西鉄バス福岡市内線46番の歴史と考察(5)

西鉄バス福岡市内線46番

最終回。
おそらく最初はこういう路線として企図されたものであると想定した路線図。
警弥郷の名士の方編纂「警弥郷史」(南区図書館に所蔵)という郷土資料にある「一度開通したものの離合が困難ゆえいったん廃止された」という記述、春日市史などに残る道路資料を基に想像で作成しています。
井尻口~博多駅間は昭和28年のものをそのまま使っています。おそらく齟齬はあるはずです。

昔の福岡の商業圏は、島国本土日本と大陸日本、つまり朝鮮(そして満州国)をつなぐ国鉄航路の玄関口の一つでした。旧博多駅の地図を見ると、鹿児島本線も出来るだけ港方向に寄せた線形にしているのがみてとれます。
その商業圏から旧筑紫郡曰佐村を縦断して、那珂川町に向かうのが理想の46番。
もしも新幹線基地がここまでこなかったら。
これは実は可能性がありました。山陽新幹線の終点は小倉にするべきか博多にするべきか、実際に選定に時間がかかっています。1963年に一足早く北九州市が発足、政令指定都市化はそれだけ当時福岡の街にインパクトを与えていたのでしょう。
特撮番組「ウルトラQ」に登場する地底超特急も、北九州が終点になっていました。

博多駅の移転のIFに関しては省略します。(6)の節、もう書きたくない。するという前提にします。九州新幹線を想定した線形にしてはいるので、結局のところ九州新幹線はこの付近を走っているのでしょうが、基地は出来なかったでしょう。基地引込み線が出来ず、県道575線が完成した場合、1982年ごろでの理想の46番はこうなっていたでしょう。

しかしこれは、距離にして2~30メートルほどの区間のみ開通によって実現しませんでした。

そうです、例の箇所です。 今でも、46番は例の狭隘路に入っていきます。

こんな狭いとこ入っていくんです(驚きで指も映る)。
追いかけて歩いていってみると・・・

こんなとこ左折して

ここを右折して信号機のところからようやく対面2車線になるという・・・ん?
反対車線に下り線のバス発見!!
しばらくその場で見ていると・・・

どっち曲がってんだよ!!

どこ挟まってるんだよ!!
この一角、地元民には「入り方と抜け方がわからない死の一方通行地帯」として恐れられ、抜け道に使おうにもたまにめちゃ長い踏切渋滞が起きることで知られています。バスの挙動を覚えれば理解できるけど、初見殺しもいいところです。

この路線は本当に思い出が深いのです。
自分の実家はこの「架空の46番」が出来ていたら確実に恩恵を受けていた場所でした。
自分自身は新幹線通りを通る49番のバスを使っていました。

この地図の新幹線と県道31号が交わる点、香蘭女子短大付近を49番バスは西(左方向)から南方向に曲がっていきます。
49番の車窓からごく稀に46番とニアミスするんです。
たまーに見えるんです。

バスが挟まるように信号待ちしてる姿を。(オレンジの車をバスに見立ててくださいね!)

この路線の変遷は「博多駅移転」の生き証人であります。まだまだ、人参町付近の旧道の話や竹下三つ角のバス停跡など、書くと膨らませる事はいくらでもあるのです。
ひとまずはこのバス趣味の醍醐味の一つである「奇天烈な経路を走る意外性を楽しむ」にはもってこいな路線が健在であることに感謝し、締めとさせて頂きます。

この県道が、ここで切れていなければどうなっていたんだろう?

46には致命的な弱点「西鉄電車とのアクセスが悪い」がありました。井尻駅を擁する45、大橋駅を擁する49のほうに、可能性があったのでしょう。恒時性を保てなくなり、使い勝手が悪くなった近代都市における長距離バス路線の淘汰としての典型例であり、分断という形ではあるけれども永らえているのは幸いと言えます。