日田バス,壁型,崩壊系,民家型

日田バス大野線・出野線・有田線の廃止

ついにこの時が来たか、という感です。
公式サイトによる廃止のお知らせ

大野・出野・有田3路線ともこのブログ内ではスターぞろいです。
定点観測し続けた、思い出のバス停も数多く。
まずはそのうちの一つ、大野線の川原(かわばる)バス停から。
余談なんですが大野線には下流の旧大山町中心部にも「川原」(こうばる)バス停があります。読み方違うだけで紛らわしいけど、よかったのだろうか…。

初めて遭遇した大野線の思い出

原付を買って乗り回していました。
いろんなところに行けるのが楽しくて、背伸びして八女に行ったのが最初。

昔は地図に載ってるバスの終点を見に行くのが楽しくて、それだけで遊びに行ったんですね。
八女の終点から、峠を越えると前津江に行けると標識が出てました。軽い気持ちで峠を越えてみたんです。
すぐに星払のバス停を見て仰天するわけです。

興奮してすぐに谷を越え、座目木集落に向かったことを覚えています。

それからしばらく、このあたりに行っては
この固定記事にある通り
バス停を「発見」しに遊びに行くことをやっていたわけです。
地図通りに確認するわけでもなく、最初のうちはグーグルのストリートビューなんてものもなく、そもそもスマホもなく。回りくどいやり方であったので、ひょっとしたら自分がまごついてるうちに普通のバス停に置き換わっていたのもあったかもしれない。

ちなみに最初に来訪した2005年くらいではそれぞれの路線は日に3~4往復。廃止直前の運行は1往復。
まずバスでは行けない。
ちなみに実際にバスで行っても実は日田バスにはテープによる放送車内アナウンスがありません。
乗っていてもどこがバス停なのかは判断が難しい。

「ないものとして存在する川原バス停」

川原のバス停は幾度となくアタックを試みました。
地図まで確認しても本気で見当たらず、ずっとバス停のありそうな雰囲気の道路を見ながらくまなく探索し
「ここはないものとして運行している」
と結論付けたこともありました。
だって本当に見つからないんだもん。
Googleストリートビュー

そう一度結論をしたこの場所のちょっと先にこんな

バス停があり、そういう「壊れたりしていても放置しているのでは?」といったこともあるかもしれないと考えたのもあります。
なおストリートビューを動かせる環境の方、ぜひ「探して」見るのをお勧めします。(2020年現在、2013年撮影のストリートビューだとちゃんとバス停も入っています)

のちに発見した時の驚きは衝撃でした。
ある他バス停を発見して、浮かれてここにやってきたことを覚えている。
そういう訳で過去記事を見たことのない方々のために、在りし日の写真はこの記事中には貼らないことにします。
是非ノーヒントで探してみてください!!

(次回に続く)

日田バス,壁型,民家型,終点

ツイッターで#全日本雑な名前のバス停選手権というタグが大流行。
まとめられたりもしてる模様。
どうしてこうなった!? #全日本雑な名前のバス停選手権
こんなまとめまで。
思わずツッコミ!『#全日本雑な名前のバス停選手権』にビックリ。

さて、ツイッターではここで紹介したバス停もお蔵出ししてたのですが、このバス停は正直負けじ劣らず色々雑。
赤石小学校前といいながら小学校は閉校してかなり日が長いそうな。
本当なら「旧赤石小前」が正しいのですが、日田バスはこの雑さが味だし長所。

民家直貼りです。美学を感じます。 最初にこのバス停を発見した時は正直驚きました。 日田市の福岡県境近くに延びる路線(小鹿田線)にこんなバス停があります。

あれ、「赤石小学校」の板を流用してるやん?

で、初めて訪れた時がこちらです。

板、あるやん!すごいとこに!!
去年行った時は「このままでは飛んでいってしまう」と考えたのか。

挟めて置いてありました。賢者の知恵だね!

このバス停は「川原」の次のバス停。前の記事を読んで頂いた方ならわかりますが現在絶賛休止期間中です。

上の地図の迂回路を使って前津江振興局から赤石小前のほうまでだけ代替のデマンドバスが走っています。

おしらせ。
このデマンドバスのルートを通って帰りは帰りました。道こそ狭隘なものの「赤石本村」付近は民家がそこそこあり、軽トラや林業作業車にも結構すれ違ったりして、本来はこの山の上までバスが行った方がいいんじゃないの?って感じたほど。

お知らせの紙が貼ってあるだけで

風景は変わらず。


今年もはさまってました。どうやら安定期のようです。
閉校した小学校は2012年に閉校したとか。えー、最近じゃない!!

校庭の桜。

小さな小学校ですが確かに立派で、139年の歴史があったとか。「旧赤石小前」なんて名前に改名しちゃうのは野暮なものかもしれません。

でもデマンドバスの時刻表には思いっきり「旧」…。

日田バス,壁型,崩壊系,民家型



凄いことになっていた。

拡大した地図がこれ。まわり道とありますけどね、恐ろしい距離と高低差があるんですよ。いったん隣の沢を登って、峠を越えて下りなおさなきゃいけないという。
なもので、バスは道路の開通を待って休止中になってました。

意地で行ってきましたよ!ええ!!

だってここは封鎖地点は内側ですもの!!
温所は川原の隣のバス停。「ぬくどころ」と読むそうです。
前津江本村からの迂回路はまあ慣れてしまえばたいした事はなく、多少舗装が荒れはしていましたが道幅もそこそこの峠道をえっちらおっちら。しかし距離は当然4~5倍…。
キリル文字の「д」の字の"-"の部分が工事中部分と思っていたらけたら、苦労はわかっていただけるだろうか。とにかくたどり着きました。

川原は「かわばる」と読みます。

今年も日本一ロッケンロールなバス停に出会ってきたぜ!!

破滅的なフォルムは相変わらず健在だぜ!!

今まで写真で「どんな風に道路と接してるんだろ?」と疑問に思った人がいたかもしれないので、分かるようなアングルから撮ってみました。

近寄って足元を見たら、おがくずに半分埋もれて

これが出てきた…。
去年訪れた次の月から休止してるんだ。
ちなみに隣の赤石小学校前まで、迂回路を使って代替バスが走ってます。それはまたあらためて…。
日本一パンクなバス停は健在、それが分かっただけでもよしとしよう、うん。

太宰府市コミュニティ・まほろば号,壁型,擁壁,終点


醍醐バス停なくなってんじゃん!!
と思ったのが去年。

うーん、このへんにあったはずが見つからない。醍醐寮なんてあるんだ…

でもこの場所をちょっと下った辺りに、同じような道路上の地形が存在していて。

無事再発見。こないだ始発地の五条駅辺りでバスを見かけましたが、結構満員で繁盛してました。

そしてこの付近をくまなく捜してみると・・・

!!!

こんなとこにバス停があったとは!!

自分の徒歩圏内で3年越しにバス停を発見するという体験はなかなか出来まい。

この駐車場を使って折り返すよう。そういえばここ、折り返しようのない袋小路道路をどう折り返すか謎だったんだ。
謎も解決!!

このマミーズまほろば号連歌屋地域線、バス停自体には路線表がないんです。市役所のサイトしかないという。
なので現地に行ってバス停を「探しに行く」のをオススメします。
天満宮に程近いので観光気分で行けます。

日田バス,集積場,壁型,小屋型,擁壁,民家型

塚田!!

本城!!

東方!!

鍵野!!

エースぞろいだった本城線、ほかにもいくつか写真があるのでお蔵だし。

もうこの4つの前では霞んでしまっていた迫の久保。

わき道に入らないと発見できなかった栃井。秋に行くとイチョウが綺麗。

本城線のあった辺りには、天瀬温泉の源泉を使った銭湯があります。ここが超穴場。安くて庶民的で体にいい。

「塚田温泉センター」。

廃止になったのは2~3年前かな。
末期の運行状況がこれではやむなしか。

日田バス,壁型,民家型


昨日「川原」でこれ、ナニコレ珍百景に出したらいいんじゃない?なんて書いていました。

正直に白状しますとこのブログに精力的だった3年前に実は投稿しておりました。
このときはこのバス停を推奨したのですが、あえなく採用ならず。

どうも、このバス停が投稿者なしで去年採用されていたようです!

時代が追いついてた!一年前に!!なんと!!
ありがとうテレビ朝日!!

これを知ったのは昨日、改めて「川原」を投稿フォームから申請を済ませた直後。
番組HPにさりげなく載ってたんですね。どんなリアクションだったか気になります。
…なもので

バッチリ健在でした。
テレビとは偉大なものなのかもしれません。

ちなみに、隣には「上一ツ戸」も存在しており

まあ、こっちが健全なバス停なんです。地味なバス停です。

大分交通・大交北部バス,壁型,擁壁,道路構造物一体型


バス停写真を撮り始めて気がついたんだが、大分交通や日田バスのある時期以前の形のバス停標識は、標柱に取り付けられるのを想定していない造りになっている。
軒先や、待合所にくっつける用の金具というのがあって、それに取り付ける設計はなされているようだが、標柱に改めてくっつけるというのはどうも難しい・・・というか、めんどくさいっぽい。

舞野」のほかにも、他のサイトでこんな例もあったりするから多分そうだろう。ちなみにそちらのサイトに紹介されている場所は自分も行った。残念ながら、新たに付け替えられていた。(しかしバス停2つくらい見つけ切れなかったんだけど、大分交通は「標柱無し」がごくまれにあるのよね・・・)

・・・で、このバス停の場合。
その金具ごと、石垣に練りこんでいます。
道路に面してた宅地をかさ上げして、石垣擁壁を建てたっぽいのはわかるとして。
そこにあった待合室のものか。それか、通りに面してた家の軒下にあったものか。

なんだか、石垣から生えてるように見えます。

日田バス,壁型,民家型


今日は所用があり、天神(福岡市の繁華街)に行きました。人に会う際お土産を買わなくてはと思っていたら、ちょうど市役所の前で大分の物産展イベントをやっているじゃないですか。テントブースの一つ一つに、大分県のなんとか市、なんとか町と書いてらっしゃる。

で、いくつかの市で情報を収集し、玖珠町ブースを通りがかったところで呼び止められる。パンフレットを受け取る。相手は、自分よりちょっとしたの年齢であろう女性お二方。
「いやあ、あたしゃ玖珠はよく行くんですよ、写真撮りにね。珍種があるんです」
「ああ、植物とかそんなのですかね?」
「バス停ですよ。日本でも珍しくなった、変わった形のバス停があるんです」
「え。そんなのありますっけ?どの辺ですかね?」
「玖珠町ですと、北山田の駅から南行ったとこ・・・妙大寺とか、中通りとか」

「・・・それ、私の住んでるとこです。」
「・・・うわあ。」
「確かに壁に貼ってるだけですもんね。よく考えたら珍しいですね」

てなワケで、そんな奇跡体験をしたところでこれを出さないわけには行かない「中通り」。
発見時は夕方で、またこの道路車通りも多かった。地元の人も怪訝そうにこっち見てた。うん。
ひょっとしたら撮ってる姿、見てたかもしれませんよ!!

かなり希少な発見困難型軒下バス停。もし車などで探索しようと考える方がいらっしゃったら、探すのに夢中になって、事故らないよう気をつけてください。あ、それからできれば玖珠でお買い物をして帰ってください(ささやかなPR活動)。

日田バス,壁型,民家型


九州のバス時刻表」には場所を特定されていないバス停。そりゃそうだ。自分も3度目でやっと発見できたくらいだし。道は狭い、結構交通量もある。おまけに板塀。初見で発見できたなら、気付くほうがおかしい。

玖珠町と日田を結ぶ国道から、山側の集落を経由して再度北山田駅付近で合流する迂回線のバス停。迂回線は真っ先に廃止の対象になりやすいものなのだけれど、再合流した国道の更に先にある盲腸線(山浦線)と合体することで生き延びています。

この迂回線、初回でバス停を2つ見落としたところで「これは期待出来そう」とは思ってたけれど。
この隣の「中通り」は件のサイトには存在すら認められていません。これは凄い。
冒頭のリンクに載っている地図のこのバス停の位置は、その「中通り」のものです。

日田バス,壁型,崩壊系,民家型


日田バスの公式サイトの路線図pdfデータをCADに起こして、尋ねたバス停を改めて数えなおしてみた(※これ・未完成、急いでaiにして書き出したので一部文字化け)。 うーん、軒下・壁はなおのこと、意外と待合室も少ないなあ。2年前に比べると5~6個はやっぱり減ってるし。「鼠谷」、「山口」(実は標柱)、「星払」、「出野」が視認で消えてしまった。標柱の角型になってるものは、本当にここ何年かの置き換えだろうしなあ。

地元の人はこれらのバス停が生き残ってる現状が全国的にも珍しいことを、やっぱり知らないようだ。ちなみに福岡市内・郊外線にはつい最近まで待合室・ぶら下げ型のバス停が存在していたが、2年前行ったらなくなっていた。「うちにあるよ!!」という情報をお持ちの方、ご一報いただけるとありがたい。飛んで行きます。

さて、旧前津江村。
ここには宿題のバス停が二つあった。どうしても、見つけ切れなかったのだ。
1つは前津江旧役場付近の「梅木」。路線図で確認するも一度発見できず・・・ん、壁型バス停か!!

こんなんなってました。

がっくりしながら次の「川原」へ。前津江線は末端が二股に分かれていて、バスはまずこの赤石支線のほうにいったん潜り込む。それから、元きた道を折り返してもう1つの沢の大野支線、終点の座目木に向かう。
その終点がこちら。
「何もない」「忘れ去られた」なんて言葉が出る、寂寥たる風景の終点。

さてその一歩手前のバス停が、この「川原」。
バス停カット状に、道路が大きく左にスペースを開けている。その真ん中にあるのは・・・ん、ごみ置き場か。車を降り、ごみ置き場に時刻表がくくりつけられていないか、また周囲に標識が落ちてないか確認する。・・・ない。そこから分かれる道、旧道になっていないか。・・・地形的になさそうだ。近くの川、橋が一本しかないようだ。

で、建物といえば隣の赤石小学校からここまで、ひいてはその隣の温所まで。一向に見えないよなあ。あるとすれば、そこの本当に傾きかけた作業小屋・・・だけ・・・ええええええ!?

画像では普通に写っているんだけれど、この作業小屋。
反対側のほうから見ると、本当にいろんな部分がゆがんでしまっていて、指で押しても壊れるんじゃないか?って心配になるくらい。もうさすがに、この建物はまったく使っていないようだった(当たり前だ)。

手前の小屋はまったく別物、かつ現役の木材置き場。
中では地元のおじいさんが作業中、バス停の撮影許可をとる。
にこりと笑って「よかですよー」。

そういえば以前ここに来たとき、この赤石の支線沿線では誰とも出会わなかったはず。
ようやく人に出会えた。と同時に、自分の中にあったこの村の景色が、ようやく人肌を感じる色に染まっていったのを感じた。