日田バス,民家型

バス停の写真を撮るとき、その路線がまず乗ることが叶いそうにない路線だったりすると、当然のごとくバス停を「探しに行く」という作業が重要で。

そこで活躍するのが「一昔前の」(※重要!!)道路地図。
大分県を巡回するときに自分が使ってるのは平成6~7年度の人文社のもので、国東半島めぐりの際は「ハア?そんな路線なんてもうねーよボケ!!」的肩透かしをそりゃもう何度もさせられた。

九州のバス時刻表」という便利なサイトがあります。このページは地図に表示されたバス停をクリックすると、時刻やら運賃やらが九州じゅうどこでも検索できる、みたいな優れものサイトなんですが、この地図の元データというのが「提供:昭文社」。いわゆる書店で売ってる安心の道路地図ブランド、マップルですね。
最新の大分県マップルなんですが、実はこのバス停は入っていないんですな。

九州のバス時刻表」より。

書籍だとこんな感じ。「塚田」は入ってない。

サイトでは、「ん?日田バスの資料では『塚田』ないよなあ・・・この間にあるみたいだし、この真ん中に入れちゃえ」って感じで無造作に真ん中に置いてあるわけです。

自分も実は、ここの路線はそうなっているものだと思っていて、この塚田バス停の存在も知りませんでした。バス停には路線表や「次のバス停」もないし。しかし、前々から気にはなってたんですよねえ。なんで地形的にあんな大きい集落の内に入らずに、沢の根元のところで曲がっていくか。沢の根元のところにバス停を置くにしては、ちょっと奥の集落の人々の使いにくいとこにバス停あるし・・・。
「古賀橋」はあまり人気を感じない場所に、「古賀」は沢の根元から、別の沢の方にちょっと登ったところにあって、向かい側の大集落の人はとても使いづらかろう。しかし、実際この古賀と古賀橋の間は路線的には一本道に見えるわけですよ。お互いが見えるし。あー、次のバス停あそこと誰もが思うでしょう。

そこでその、古い地図を投入。古い地図なのに1000円近くした。

・・・!!!!!
そう、奥の集落にバス停があるらしいことがわかりました。
そもそも自分が何故こんな場所に興味を持って、バス停を発見して歓喜したかというと。
そこの集落には200円では入れる天瀬温泉の源泉を使った温泉センターがあるからです。
たまに腱鞘炎やらがひどくなると、ここに入りに行くことにしているくらいです。

早速、温泉センターを通過し、集落の真ん中に突進していくことに。
すると・・・。

発見まで、おそらく2年かかったこのバス停。
2年前も今も、来るのは一日1往復。

そして見つけた感想は
 「こりゃマップルも見逃すわな」。

ところでつい先週、またこの温泉に訪れました。もうこの辺のバスの写真は全部撮りつくしたわい、などと豪語していた自分だったのですが・・・(※引き)

JR九州バス,ポール型

このバス停のデザイン、お世話になっている表現ワークショップで写真を撮られている方の作品。

地名に「猫」はなかなか付かないものなのですが、ここの地名は地元伝承の「追い出し猫伝説」によるもの。
詳しくは待合室中に入ってみると伝承の全てが書いてあるのです。

要は「外宇宙からの生命体・巨大鼠がまさに地球を侵略せんと、この地に最前線基地を築いていた。これを地元の猫・イダテンとベンテンはよしとせず、お供のアドン・サムソンを引き連れ、まずプロテイン製造工場から爆撃。戦いの火蓋は切って落とされた!!」的な話です。自分の曇りきった目にはそう見えました。

(※本当の伝承はこちら)

・・・で、デザインをやったその本人のお話。

「ともかくね~、猫の色塗ってたらかわるがわる地元の人がやってきて、この追い出し猫の話をしてね~。一人したと思ったら違う人がやってきてまた同じ話してきて・・・よっぽどこの村は、猫に助けられたんだろうね~。もうずーっと塗ってる間その調子。」

猫塚は、その大鼠との戦いで死んだ多数の猫の弔い塚だとか。
この町ではこの伝承にあやかった「追い出し猫人形」を売ってると聞きます。

西鉄バス・筑豊

daibuko01.JPG昔西鉄バスの乗降調査なんてアルバイトをやったことがある。
しかも行ったのが田川後藤寺営業所である。

打ち合わせに知り合いのバスマニアと向かい、飯塚で別れて電車で帰る道すがら。
どうせまっすぐ帰るならと、ええいままよと今は亡き17番、高田経由大分坑行きに飛び乗った。「大分」だし、どうせ筑前大分駅の近くだろう。

・・・バスは、高田までは素直に県道を走っていたが、途中から田んぼの真ん中の狭隘路を突進。
筑前大分駅の横を目もくれずかすめ、旧街道の宿場跡みたいな農協前バス停まで到達。運転手はここでも降りない自分に気づいた。
「あ、趣味で乗ってますね?」
・・・ということは、早い話。終点はおっそろしく何もないか、こっち廻り系統が遠回りか・・・どっちも正解だったのだけれど。運転手は色々話をしてくれたのち「あっち経由(現存の路線)のほうも面白いから、帰りはそっち使ってみてください」とのこと。

バスはジェットコースターみたいに、狭隘路をひたすら曲がりくねって進んだ。進路に急に平地が開けた。
草原。ところどころ、廃屋。そしてその真ん中に古ぼけた購買店と、バスの営業所が立っていた。
バスを降りた。店はやっていた。店の横には、屋根がつぶれかかり、柱は斜めになった廃屋が2~3軒。

帰路のバスまで30分あり、草原の向こうまで歩いた。
道路の真ん中に、次のバス停が立っていた。
「新町住宅」という名前のバス停は、おそらくここにみっしりと炭坑住宅が建っていたんだろう、という証。

あれから何度もここに来る。
まず廃屋が消えた。
それから、購買店がなくなった。上の写真は、営業所のみになってしまったなあと感慨深げに撮った記憶がある。
そして今年、営業所までもがなくなった光景を見ることになった。

まだ、バス停は消えていない。
PICT0191_R.jpg PICT0194_R.jpg

大分交通・大交北部バス,壁型,民家型


耶馬渓地区、現中津市エリアで、今のところ多分唯一発見できた壁バス停。
旧式看板まで完備、かなり貴重です。

道がおっそろしく狭いためか離合ポイントも作られていたりします。バス停の前の道路幅員がちょっと膨らんでいます。
この離合ポイントってのは、「バス路線の遺構」として残るもんでして・・・いつか、柳川の谷垣新開に写真を撮りに行くかのう。あの辺は非常にわかりやすい。

この路線(相ノ原線)はバス停の宝庫でした。素晴らしい。

西鉄バス・筑豊

meiji06.JPG さすがに筑豊といえど、現存する「坑」のつくバス停はもう3つしかない。
平恒坑・天道坑・三井四坑・斜坑はもう消えてしまった。

このバス停は終点なのです。現役バリバリです。
インターネットのヤホーでも当然出てくる上、あのいまいましい
「明治坑の賃貸アパート/マンション/一戸建て物件/分譲住宅/賃貸情報は …」
だって出てきます。

寂れた公園には子供っけなし。
しかしこのバス停には、人っ気は感じられます。それも多大に加齢臭が漂うような。
待合室にはドサ周りの大衆演劇のポスター。
いかにも年配好みの外装をしたスナック。

残った「坑」の一角、まだまだ元気です。
meiji01.JPG meiji04.JPG meiji07.JPG

日田バス,軒下吊り下げ


在りし日の軒先型バス停。
今年はじめくらいにどうも標柱が立ち、軒先のものは撤去された模様。

この軒先の置かれ方が実は凶悪で、三叉路にこのバス停は位置していまして。

1やや広い1車線道路
2二車線の改修済み道路
3林道のような1車線の小道

が交差する場所。バス停は2に面する角度に置かれていたんですね。

こんな感じです。

・・・で、ここのバスは実は1→3ないし3→1の経路を通ります。
正直、ここに探訪を始めて3~4回目に初めて気づきました。こんなんわかるか!!

日田バス,民家型


これは民家をそのまま撮ったわけではなく、まごう事なきバス停の写真です。

家の方は留守だったのですが、隣の方に色々お話を伺うことができました。

なんでも道路沿いに玄関があって、バス停も通りに出していた形になっていたのだけれども、家を改築した際に玄関が通りから引っ込んだ。玄関にかけてたバス停は、通りに面してる車庫にでもおいとけばいいものを、大工さんが玄関の奥に取り付けてしまった。集落の人はみんなここがバス停って知ってるから不便とは思わない。

・・・だそうで、おそらく道路地図がなければこのバス停は絶対に誰も気づかんでしょう。
窓の白い四角は当然時刻表です。

大分交通・玖珠観光,小屋型,軒下吊り下げ


屋根付きバス停進化系。
ちゃんと、建替えられてるようなとこもあったりします。しかもここ、上下線ともに存在。手厚いなあ。

この辺のバス停にたまに現存してる駅名板のような大きな古い看板、建物や待合室の壁に貼ってある場合があります。
近くの商店の片隅にひっそりと置かれてる看板を発見。その向かいには更にさびしげな看板も・・・。

大分交通・国東観光,ポール型


ゲー!像のバス停!!

というビッグボディチームも驚くようなロケーション、しかもバス停の名前のこのインパクト。
このちょっと上流のほうに「成仏寺」という寺がありまして、この辺の大字は「成仏」。この路線は山の上の「上成仏」に向かって走っております。

成仏に向かって走る・・・気が滅入ってきた。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

 取り外し失敗?

ちょっと行ったところに、この道が沿う沢の向こう側への集落へ続く橋がかかっていて、ここはその道への分岐点。
バス停の名前はその向こう側の集落の名前です。

今はその向こう側のほうに改修済みの県道が延びていて、こっちは寂れた旧道。