昭和バス,ポール型,終点

博多の駅前は日本一を争うバスの往来があるらしい…

そうなのである。上の見出しに書いた通り、博多駅前にある「駅前一丁目」バス停は片道1300本強のバスが往来するヤバすぎるバス停であり…

とは全く関係のない博多バス停。

往来どころか、ここにたどり着くまでにサルが出たよ!!
バス停探索でサルが出たのは大分県佐伯以来2度目だ!!

大マジで博多です。
佐賀県の唐津市にあります。昭和末~平成頭くらいに七山村(2006年に唐津市に合併)の村内通学路線として開業。
ずいぶん前に探訪(当時は原付)したときはバスにも遭遇したんですが、バスの幕にあった「博多屋敷」がどうも正式な地名の名前っぽいということは、博多の人がここに居ついたから名前が付いたということなんかな?北海道の松前町にも同じように博多バス停があるそうで、ここもそうかもしれないな…。

ここにたどり着くまで同乗の嫁に
「今からここ曲がって博多に向かうよ!!」
ってボケて
「そうなんだ、こっち行くと博多なんだ…って遠いよ!!」
みたいなノリツッコミをしてくれてたんですが。

まさか本当に博多に着くとは思うまいて…。
嫁、妙に感心してました。
「博多ってサルが出るんだ…!」

この博多バス停からJRの博多駅までは旧七山村の役場バス停から唐津市方面に乗り換えて、浜崎駅で乗り換えで電車。うまくつながれば2~3時間あればたどり着くだろうか。
遠いようで…実はそんなに離れてるわけでもなく、微妙な…。
前来た時とバスの本数が変わってなくて逆にびっくり。

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昭和バス

VFSH0111.JPG パソコンがぶっ壊れました。

HDDはまったくの無事だった上、予備のPCを用意していたので被害はほとんどなく・・・といいたいところなのですが。壊れたPCからHDDを取り出し通電してみようということで、「HDDをUSBで接続する便利なヤーツ」(※アバウト命名)を道具箱から取り出して実験です。

道具箱からHDDが出土しました。・・・あ、そういや昔、多くのデータを閉じ込めたまま通電しなくなったやつだな・・・これ、通電してみるか(軽い気持ちで)。

 ゲエ!動いた!!

急いでサルベージしたら、そう多くはないのですがいくつかの写真が出てきました。
今日更新した2本の文章は、サルベージして画像が発見された、以前書いた文章たち。
ダムの底に沈んだはずのデータが、急にここに来て大復活。驚きです。

そしてこの写真なんですが、嘉瀬川ダムの底に沈んだバス停の写真。
上を通るのが現在の県道の取り付け道路ですね。
集落はもう、山の上でした。

ところでこの写真の右上に変なものが写ってますが、これ昔携帯水没させちゃってねえ。
カメラのレンズ裏に水滴が入ってるんですな。
この2ヵ月後にお亡くなりになりましたとさ。

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昭和バス

VFSH0023.JPG 昔、ジャイアント馬場が子供と一緒にバスを待つコマーシャルがあって、それが昭和バスのバス停だった。

それ、どこだったんだろうなあと思って探した時のもの。その途中でこんな場所を見つけました。

細い道の向こうからバスがやって来るって構図、そのまんま。あまりの見通しのよさに笑いが出てしまった。映画に使えそうだ。

去年行ったらちょっと下流のダムが完成間近になっていて新道ができていましたが、バス停はそのまんまでした。

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昭和バス

28a8f626.JPG 福岡市の西のほうに、細々と存在する昭和バス。

昔は福岡市内に、この形のバス停がいくつも立っていたものでした。
西区の原往還辺りなんか、一日6本くらいしか走らないのにバス停はこんなで、西鉄より目立ってなかったかしら。

今ではバス停の形もシンプルになり、そもそも福岡市内に来ていた路線もほとんどなくなってしまいました。このバス停、残っているかなあ?撮影は2006年くらい。

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昭和バス

20051211.jpg このダムは、なんの役に立つんだろうか。下流の広々と広がる農地のためになるんだろうな。

 自分はエコロジストでも思想家でもなんでもなく、その是非については全く興味はないんだが、ともかくダム堤防の工事、付近の付け替え道路の道路工 事、工事、工事。その騒音の真下、おそらくかつて集落があったところに立ち並ぶ工事事務所のプレハブ群のすぐ近くに、引き払うのはおそらく最後ということ であろう古めかしい平屋建ての保育園がありました。

 保育園の庭の横には工事用の防護フェンスがあり、たくさんの動物の絵が並んでいて工事関係者の粋な計らいを見ることが出来ました。しかし、その風 景もおそらくその工事が終わればその保育園もいっしょに、水の底。このバス停からちょっといったところにある古い石造りアーチ橋(現役道路、しかもバス通 り!)も、もちろん一緒に。

 そんなことを考えるとまたこの文章の冒頭に書いた「このダムは、なんの役に立つんだろう?」という思いがよぎったりするのですが、まあそこまでの 有象無象を水底に飲み込んでおいて、何の役にも立たないものを人間が作るわけないじゃないですか、と信じてあげようじゃないですか。性善説と取るか、皮肉 と取るかはご自由に。
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昭和バス

VFSH0082.JPG 時折山の奥の集落なんかに行くと、「そこまでして」という気持ちに駆られることがある。そこまでしてこの地に分け入って、そこまでしてヒトの生きる場所へとこの地を開け拓き、踏み均して来たのか。

 バスはもちろん、その人々の足跡を丁寧に辿っていくものでありますから、これでもかこれでもかと続く急な上り坂の両脇の、斜面にへばりつく家々、そして茶畑や果樹園といったヒトの作ったものの真ん中を突っ切っていきます。

 で、着いた先がここさな。

 帰りにすれ違ったバスの行き先方向幕には「博多屋敷」。そりゃあ、紛らわしいもんなあ、博多。そういわれれば福岡市内には「博多」という名前のバ ス停はないので(「博多○○」とかならいくらでもある)、「バスで博多に行きたい」と意思表示をしたことがある方、ぜひとも責任を持ってこのバス停にたど り着いていただきたい。平日5本、土日でも2~3本ほどある親切設計ダイヤですよ。

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昭和バス

VFSH0104.JPG 汝、西へ向かえ!

 とばかりにお供のサンドラを引き連れてぐんぐんと西へと向かった俺。いや、サンドラとかそんなのはいないから、マジで。思い立ったが最後、ひたすらに海を見たさに西へと向かって向かって向かった先に、右折すれば星賀との標識。

 「星野・・・星払ときて・・・次は星賀?」

 なんとなく今回のフィールドワークのテーマは「海」だったおれ。どんより雲も何のその、いくつかのバス停を(多分後々公開)収めてもう帰ろうと 思っていた矢先に見つけたその矢印標識に、なにかひらめいた。西へ、西へ。半島の尾根上を道路は走り、港を見つけるやいなや急にうねるような下り坂を展開 する。そんなヘアピンカーブ沿いに少しずつ家が並び始め、次第に増え、長い下り坂の終わりごろにはもう港の集落。漁村の家並みは道路に向かってぎっしりと 立ち並んでいて、家々の軒下をかすめるようにバスは突き進んでいき・・・。

 かくて、終点は西の最果て。ここから先は海!

 夕間暮れの最果ての岸壁には、おばあちゃんと子供が釣りをしていました。写真を撮っている間、おばあちゃんは子供に「もう帰りんしゃい」と促してるご様子。釣りに夢中の孫は不機嫌そうにノーの意思。するとおばあちゃん、

 「そろそろバスが来るけんあぶなかよ、帰らんね」

 ほほえましい気持ちになりながらここをあとにし、元来た道をたどっていたらそのバスと5分後に港の上のヘアピンカーブですれ違った。もう、帰っただろうかな。

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