが逆方向で接合するという大変特殊な経路。これはバスのみならず一般車両の通行時においても同様です。この接合部は各々一方通行の狭隘路。井尻六つ角から井尻駅入口方面への右折時は、大型バスが削られに隘路に入っていくようです。
現在の運行形態は博多埠頭~井尻六角、一時間に1本雑餉隈営業所。休日は雑餉隈営業所行きはありません。
この形態になったのは元々この路線が井尻六角までの想定であること、担当が雑餉隈営業所であるため井尻六つ角~雑餉隈営業所はしばらく回送部分であったこと、客扱いの再開は平日の南福岡から精華女子短大への通学のためという経緯、と思われます。

私の実家は南区の弥永でした。
ある日、ちょっと南のほうに足を伸ばしてみたら、
「ええ、こんなところからも天神に行けるバス出てるんだ!50円くらい高いけど、乗ってみよう!」
と思ったのが、この路線との出会いでした。
先ほどの箇所でたまげました。
もう、その後も見たことないような場所をぐるぐると走らされて、
「森永製菓前」「アサヒビール前」
なんて魅惑的な名前のバス停を見せ付けられたのち、駅南2丁目で突然の、目の前に博多駅見えかかってるのに左折して狭隘路への方向転換。
虜になりました。

さて、福岡の地理に詳しい人であればちょっと考えればわかるのですが弥永から南、というのは今の路線図からは全くありえないわけです。
そう、冒頭に登場した自作の46番の地図が無駄に長いのはそういうことなのです。弥永という地名は上から三分の二、中央よりやや左といったところでしょうか。新幹線の博多南駅の近くにあります。

てなわけで次回(2)では、「昭和57年ごろの46番」に続きます。

JR九州バス,ポール型


二つ並んだバス停。・・・だと普通は考えます。

これ、平成10年代に廃止になったJR上野線のバス停がほったらかし。
上野は「あがの」と読む難読地名。

大昔赤池駅付近でこんなものを見つけて、ひょっとしたらと行ってみたところ。

撤去しない、というのを肯定的に評価するべきかどうか・・・。
こんなバス停がほかに3個ほどありました。
田んぼのそばで朽ち果てていたあのバス停の名前はなんだったんだろう。手元にある地図では廃止済みで確認できず。

防長交通


君は山賊を知っているか?
と訊くと、広島から山口の人々は必ず
「ああ、免許取ったら絶対行くとこ!!」
と答える場所です。

中に入るまで1時間待って、中に入っても料理がくるまで1時間待ち。
※待ち時間にくつろぐバンドメンバー・てっちゃん
詳しくは語りません。ここはバス停のブログです。
恐ろしいほどの集客力と巨大駐車場。途絶えることのない行列。
その駐車場の隅っこにバス停があります。

一応都市間急行路線(岩国~周南だったかな)の途中バス停で、5~6本止まってました。が、存在感はゼロ。まるでこの山賊のオブジェみたいにたたずんでいました。

特に客扱いもなくバスが通り過ぎていきました。山賊にバスで行く人は居ないようです。
ところで一応、歩ける範囲内に岩徳線の欽明路駅があります。
そういう人もいないよなあ・・・。時間読みできないもんね、ここ。いつ入れるかわかんないし、いつ料理来るかわかんないし、いつ満足して帰ろうと思えるかもわからない。車社会じゃないと成り立たない、そういう場所です山賊。

日田バス,古バス停,壁型,民家型


以前この五馬線「鼠谷」を紹介した後、割りとすぐに新しいバス停が立ったことがありました。

今回は出野線の「出山」。

2009年に撮ったものです。
下一ツ戸の住民の方に伺ったときに
「あそこは空き家にしとるけん適当にしてもらっとるとよね」
なんて教わったバス停。

一つ手前のこのバス停「深野」が、再来訪時にきれいな柱になって立ってました。
おそらく横の水路の補修のさいに潰したのでしょうか。
で、出山に行ってみると・・・

お!

立ってる・・・あれ、でも

残ってる!!

これ、ひょっとしたら「珍百景」効果なのか。
「下一ツ戸」から二つとなりのバス停です。

日田バス,壁型,民家型


昨日「川原」でこれ、ナニコレ珍百景に出したらいいんじゃない?なんて書いていました。

正直に白状しますとこのブログに精力的だった3年前に実は投稿しておりました。
このときはこのバス停を推奨したのですが、あえなく採用ならず。

どうも、このバス停が投稿者なしで去年採用されていたようです!

時代が追いついてた!一年前に!!なんと!!
ありがとうテレビ朝日!!

これを知ったのは昨日、改めて「川原」を投稿フォームから申請を済ませた直後。
番組HPにさりげなく載ってたんですね。どんなリアクションだったか気になります。
…なもので

バッチリ健在でした。
テレビとは偉大なものなのかもしれません。

ちなみに、隣には「上一ツ戸」も存在しており

まあ、こっちが健全なバス停なんです。地味なバス停です。

※ちょっとブレイク

そろそろ資源が底を突いたところで、あらためて読み返してみた。
「自分がなぜ日田バスのこれらのバス停に魅せられたのか?どこが魅力的で、こんなブログまで立ち上げたのか?」
「ひょっとしたら地元の人々は、都会人が嘲笑っているように受け取っていないか?」

自分の中でこの二つをちゃんと解決しておかないといけないな、と思う。
面白おかしく書いているだけ、と受け取られないようには書いているつもりだが、写真のインパクトともあいまってなかなかそうは受け取られていないんじゃないか。
先日ライブイベントで、スライドショーで上映して解説をするということをやったとき、つくづく感じさせられた。写真のインパクトでまず観衆が沸くんだもの。

大分のバス停は、明らかに前近代的である。

PICT0583_R.jpg

福岡(西鉄バス)は標柱を統一しておらず、バス停には多様性が認められる。糟屋郡、旧宗像郡周辺にはブロック製の待合室が点在して残っている。
待合室の併設は、昭和30年代のバス路線開設時の、おそらく暗黙のデフォルト様式だったと思われる。
昭和30年代開設(「西鉄80年史」より)、昭和60年代に廃止になった宗像郡の玄海町役場付近の路線沿線に、ブロック製待合室の廃止址が点在していた。

堅牢でない木造の待合室は90年代まで現存していた箇所もあったが、ほとんどが取り壊されている。基本的には標柱一本化の方向であるのだろう。2003年の福岡西方沖地震の影響もある。
西鉄バスの場合はほとんどが待合室+標柱であることが多かったが、那珂川町の渕の上には長らく現存する最後の待合室+標識釣下げバス停があった。小学生のころこの付近を通った記憶だと、もういくつか見かけた記憶がある。

大分バスの有名な「ととろ」バス停について面白い記述。
http://homepage3.nifty.com/gochan/totoro/index.htm
開通したのは昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があったというのは興味深い。
バス停に、駅に近い機能を要求していた証左とも思える。現に、大分交通のバス停のいくつかで、駅名板のようなものを携えたバス停が現存している。
PICT0323_R.jpg PICT0278_R.jpg

公共交通史としてのバスの歴史、変遷を考えるに辺り。
大分のこの前近代的バス停群は、非常に重要なミッシングリング的なものになっているのではないかと考えられる。地方の交通インフラとして必要不可欠だった時代のバスのありかたが、そこに息づいているからだ。
(気が向いたときに続く)

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ


先日ちょんびんさん他同行の志4人で行った大分バス停巡りツアー道中の話。

最初のうちは、日田バスの待合室バス停なんかにも「お~」と夢にときめいたり、明日にきらめいたり出来たわけですよ。
ところが大分の山奥というのは本当に待合室バス停のひさしにプレート、がむしろスタンダードだってことに気付くわけ。だんだんとそういうバス停に見向きもしなくなってくるわけです。

そんな感じでこのバス停も「極上の待合室バス停」なんだけれども、記事にするのを見落としてた感じのバス停。壁・軒先、1.5往復の支線分岐・・・と周囲にスターがありすぎるのがいかんのだ。

待合室のこの「物持ちのよさ」に感動する感じか。
同じくらい古いものが、もう半壊同然なものは何個もお見受けしている分、このバス停にはちょっとした感動を覚える。標識がそもそもえらく古いタイプで、この会社は子会社化の際に古いバス停の上にべたべたシールを貼ったりしちゃってる場合が多いんだけれども、このバス停には一切それがなぜかなく、「大分交通」のまま。おかげで保存状態がよく見える。

探訪したとき、次のバス停あたりでバスに遭遇。
バスはこの道路にしては結構大きいのがやって来た。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


待合所型。
荒れ果てているというかなんというか。

トイレがあったのか、それをもう基礎段階から取り壊したのか。ともかくわからないが何もかも取っ払って作業倉庫風になっているものの、もはや何に使われてるかもわからない。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


軒先型なのか、待合室型なのかわからないバス停がたまにある。

近寄って見てみると、家の離れを待合室風に改造していたり、公民館や格納庫の一角だったりすることが多い。
その建物自体が廃屋になっていたとしたら、こうなりそうなバス停。
これ、待合室として建てられてたとしたらちょっとでかすぎる。
建物の横の看板から察するに、農協倉庫か何かの一角の間借りバス停だったのかなあ?

内部は荒れてるんだけど、意外にも最近書かれた感じの中高生と思しき落書きがひどく、「使われてるんだなあ」と妙に実感。屋根はぼろぼろで、雨が降ったら凄く漏りそう。

大分交通・大交北部バス,崩壊系,軒下吊り下げ


旧安心院町。
別府へと向かう大分交通線の途上で、安心院から別府の路線は亀の井バスという別会社の路線も存在する(経路は全く違う)。本数を見るとどうも、こちらが不利の様子。・・・とはいえ、亀の井が5~6往復、大分交通が2往復だけれど。

この日はあまりこれはというバス停が見つからず、足早に帰ろうと引き返したところで見つけた。
傾きかけの小さな小屋に、比較的新しい標識とわざわざ時刻表をしつらえ続けるこの労力!!ボクは敬意を表するッ!!

大分交通はこの「待合所+屋根ぶら下げ型」を発見するのが楽しい。さて、この小屋はあと何年使うつもりなんだろう?・・・そして、ここでバスを待つ人は不便して・・・と思いきや。周辺には民家は一つも見当たらず。