日田バス


 いやー、グーグルマップ便利ですね!!
 過去記事(2011年来訪) から3年、まだ健在のようです。
 さて時はさらに進みます。4年後の今なのですが、実はこのあたりはダム工事やら道路の付け替えやらが頻繁にあり、さすがに日田バスも
 「このボロのままではいかん」
 と考えを改めたようです。

 このバス停は終点近くなので、通過点のバス停が次々ときれいに立っていて不安を駆り立てます。いやいやいや、現実的にはそっちが健全なんですよ、実際は。あり方としては。
 で、前回の写真を改めてみてみます。

 ・・・うん、これはどう考えても立て替えたほうはいいわけですよ。
 こんな過去記事のバス停が今こんな感じです。
(この日は豪雨の上車中)
 左の道路わきに新品のバス停が立っているのわかりますでしょうか。
 右には過去記事の家を取り壊しているユンボの姿。

 で、グーグルストリートビューで2013年に健在の中、それでは現在の姿を拝見してみましょう。

 残っていやがった!!
 このバス停は、ロックンロールです。美学です。
 残すべきなのか?新しくするべきなのか?いろんなことを考えさせますが、実際に見に行ってみて下さいとしか言いようがないです。美しいですよこれ。あり方が。

 多分実際のところ「立て替える」が正解なはずなんです。
 そういうわけで日田バス様、
 「立て替える」
 か、
 「立て替える前にナニコレ珍百景に投稿する」
 かが正しい判断かと思っておりますがいかがなものでしょうか。

 エクセレント!!

日田バス

今年も女王は不機嫌だった。
早すぎたのだ。

彼女の一番の見ごろはいつなのだろう。おそらく今週末か。
すまない、その日当たりはバンドが忙しいんだ。
だけれど、うまく都合がつく人が写真を撮ってくれるかもしれない。
そして、ぼくなんかよりもっと写真をとるのが上手い人がいるだろう。

道路工事の看板が無粋に立っていた。拡幅工事が行われるのかもしれない。
彼女が消える前に、この山の中にひっそりと佇む美しいお嬢様の姿をとどめておきたいと思う。

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日田バス

女王さまはご機嫌斜めだった。
ちょっと時間を許した隙に、桜は散っていた。

彼女のシャッターチャンスは年に一度。
彼女はいずれ、道路の拡幅で取り壊される運命にあったりする。
道路の拡幅工事はいつはじまるか、それはわからない。

だけれど遅く来たごほうびに、空は青く、桜の色は映えていた。

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日田バス

PICT0505_R.jpg バス停の中には「珍しいんだかわからないが微妙に魅かれる名前」ってのがある。「何でそんな漢字が混じる?」とか、「何でそんな単語を?」とか。

そんな風に日田バスの路線表で気になってたバス停がこの汗入場だ。汗はないよなあ、でも一応「九州のバス時刻表」で調べてみるか。調べてみたらもう一つ出て驚きだ。熊本にある「汗原(あせんばる)」。並べてみるがやはり思う。汗はあまり出ないよなあ、地名には。

で、珍しいから写真をと思っていたがこのバス停、プレートが行方不明なのだ!!

日田バスではどのバス停も、一応エクセル出力のラミネートシートを待合室なり何なりに貼っている。というわけで、このバス停にその形跡すらなかったところを見ると・・・プレートが行方不明に成ったのはつい最近と見るべきだろう。

で、この路線(栃原団地線)は先日の路線改廃で部分廃止が行われまして、旧中津江村部分に行く路線がつい先日市営バスに移管されたばかり。ひょっとしたら廃止かと思っていたら絶賛存続中。よく見たら杖立線も走ってるほうの場所じゃないか。結構本数も多かったりするし、是非リニューアルされて「汗」の字の入った標柱が見たいものです。

日田バス

PICT0698_R.jpgスクールバスに一般バス路線を使う。
中学の頃親戚の子供が、校区外れに出来た新興住宅地に通っており。
バス停7個分+谷向こうの山の上の学校に通うのにバスに乗ってる、みたいな話を聞いてカルチャーショックを受けたことがある。わざわざ朝1~2便、そういうバスがちゃんと時刻表にイレギュラー路線としてて載ってて。
「一般のバスを学校がスクールバスみたいに、私物化してるようなものじゃね?」
と感じたのだ。

・・・で、田舎めぐりしているとそんなことは「あったりまえじゃん、何言ってるんだ」って感じになったんだけれども。こういう「私物化してんじゃね?」的な変則的運用、もしくは変則的な路線経路ってのが、スクールバスには頻出してくるわけ。
特に長崎のスクールバスは顕著で、大昔の自分の母校、青雲学園線なんて折り返しがいつ見ても壮絶だった。

ちょんびんさん他3名後一行での日田探索ツアー中に発見。
路線表に載っているのを見落としていた北山田小学校支線です。

このバス停は小学校の敷地の中で折り返すバス停・・・なのだけれども。
小学校の敷地をコの字に巡り、校庭の片隅の土俵の一角にバス停が。
バスの轍は土俵を一周する形。
おそらく日本でも類を見ない、土俵の周りを廻るバス停であります。いや、こんなこと書いたら「うちにもあるよ!!」とか予想外の答えが返ってくるかもしれないけど。
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日田バス

PICT0153_R.jpg 自家用車の軽自動車が余裕で車検に通らなかった、管理人ジマオです。
んでもって車を手放してしまいまして日田にご無沙汰の日常ではどうも、ブログの更新もままならないもので放置に相成っております。貧乏所帯なものでね、トランスポーターの調達もなかなかねえ。

しかし最近、私が敬愛しておりまして、「バス停ブログを作ろう!!」という強烈な後押しをしてくれた「ほぼ西鉄バスの旅」のちょんびんさんからmixiのメッセージが。「あの日田バスのバス停を廻ろう!!」という企画を立てると旨、誠に有難いことであります。そちらの企画が実行に至る前にちゃんと一回は更新しておかないとね、うん。

***

先日、ポカムスというバンドの藤田さんという友人と立ち話をしていて、
おれ「近所でギター持った青年がいたんで話しかけたよ」
藤田さん「えーっ!あんたそんな見ず知らずの人によく出来るなあ」
おれ「いやあ、俺、そういうのが出来るからここまでなんとかやってこれたのかもしれんよ」
みたいな会話をしていた。

このバス停、やっぱり見つけにくいためか3度目の訪問でようやく発見した。
谷あいの集落の、住宅が密集してるあたりにあるバス停で、写真を撮ると何事か住民にとがめられそうな気分にはなっていた。
で、確か撮影関連で初めて付近住民にやや不審な目で
「なんばしようとね」
的な声をかけられたのを覚えている。

実際ここのちょっと下流はダム工事をやっている。
道路付近で写真を撮るという作業、公共事業に馴染みのない方はぴんと来ないかもしれないが、この作業は公共事業にはつきものというか、定番の作業である。
「バス停を趣味で撮ってる」と言って理解されるかはかなり不安だ。方便的にそういう作業と偽ることは出来んことはない。
だがもし、ここの住民が公共事業に嫌悪感を抱いていたら大変だ。

結局前者の言葉をうそ偽りなく説明した。
住民は怪訝な顔をしていた。
見知らぬ人と話せる能力というのは、とてもエネルギーを食う。
このような雰囲気になるとなおさらで、しこたま肝を冷やしたのを覚えている。
そんな思い出もあって、なかなかここは公開しにくいなあと思っていたバス停。

なぜか一緒にそこに生えていたジンジ草の写真を撮っていた。
見事にピンボケている。
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日田バス

PICT0473_R.jpg 中津江村、上津江村、前津江村。日田の大山側上流地方を「津江」というわけですが、この3村に共通した名産品に「わさび」「ゆずごしょう」があります。どちらも有名な辛味調味料ですね。
・・・あ、意外にゆずごしょうって、全国的にはマイナーなんだっけ。
唐辛子とゆずの皮と塩で作った調味料。鍋物に入れたり、刺身のわさび代わりにすると非常においしい。
特にこの辺まで行かないと入手できない、黄色ゆずごしょう。これは本当に凄絶に辛いのでお勧めです。

ネットで調べたり、ゲーム「クイズマジックアカデミー」の出題なんかでは「ゆずこしょう」になってるみたいですが、ゆずごしょうはゆずごしょうです。

・・・で、長々と脱線して、辛味バス停。
中津江のメインストリートに至るちょっと手前の幹線のバス停で、ここはさすがに本数も一日5~6往復と割と多いだけあって実に手入れが行き届いた、昔ながらのバス停。旧式看板も装備です。ぐうの音も出ないくらい生きたバス停です。
中津江の日田バスのバス停には、こういう健全な田舎さってのを感じる。

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日田バス

PICT0030_R.jpg 日田バスの壁シリーズも残りが少なくなってまいりました。まあ、しょうがないよね。

標柱の援軍がそこまでやってきてるのに、壁のものはそのまま晒し首で放置中。
下一ツ戸」「荒平」「出野」「星払」の出野線。ここの路線は真新しい標柱が他にも数箇所あり、3~4年前くらいに行ったらもっとあったんじゃ?といつも悔いてしまいます。

残念ながら写真はこれ一枚きり。このバス停も、いつまでもこのままかもしれません。

日田バス

PICT0589_R.jpg 不思議なバス停。

たまーに、破壊されたようなバス停っていうのがあって。
8月くらいだったかなあ。朝方、自宅と実家との途中の西鉄のバス停に、自家用車が突っ込んでいた。もう、乗用車もむごいことになってたけれど、バス停も無残に大破。
夕方の所用を終えて帰宅途中そこを通ったら、バス停が新調されて何事もないようになっていた!!一緒に巻き添えを食っていた、植樹帯の木はなくなっていて、それだけがかろうじて事故があったことを証明していた。

・・・と、そんな出来事でもあったんだろうか?小屋をぶっ壊したかなんかした、不埒者が取り外して遊んだ・・・かなにかして・・・とにもかくにも標識行方不明。じゃあ小屋も標柱も新調しましょう、そのうち元の標識発見!!ありゃあこれどうしましょう、しょうがねえ電柱にでも掛けとくか?

何でしょうか、まあ真相はわかりませんが。
高塚地蔵のある盆地が見下ろせる場所でした。

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日田バス

PICT0383_R.jpg 壁のバス停が生き残る条件というのを考えた。
やっぱり何よりも第一なのが、「建物がずっとあること」。
そりゃ当たり前ですやん、建て替えるってなったらバス停外しますがな、って単純な話なんだけれど、壁のバス停ってのは3~40年前くらいからあるらしいわけよ。つまり、そういうバス停が貼ったままの建物ってのは、築30年って訳。

不動産選ぶとき築30年とか40年とか言われたら、どうする?
・・・うん、考えるねえ。

このバス停は、昔の公民館か消防団の格納庫か。
庇の先に、錆びた半鐘がかかっている。
そういう建物だから、建て替えもなくずっとゆるやかにこうして、壁バス停として残ってきたのでしょう。

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