伊予鉄バス,民家型

「この辺のどこかにバス停がある」と言われても

音田口」「坂口」で度肝を抜き続ける松瀬川線。まだまだ控えがいるから驚きだ。
グーグルのストリートビュー予習で、10分くらいかかって発見したバス停。
と妻に告げた。そんな大げさな、という答えが返ってきた。


この道よ、道。

バス停があるのはこういう路肩の余裕のあるところが多い。
ので、この一角は怪しい。

のだが見つからず…

いや、この反対目線から見たら見つかるか?

いやもう一回反対向いて

やや!?

あー!!

この「伊予鉄バス時刻表」の看板はたいそう古い形式だそうで、現役のものはここ含め2~3か所しか無いとのこと。
かつてはバス停板も並んで貼り付けてあったそうだが、行ったときは存在していなかった。
誇張じゃなく10分かかったストビュー予習のおかげでスムーズに写真撮って終わったけれど。
事前情報なしで行っていたら全然見つからずにうろついちゃって、不審者扱いで通報されていたかもしれんなあ…。

まあ、この景色を見てバス停と分かったらすごいと思うよ…

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この辺から探してみると苦労がわかる位置にしておきました。

越後交通,軒下吊り下げ

新潟県は立ってないバス停に驚かないのかもしれない

(この記事の写真は撮影:北ノ・2020年撮影)
北ノさんからのバス停写真整理。記事にしていないのが30近くあることが判明していて彼に申し訳がない。


新潟県第2の都市・長岡から海側に向かい、旧和島村を縦断する路線のバス停。
バスは越後線の小島谷駅へと向かう。一日4往復ほど。

長岡市内とその近郊は軽く確認すると結構小屋が立っていて、吊り下げ式にしている。
雪国だからなのか庇が高いのが特徴。雪を奥に落とすように作るものか、そうか。

この隣のバス停(グーグルより)。

同じく北ノさん撮影、栃尾市の山田町。九州人目線ではやはり庇が高い。

新潟のバス停名板独特の形。
福岡人の我々からすると「逆西鉄」。ということは新潟の方からすると、西鉄は逆さバス停に見えるのか…?

つまり逆新潟?

さて、越後交通他、新潟県内のバス会社は待合小屋の吊り下げ型がかなり残存していて、調べていくうち民家型の軒下バス停も点在しているのがわかってきた。


新潟交通、新潟市内は珍しく都市近郊に点在している。兎というかわいい名前。


越後交通を調べていて発見、あの「チャーザー村」。
林家こん平、今時の若い人は知らないか…。


頚城自動車エリアには軒下バス停も残っているようだ。

新潟かあ…こんなサイトやってるんだったら、いつかは一度行っとかんといかんのだろうな。

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伊予鉄バス,廃止跡,珍名,バス車庫,電柱,ポール型,古バス停,地面型,壁型,小屋型

伊予鉄立岩線のバス停たち

愛媛のライブオファーがあったらなあとほぞをかんだ2021年3月。
この日廃止になった北条市の立岩線、そのバス停群はバラエティーに富んでいた。

このうち、ポール以外のものをストリートビューで確認していく。
※才の原~小山田に関しては別系統(難波経由)としてのちに取り挙げようと思っています。

北条小学校前


電柱。以前のストリートビューに切り替えると、解体された建物にバス停板が掛かっているのがわかる。ベンチもあったようだ。

中西


建屋の基礎近くに路上置き。2012年ストビューでも商店風の建物の下に直置きになっている。

正岡小学校前


民家(商店風)に板張り。

神田


商店の軒先床に直置き。

記念碑前


小屋型、バス停名板はなし。小ぶりのトタン小屋。

湯山


小屋型、バス停名板はなし。トタン小屋。

農協前


見落としそうな道路はじのサビサビの古ポールに、無理やりお知らせや時刻表が貼ってある。

立岩支所前


民家にバス停板。ベンチあり。農協前から旧道の狭隘路を走る。

立岩


ソーラー架台兼駐車場の支柱に貼りつけ。2012年時は小さい木造の駐車場小屋の支柱にくっついていた。

大遊寺


民家の擁壁下の車庫用スペース然とした場所に、時刻表がパイプ椅子の上に置かれているのが確認できる。2012年も同様。
分類するならパイプ椅子型?

中村


CB製の背の低い待合小屋。名板なし。

宮裏


2車線県道を一旦逸れた先、神社の裏にひっそりとサビサビのポールが。

小儀式


カーブの奥、桜並木のそば。サビサビのポール。

儀式


狭隘路沿いの廃商店の軒下にバス停板。キリスト看板や廃材など散乱。

宝入橋


新しめのログハウス風の小屋が立つ。名板なし。登山口。

庄府下


小さめのCB製小屋+バス停板。

庄府


終点にふさわしいバス車庫+バス停板。かつてはここより先の峠越え路線も走っていたとか。

全但バス,軒下吊り下げ

久しぶりに全但バスの軒下案件

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
養父市。兵庫県の北部、但馬の真ん中ぐらいの位置か。
美味しそうなそばの写真が連番で出てきたが、この辺りは出石そばで有名。

養父市八鹿から石原へと向かう路線。

地名は八鹿町九鹿。一~七はどうしたのか、十以降の予定はどうなのか気になる。
このバス停近くに八鹿酒造があるとのことで、あの焼酎出してるとここの町が出自なんかと色めきだったが、偶然同名の造り酒屋のようだ。
九州のは「やつしか」と読みます。こちらは「ようか」。

カジュアルに軒下バス停があるのが全但エリア。
背の高いフォルムが梶原みたいだ。

時刻表は手前側の壁、写真の死角に貼ってあるようだ。
この石原線、末端部になればなるほど意外にちゃんとバス停ポールは立っており、自分で回っていたらさぞ拍子抜けしただろうなあ…。

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産交バス,古バス停,小屋型,限界椅子

想定外の旅で想定外の発見

去年の12月末に熊本にライブ旅行に行った帰りのこと。
その日は雪模様で、阿蘇を見て日田方面に抜けようと考えていたが凍結を避けて国道三号線まで下りて、大牟田の知り合いの店に行くため山鹿から南関近くを通っていくことにした。

やや?
熊本の産交バスのバス停は、ポールの管理が行き届いている印象。

そういえば、待合小屋はあまり見かけないなあ…

これが入ってみると

うわあ

激渋!!

素晴らしい調度品たち!!

熊本市の北、植木から菊水を結ぶ路線の途中。本数は5往復ほど。

念のため調べてみたが熊本に該当しそうな業者はいなかった。

限界椅子その1。
さすがに座るのは怖い。

限界椅子その2。
限界を超えている…。

まもろう、交通道徳。
翔龍もハゲも…

最初スルーしようと思ったんだけど、思い立って引き返してまで寄ってよかった。

こんな木造の宝箱みたいなバス停、まだまだ知らんだけで日本中にあるんだろうな。

行きずりで写真を撮ったので、地勢的にどういう場所なのかよくわからぬまま後にして、大牟田に向かった。

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西鉄バス・北九州市内,民家型

思ったところと全然違うところにあった壁バス停

「門司のあそこも西鉄じゃ数少ない壁バス停ですよね!」
「あー確かに」
みたいな会話で認知したままになっていて、実際に行ったことはなかった。
別の路線のとこにあるとなぜか勘違いしていて、到達までえらく時間がかかってしまった。

大きな商店の壁に置いてあるみたいな話は聞いてたが…

壁というより柱。

門司47番系統の、門司駅から南の斜面上市街地にある団地群を循環する路線上。
この酒屋の駐車場の形状を見るとバス停が死ぬほど邪魔になるし、いっそのことここに貼るかってなったのか、みたいな推測はできるがどうだろう。

実は「」「上の谷」と並んで老舗の西鉄壁バス停なのである。
いわば御三家。

門司はなかなか遠くて到達できなかったですよ。福岡県内だけど、絶妙な遠さなので…。
「高速とか使うまでもない距離、としての遠さ」
みたいなやつ。要件もなかなか発生していなかったし。
山口に遊びに行った帰りにようやく寄れました。

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伊予鉄バス,崩壊系,民家型

「この辺にバス停があるはず」

伊予鉄のバス停は「探せばおおむねちゃんとある」ことがわかったので、グーグルの位置情報を頼りに付近を探索。


ここも難易度高かった…。
現存する伊予鉄バスの発見難易度の高いバス停でも1~2を争う。

とはいえ、こちらもエキスパートなんである。

「民家の壁にさりげなくあるパターンなら、時刻表然としたものを探せばよい」
すかさず視認。

どうやらこれがバス停のようだ。

久万高原町、久万から伸びる伊予鉄バス路線のうち、西の方に伸びる唯一の路線が富重線。

2014年のストリートビューを見ると、この民家の玄関にバス停板が設置されているのがわかる。
事情を察するところはあるが、まあ板が撤去されるような何かがあったのだろう。

バス停は奥が深い。
バス停名の書かれた時刻がそこに貼ってあれば、そこは社会通念的にバス停という場なのだろう。
その場の概念とは果てしなく曖昧で…。

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JR九州バス,バスターミナル,古バス停,終点

宮田町のバス駅が解体に

国鉄バス時代からの自動車駅の最後の生き残りであった、JRバス宮田町バス停の待合室が解体されることに。


解体される前の日、2021年9月2日に行ってきました。

老朽化著しく

いたるところにガタが来ていて、こればっかしは致し方ない。

宮田の住民にとって「駅」とは?

廃止線を履修した鉄道マニアならば、宮田と言えば「国鉄宮田線の終点筑前宮田駅」を連想するでしょう。
宮脇俊三氏の書籍でも記述があるとおり、住民にとって便利のいいこここそが「宮田駅」であったと言います。

実際商店街も栄えていた様子が、街歩きをするとわかる。
バス駅と旧筑前宮田駅の間に商店街があったようで、バス駅付近は割と最近まで開いている店があった。
現在はロードサイド店がこのバス路線の県道沿い、ここから直方よりに建っていて賑わいはそちらに移った印象。

県道に面した博多駅方面のりば。バスレーンは広くとられている。かつては福間経由の博多行きも存在していたらしい。

中有木方面、筑前山崎行きがあった時代も覚えている。

トヨタ宮田工場そばを2往復程度走らせていた時代が懐かしい。

その反対側。直方行きはわざわざこのバスセンター内部の乗り場に全便立ち寄っていた。

千石峡入口・庄司本村を経由し新飯塚に向かう飯塚線、室木線の室木を経由し鞍手病院方面に向かう鞍手線ののりばが奥に。
飯塚線は「水町経由」「毛勝経由」「毛勝・七福経由」があって、その時乗らなかったのを結構後悔しています。
その路線網は、炭鉱住宅団地と炭鉱(旧貝島炭鉱)を結ぶ意味合いが強かったのだろうか。

路線表も寂しくなった。

売店跡。稼働してた時は、なんてことない光景だったのだけど…。

時代は巡る。

宮若市のコミバス。紫色のバスを走らせる地元会社の運行。

写真を撮りながら一周して、改めて立派なランドマーク駅だったと思い知らされる。
残念ではあるが仕方がない。現役の記憶があることをつくづく幸運に思っている。

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伊予鉄バス,民家型

ささやかな屋根付きバス停

この日はこんなものだけど、久万高原町にはスキー場があるほどだそうで、四国にしてはそこそこ雪が積もることがあるらしい。


標高1000メートルの山々に囲まれたらそりゃ冷える。

沿線の建物の一角にバス停はひっそりと存在する。

何と三角屋根付き!!
ささやかな待合スペースもある。

かわいい屋根が付いた板バス停、見かけたのはここだけだった。
木は劣化が早いものだし、どこもこんな工夫をしていれば…いや、とっとと金属製やらのポールに置き換えてしまうのか。
確かにそれが一番手っ取り早いか。

農協前の隣。なので時刻表の内容はほぼ同じ。

上直瀬方面を臨む。

ささやかなバス停、ささやかな工夫、そんな景色だった。
それは一瞬で見過ごされるだけの風景に過ぎないのかもしれないけれど…。

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大分交通・国東観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ

にしきのあきらの時代の木造小屋終点バス停

現在は「日出町200円バス」の終点になっている小浜。
このバス停は丁度日出町と杵築市の境界線に位置している。


木造の気合の入った小屋が鎮座して

何気に少し傾いている。

軒先に下がっているのは大分交通の方のバス停で

杵築市のコミュニティバスのバス停が間借りしている。
杵築市コミバスのほうは電柱やガードレールなどの壁バス停がほとんどだ。

近寄ると傾きようが激しいのがわかる…。

相合傘

にしきのあきらは1970年代、女の子に大人気の大スターやったんやで…。
(※そのころの落書きだったかどうかは知らない)
そういえばにしきのさんは大分県出身だけど、大分市とのことでこの辺とはあまり関係ないと思う。

「にしきのあきら物語」「屋上で夕陽に向かってトランペット」「かわらぶきの屋根」
どうでもいいことを思い出したが、つらつら説明してもたいして面白くないのでその三つに「安永航一郎」も足して適当に検索してみてください…。

NHKの番組で現在を知る

このバス停を撮影したのは2021年2月。
12月にとあるNHK福岡の企画番組でこのバス停が紹介されることになって。

たまにこのブログで名前が出てくるちょんびんさんが大活躍していたりするんですが

収録は放送の一か月前くらいだったそうで、その頃にはもうどうも解体されていたらしく。


番組中でも「いつか無くなってしまうものを記録に残しておくことが尊い」みたいな言葉が出ていたのですが、自分のやってる作業はまさにそれで。

もう見る事の叶わないものとなってしまうのは、いつになるのか誰にもわからない…。

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