全但バス,軒下吊り下げ


田舎旅に行くと、この古びた建物だけでおなかいっぱいになるものなんですが、全但バスは許してくれません。全力です。
これは古い病院か、役所あとか、それくらいのオーラの建物でしょう。
それに惜しげもなくくっついてるわけですよ。

和田山といえば鉄道マニアにはすぐぴんと来る地名。
播但線と山陰本線の合流点です。和田山町という地名の方が行政区域になっているけれど、あ、その本町の和田なのかなあと思って地図で確認してみたら、別にそういうわけでもなく。

この郵便局も移転していて、別に現役というわけでもなく。

…しかしこの建物、本当にいつのものなんだろう…!!全但バスの写真はみやじゅうさんからのものだけど、これは圧倒されたろうなあ。路線図で見ると、支線の終点の二つ前くらいのバス停。
しかしこれ、一昔前…といっても、2000年頭くらいのことだけどそれくらいまでは大分辺りにも残っていたんじゃと思う。あの時見に行ってればという後悔が立つ趣味っていいよね。永遠に手に入れられない憧れを追い求める趣味ほど有益な物はなかろう。…ん、なんかカッコいいこと言った感ある(無駄に)。

全但バス,軒下吊り下げ


「ナニコレ珍百景」で、奈良の軒下バス停が紹介されたときこの家の人は
「こんなんうちもぶらさがっとるで」
とつぶやいたに違いないこのバス停なのですが、

地図で見るとこのバス停、交通の要衝的に結構大物。路線の分岐に当たる大事な場所。
この写真の角度で見るとわかるか。右に分かれ道見えますよね?まあバス停の名前の通り堀畑方面に行く方角、なわけですけど。ここで曲がれっちゅうやつですね。もち、分岐点。

分岐点。

うーん、

もう、バス停が見つけやすくあれとか、どうでもいいんじゃないかな。
この家の住人はどうやら植物を育てるのが大変ご趣味のようです。
頑張ってください!!
うちのオフクロはプランター泥棒にさんざ盗まれて心が折れました!!

軒下というレアさもあるけどさ、こんな分岐点感ない分岐点も珍しい…。

全但バス,軒下吊り下げ


バス停小屋を探しているとこの上の写真のように一見バス停小屋かな?と思わせといて
「あー、お堂のほうかー!」
ってなる事がある。
というかこれはあるある。何度騙されたか!!

もうだったら最初から一緒にしちゃわね?

という発想なのかは知らないんですがまあ本当に一緒になってます。有難い反面、なんとなくかたじけない気持ちも半分…。

ここ、結構本数が多くて9往復出てます。千客万来、ありがたや~。

意外かもしれないんですが大分は待合室とお堂が一緒になってるのは見かけた事がないなあ…。
お堂はないけど、地蔵や石仏に寄り添っているのは結構見かけたのですが。

夫婦岩(国東市)

殿町(日田市)
県民性かなあ。

全但バス,軒下吊り下げ


勝手口!!

これは凄い。表札ともいいがたい形で住宅と共存しておられる。
場所は兵庫県豊岡市日高町の旧道。ストリートビュー、通ってないけどバス停マークだけは付いてた。

さて1年ぶりに本格更新したので、すっかり中断していたのですがこれを撮っていただいた友人みやじゅうさん(※わけあって改名)は現在こんな愉快なブログをしております。


この道の狭さ

ロケーションまで完璧に撮ってくるのは彼のプロの仕業と言っていいでしょう。

全但バス,軒下吊り下げ

ストリートビューでぶったまげたバス停です。

この系統の軒下バス小屋、奇跡だよ…。でも、この辺こういうのばっかりの沼。
友人北ノ君が全但の現地に行ってくれた写真がこれ。

中はこんな感じ。

以前書いた赤花の手前にあたります。路線自体も待合所率が高いということ自体が素晴らしすぎる。「鬼子母神」なるおどろおどろしい名前と、中にある施設のゆるさのギャップがまた素晴らしい。このソファ座ると、多分ごわごわしてんだろうなあ。そのごわごわがまた「田舎的なゆるさ」の演出になるのですよ。空気やにおい、埃っぽさを感じる。フィールドワークをする楽しみはそこにある。こないだ行った南畑発電所のときみたいな。

ストリートビューで調べるという作業をしていると、やはり雪の深いところに残存率が高いのが分かりました。新設率も高いです。日本海側は特に顕著。

これは富山県のもの。石川県や福井県は待合所率が高いそうです。意外と東北になると小屋と一体化してなくて柱率が高いんだけど、まだまだ調査不足か。
バス停の沼を探す作業は奥が深い・・・。

全但バス,民家型,軒下吊り下げ

こないだの広島のライブで
「バス停の沼」
という単語が生まれました。そうです。漫画なんかに出てくる形の概念を覆すバス停が現れたとき、人は言葉を失う。

先日長板を紹介した時、撮影者の北ノさんから補足文が送られてきました。それと一緒にこの地域のバス沼っぷりを紹介したいと思います。

こんばんは。 毎度マルサン醤油の方で採りあげてくださって、ありがとうございます。 さて、今回「長坂」の記事、でいくつか解説をと思いメッセージさせてもらいました。 この「長坂」

が通る路線(氷ノ山の麓まで走る国道482号線の途中にあります)は、かつては、「美方町(みかたちょう)」と呼ばれた地域になります。 地図を見て頂くと、国道9号線から、国道482号線に沿って、「小代(おじろ)」という字が続いていますが、旧来は、この「小代」という一つの谷の一帯で町が形成されていました。 そんな小代地域では、現在は1日3往復しかバスがなく、両側で2車線の狭い国道を車が走り抜け、申し訳程度の中心街には、スーパーもコンビニもなく、せいぜい服や日用品をまとめてうっている商店や、5時で閉まる小さな食料品店がある程度の、「寂れた街道沿い」という鄙びた雰囲気が残る町でした。

小代の旅館に泊まったとき、女将さんに町の歴史を聞いたなら、戦後は冬になると出稼ぎで大都市に出ていく産業構造で、 そうならないために町が金を出し合ってスキー場を建てたそうでした。 スキーブームの80年代は町は活気はありましたが、現在それもすたれてきて、冬でさえもお客が少なく、観光業も苦戦気味と聞きます。 現在はスキー産業も残しつつ、「美しい村」という触れ込みで、棚田の美しさや但馬牛で売り始め、新たな活路を見出してきているようですが、まだ模索中のように見えます。


(送った写真に、「鍛冶屋」「東垣」「居望」というバス停がありましたが、いずれも棚田の上に建っています。)


「九州人にはいまいちピンと来ない、スキー場という観光スポットのありかた。」とありましたが、別府や湯布院に温泉めぐりに行くのとは、違う観光のスタイルになります。 目的としては、ひたすらスキーをするためのツアーになります。 具体的にいいますと、例えば関西の場合、 京阪神では積雪がほとんどないので、信州や奥美濃、兵庫県但馬等の、積雪のある地域にあるスキー場に遠征して、スキーして帰ってくる、というものです。 自家用車やツアーバス、スキー列車に前夜から乗りこみ、朝早くから滑り出し、時にはロッジや旅館に泊まりこんでひたすらスキーをし、帰れる時間までスキー場にいる、というスタイルの旅行になります。温泉宿は、そのおまけ、といった感じになるでしょう。 (余談ですが、福岡県民がスキーに行くなら、鳥取県の大山スキー場が多いという話を聞いたことがあります。たしか、『クッキングパパ』にも、そんな話があったと記憶しています。掘り起こせば福岡にも、スキーという観光スタイルがあるかもしれませんね。) そんな感じで、今回紹介してくださった「小代」町域(長坂は旧村岡町になりますが)の地域事情と、スキー観光についての解説をさせていただきました。

これらのバス停はあまりに不似合いで、立派過ぎる。最初にストリートビューで見つけたときそう思った。しかしむしろ逆な話で、ここは観光地にしたかったのだ。立派で頑丈でなくてはいけなかったのだ、と考えるといろんな意味で
「残ってくれてありがとう」
という気持ちにさせられます。

先日スキーツアーのバスの悲しい事故がありました。
これらのバス停を使うバスを使ってスキーに出かける人はいないでしょう。でも昔は観光客を乗せて走っていた時代があったはず。いまこのバスは、スキー観光地に住む人のもの。その証拠に1日3本でも座布団が敷いてあります。綺麗です。



写真見ただけで分かる。うん。
生きてるバス停だ…きっと生徒たちが使うのでしょう。大分の山奥の温泉街のバス停のような。そんな匂いがします。

もし、酔狂ならばせめて、スキーバスの車窓からバス停を眺めてみてください。

全但バス,軒下吊り下げ

かなり鳥取に近い辺り。

こ、怖い!!
・・・と思ったんですがよく見てみたら道路のほうが傾斜していて、錯視で斜めに見えてるだけ。

この通り、道路が上り坂なんですね。
でもこのアングルに戻すと

「倒れそう!!」
って見えるから不思議。


ちょっと奥に行くとスキー場があるそうです。

九州人にはいまいちピンと来ない、スキー場という観光スポットのありかた。
大分の温泉地帯みたいなものか?

全但バス,終点,軒下吊り下げ


(※今回の写真は全て北ノ君撮影)
前回の「上院内小学校」と同じくなバス停。
大分と但馬、県民性が似ているのかもしれない。
北ノ君は優れたカメラマンだと思っている。
だからちゃんとこんなシャッターチャンスが舞い降りる。

ここをバスが通るのは一日3往復。ここは終点。
流石だなあ、と思う。

鄙びた待合所のあるバス停の風景、ってのは今の時代にとって憧憬であると同時に故郷の喪失の予感、それをひたひたと感じさせるのです。都会に住んでいてはもう戻れない場所。「青年部」という言葉は一度都会の隣人関係の無関心さに慣れてしまうと、恐怖になりえるものです。いや、悪いことだらけなわけでもないのだけれどね。

京都との県府境近くにあります。

一日3~5往復かあ、妥当かなあ。
とか地図と写真見てすぐ納得できてしまう自分もずいぶんおかしい気がします。
でも、本当にそんなもんですよ。

全但バス,小屋型


(※今回の写真は全て撮影:北ノ君)
北ノ君とは長い付き合いの友人です。11年近く「お父さんのための芸能通クイズ」という大喜利サイトをやっていたときの、彼はそのお客さん。
あのサイトは再開をさせたいのだけれど、自分にとっては
「しまった、このアイディアは早すぎたSNSだったのではないか」
という忸怩たる思いが先立ってしまいます。技術的にはCGI止まりだし。で、プログラムを学べばいーじゃん、って話になるたびにリアルで最低な人格のプログラマに出会うんです。ぷろぐらむ・いず・のっと・ぎるてぃなのは分かってます。でも、これは宿命なんでしょう。

脱線が過ぎました。彼の写真、青がきれいです。

鉄道マニアには有名な旧余部鉄橋。一部、残されてるんですね。
彼の写真で知りました。
この隣の沢にあたる駅が「鎧」。珍名駅とも秘境駅としても有名な駅です。
でも、バス停も全然負けてない。

一時期は件の鉄橋のために不通区間になっていて、JRが代行バスを走らせていたそうです。
このときの代替バス停が立っていた事もあるようです。ポールが立ってたそうです。

でも今はそんな無粋なことはぜず、ちゃんと元の鞘の静かなバス停に。

バス停・駅ともども、港に広がる集落の上にあります。

餘部方向に戻るとこんな道の駅が。

・・・これは、顔ハメですか・・・。

全但バス,小屋型,軒下吊り下げ

そもそもの始まりは、何かと「バス停」で画像検索したところからだったと思います。

http://www.hyogonet.com/bus/rt/nandoku/nandoku08.html

兵庫県の難読地名バス停を集めたものだったのですが、もうこれ「一品」どう見ても柱にくくりつけられたものにしか見えません。早速グーグルマップで調べてみて、本当にそのものだったのです。ってか大分県と全く同じ流儀。

(※写真はグーグルマップです)

で、周辺のバス停を調べるとあるわあるわ。全但バスというバス事業者のバス停が、大分県と全く同じ軒下系・待合室系のバス停の宝庫と判明したわけです。
そして大阪の友人が、先日彼女同伴で太宰府にやってきました。旅行が趣味で遊びに来たというわけです。友人のほうだけうちで一泊、つもる昔話。でここのバス停の話をしたら「写真撮ってきまひょか」と…。

一泊一飯の恩義で撮っていただいた全但バスのバス停数、実に30か40以上!いやまだ数えてない!

そんなわけで早速かからせていただきます。一個目はやはりエースを出さなきゃいけません。驚愕のエースです。

(※写真はグーグルマップです)
子午線が通っている場所にあるバス停です。
軒下型のバス停の先に空き地が見えますが、そこに昔子午線のモニュメントがあったそうです。この道、旧道。モニュメントは新道に移ってしまったけど、バス路線だけは新道に移らず旧道を走ります。故に軒下に子午線前。
実にシュールです。
 でも話はそこで終わりません。撮ってきて貰った北ノくんからこんな返事が返ってきました。

「子午線前、軒下じゃなくなってました…」
えー!!じゃあ、立っちゃったのかな(※このブログ独自の表現)。

(※撮影:北ノ君、2015年9月末)

…ごめん、ちょっと待って。
この平成の時代に?
昔の形式の木造待合所が出来て。
丁度子午線のジャストの場所に。

 全但バス、恐るべし!!!!!!