北九州市営バス,発見難易度高,壁型

若松区新名物の裏路地系壁バス停

北九州市営バスの前身は若松市交通局といい、元々5市で対等合併し北九州市の一部になった若松市の市バスだった。そのため北九州市営と名乗ってはいるが路線網は若松区を中心としている。
若松の駅前から伸びる大通りの裏路地に

ひっそりメッシュフェンスに括られている。

以前紹介した畑谷町に向かう系統の途中バス停。

この付近の住宅地は高低差が激しい。
市街地向けは駅・商店街・区役所・図書館・病院とフルコースで回ることができる。

休日は運休するが、なかなかの本数。
狭隘路線バスとしてはそそられるものの、10人乗りだし趣味で乗るのは少し躊躇してしまうか。

若松区のミニバス路線、ほかに数路線ありどれもこんな隘路を走っていて到底バスが走ってるとは思えず…

裏路地でこんなバス停に出会ったらビックリするものである。
小さな柱が立ってるところもある。

安養寺下、凄い高低差あるとこだった…

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伊予鉄バス,民家型

農協の自販機で一服して

慎重な道中になった冬の探索旅、だいぶ日が昇ってきた。
この日は滅法寒くて車内の温度計は常にマイナス1度くらいを記録。
丁度自販機があってそこで一服がてら…

目の前の民家にオレンジ色のアレが見える。

軒下に貼られたバス停板。
バス停名はシンプルに農協前となかなか力強いが、今目の前にあるのは農協の出張所。
経験則で言えば、農協前はバス停率がクソ高い。そのまま「農協前」になるかどうかは別のところで。

バスは3.5往復。
かつてはほかに1路線があったそうだが…

横に下がってるのは住民の持ち物だろうか…。

終点の上直瀬まで、ここからまだまだ登っていく。

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西鉄バス・筑豊,壁型

道目木、出口から行くか中原から行くか

「直方の上頓野小学校、最近壁のバス停になってるよ」
と情報が流れてきてほどなく、北九州に車で行く用事が。

という訳で来訪。
直方の3番系統頓野線のバス停。

見事なフェンス型の壁バス停になっている。

この路線は末端部分を山手線のようにOの字に一方通行で循環し、直方駅へと戻っていく経路。
団地などもあり利用者はそこそこ多いようで毎時1本は確保してある。
循環路の先の末端部にもいくつか路線があったが、廃止になってしまった。

竜王峡、内ヶ磯なんて行き先があって、それぞれに「中原経由」「出口経由」が存在してとなかなか華のある路線だった。今残っているものは「出口循環」というレア系統であったもので、「多彩な顔触れのパーティーメンバーが全滅後、意外なモブキャラクターのみが生き残ってしまった」みたいな趣がある。

この出口循環、山手線で言えば「内回り」になる経路を通っていて、現在はその一方向のみが運行されている。
以前はポールが道路の向かい側にだけ設置されていた。狭い道だと上下両方向のバス停を片側で共用することはよくある。
ここの場合、ポールが置いてある方の方向のみ廃止になってしまった。
そしてこちらにバス停を移す際、道路占用許可関連で問題があった故こうなったのではと推測をしています。

この時はもうちょっと待ったらバスが来たっぽいが、小学校前の立地で怪しいオッサンはとっとと退散。

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この時は奥の方にポールが立ってます。

伊予鉄バス,地面型,崩壊系

このサイト的には「横綱」なんである

同乗していた嫁に
「次のバス停はなかなか見つからないよ…」
と告げた。グーグルストリートビューで一応「発見」はしていたが、確証なんてなく現地に行くしかないと思ってた。

うん、明らかに手ごわい。
バス停がそこにあるとは到底思えないが、

グーグルマップはここにバス停あるよと示してくるのだ。

道路沿いの更地は宅地の痕跡なのか?

一軒だけある斜面上の民家への階段。
事前調査でおそらくそれと確信したブツを確認する。
トタンの物置のそばを凝視すると見えてくる。

やはり…
これはバス停板!!

ひっくり返してみたら大当たり!!

もはやバス停名など判別不可能!!
周囲に時刻表やお知らせの類は、何も見つからなかった。
伊予鉄バスの公式サイト、路線表にもこのバス停は明記されている。
そもそもこの付近はフリー乗降区域だそうで、バス停見つからなくてもバスに向かって手を挙げれば乗り降りできるとか。
丁重に、バス停板の原状回復をして現地を後にする。

個人的には、大分交通の樋桶山線以来の衝撃。
どういう経緯でこうなったかはわからないのだが、これは極上の現代アートではなかろうか?
この板切れが置かれていることがこの場の「バス停」としての社会的価値をかろうじて維持しているし、この状況になっていることはおそらく複雑かつ奇跡的な経緯にある。この状況を壊してしまうのは恐ろしいなあ。
果てしなく美しいと思った。

狭隘度も相まって、ここは乗りバスで行ったらもっと興奮したろうなあと。

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伊予鉄バス,地面型,擁壁

バス停探しがこんなに難しいだなんて

松瀬川線のある東温市に着いたのはお昼時、国道からの分かれ道を曲がって一向に行けども行けどもバス停らしき影がない。
事前のグーグルストリートビュー予習でも大真面目に見つからず、現地に行けばわかるのではと挑んでみたのだが…


この辺なはずなんですよ!!
しばらく周辺を捜索すると…

バス停待機用に道が広がってるような気配が感じられる道路形状は怪しい。
そこに着目してみると、民家の石垣上に何かが見えてきた。

同行した嫁が絶句。
「これは、間違い探しか何かの一種?」

このフォルム、大分交通樋桶山線の舞野を彷彿とさせている。

伊予鉄バスの松瀬川線はフリー乗降路線なのだそう。バス停意味あるんだろうかな、どうなんだろうか。

バス停の名前、全然わからんじゃないか…当日結局わからぬまま。
時刻表の右下に書いてあったのを後日になって確認。
久々にハードなバス停探索が味わえたのであった。

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伊予鉄バス,古バス停

木のバス停は思っているより案外少ない

伊予鉄のバス停、松山市市街地は細身で背の高い特徴的なポールが立っている。
しかし山を越えた久万高原町の山間部に入ると…


久万から東に伸びる山間部線は現在上直瀬線・河ノ内線・面河線の3つで、一番最初に別れて山の集落に伸びていくのが河ノ内線。

この沿線はポールも立っているが、いくつか木製の柱が立っている。

伊予鉄の特徴的なこのオレンジのバス停板は、平成終わり辺りまでの伊予鉄ローカル線大量廃止期まで山間部を中心に点在していたようだ。民家の軒下や壁に貼られていたもののほか、このような木製柱+バス停板もいくつか認められた。さすがに木だけあって耐久性は低く、現役のものは損傷しているものが多かった。それでも今年の来訪時いくつか見ることができた。

久万にある中学校や高校への通学用を想定したようなダイヤ。

よくぞ現役でこんな木のバス停が、と驚かざるを得ない…。

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日田市コミュニティバス,小屋型,崩壊系

中津江村の道は険しい


鯛生金山に向かう道の旧道を走ってたら…

凄い勢いで大きな穴!!

この鯛生までの道路沿いのバス停、日田バスとしては村営バスに移管されていて。
昭和頃のバス停跡などはあまり残っていないのだけれど、ぽつぽつとは存在していて

2008年くらいか、かなり古いバス停小屋が一個だけ残っていた

変わり果てた姿で再会


う、うーん。

見事に骨組みだけに…。

確か、中には稀少な村営バス時代の時刻表が貼ってあったはずなんだが…

枯れ蔦の向こうに発見!

日田バスが長らく終点としていた栃原のターミナルを起点として、福岡と熊本の県境に近い峠下集落の市ノ瀬・地蔵元とを結んでいた。
鯛生金山はこの本線上にはなく、おそらく支線として存在していたと思われる。
1972年の閉山後から10年後に地底博物館が出来ており、ここは完全なゴーストタウンにはなっていなかったのだろう。
2008年に訪れた時は1往復の定期運行も行っていたが、今はほぼ完全にデマンドタクシー化したようである。

この時には定期便では地蔵元も鯛生金山も行かなくなってる模様。

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筑前町地域巡回バス,民家型

どう考えても老けているバス停

筑前町の西の方の山間部の夜須高原地区、西鉄路線史や古地図を当たってみても長年空白地帯になっている。
現在の地域巡回バスで初めてバスが来た集落がほとんどだ。

県道沿いの

公民館の一角に

貫禄十分で壁張りバス停が存在を主張。


椅子のしつらえもまるで昭和くらいからあったみたく。
明らかに老けている。

坂根の集落に向かってバスは登っていく。

大昔からあった貫禄だけ見せている。
前後のバス停はガードレール貼り付けだったりなんだけど、ここだけは異様に風格があった。

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伊予鉄バス,民家型,終点

愛媛、そこは民家型バス停のラストフロンティア

大昔、ちょんびん先生に紹介していただいたバス停仲間の方に
「愛媛にはこんなバス停がありまして…」
と写真を見せていただいたことがあり、

このオレンジ色の木の看板に憧れを抱いて何年たったか。
色々あって愛媛に音楽で呼んでいただき、ついに上陸することが!!
興奮して写真を撮ったのでスマホケースの留め具も見切れる有様(※右真ん中上の辺り)。

松山市の南、久万高原町にある上直瀬線の終点。

整備された県道から、旧道に入り込んで集落の真ん中で終点という

なんというか興奮する以外何もないシチュエーションなので、スマホケースの留め具は延々見切れっぱなしだ。

朝7時の便、ここ始発の轍とおぼしきものが見える。

この古めかしい木の看板はいつごろのものなのだろう。
「伊予鉄久万バス」とあるし、塗り替えられた形跡はない。調べてみたら分社化は1989年とのことで元年とはいえ平成(!)。
33年前の木の看板ともなれば確かに順当かな。

とりあえずようやく来れました、愛媛!


バスで訪れてたらこの角度で

終点へと入り込む

凄い標高の高いところで、助手席の妻は「お菓子の袋がパンパンだよ!」と興奮気味だった。

大分の山奥の終点みたいだ…と感じたんだけど、これはあれだ。むしろ大分のほうが愛媛の山奥みたいだったと考えるべきだろう。
赤石小学校前久保今畑安藤、色々思い出すがどれも民家型のバス停のたたずまいとして現存はしない。
現存してるんだもんなあ、すげえなあ。

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JR九州バス,軒下吊り下げ

犬鳴峠のバス、実はかなり貴重な「現存する峠越え下道バス」

怪談系、オカルト系の人々にとっては福岡ではある種「聖地」と化しているきらいがある犬鳴峠。
実際のところその心霊スポットとされる峠越えの旧道トンネルは、あまりに肝試しと称して入り込む人が多く迷惑行為が頻発したりして、現在は新道からの入り口を鉄柵で丁重に封鎖をされているところ。
この新道は福岡と筑豊を結ぶ峠の中で一番混まないうえ線形が良いルートでして、その新道トンネルを通る分にはなんてことがない場所です。

その新道トンネルをくぐって、犬鳴ダムのある新司書橋から脇田温泉のある谷の旧道に入りこみ。
「観音滝」「芳賀」と止まってこのバス停へ。

道もそこそこ狭ければバス停の方も

福岡ではすっかり希少種の立ってないバス停である。
この宮若のエリアは戦中くらいから国鉄自動車が走っていて、昭和25年頃旧犬鳴トンネルの開通から博多~直方で運行していたようだ。
今では大変珍しくなった峠越えの長大路線になってしまって、博多駅付近でこのJRの赤バスを見かけると「直方駅」という行先表示に驚いてしまう。

「狭い道路に小屋型のバス停」みたいなロケーションが博多駅から1本のバスで行ける、というのが令和に残っているというのはなかなか凄い。
見事にタイムカプセルのような路線になっている。

犬鳴峠方面を見る。
都会から来た方角、というのが信じられないような道…


この次は脇田温泉の楠水閣

犬鳴峠のバス、オカルトな話は運転手に訊けばあるのかもしれないのだけど、峠の旧道のとこに一個ずついまだにバス停があること自体が一番オカルトで怖いよね…。
福岡側は「白木橋」、宮若側は「犬鳴口」。興味本位で行くところでは決してないので、絶対に行かないこと…。

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