伊予鉄バス,小屋型

この日出会った唯一の小屋+板バス停

愛媛のバス停を巡った日は、久万高原町の河之内線・上直瀬線・富重線、東温市の松瀬川線に絞った。
天候不良を理由に面河方面は断念、海上線はフェリー時間までに鯛飯を食うため最初から除外。
割と時間とも戦いながら廻っていた。


一ノ谷を出て、次に出会ったのがここ。

小屋型だ!!
この日廻った路線唯一の小屋+バス停板のものであった。

なかなかよい風情のくたびれ切った木造トタン小屋。

横にあるのは

お地蔵さま。

学校前(直瀬小)とある。
伊予鉄久万エリアには合計3つ「学校前」バス停が存在していて、バス便によってはここを含めた2軒の「学校前」を通ることになっているらしい。
なんとややこしいんだ…。

久万エリアにはもう一軒廃止になった「学校前」も存在していて、古いストリートビューでも見れる。
4軒もあるのなら、小学校の名前を付ければよいと思うのだが…。

学校はちょっと離れていた。学校前というよりは、学校へと続く里道の入り口みたいな趣。

ところで帰宅して、伊予鉄の路線表を改めて確認していたら。
手前の一ノ谷と学校前の間に「大寄橋」というバス停があったことが発覚。
ストリートビューで確認してみたら、初見でとてもわかるものではなかった。
これはできることなら再訪しなきゃだな…。

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伊予鉄バス,棒型,地面型

路傍の石のような趣の足元系バス停

久万高原町の山間部線、何便かがトンネル開通前の旧道を走っており、ここはその(割と)狭隘路上に位置している。
来訪したのは朝8時過ぎ。朝の通学便の出払った後で、往路にはそれらしき轍が雪に残っていた。


ここも事前情報がなければバス停なぞ、どこにあるかわからないだろう。

これ。

高知の棒バス停のような、白いペンキ跡のある木の棒に括られたバス停。
一ノ谷と同様。それともバス停板が掲げられていた上田のようなタイプの残骸なのかはわからない。

左はごみ収集のお知らせ看板。よく見ないと勘違いしてしまいそうだ。

妻(※のお気に入りの恐竜)と記念写真。
ここはこの日二つ目の伊予鉄バス停だったのだが、早くもボルテージはMAXに達していた…。

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さいかい交通,ポール型

おさかなバス停第三章「またしてもあらかぶ」

今泊蛎ノ浦に続くおさかなシリーズ第3弾である。
しかしその種類は鯛・あらかぶ・あらかぶ・Wあらかぶと著しくバリエーションのバランスが悪い。


そんなツッコミもどこ吹く風ののんきなかぶやん

旧崎戸町エリア、崎戸島にあります。
バス路線的にはここは2車線道路から分け入った「旧道」みたいな路地になっていて、そこからさらに旧炭鉱住宅団地方面に分け入って折り返して戻ってくるなどする。乗りバス的にはアトラクションがいっぱいの区域だ。

この付近は崎戸炭鉱があったところ。炭鉱記念公園の裏手にバス停は位置している。

昭和45年の炭鉱閉山後、この付近の炭鉱住宅は姿を消してしまったようだ。景色は森におおわれて、すっかり静まり返っている。

崎戸島の魚バス停の中でもおそらくこれが一番見つけにくいのでは?

あらかぶ、煮つけの手間がかかるんだよな…

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奈良交通,軒下吊り下げ

旧街道のみ残る曽爾村の軒下バス停

(この記事の写真は撮影:北ノ・2020年撮影)
奈良県の三重県境近い曽爾村はすすきの原のある曽爾高原で有名で、伊勢国と大和国を結ぶ伊勢街道が横断している。
そのルートに沿った国道375号線をバスは走る。多くはポールが立っているのだが、バス路線は何度か旧国道の集落の中に飛び込んでいくので…

こういうバス停が何度か登場したりする。
曽爾に行くバスは現在「奥宇陀わくわくバス」として運営されている。引き続き奈良交通が運行していてホームページでも時刻が検索できる。日田バスの晩年の有田線みたいなものだろうか。

終点曽爾村役場も旧道の真ん中にあり、その一つ前のバス停が「曽爾」。

純然たる軒下バス停。
HPで今見られるこの周辺の路線図と少し違う路線図と分かるので、これは実物をじっくり拝見してみたい。
曽爾線は今HPには載ってないんだよね。

宅急便取り扱いの看板、大分交通のなんかでも見たな。

グーグルやSNSで「軒下」「バス停」と検索すると比較的この曽爾が出てくる。観光地近くなので普通の人々の遭遇率高いのか。
奈良もじっくり2日くらいかけて自分で撮りに行ってみたいな。2日で終わるのだろうか。

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大野竹田バス,軒下吊り下げ

CMか何かに使えるような景色

一直線の緩やかな坂道、歩道のない昔ながらの道、大きな木、おそらく向こうからやってくるバス…


これ、ちゃんとバス待ちしたら映える写真撮れね?

この日はどうしょうもない曇り空。

この日は残念ながら映えもクソもなかった。

実は初めて訪れた時恐ろしく晴天に恵まれ、

割と素敵な写真を撮ることが出来ていたのだった。

竹田~長湯線のバス停。かじやは三つ先。鉄道は離れた場所で、高校通学需要もありなんとか堅調を維持している模様。
だからきっとバス待ち写真も粘ればイケるだろう。

5往復。

逃げろ、こうや!!死殺されるまえに!!

ここ、弾き語りのミュージシャンの方にはPVのロケ場所候補としてお勧めできるかな。
牧歌的な絵が映えるよい場所。

旧道に入り込んだところなので、あまり交通量も多くない。

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全但バス,軒下吊り下げ

太川陽介チーム、痛恨の時刻表確認ミス

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
最近バス旅番組をよく見ます。鬼ごっこの方の番組だったかな、ちょうどここの路線出てました。
出石で蕎麦を食べて、京都への峠を越えるべく奥藤か赤花の方に向かってたっけ。
そういえばこの先のモンゴル博物館の名前も出てきていたな…。

立派な瓦屋根の小屋。

バス旅の番組、やはり主役はバスなのでバス停がクローズアップされることはなかなかない。

こんな風情のあるバス停、自分は見逃さないんだけどね、他人からはどうでしょうかね。
まあ、自分はおそろしくグッとくるという話です…。
この景色を逃さなかった北野君はもっとすごい…。

隣の上太田も小屋+軒下


こちらは上下線ともに小屋になっていて

たまに全但バスの小屋に見られる青が映えるデザイン。

工場?の一角にあって

まるで工場の従業員出入り口のよう。

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※ちょっとブレイク,民家型,軒下吊り下げ

惜しくも一記事にならなかったもの特集

2枚とかピンボケ写真ばっかとか、一記事には出来んかったやつ。そういうのをまとめて。

下小竹(大分県日田市)/日田バス皿山線

皿山線は割とポールが立っているのだが、一軒だけ昔小屋が存在していた。
道路の拡幅と一緒に取り壊しになったと記憶している。
このバス停付近は2017年の豪雨災害で壊滅的な被害を受けていて、その時残っていても水害で壊れていたのでは。

何故か赤石小前の看板が下がっていた。

札町(大分県日田市)/日田バス有田線


これは正確には廃止跡。日田バス有田線は日田バスとしては運行を止めており、日田バスの車両で走ってはいるがあくまで日田市の福祉バスという形であった。札町のバス停は別の箇所に移転して、ここは使われていなかった。この次の年に訪れた時にはもう無くなってしまっていた。

三の宮(大分県日田市)/日田バス有田線


上の札町で述べた通り。福祉バスのバス停のほうが本体にあたる。

長らく倒壊寸前の小屋が県道沿いにかろうじて立っていたが、いつしか撤去されていた。

竹の首(大分県日田市)/日田バス杖立線・栃原線


現在杖立線の2往復のみと減便著しいこの区間。いくつか小屋跡が残っていた時代。
ピンぼけの時刻表の行き先は「杖立」「栃原団地」「日田」。

ストリートビューが来る前に取り壊されてしまっていた。

竹野(大分県中津市)/大交北部バス福土線

何故か1枚しか写真を撮ってない民家型バス停。写真フォルダ内で深耶馬渓エリアの中に紛れ込んでいて、延々その付近を捜索しては「早々になくなったのかな」と思い込んでいた。福土線はバス停が比較的整備されていたので完全に「見失っていた」バス停である。ストリートビューでも存在が確認できるくらい長命だったようだ。

野地入口(大分県宇佐市)/大交北部バス田所線

国道沿いに立っていた小屋のバス停。当時は民家の軒下バス停が至る所に残っていたので「小屋の軒下なんて珍しくないか…」と思っていたらあっという間に普通のポールが立ってしまった。

このバス停小屋、珍しく雨どいが付いている。小屋自体は今も残っている模様。

五明(大分県宇佐市)/大交北部バス日の岳線

ここも完全に場所を間違えて記憶していた軒下バス停。隣の沢を走る定別当線だと勘違いしてて存在をロストしていた。おまけに写真が全部ボケボケである。このころからデジカメの調子が悪くなっていた。思えばこの時期は、いろんなところに行きすぎて戦線を広げ過ぎていたな…。

ぶっちゃけストリートビューのほうがきれいな写真が確認できる。

全但バス,軒下吊り下げ

大ぶりの骨太軒先バス停

(この記事の写真は撮影:北ノ・2015年撮影)
豊岡市の円山川東岸側の県道沿い。
デカい建物の軒先に、単管パイプを使って下がっている。


大きなガレージか何かで…?

終点ではない模様。
農協か何かっぽいが確証はない。
路線は東に進み、奥野へと向かう便と出石に向かう便と。

ここら辺は豪雪地帯らしく道路には消雪パイプつきの中央線が。
これは九州にいるとなかなかお目にかかれないもので、東北のストリートビュー見てると「なんだこれ?」とずっと思っていた。
これの南限はどの辺だろう?意外にここか?

系統が多いゆえか時刻表スペースが縦に広いし、軒先バス停としては妙に大がかりで大ぶりだ…。

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臼津交通,古バス停,民家型

分け入った旧道同士の合流点に…

ツイッター経由で知って、佐伯に行った帰りに寄った場所。
大分県中部の臼杵市から山間部の豊後大野市の三重町まではかつて国鉄バス臼三線が走っており、野津市(旧国鉄バス野津駅)を経由する幹線道路を主に走っていた。大分バスは臼杵石仏から別れてその南側の県道を乙見経由で進んでいて、王子という集落の分かれ道から野津市まで経路を延ばす格好になっていた。現在は臼三線はJRバスから大分バス系列の臼津交通・大野竹田バスに継承されている。
ネットのウェブアーカイブでギリ見られる2004年ごろの時刻表を確認すると、3往復ほどがここを通過していていた。


分岐点とは言うが、こんな細い道3本の合流点であった。

臼津交通のバス停、全般的に真新しく古いポールはあまり見当たらない印象。

さて、このバス停の前には酒屋が一軒あるのだが…

自販機の上に

おそらく民家の軒下のものであったらしいバス停板が残っている。
ここはちゃんとバス停の場所でもあるしこれが掲示されても問題はない。
大変珍しい古バス停。

アイドルマスターシンデレラガールズ、略してデレマス。
そこまでしか知らない。

こういう「民家の軒先型の撤去されるべきものが奇跡的に残ってる」みたいなの、ひょんなことで流れてくる情報以外で仕入れるのは難しかろうなあと。月の俣再訪)、田の口なんかが近いか。
ここ一度行ったことあるんだよね。初見でそこまでわかるわけがないので…。

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伊予鉄バス,古バス停

全国的に局地的にしか見られない棒バス停…っぽい何か

最初にスケジュール立てをしたとき、フェリーの時間を2時間遅らせて高知の梼原に行けないか考えていた。
高知県に行くと棒のバス停がたくさん立っている。
興味深いので、1~2か所くらいでも撮っておけたらと思っていたが


久万高原でこのありさま、さらに奥に行ったらどうなるんだと断念。

このバス停は…

棒なのか、ポールなのか。
見てくれは高知のそれに似ている。

一ノ谷バス停、かつてはここから分岐路線があった。
杣野前組までの杣野線という路線。
これは2014年に廃止になっており、地元の有志の情報を整理すると「バス停は宝探しのようであった」という。

途中バス停・西浦(2012年のストリートビューより)。
時刻表のみが画面中央の草むらにうずもれていたらしい。
終点には小さな車庫があったとかで、今も残っているんだろうか?
この日はこの悪天候だし、流石にそこまでは行かなかった。

杣野側から来た標識。
ワシらはこの後直瀬へ…

農地はあるが家は見つからない一角。
杣野方面の集落に向かっても歩いて2~30分以上かかりそうな場所にひっそり立っている。
使う人いるのか、みたいな言葉は野暮かな。

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