太宰府市コミュニティ・まほろば号,小屋型


近所のコミュバス、内山線。古めかしい立派な待合室とベンチと広い折り返しを備えてます。
よくある光景・・・何だけど。

どこもおかしくないんだけど、実はこのバス停できたのは平成。しかも、西鉄もバスを通していなかった。

終点の貫禄は昭和っぽいんだが、不思議だ・・・。
まあ、ネタばらしになりますと実はここ、路線は開通してなかったけど、正月になると毎年太宰府天満宮の裏手から無料バスが正月出てた場所。竈門神社と宝満山という山の登山口がある観光スポットです。

思えば正月になると毎年前嫁とここに初詣に行ったものでした。
なんだかんだでバス停と故人、思い出は尽きません。散策旅行に厭な顔一つせずついてきたカミさん。当然ご当地の美味い飯やめぐりがついてくるからで。
実は写真の中のどれかに写ってます。クリスマスイブなんで。こんなブログでも、思い出に浸りたいのよ。
まあ今嫁もバス停散策に付き合ってくれるからいっか…。

(追記)
2019年ごろから内山のある竈門神社、アニメ「鬼滅の刃」効果で時期によっては恐ろしく混むことがあり、下手したらバス運休もあるそうです。
まだ付き合いのある太宰府のメガネ屋のお兄さんが言ってた!!

大野竹田バス,軒下吊り下げ


絵に描いたような軒下バス停!!

そんなわけで、この写真一つで

「バス停ってのはこんなもんでしょ?軒下に下がってるやつとかあるわけないやん?」

と、いう輩を黙らせる圧倒的フォルム。
ここの凄いとこはこの上の写真の方向の道路の果て、直そばに豊後竹田駅、市の中心駅があるところですな。
いわゆる駅裏なので市街地にはなっていない場所。裏山のような地形の場所にあるのですが、それでもまあ街中に近いと言えば近い。

「新・三大大分県の美しい軒下バス停」を推挙するならば日田バスの小坪尻

(今年4月撮影)
とともにこれを挙げます。木浦鉱山線の木浦が存命なら、三つ目はそれだったんだけどね…。

大野竹田バス,崩壊系

凄い場所が現れた。
いや、この日の取材旅行は、グーグルマップで見た竹田市北部を通る雉ヶ平線

この三つがどれも消滅しているという最悪の立ち上がりからスタートですよ!!
中学校前は道路の拡幅で建物なくなってるし!!
なんか全部バス停きれいに建て換わってるし!!

テンション駄々下がりのまま、そしてそのあとに訪れたちょっとしたバス停でテンションが持ち上がった状態で向かったのが、竹田市内の久保線。

終点の久保がグーグルの時点で

行った時点で

というわけでさあて、この状態がいつまで持つかな?という状況に差し迫っていることはお分かりになられただろうか。

で、ここ本当に狭隘路の度合いもひどくて。撮影のために長く車を止める、ということすら難しく写真2~3枚撮るくらいしか止められなかった事はお許しいただきたい。

久々に来ましたよ!!崩壊系のやつ!!
ダストボックスなのもなかなかしんどいものがあるが、名前が時刻表見るまで判別できなくて。
ここ別に地形的に道路が分岐してるわけでもなく一本道、バス停の名前も久保の手前だからなのじゃなかろうか?

追い抜いた地元のトラックと再び遭遇するのを気にしつつ、いそいそと4枚撮ったんだ!!勘弁してくれ!!
…ってか、よくこんな細い道をバスが行くもんだ…いや、これは実は日本中の田舎じゃ大概そうなんですけどね。

日田バス,小屋型


日田バスの時刻表で見ても道路地図で見ても目立つバス停。
ヒゲ線の折り返し終点のバス停です。

どうしてこんなに窮屈に写すのか。バス停の銘板はどこにあるのか。いろいろ考えることはあるのですが、ここはとってもスペースが狭いのです。

なんてったって、車止めるスペースがない。取材時間もおのずと限られると言うものなんです。

皿山線、2016年までは結構本数もあったもんなんやな…。
今は全便今村折り返しになっているけど、初めて日田バスセンター行ったとき、90年代後半くらいに貰った時刻表では一部便のみ今村だったような朧げな記憶が、これは間違ってるかもしれないが。

よく見ると軒下のとこに名盤用の錆びた金具がついてて、これ外れて飛んで行ったタイプかね…。
バスがここをどうやって折り返すかを知りたいと思ってた時期もありましたが、実はちょっと奥に行ったとこの民家裏に折り返し場があります。

大野竹田バス,軒下吊り下げ


思えば軒下にバス停を据えられる側にとってはメリットとデメリットがあるわけです。
メリットとすれば、もちろんそこに人が集まる。
建物として箔がつく。
デメリットとすれば、公共物ですから維持管理が大切です。
そりゃあ汚れたり壊れでもしたら、苦情を受けなければならない。

なもので、軒下のバス停と言うのは普通の民家にはなかなか存在せず
 
やっぱこういった、ニーズに合わさった形で実現するのが今の時代!
というわけで平成の世でもやはり新たに作られる、ということはごくまれにあるようです。

2016年12月、長湯温泉の道の駅の車中泊から取材旅をスタートさせました。長年計画は立ててました。

このバス停の直近。天満橋から川を眺むると・・・

すごいですねー、川の中の露天風呂ですよ。

道の駅到着が夜23時でさあ、風呂、入れなかったのね。寝る前に。
で、起きたのは何故か朝の4時。真っ暗でさあ、何でかそんな気分になったのね。

結論からいいますが12月頭でもこの川の中の温泉に入るのはお勧めしません。
寒い!!死ぬかと思った!!(※入ったのかよ!!)

大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

こんな不条理なバス停はない。
最初の印象はそれだったし、「バス停の概念の解体」とも思えた。
もつ鍋がにらとキャベツともつの三身一体で成り立っているように(※例えがわかりづらいです)、バス停もバス停名板・時刻表・待合スペースで成り立っているのが普通なのだが、どれもこれもねじくれている。

まずこの状況である。なおここが終点。あの車庫前広場の横はすぐに谷になっていて、ここでぎりぎり折り返せる、というスペース。時刻表と待合室が手前にあるが…

なんか思いっきり人んちの倉庫の一角。

問題は名板のほうである。どっちに貼っているんだ。
そりゃ、ここは終点だし名前を気にする人もいないとは思う。
しかしたとえば山歩きの人で道に迷ってこのバス停を探しに来た人がいたとしたら。この時刻表と銘板が離れた状況を見て、「果たしてやっているのか?」と思うに違いない。


事態をややこしくしているのが彼である。
「僕が本物の河面バス停だよ!!」
然と立っているが、これは平行路線の別路線のバス停である。だまされてはいけない。
 
そう、立派な方が週2本しか運行してなかったりするのだ。

ここは友人のブログで「極上の壁バス停」と絶賛されていたが、極上とか絶賛どころじゃない。存在とは?概念とは?何よりバスで行こうが車で行こうが到達したときの達成感は半端ない。最高です。

大分バス(佐伯地区),民家型

ととろのバス停の隣のバス停。
コミュニティバスのバス停があるので廃止されたわけじゃない・・・

通はここを見る。


そう、剥がしたあと!!グーグルマップの写真には残ってるんですねー。

なおととろの反対側の隣のバス停、上田原も

こんな感じの小屋バス停だったのですが、こちらは剥がした跡はナッシング。そんなもんだよ人生は。

大分バス(佐伯地区),軒下吊り下げ


このバス停は大分県のバス停を象徴するバス停だと思う。
偶々同名だったアニメのキャラクター看板が、何者かによって善意で置かれるという出来事からすべてが始まったこのバス停の観光地化。
それもあったのか、長大かつ過疎路線でありながら廃止を免れ続けた木浦鉱山線は昨年、廃止と相成ってしまった。…なもので、コミュニティバスのバス停とレプリカ的に移設されたものが対岸に建っています。

観光地化に到るまでこのバス停はメディアに取り上げられ、色々な貴重な証言を残すことになる。
「バス停の設置には待合スペースを作る必要があった」ということで。現在以上に厳しい条件だったのでは。

このバス停は偶然にも「ととろ」。漢字表記では「轟」。

今は公園の一角に立っているので「あの映画」感は薄れてしまっています。
まあ大分県のこの辺にはそういうバス停はうじゃうじゃあるから問題ない。

それにしても、本当にここに到達するまでが凄まじかった!!
これは実際に行ったものじゃないとわからない感覚だと思う。メジャーなバス停と侮るなかれ。
「ととろみたいなバス停?いくらでもあるよ!」
とかおれは一度も思った事がない、いつか行ってみたかった聖地だった。
このバス停がちゃんと生きているうちには到達を果たせなかったけど、ようやく巡礼を果たせたと思っています。

西鉄バス・福岡市内,壁型

ちょっと身内の闘病とか看病とかが大変だった時期です。

確かね、そんな闘病中の暑い日だったと思います。発見した時期とか色々思い出した。この近くのリサイクルショップに見繕いに行った道すがらだ。ボロい自転車でね。本当に日常の行動範囲内なのですよ。
うお!柱なくなっとる!!
昔は普通のバス停だったのに!!

いきなりの壁化にびっくり。

確かにここ、歩道スペースが全然ない。しかしなんか変わったデザインの薄い標柱は建てたくない。貼るのもありか、ありだよな。ついでにいうと太宰府にほら、変わったバス停の写真撮るやついるからネタにしてくれるんじゃね?
そういう理由なのかはさておき。

うーん、太宰府は壁バス停の巣窟になってしまった。

まさか西鉄バスまでやってしまうとは・・・。
反対側は普通のバス停なのがおもろい。

日田バス,小屋型

6月になりました。本当はもうちょっと前に更新をしたかったのですが、この前の記事の赤石小学校前、川原ともに先日の熊本・大分地震で被災をしたらしく、集落が大変だったそうです。

現地の方々による復旧作業が大変だったとか。現地の方々おくればせながら被災見舞い申し上げます。

私の住んでいる太宰府市も震度5弱と恐ろしいほど揺れました。川原バス停、壊れてないかかなり心配です。

さて、下久木野小坪尻山口鼠谷とスターがそろっていた五馬線ですが最近はこんなお洒落な標柱にバス停がつけ変わりつつあります。

ついにあの山口バス停の倒壊しかかった小屋も完全に取り壊されました。

ビフォー

アフター

で、ついに五馬線で小屋型のバス停はこれだけになってしまいました。
自分は路線表も地図も見ずに何度も訪問しては「え!こんなとこにバス停が!」ってなるのを楽しみに五馬線を何度も訪問したのですが、このバス停が最後の「発見」したバス停。

道路から見える角度が悪すぎる。
ひっそり、神社の祠のような形で存在するバス停。

小屋型だらけだった五馬線の支線に当たる本城線が廃止になった今、実質このバス停が五馬地方の最後の「バス停小屋」。なお軒下の袋と小坪尻は健在でした。その辺は追々…

しかしこのバス停、本当に見つけにくかった!!

一遍わかってしまえばなんてことないんですけどね。これを探しきるには「バス停は立ってるもの」という固定概念を捨てないと本当にわからないものです。

最後に、山火事注意!!