※ちょっとブレイク,民家型,軒下吊り下げ

惜しくも一記事にならなかったもの特集

2枚とかピンボケ写真ばっかとか、一記事には出来んかったやつ。そういうのをまとめて。

下小竹(大分県日田市)/日田バス皿山線

皿山線は割とポールが立っているのだが、一軒だけ昔小屋が存在していた。
道路の拡幅と一緒に取り壊しになったと記憶している。
このバス停付近は2017年の豪雨災害で壊滅的な被害を受けていて、その時残っていても水害で壊れていたのでは。

何故か赤石小前の看板が下がっていた。

札町(大分県日田市)/日田バス有田線


これは正確には廃止跡。日田バス有田線は日田バスとしては運行を止めており、日田バスの車両で走ってはいるがあくまで日田市の福祉バスという形であった。札町のバス停は別の箇所に移転して、ここは使われていなかった。この次の年に訪れた時にはもう無くなってしまっていた。

三の宮(大分県日田市)/日田バス有田線


上の札町で述べた通り。福祉バスのバス停のほうが本体にあたる。

長らく倒壊寸前の小屋が県道沿いにかろうじて立っていたが、いつしか撤去されていた。

竹の首(大分県日田市)/日田バス杖立線・栃原線


現在杖立線の2往復のみと減便著しいこの区間。いくつか小屋跡が残っていた時代。
ピンぼけの時刻表の行き先は「杖立」「栃原団地」「日田」。

ストリートビューが来る前に取り壊されてしまっていた。

竹野(大分県中津市)/大交北部バス福土線

何故か1枚しか写真を撮ってない民家型バス停。写真フォルダ内で深耶馬渓エリアの中に紛れ込んでいて、延々その付近を捜索しては「早々になくなったのかな」と思い込んでいた。福土線はバス停が比較的整備されていたので完全に「見失っていた」バス停である。ストリートビューでも存在が確認できるくらい長命だったようだ。

野地入口(大分県宇佐市)/大交北部バス田所線

国道沿いに立っていた小屋のバス停。当時は民家の軒下バス停が至る所に残っていたので「小屋の軒下なんて珍しくないか…」と思っていたらあっという間に普通のポールが立ってしまった。

このバス停小屋、珍しく雨どいが付いている。小屋自体は今も残っている模様。

五明(大分県宇佐市)/大交北部バス日の岳線

ここも完全に場所を間違えて記憶していた軒下バス停。隣の沢を走る定別当線だと勘違いしてて存在をロストしていた。おまけに写真が全部ボケボケである。このころからデジカメの調子が悪くなっていた。思えばこの時期は、いろんなところに行きすぎて戦線を広げ過ぎていたな…。

ぶっちゃけストリートビューのほうがきれいな写真が確認できる。

※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

※ちょっとブレイク,小屋型,民家型,軒下吊り下げ

西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)のバス停たち

昔は割と限られた場所しかなかったグーグルストリートビュー、今や割と日本中に広がって居て驚愕し仕り候。
正直こんな離島のバス停とかが見られるとか思いもよらなかったが、情報の集積の進化って凄いよね。

島根県の離島、隠岐の島の「島前」にあたる島の一つ。
西ノ島のバス停は基本待合室完備でバス停の柱が存在するのは数バス停しか存在しない。壁・待合室のみがほとんどで、大分のバス停で見られる古いタイプの発展形がほとんど。バス停の分類学から推考すると、「標柱が出現しなかったまま進化したバス停文化の未来」になるのかも。貴重です。

西ノ島の壁型

西ノ島の待合室

西ノ島町営バスの公式サイト、路線表がとにかくかわいい。

岐阜バス(岐阜県美濃市)のバス停たち

最近発見したバス停群。
大分県と同じく昔の様式のバス停が残存している感じ。ただ絶滅寸前感は割とひしひしと感じる。

壁と軒下が連なっていてほぼ大分と一緒なんだけど、新品のバス停も沿線で割と見かけられておりいつまで残るかは正直わからない。

わかりやすい壁式

あざやかな軒下

電柱?交通標識?それとも変わった形の標柱?

標柱?それにしては場所が変

モザイク処理されているバス停名。なお名前は蕨生局前バス停。

富山地方鉄道(富山県魚津市)のバス停たち

富山地方鉄道の魚津地区を中心に軒下バス停が散在している。

富山のものは魚津以外の分布はまだ不明。

こちらは魚津市の東蔵線。
前の道路は地図で確認すると現在拡幅中で、ひょっとしたらもうなくなっているのかもしれない。

黒部市の路線。割と連続で残っている。

終点の池尻は立派な待合室完備で美しい。

※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

行っとけばよかった、にはいろんな意味がある

人生は
「あれをやっとけばよかった、これをやっとけばよかった」
の連続なんですが、自分を振り返ってですよ。このバス停趣味において。
何度かバス停の廃止情報やらを漏れ聞いたりする時期。
「行きたいけど行けない!!」
時期って、もう直截的にぶっちゃけて書くと
「そんなことやってる立場と場合じゃないしそのためのお金も車も時間もない」
でありまして、そのことにはものすごく納得している。あの時得た体験も経験にも後悔はない。
「ここ行っときゃよかったー!」
って悔悟の念よりそれらがはるかに大きいのは納得しています。


でも、でもですよ。自分の中の小学生は納得いかないわけですよ。
「やだ!タイムマシン作る!!」
当然作れないんで、グーグルマップのスクリーンショットで我慢させてください。

大分県佐伯市のやつ


平成終わりに廃止になった上浦川線唯一の軒下バス停。あまりに美しいんで地図に星を書き込み勇んで向かったら、このバス停のみ経路変更で2015年ごろ?廃止になっていた。
あの時のガッカリ度は計り知れない…。
この旅館、割と泊まってみたいのだけどネットにはあまり情報がない。グーグルには外国人旅行者のレビューが一軒あり、かなり興味をそそられる。

あの猫バスオブジェでマスコミにも知られている「ととろ」の次のバス停。この路線「木浦鉱山線」も終点までほぼ軒下バス停・壁と何でもありの路線だった。今は特に面白みのない背の低い標柱が立っている。

ここもととろの次のバス停。
終点の木浦鉱山は軒下型だったが、ここに至ってはバス存命中にグーグルのストリートビューがたどり着けていない。
あと5メートル行けば見える位置まで来てるのが惜しい…。

存命中のととろバス停は実は場所が違っている。現役の姿は今グーグルマップで閲覧可能。
元々は用水路の上に立っており、いまは反対側の田んぼの上に移設され、桜の木が横に植えられている。

大分県竹田市のやつ


竹田駅からちょい北にある雉ヶ平線。2016年ごろに派手目の道路改良がおこなわれバス停施設も突如一新。

ことごとく新しい標柱に入れ替わっており

筆者の心をバキバキにへし折るゆかいな大惨事となった。ショックで写真一つ撮っていない。


これは竹田ではなく正確には豊後大野市。
このバス停、大昔ある登山ブログで存在は知っていたのだが、グーグルマップにあるのはつい最近まで知らなかった。
実は手持ちの道路地図でバス停位置が大幅に間違っており、おまけに道の改修で大きく道が変わっていて探索しきれていなかった。
「安藤」バス停自体、2016年に新道上にあるのを見たおぼろげな記憶があるが、あれは隣の貫原バス停だったのかも…。まだあるかもしれない、ということで早急にみに行きたい。なんやかんやで忙しくなる前に!!

こちらも豊後大野市。未確認…だったか、どうなんだか…。

※ちょっとブレイク,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

グーグルマップでしこたまロケハンをして臨んだ今回の旅でしたが、いろんな理由でなくなっていたバス停がありました。
そりゃあビフォーアフターで比較写真撮ればわかりやすくもなるけどさ、遠いとこまで行って…の落胆たるや!!
中学校前(大分県竹田市)
道が拡幅されて建物がなくなってました。
これが朝一番、最初に見に行きたかったとこだったんですよ!!
その落胆たるや!!
南田原(大分県佐伯市)
ととろの隣。まあこれは事前情報があったのでそこまで落胆はなし。
でもやっぱり生きているうちに見たかった、というのは感じます。いろんな意味で。
久保(大分県竹田市)
これがちょっと予想外。終点までは古いバス停ばかりで楽しかったんですよ。
これから刷新が始まる直前だったのかなー、と。
福園(大分県佐伯市)
今回最大のがっかりポイント。新道のほうに町営住宅が出来たらしく、バスがそちらを迂回するためだけにこのバス停だけを廃止にしたらしい、と住人の方から情報を得る。なんと風情のある軒下バス停を…。これははっきりと大分バスにも訴えたい、大きな損失であると。グーグルマップで眺めるだけでも美しい…。

※ちょっとブレイク

最終的に木浦鉱山まで行った先日の大分取材旅行は

この長湯温泉を足がかりに2泊2日(初日夜出発)で行くつもりだったのです。
計画を立てた時点で
「こりゃ、竹田でやりすぎてつまづくな」
と考えました。また最初に向かった雉ヶ平線が全施設新設というテンション駄々下がりのスタート
「竹田もうだめズラァ!!深追い禁止ズラ!!」
おれの心の中の国木田花丸(※詳しくはラブライブ!サンシャイン!!で調べてください)が言っている。

というわけで竹田や三重町などをかなり端折りました。

ここにどうしても向かいたかったんですね。
いやいや、手垢が付いたネタでしょうよ、ととろなんて、と思う向きがあるかもしれません。

うちは貧乏なので格安レンタカーのお世話になってます。
ちょうど身内の闘病中本当にお世話になってねえ。
2~3日の入院が2~4週間に一度発生するわけ。入退院のとき、タクシー代よりはるかに安いんだもの。

色々あって落ち着いて。そうだ旅に出よう。
レンタカー会社の人が、この旅の始まりのときに聞いてきた。
「いやー、しばらく来なかったでしょ。また病院ですか」
その時はもうとてもとても憔悴しきってた時期。
色々会話はあったのだけど、うっかり行く先を
「大分の山奥へ」(※間違ってはいない)

(※おれのイメージする素敵な大分の山奥)
と言ってしまったばかりに店員さんが真剣な表情で
「…必ず、帰ってきてください!!」

ものすごい勢いで、アンジャッシュのすれ違いコント並みに勘違いされてしまった。

咄嗟に一般人にもとっつきやすいととろのバス停の話をして、このバス停の写真だけは絶対に撮って帰ってこようと誓ったのでした。

帰って見せて、むしろその店員さんにウケたのはなんとこっちのバス停だった・・・。

※ちょっとブレイク

前回分。

4年前に書いたこの文章の続きを書きます。
気まぐれにも程がある。

 バス停の設置基準というのは各都道府県、あるいは中核市レベルであればそちらの条例に「道路占用許可基準」というものがあります。土建屋さんならおなじみのアレですね。
 東京都ではこのほかに道路占用物件配置標準というものが存在します。
 北海道にも「バス停留所設置安全基準の制定について」といったものが存在します。
 これらの文書にことごとく行き当たるのが「いわゆる乗合バス停留所設置位置の基準の制定について(昭和35年10月28日(都道府県)本交甲例規第205号)」は、廃止する。」という記述です。
 (1)で書いた
 昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があった
 という記述から鑑みると、この昭和35年にバス停の設置基準が緩くなったと考えられます。

 この時点で、前回の結びで書いたバス停が担わされていた「駅」としての機能から開放されたと推察できます。ゆえに、道端に柱を立てるだけでもバス停として機能するということになったわけです。
 壁バス停に関しては現存しているものの多くが「個人商店」の場合が多く、個人商店を待合室とみなして認可が下りていたのではないかと推察しています。これは「ととろ」の隣のバス停「南田原」が個人商店に貼り付けてあるバス停であったことからです。

 現在の日田市の条例を当たってみたのですが、バス停に関しては記述がありません。公共占有物として一括されていると思われます。


 大分県は山と海の県です。大きな平野部は大分平野、それも本当に他の県に比べれば小さい。
 道路のインフラ整備が大変な県なんです。
 大分県は非常にトンネルが多い県で、素掘りの現役トンネルがいくつも存在します。

 さて、大分県のバス停を見回ったり、情報を得たりしてるうちに傾向がつかめてきたのですが、待合所が比較的少ない地域は道路改良が遅いところです。
 昭和57年ごろ、九州最東端の梶寄地区にバスが開通した時は新聞記事になりました。
 実際に津久見、佐伯地区を乗りバスした友人に聴くと「待合所は皆無に近いよ」との返事。
 海岸線には代替交通機関があります。そう、船です。
 一方で山中はどんなに貧弱なインフラの道路でも、バスは乗り込んでいかなくてはなりません。

 行政としてはバス停施設の更新より、道路の改良のほうが優先順位です。
 バスの運営側は困ったもので、たとえば道路が新しく付け変わった場合。廃止届けやら新道の免許申請をしなくてはなりません。
 大分の山奥は、野菜の一大産地です。網の目のように広域農道が走っています。もちろん国道、県道の改良も大きく進んでいます。
 付け変わった県道部分のバス停は大抵「標柱が立っている」のみです。

 テレビの影響もあるでしょう。
 都会のバス停は軒下に下がってなんかいません。木造の待合所などがあるわけもありません。

 近くに同じような事情の県があります。長崎県です。
 こちらの長崎市周辺、大分県とかなり事情が似ているのですが、バス停施設の更新は頻繁で、待合室型のものはほとんど見かけません。
 この街は意外にもバスの依存が高かったりします。長崎市内、自家用車よりも公共交通機関のほうが使えるからです。バス会社が儲かってるんですね。
 それに新し物好きな長崎人の気質もあるのでしょう。
 島原のほうでも、こんな感じでしたし。
 
 北部にはあったりするんですけどね。

 写真はケータイが死に掛けの頃に撮ったもので申し訳ない。

 「大分の県民性」
 ひょっとしたら、この一言に尽きるのかもしれない。
 思えば西鉄バスは、よほど堅牢なもの以外待合室は撤去の方向で進んできした。その西鉄が今唯一大分に乗り込んでいる路線のバス停の写真がこれですから…。また、気が向いたら(3)を書きます。
 

※ちょっとブレイク


日田のバスセンター。

廃止になった日田~中津線の旧線廻りのバス停、足ヶ谷。

日田バスの五馬線「花香」。

国鉄宮原線の陸橋。

国鉄宮原線の廃駅。

廃止になった日田~中津線の旧線廻りのバス停、一の瀬。

日田バスの五馬線「山口」、昭和35年くらいの時刻表。

国東半島で見かけたバスセンター跡とおぼしき建物。

宮若市西菅牟田の商店街のたたずまい。

※ちょっとブレイク

 7月2~3日の豪雨災害のニュースに心を痛めています。
 被害に遭われました現地の方々に心より御見舞申し上げます。

 フィールドワークに何度も出向いた場所で、通りがかったお土産店。
 いつか自転車を借りて渡ってみたかった、耶馬渓鉄道の鉄橋。
 いくつか目を疑うような箇所が被害に遭われておりました。

 避難地域とされていた地名にも、いくつか見覚えがあるものがあり。
 当ブログの撮影の際には、地元の方の協力があって撮られた物がいくつも存在します。
 皆様のご無事をお祈り申し上げます。

※ちょっとブレイク

そろそろ資源が底を突いたところで、あらためて読み返してみた。
「自分がなぜ日田バスのこれらのバス停に魅せられたのか?どこが魅力的で、こんなブログまで立ち上げたのか?」
「ひょっとしたら地元の人々は、都会人が嘲笑っているように受け取っていないか?」

自分の中でこの二つをちゃんと解決しておかないといけないな、と思う。
面白おかしく書いているだけ、と受け取られないようには書いているつもりだが、写真のインパクトともあいまってなかなかそうは受け取られていないんじゃないか。
先日ライブイベントで、スライドショーで上映して解説をするということをやったとき、つくづく感じさせられた。写真のインパクトでまず観衆が沸くんだもの。

大分のバス停は、明らかに前近代的である。

PICT0583_R.jpg

福岡(西鉄バス)は標柱を統一しておらず、バス停には多様性が認められる。糟屋郡、旧宗像郡周辺にはブロック製の待合室が点在して残っている。
待合室の併設は、昭和30年代のバス路線開設時の、おそらく暗黙のデフォルト様式だったと思われる。
昭和30年代開設(「西鉄80年史」より)、昭和60年代に廃止になった宗像郡の玄海町役場付近の路線沿線に、ブロック製待合室の廃止址が点在していた。

堅牢でない木造の待合室は90年代まで現存していた箇所もあったが、ほとんどが取り壊されている。基本的には標柱一本化の方向であるのだろう。2003年の福岡西方沖地震の影響もある。
西鉄バスの場合はほとんどが待合室+標柱であることが多かったが、那珂川町の渕の上には長らく現存する最後の待合室+標識釣下げバス停があった。小学生のころこの付近を通った記憶だと、もういくつか見かけた記憶がある。

大分バスの有名な「ととろ」バス停について面白い記述。
http://homepage3.nifty.com/gochan/totoro/index.htm
開通したのは昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があったというのは興味深い。
バス停に、駅に近い機能を要求していた証左とも思える。現に、大分交通のバス停のいくつかで、駅名板のようなものを携えたバス停が現存している。
PICT0323_R.jpg PICT0278_R.jpg

公共交通史としてのバスの歴史、変遷を考えるに辺り。
大分のこの前近代的バス停群は、非常に重要なミッシングリング的なものになっているのではないかと考えられる。地方の交通インフラとして必要不可欠だった時代のバスのありかたが、そこに息づいているからだ。
(気が向いたときに続く)