日田バス,ポール型,小屋型,崩壊系


うん、名前は凄くかっこいい。
「やまなみハイウェイ」というカッコイイ観光道路上にあります。
豊後中村駅から伸びる久住登山口までの路線は2系統あり、1系統は谷沿いの集落をなめるように回る筋湯線。それをショートカットするように草原地帯を貫くこちらはこの中間バス停一つのみで1.5往復。とにかく、行けども行けども草原・草原。

そういう集落があったのか。活火山の久住の山が見えます。

「立ってるバス停」(※このブログ独自の表現)だけど、ここに立つと文明崩壊後の地球感が半端ないです。交通量は割りと多いですけどね。

で、思う。何で大将軍なんだ。夷陵の戦いで負けた劉備玄徳が落ちのびでもしたんかな…。

西鉄バス・福岡市内,ポール型,小屋型

ロシアのバス停が凄いらしいです。
ソビエト時代に建てられたバス停を12年取材しまくったカナダの写真家さん。
http://herwigphoto.com/project/soviet-bus-stops/
ちょっとこれは凄すぎる。ソビエトというのは文化をこういう労働の日常の中に消費するのが美徳だったのかな。まあいくらなんでもジマオ財閥にはお金がなくシベリアの荒野を走るまでの金も体力も自信がないのですが、丁度近所に木造小屋のあったバス停が道路拡張で新調されていた事を思い出して行ってきてみました。

そういや路線的には、山の上に住む小中学生たちがリアルで使ってるバス停です。


このバス停を境にして西鉄バスは不採算ということで廃止の意向を出したのですが、市が肩代わりをしたお陰で「筑紫野バス」という名前で存続することにして、上下で会社の名前が違います。
 
こちらは西鉄のほう。ここは折り返し場であり、木造の大きな待合室がありました。本数多いのに狭隘路線でも知られてました。個人的には「よく立ち退いてくれたなあ」と思うくらい集落のまんまんなかを通る道路の反対側。


この機能美!!

デザイン性!!

バス待ちをするとこんな感じ。見えやすい!暗い夜も安心の蛍光灯完備。
 
道路拡張をするとたまーに、家も建てられないような小さな敷地が生まれます。
よく見ると田んぼのあぜの境界、そんな感じできっとここはそういう三角地になっていたのではと。上手く利用したものですし、このデザインもよく作ってるなーと感心するのであります。

「これはかわいい」
本気で思いました。そりゃ何年もバス停ばっか見てたらそうなりますとも、ええ。

堀川バス,古バス停

知人から全但バスの写真が大量に届きました。あまりに凄いので更新速度をちょっと上げようと思っています。

思えばずーっとバス停写真を撮ってます。
当たり前ですが廃止された路線も沢山あります。
だいたい一貫してケータイで撮っています。

八女の堀川バスターミナルから出ていたと思います。それとも久留米かな?いや、広川の役場からだったかも。どっちだったかなあ、小椎尾線。

昔のケータイの画素なので、申し訳ない。でも当時は結構いい値したケータイだったんですよ。
貴重な路線表なんです。荒木を通って久留米に行く路線が載ってます。もう、運転手さん覚え切れるのかってくらい何度も狭隘な里道を曲がりくねるような壮絶な路線でした。

ちょっと上流に川の合流点があります。おそらく洪水が起きたらきっと鬼のように溢れることがある、というちょっとした警告でつけられたんじゃないかなあ。

隣が「神社前」なのに神社のそばという。

一応当時の終点小椎尾見たさにここに行ったのですが、このバス停が一番印象に残ってます。

ちょっと前に起きた八女の大水害の時、大丈夫だったのか心配です。
撮影したのは・・・多分8年前くらい?

西鉄バス・福岡市内,ポール型

日本語ワープロを作るというプロジェクトは大変だったそうです。
何せ文字数が桁違い。
一番のネックになったのは、同じでも発音で全く違う意味になる「同音異義」語が山のようにあること。だから入力した時まずひらがなやローマ字の「発音」をキーボードで入力させて、そこから「変換」をさせる。この発明に苦労したと、先人は語っていたのを覚えています。
果てしない山を登るような気持ちだったと思いますよ。そしてその言語数は山のようにありますし。しかしユーザビリティを優先してこの山を登りきった結果、日本語ワープロは完成を見たわけです。
そしてその変換機能はどんどん進化を遂げていきます。

さてこないだの「上臼井」。考えてみたら「上臼井バス停で待ち合わせね」と変換しようとしたら
「髪薄いバス停で待ち合わせね」
と変換されて初めて気づいた、と推察されるのは想像に難くないわけで。

上臼井から行けるバスの一つ、43番は月隈という方向に行きます。「つきぐま」と読みます。

その次のバス停はその上流。
当然、「上」がつきます。

・・・

みなさんも「かみつきぐま」とローマ字で打ってみてください。
高い確率で現れます。

「噛み付き熊」!!

珍名系のバス停を集めているマニアには有名な案件。
しかしこれ、ワープロソフトが普及しなかったら絶対誰も思いつかなかったと思う。

写真撮り行った時、反対側のバス停には人待ちがいました(ので撮らなかった)。女子中学生が二人はしゃいでおりました。こんな危険なバス停なのに・・・!食われちまうぞ!!早く逃げろ!!

西鉄バス・福岡市内,ポール型

このブログ、およびバス停トークはあまり「珍名系」「難読系」はやりません。
何故かって、「面白い」というハードルは個人によって違います。
うちの近所に「いきいき情報センター」ってバス停あるんですが、それを笑える珍名のカテゴリとして紹介している方がいた。
ぼくはその面白さがわかりません。なぜなら「ああ、いかにもハコモノ行政で付けた施設の名前っぽいなあ」っていうのが先に立つから。そんなもの日本じゅうにいくらでもあるんです。その中でも笑える、ってんなら話は別だけど、これは全然突き抜けてない。

また無知というのも加わります。「太閤水」ってバス停があるんだけど、変な名前ですよね。これは珍名の部類なんですけど、このバス停の名前の「閤」の字を「閣」と勘違いして「変だ、変だ」と紹介してる人がいた。
由来は豊臣秀吉が朝鮮征伐の行軍の際に井戸を掘ったあとがぽつぽつとあって、「太閤水」なわけです。「閣」の字にしてはしゃいでいてはこれは己の学術的素養の貧困さをさらしているようなものになってしまう。
難読系のバス停で飯塚市に「目尾」というのがあります。「しゃかのお」と読むのですが、これの由来をちょんびん氏が見事に解説していて、ああなるほどと。解説はリンクをご覧になっていただけたらと思います。だからそのハードルが物凄く低く、誰にでもわかるものだけならなんとか扱えるなあと。

曇天模様の福岡空港そば。
もし全国の薄毛でお困りで、しかも職場で
「きみ髪薄いなぁ~!俺んちは遺伝でどっちかっていうと白髪でさぁ~!後ろから来るんじゃないのぉ~?」
とか笑いに変えたいのか本気で侮辱してるのかわからないいじられ方をしている全国のアナタ!
そう、私も猫っ毛で叔父に一人向こう側に行ってしまった人が居るからわかります。

「お前がハゲろ!!!!!」

そんな呪いの念を抱いた方、沢山居たでしょう。
あなた方にこの画像を送ります。是非その呪いの念パワーを込めて、あくまで表面上は自虐ネタを装い贈ってあげてください。

さあ!!

前嫁も今嫁も散髪から帰ってくるたびにため息をつかれてもう何年たったでしょうか。
何となくまだ髪がある感じがするから大丈夫です!!

このバス停、珍名系では有名でやっぱり福岡空港そばという立地のよさもあるんでしょうかね。その道の人にはとても全国的に知られています。
福岡空港の地下鉄駅からの乗り換え通勤通学客が多く、結構にぎわってます。空港がそういうハブになるのは珍しいのでは?他地方だとこんなに街に近い空港なんてないからね。

大分交通・国東観光,ポール型,終点,鉄道跡

以前、まあここなら外さないだろうと勇んで国東半島に行ったことがありまして、そりゃもうワクワクして軽を走らせたのですがものの見事にごらんのごとく
 「立っている」(※このブログ独自の表現)
 案件ばかりで肩透かしにあいました。どの支線も結構最近に施設を刷新した感じもして、ああー、こりゃねえな、ということで国東半島の北半分で調査は終わらせて帰ったことがあります。

しかし国東半島というのは実に寺社やら石仏の多い場所でありまして、表題に出している路線の終点「文殊線」、まさに極めつけの「成仏線」など、珍名系のバス停が大変多い。
以前にも一度紹介した「下成仏」。これは地獄の門へのバス停!?

終点は「上成仏」。
天国は意外と、普通の集落でした。

ほかに本当に夫婦岩の下に置かれた「夫婦岩」とか

由来が気になる「豆腐坂」。

国東観光のバス車庫は、大分交通国東線の終点国東駅の跡を使っており、バス路線はその名残で国道を通らず海岸線側港町の細道を使うローカル線が多々あります。
これは「小原」バス停のところで見つけたもの。バス停は別に立ってました。
中に朽ち果てたベンチがあり、待合室の跡っぽい雰囲気だけはする何か。

この建物はなんだろう・・・?
最初、バス停のあとと思って近寄ったのですが、ひょっとすると鉄道のほうの遺構なのかもしれない…。

長浜。めっちゃ海に近すぎる。

小竹町コミュニティバス,ポール型

「最古の記事」カテゴリに登場するこちら。

この風景が・・・

ええーっ!!

なくなってる!!

七福団地は、見た限り物凄い人口が居たと思われる巨大な炭鉱住宅街でした。

中には雑貨店と理髪店と、あとはシャッターの下りた空きテナント。


階段を上るとここがいかに大きな団地で、かつて人で賑わってたかがわかりました。

こないだ行ってみてビックリ。
まずバス停の名前が変わっています。

・・・あの、後ろの黒い跡は何なんでしょう・・・

燃えてる・・・

た、多分、この位置関係だと思います・・・。
一緒に行ったカミさんに思わず「孤独のグルメ」の井之頭吾郎さん撮りをしてもらいました。

思い出したのですが、まだ七福ストアーが健在だった頃写真撮ってたら、わらわらと遊んでいる子供たちから
『なにこれー、雑誌とか載るとー!?』
『お兄ちゃん記者かなんかー!?』
って声をかけられたのを覚えています。
あの子達はどうしているだろう。この写真を撮ってるときに見かけたのは、ご老人数名でした。

諸行無常・・・。

何でも揃っていたあの店が・・・

何も、揃わなくなってしまいました・・・。

JR九州バス,ポール型


二つ並んだバス停。・・・だと普通は考えます。

これ、平成10年代に廃止になったJR上野線のバス停がほったらかし。
上野は「あがの」と読む難読地名。

大昔赤池駅付近でこんなものを見つけて、ひょっとしたらと行ってみたところ。

撤去しない、というのを肯定的に評価するべきかどうか・・・。
こんなバス停がほかに3個ほどありました。
田んぼのそばで朽ち果てていたあのバス停の名前はなんだったんだろう。手元にある地図では廃止済みで確認できず。

防長交通


君は山賊を知っているか?
と訊くと、広島から山口の人々は必ず
「ああ、免許取ったら絶対行くとこ!!」
と答える場所です。

中に入るまで1時間待って、中に入っても料理がくるまで1時間待ち。
※待ち時間にくつろぐバンドメンバー・てっちゃん
詳しくは語りません。ここはバス停のブログです。
恐ろしいほどの集客力と巨大駐車場。途絶えることのない行列。
その駐車場の隅っこにバス停があります。

一応都市間急行路線(岩国~周南だったかな)の途中バス停で、5~6本止まってました。が、存在感はゼロ。まるでこの山賊のオブジェみたいにたたずんでいました。

特に客扱いもなくバスが通り過ぎていきました。山賊にバスで行く人は居ないようです。
ところで一応、歩ける範囲内に岩徳線の欽明路駅があります。
そういう人もいないよなあ・・・。時間読みできないもんね、ここ。いつ入れるかわかんないし、いつ料理来るかわかんないし、いつ満足して帰ろうと思えるかもわからない。車社会じゃないと成り立たない、そういう場所です山賊。

日田バス,古バス停,壁型,民家型


以前この五馬線「鼠谷」を紹介した後、割りとすぐに新しいバス停が立ったことがありました。

今回は出野線の「出山」。

2009年に撮ったものです。
下一ツ戸の住民の方に伺ったときに
「あそこは空き家にしとるけん適当にしてもらっとるとよね」
なんて教わったバス停。

一つ手前のこのバス停「深野」が、再来訪時にきれいな柱になって立ってました。
おそらく横の水路の補修のさいに潰したのでしょうか。
で、出山に行ってみると・・・

お!

立ってる・・・あれ、でも

残ってる!!

これ、ひょっとしたら「珍百景」効果なのか。
「下一ツ戸」から二つとなりのバス停です。