大分バス(佐伯地区),民家型

ととろのバス停の隣のバス停。
コミュニティバスのバス停があるので廃止されたわけじゃない・・・

通はここを見る。


そう、剥がしたあと!!グーグルマップの写真には残ってるんですねー。

なおととろの反対側の隣のバス停、上田原も

こんな感じの小屋バス停だったのですが、こちらは剥がした跡はナッシング。そんなもんだよ人生は。

西鉄バス・福岡市内,壁型

ちょっと身内の闘病とか看病とかが大変だった時期です。

確かね、そんな闘病中の暑い日だったと思います。発見した時期とか色々思い出した。この近くのリサイクルショップに見繕いに行った道すがらだ。ボロい自転車でね。本当に日常の行動範囲内なのですよ。
うお!柱なくなっとる!!
昔は普通のバス停だったのに!!

いきなりの壁化にびっくり。

確かにここ、歩道スペースが全然ない。しかしなんか変わったデザインの薄い標柱は建てたくない。貼るのもありか、ありだよな。ついでにいうと太宰府にほら、変わったバス停の写真撮るやついるからネタにしてくれるんじゃね?
そういう理由なのかはさておき。

うーん、太宰府は壁バス停の巣窟になってしまった。

まさか西鉄バスまでやってしまうとは・・・。
反対側は普通のバス停なのがおもろい。

日田バス,小屋型

6月になりました。本当はもうちょっと前に更新をしたかったのですが、この前の記事の赤石小学校前、川原ともに先日の熊本・大分地震で被災をしたらしく、集落が大変だったそうです。

現地の方々による復旧作業が大変だったとか。現地の方々おくればせながら被災見舞い申し上げます。

私の住んでいる太宰府市も震度5弱と恐ろしいほど揺れました。川原バス停、壊れてないかかなり心配です。

さて、下久木野小坪尻山口鼠谷とスターがそろっていた五馬線ですが最近はこんなお洒落な標柱にバス停がつけ変わりつつあります。

ついにあの山口バス停の倒壊しかかった小屋も完全に取り壊されました。

ビフォー

アフター

で、ついに五馬線で小屋型のバス停はこれだけになってしまいました。
自分は路線表も地図も見ずに何度も訪問しては「え!こんなとこにバス停が!」ってなるのを楽しみに五馬線を何度も訪問したのですが、このバス停が最後の「発見」したバス停。

道路から見える角度が悪すぎる。
ひっそり、神社の祠のような形で存在するバス停。

小屋型だらけだった五馬線の支線に当たる本城線が廃止になった今、実質このバス停が五馬地方の最後の「バス停小屋」。なお軒下の袋と小坪尻は健在でした。その辺は追々…

しかしこのバス停、本当に見つけにくかった!!

一遍わかってしまえばなんてことないんですけどね。これを探しきるには「バス停は立ってるもの」という固定概念を捨てないと本当にわからないものです。

最後に、山火事注意!!

日田バス,壁型,民家型,終点

ツイッターで#全日本雑な名前のバス停選手権というタグが大流行。
まとめられたりもしてる模様。
どうしてこうなった!? #全日本雑な名前のバス停選手権
こんなまとめまで。
思わずツッコミ!『#全日本雑な名前のバス停選手権』にビックリ。

さて、ツイッターではここで紹介したバス停もお蔵出ししてたのですが、このバス停は正直負けじ劣らず色々雑。
赤石小学校前といいながら小学校は閉校してかなり日が長いそうな。
本当なら「旧赤石小前」が正しいのですが、日田バスはこの雑さが味だし長所。

民家直貼りです。美学を感じます。 最初にこのバス停を発見した時は正直驚きました。 日田市の福岡県境近くに延びる路線(小鹿田線)にこんなバス停があります。

あれ、「赤石小学校」の板を流用してるやん?

で、初めて訪れた時がこちらです。

板、あるやん!すごいとこに!!
去年行った時は「このままでは飛んでいってしまう」と考えたのか。

挟めて置いてありました。賢者の知恵だね!

このバス停は「川原」の次のバス停。前の記事を読んで頂いた方ならわかりますが現在絶賛休止期間中です。

上の地図の迂回路を使って前津江振興局から赤石小前のほうまでだけ代替のデマンドバスが走っています。

おしらせ。
このデマンドバスのルートを通って帰りは帰りました。道こそ狭隘なものの「赤石本村」付近は民家がそこそこあり、軽トラや林業作業車にも結構すれ違ったりして、本来はこの山の上までバスが行った方がいいんじゃないの?って感じたほど。

お知らせの紙が貼ってあるだけで

風景は変わらず。


今年もはさまってました。どうやら安定期のようです。
閉校した小学校は2012年に閉校したとか。えー、最近じゃない!!

校庭の桜。

小さな小学校ですが確かに立派で、139年の歴史があったとか。「旧赤石小前」なんて名前に改名しちゃうのは野暮なものかもしれません。

でもデマンドバスの時刻表には思いっきり「旧」…。

日田バス,壁型,崩壊系,民家型



凄いことになっていた。

拡大した地図がこれ。まわり道とありますけどね、恐ろしい距離と高低差があるんですよ。いったん隣の沢を登って、峠を越えて下りなおさなきゃいけないという。
なもので、バスは道路の開通を待って休止中になってました。

意地で行ってきましたよ!ええ!!

だってここは封鎖地点は内側ですもの!!
温所は川原の隣のバス停。「ぬくどころ」と読むそうです。
前津江本村からの迂回路はまあ慣れてしまえばたいした事はなく、多少舗装が荒れはしていましたが道幅もそこそこの峠道をえっちらおっちら。しかし距離は当然4~5倍…。
キリル文字の「д」の字の"-"の部分が工事中部分と思っていたらけたら、苦労はわかっていただけるだろうか。とにかくたどり着きました。

川原は「かわばる」と読みます。

今年も日本一ロッケンロールなバス停に出会ってきたぜ!!

破滅的なフォルムは相変わらず健在だぜ!!

今まで写真で「どんな風に道路と接してるんだろ?」と疑問に思った人がいたかもしれないので、分かるようなアングルから撮ってみました。

近寄って足元を見たら、おがくずに半分埋もれて

これが出てきた…。
去年訪れた次の月から休止してるんだ。
ちなみに隣の赤石小学校前まで、迂回路を使って代替バスが走ってます。それはまたあらためて…。
日本一パンクなバス停は健在、それが分かっただけでもよしとしよう、うん。

甘木観光,民家型

福岡の春の花見の行楽地、秋月。
ここには毎年訪れていました。

この桜のトンネル目当てに。

秋月の中心道路は古きよき昭和の路地と、江戸屋敷とが混在して道路整備が全く更新されておらず、駐車場目指してごった返す車列に混じって定期バスが走るという事態になってしまいます。

おわかりになられるだろうか。壁バス停がある。


実は2年位前まで気付いてなかった。盲点だったのです。
この路線は(ネットの一部で有名な)朝倉軌道参加の会社が開通させた路線。その後西鉄バスに編入、のちに甘木(朝倉)ローカル線廃止の折、地元の甘木観光というタクシー会社が規制緩和でバス事業に参入し引継ぎ、現在に至る。

この会社、そこらの地方自治体の代替バス以上どころか、西鉄バス並みのサービスで運行してるにもかかわらず、Web上では時刻表サイトが市役所のページでしか確認できないなど不便な点はありますががんばっています。

甘木観光の他のバス停は普通にポールが立っていて、このバス停に関してはおそらく「西鉄がこうしてたからこうなった」だと思うのですが真相は定かではないです。

隣のバス停名、どっちもそそるバス停名でしょ?是非桜の季節に行ってみてください。
一度雨の日に訪れた時はバスで行けましたが、晴れの日の土日祝の花見シーズンは運行を途中で打ち切るそうです。行楽客のマイカーで大渋滞になるんです。

バスで行けたときは人手もこんなもんでした…

太宰府市コミュニティ・まほろば号,壁型,擁壁,終点


醍醐バス停なくなってんじゃん!!
と思ったのが去年。

うーん、このへんにあったはずが見つからない。醍醐寮なんてあるんだ…

でもこの場所をちょっと下った辺りに、同じような道路上の地形が存在していて。

無事再発見。こないだ始発地の五条駅辺りでバスを見かけましたが、結構満員で繁盛してました。

そしてこの付近をくまなく捜してみると・・・

!!!

こんなとこにバス停があったとは!!

自分の徒歩圏内で3年越しにバス停を発見するという体験はなかなか出来まい。

この駐車場を使って折り返すよう。そういえばここ、折り返しようのない袋小路道路をどう折り返すか謎だったんだ。
謎も解決!!

このマミーズまほろば号連歌屋地域線、バス停自体には路線表がないんです。市役所のサイトしかないという。
なので現地に行ってバス停を「探しに行く」のをオススメします。
天満宮に程近いので観光気分で行けます。

日田バス,集積場,壁型,小屋型,擁壁,民家型

塚田!!

本城!!

東方!!

鍵野!!

エースぞろいだった本城線、ほかにもいくつか写真があるのでお蔵だし。

もうこの4つの前では霞んでしまっていた迫の久保。

わき道に入らないと発見できなかった栃井。秋に行くとイチョウが綺麗。

本城線のあった辺りには、天瀬温泉の源泉を使った銭湯があります。ここが超穴場。安くて庶民的で体にいい。

「塚田温泉センター」。

廃止になったのは2~3年前かな。
末期の運行状況がこれではやむなしか。

広島電鉄,電停,壁型

これはバス停ではないです。電停。駅。

奥のほうに市電が止まってるとこが電停。

この電停は路上の緑の安全帯がホーム部分にあたる形式。

駅名版のこれって、よく見たら電柱よね?
貼ってあるだけっぽくない?

駅名板・時刻表はこれが正式のもののよう。施設的にはバリバリ現役だし勿論使われてるプレートなどはピカピカのもの。

この電停の「あり方」はとても簡素。路上にある電柱に貼られた標識と時刻表。プラットホームを作るには道路が狭いという理由でおそらく作られてないだけだけど、結果的に原始的になってしまっている。
そして大分県などに残る壁バス停の始原を知ることが出来ている。

ここ、広島の知人の元に訪れにやってきたのでした。待ち合わせ場所だったのです。
リハーサル後めんどくさかったのでステージ衣装(幸いこの日はスーツだった)で恥ずかしげもなく立ってました。

この日はクリスマスイブ。

イルミネーション電車が過ぎ去って行きました。

大分交通・大交北部バス,小屋型


小学校通学路線というのは過疎地では当然のごとく存在します。
子供たちの手で手入れされて、きれいなバス停になっているかわいいバス停。

この看板が気になっています。

ひょっとしたらこれ、現存する最古のバス停標識の様式かもしれない。
これは本当に限られた箇所でしか見つからない稀少なもの。
耶馬溪のほうにある「上伊福」で収集したもの。

ひょっとしたらだけど、一番最初はあの黒板状のものが「バス停標識」だったのかもしれない。
そう考えると、ひょっとしたら以前紹介した「東の前」、日本最古級のバス停施設である可能性もあるかも。

このバス停がある定別当線は、面白いことに日曜の夕方に一便バスが営業運行されて、終点定別当の駐車場にバスが泊まっていってました。月曜日の朝の始発のために。今はなくなったみたいです、残念。ここも折り返し不能な1往復になったか・・・。この先に前紹介した月の俣があります。岩肌ぎりぎりをかすめる凄い路線です。