金剛自動車,古バス停,終点

多分日本で一番強そうなバス事業者名、金剛自動車

大阪の南のほう、富田林市、千早赤阪村あたりに「金剛自動車」あるいは「金剛バス」というバスが走ってるのは知ってた。
明らかに強そうな名前である。ここに勝てるのは鳥取県の「日の丸自動車」辺りではないだろうか?埼玉県の「イーグルバス」もなかなか強そうだ。しかし金剛には勝てるだろうか。

北ノさんから送られてきた南大阪の死角…

まさに生首状態…!!

金剛バス、路線範囲はそんなに大きくはないのです。富田林市、河南町、千早赤阪村が主体の小さなバス会社。
一応エリア内でバス停を調べて回ったが、おそらくリノベーションがあったのか

金剛バスのバス停(スタンダードエディション)。
四角いプレートに角柱、小さい時刻表。
「聖徳太子御陵」なんて味のあるバス停もこのスタイルであった。

古い丸型バス停板はおそらく旧式なんだろうけど、よく生き残ったもんですな…。
バス待ちの場所を変えたとか、そういう経緯で偶発的に残ったものなのか。一応他の終点いくつか見たけど見つけきれんかったとです。
区画整理にも宅地造成にも道路拡幅にも、微妙に逸れた市街地調整区域然の集落の中心といった風情。生き残る条件としてはバッチリです。

地元のバス停好き(※実数的にはどれだけいるのかは不明)もここはマストなんだろうな…
「金剛の旧式はここにしかないんだぜ!!」「いや俺は知ってるぜ!!〇〇にある!!」とかあるんだろう…。

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日田バス,小屋型,終点

日田バスの老舗ローカル線も廃止に

4月に日田バスは路線の大量整理を行って、いわゆる定期便としての運行を大幅にやめてしまいました。
バス停を置いてそこに何時にバスが来て、という形態をやめるという話。
長らく日田バスの路線は、一日2~3往復になっても路線自体は維持を続けてきていたし、実質市の福祉バスとしての運行であったとしても公式サイトの時刻表には載っていたりをして維持は続けていたんですが、ついに力尽きました。


という訳で、その路線網の中で唯一壁型もバス停小屋型もほとんど存在しなかった山手線。
終点の小山小学校、沢伝いに登る路線なんだけど沢の入り口に新興住宅地と小学校がすでにあってですね。
こっから先登って行った先に小学校があるのなら、相当大きめの集落があってしかるべきとは思ったんだけど…

小学校(廃校)。

立派な学校なんだけど周囲には民家も人気すらナシ!!
昔一度到達したとき、あんまりにもおっかない雰囲気で写真撮らず帰った記憶がよみがえってくる…。

あれ、記憶と違ってて待合室あるよ?

立派なゴミ捨て場に変貌しとる…

田舎ではバス停すら姿を消しつつある

デマンドバスという形態の話。予約をしていれば運行という形で、となればバス停というのは必要が無くなる。
実際一切置かない自治体も出ています。

このバス停は廃止前に写真を撮ったのだけど、その後どうなったかはコロナもあって確認に行けてない。
ホームページで確認する限り「運行予約をしたら〇〇時頃にここ地域を運行します」というざっくりな配車予定のみがある。
バス停必要かといえば、うーん半分半分だろうか。それこそ公民館の掲示板で事足りると思う。

かつての国鉄の赤字ローカル線というものに対して、線路や駅を指さして「こんな大掛かりな物を作って」となったのと、またずいぶんとスケールがミクロすぎて貧乏くさい話。バスが廃止になるってのはなかなかどうしてこりゃ些末なスケールなんやなと感じさせられる。公共交通が無くなる無くならないという、切迫した事情ではあるんだが…。

バス停の裏には地蔵堂。

2~3軒の家が見えるんだけど、小学校もあったわけだから昔は栄えていたんだろうか、そう信じたい…。
一応道は峠に通じているようだけどこの道路は絶賛未整備で、おそらく乗用車で行ったらおっかなびっくりなとこだ!!

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西鉄バス・福岡市内,ポール型

バス停の名前にも「昭和しぐさ」というのはある

バス路線というのは鉄道と違い頻繁に路線新設が行われます。
しかし、最近のバス停新設のお知らせにときめかなくなった理由の一つに、
「最近新しくできるバス停の名前が(マニア的に)面白くない」
という問題が…。

福岡市、博多湾に浮かぶ陸繋島・志賀島。歴史の教科書には金印出土の地として掲載されてるあの島の、出土地点のバス停です。

この写真撮ったのは10数年前で、バス停は今も健在。この当時は天神系統(※福岡市の中心街直通系統)もあったんじゃないかな。渋滞も激しい個所を何か所も通るし、通しで乗ったら1時間半くらいかかったような記憶が。今はかなり手前の西戸崎というJR駅までの系統になっています。
また志賀島の市営渡船桟橋まで船が出ていて、ぶっちゃければそれが便利。渋滞知らずだしね!!

能古島と玄界島が見えます。

玄界島、いっぺんバイトで行ったな…。

今のバス停ネーミングのセンスからすると「金印公園前」でいいはずなんですよ。もし、いまコミバスでここにバス停新設、という話になったとしたら、間違いなくそうなると思う。
それが「金印塚」になるのは、やっぱり昭和の感覚じゃないと通らないんです。

韻を踏むように「塚」が続く、このセンス

志賀島の金印塚のバス停、好きなポイントとして隣にある「蒙古塚」の存在がいいんです。

このバス停もどうなんだろう。「蒙古塚」になってたかどうか。
これは基本、物騒なモニュメントなんですよね。

元寇の蒙古兵の供養塚なんです。

金印塚も蒙古塚も宅地のない人口希薄地で(※家が全くないわけではない)、この二つのバス停は割と観光目的か、といった趣のバス停なんですが、その二つに「金印塚」「蒙古塚」とリズミカルに韻を踏むように名前をつけるセンス、ちょっと今だと出ないんじゃなかろうか。

「シンプルでわかりやすいが、いろんな人に配慮しているという努力も感じさせる名前」
みたいな現代基準のアタマで考えるとこの蒙古塚もこの名前になったかどうか。蒙古軍供養塔前にしたか。それともここの小字名を付けただろうか?
「名前が特殊なバス停」というのをいろいろ考えると、自分にとってはこのバス停ふたつは外せません。
おそらく、昭和の人のセンスでしかこの名前は付けられていないと思うし、それがこれほど色濃く残っている個所はそうそうないよなと思っているので…。

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金印塚

蒙古塚

JR九州バス,ポール型

問答無用、メジャー級の珍バス停ヨシ!

最近JR九州バスから宮若市乗合バスに移管されてしまった福間~福丸線。
ここの路線には九州のバス停好きならだれもが知ってるバス停がありましてな、以前もひっそり紹介していたりはするんですが。まだこの時は「猫塚」だったのか。
JRの駅がある玄界灘沿いの町・福間から見坂峠を越えてすぐ、山中にいきなり巨大な待合室が現れる。

出来立ての頃はそれこそ、山中にいきなり巨大な白いブツが見える異様な光景でしたとも。

デカイ。ちなみに現在この付近にある民家は、少し離れた集落をカウントしても10軒あるかないかだろうか。

自分、こんなバス停沼にずぶずぶと入る前にここデザインおよび彩色した人とちょっとした縁で出会ってるんだよな…。
「塗ってる最中現地でかわるがわる地元の人が追い出し猫の話しに来るのよもう!!」
ぐらいの話しかここの話は引き出していない。まあ今後会えないことはないし稀には会う。

その追い出し猫の話である。
お寺に住み着いた大鼠に、猫の集団が立ち向かいこれを追い出す、猫たちは命を落とす。その猫たちの供養のために塚を作ったのが猫塚。ざっくり書くと他の民話でなかなか訊かない構図で、塚があり大事にされている様子を見ると猫の犠牲による何かでこの付近が救われたようなことがあったのだろうとも解釈できるし、大鼠というのはまた何か別のもののメタファーで…。

とか素人解釈は置いといて、災いを追い出した猫の話は400年語られてるとのことで、地元宮若市では役所前に大モニュメントを置かれるほどにこの追い出し猫をプッシュしている。

招き猫ではなく追い出し猫!この追い出し猫人形は地元運営の通販サイトでも売られている。
ちなみにこの猫をモデルにした「追い出し猫サクラちゃん」なるゆるキャラも存在するぞ!!気になったらチェックだ!!

最早神が宿っておられる待合室ヨシ!

昔行ったときは、この待合室はいかにも現役という感じでありまして。普通に人が座ったりしてるね~って感じのたたずまいだったのだが…

ベンチがもう神棚のように

神殿化しておられる…。

参拝の作法も生まれているのである!!

猫のなで方確認ヨシ!(猫だけにね!!)

このバス停のこのリノベーションは大成功だったようで、宮若市内のJR九州バス線にはこのデザインのバス停ポールがちょくちょく立っている。
バス停の名前まで「猫塚公園前」と改称する力の入れようが功を奏したのか、割とバス停などに興味のない層の人にも知る人ぞ知るスポットにはなっているようである。

駐車場もあるし狭いけど芝生もある。

顔ハメだってあるよ!!

裏には猫の供養塚。
時勢柄、疫病退散を祈って帰りましたバイ。
早くアレを追い出して…

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大野竹田バス,限界椅子

バス停の椅子、使うか使わないか問題

バス停ってベンチあるじゃないですか。まあ待合場所があるなら座るとこは欲しい、日よけがあるならもっと欲しい。
で、何個のバス停を見て回っているとたまに、あるんですよ…。


大分バス。竹田市の国道沿いの中鹿口。

…パイプ椅子だねえ…。

錆びついたパイプ椅子で

何が撃ち抜けるだろう?

このバス停、探索中同乗してた嫁が「これは凄い」というんで写真撮ってみたんですが(※俺的には半信半疑)


面白いもので三桁いいねがついてビックリ。
これくらいの特殊さでもアップしたほうがいいんだな~。毎回、「目新しいのを」とか「より変わったのを」とか気負いがちな性格なものでね…。もうちょっとピュアに行こう、ピュアに。

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昭和バス,ポール型,終点

博多の駅前は日本一を争うバスの往来があるらしい…

そうなのである。上の見出しに書いた通り、博多駅前にある「駅前一丁目」バス停は片道1300本強のバスが往来するヤバすぎるバス停であり…

とは全く関係のない博多バス停。

往来どころか、ここにたどり着くまでにサルが出たよ!!
バス停探索でサルが出たのは大分県佐伯以来2度目だ!!

大マジで博多です。
佐賀県の唐津市にあります。昭和末~平成頭くらいに七山村(2006年に唐津市に合併)の村内通学路線として開業。
ずいぶん前に探訪(当時は原付)したときはバスにも遭遇したんですが、バスの幕にあった「博多屋敷」がどうも正式な地名の名前っぽいということは、博多の人がここに居ついたから名前が付いたということなんかな?北海道の松前町にも同じように博多バス停があるそうで、ここもそうかもしれないな…。

ここにたどり着くまで同乗の嫁に
「今からここ曲がって博多に向かうよ!!」
ってボケて
「そうなんだ、こっち行くと博多なんだ…って遠いよ!!」
みたいなノリツッコミをしてくれてたんですが。

まさか本当に博多に着くとは思うまいて…。
嫁、妙に感心してました。
「博多ってサルが出るんだ…!」

この博多バス停からJRの博多駅までは旧七山村の役場バス停から唐津市方面に乗り換えて、浜崎駅で乗り換えで電車。うまくつながれば2~3時間あればたどり着くだろうか。
遠いようで…実はそんなに離れてるわけでもなく、微妙な…。
前来た時とバスの本数が変わってなくて逆にびっくり。

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宗像市ふれあいバス,ポール型

その船は多分時を超えると思う、いや超えるんじゃないかな

一から説明するのは野暮かもしれないので、知っている前提で進めていきます、日曜7時から日本テレビで長年放送されている「鉄腕DASH」の企画「ダッシュ村」。
村のほうが健在だったときは「ダッシュ村はあそこにある!!」なんて盗撮記事が写真週刊誌等に出たりしたものでした。

…。
ええー。

ダッシュ村のバス停です。
宗像ふれあいバス、そんなとこも行くんだね…。

宗像市の市民農園。シルバー農園だそう。
それに「ダッシュ村」とつけるネーミングセンス、大したものじゃないでしょうか。
いや、市民に浸透したという点でTOKIOが大したものなのか。
このダッシュ村には城島も長瀬もいませんでした。山●メンバーはどうだろうか…
軽く調べましたが宗像市赤間にお住まいじゃないと参加できないそう。くそう、松岡にはなれないのか…。

宗像ふれあいバスは壁式もあるんですがここは普通に立ってます。バスはダッシュ村の駐車場で折り返し。

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日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。

太宰府市コミュニティ・まほろば号,ポール型

常人が入りづらいとこにあるバス停は世の中にいくつか存在する

今日のバス停は趣が違います。

なんだ、普通に立ってるじゃん。

名前も普通。実際、ここにあるのは太宰府市の上下水道に関する事業関連全て。

本数もまあ普通でしょ。

立地も…

よく見るとここ、門の中…
でも建物は上下水道事業センター?

めちゃくちゃ入りにくいだろ!!
世の中には、めちゃくちゃ入りにくいとこまで行くバスというのは結構存在する。
まさにこれとかその例の最たるものだと思う!!

かくして私はこの門をくぐる選ばれし勇者となった

昔私は太宰府の民だったのですが、役所の手違いで下水道料金が割高で徴収されてまして、2年くらい過払いになってたことがあったんですね。
先日ようやく空き時間がありまして、市役所に行ってそのへんの手続きをしたら…。
「上下水道事業センター行ってください」
マジか!!じゃあの門をくぐって、正当な理由で上下水道センターの中行けるやん!!

という訳でちゃんと用事があって入った上下水道事業センターで撮った例のバス停です。撮影に躊躇しているシャイな太宰府市のバス停ファンの皆様、お納めください!!

日本にはそういう「選ばれしものしか行けないバス停」の話は多々ありますが、自分の知る限り極北は間違いなくあれでしょう。
長崎バス・香焼工場線「香焼修繕部」です。

ここは三菱造船香焼工場という巨大工場の敷地内に一般バス路線が入り込むという路線なんですが、社有地内だけでバス停3つを有し、平日4往復、日祝日も1往復。

このゲートにて乗客には入構証の提示が求められ、このチェックをかいくぐることは極めて稀といわれています。
チャーターバスとかでもなく!この門のとこまでは普通に一般人を乗せて!!通常の一般路線バスとしてこういう運行してるのはここだけなのでは?

いやね、今日全くバス停とかまーったく関係ない打ち合わせに出席したんですよ。
「で、仕事で三菱の造船所の中行きましてね…香焼の」
「えーっ!!」
思わず変な声出してしまった。バス停とか全く関係ない話だし、膨らんでも困ったのでそのまま必死にスルーさせたんですが、要はアレですよ!!
それ、その人にもし自分のようなバス停趣味があったなら千載一遇の合法的に写真撮りに行くチャンスって話ですよ!!もう羨ましくって!!

…でもなあ、撮れたところでネット上に公開はやっぱアカンわけじゃん?だよね、だよねー。

ところでこのバス停はグーグルも入って写真撮ってるし、別に問題ないみたいです。
なんで門になってるかといいますと、ここは実は大学が閉校になった居抜きなんですね。上下水道センターのほかにも入ってる部署があったりして、さらに奥には運動公園もあります。実はかなり自由に出入りできます。
はっきり言えば香焼工場のバス停なんぞよりはるかにスルーです。

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日田バス,発見難易度高,ポール型,古バス停,壁型,崩壊系,民家型,終点

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし


星払(終点)

出野

北川
出野線で最初に撮ったのはわずかこの3枚だけ!!
日田バスのバス停、こんなに大掛かりな趣味になるとは人生わからんもんやね!!

星払バス停の思い出


星払、最晩年。


1枚目の写真ののちすぐに標柱が建て替わるので、あまり写真を撮っていない。
この末端の出野~田代橋~星払近辺は壮絶な狭隘路で、狭隘バスマニアの心をわしづかみにして離さない路線であった。

山を越えた先は「星野村」。そういえば佐賀の終着バス停にも「星領」があったし、山の頂上付近の集落には結構星の付く名前が多いのかもしれない。星の付く地名は隕石伝説という考察もあるらしいが、これ以上の深掘りは本職の民俗学の方々にお任せ…。佐賀の星賀は港だし…。


次の田代橋バス停。
普通のバスが入ってくると思えない狭さが続く。

日田バスのボロイ方の標柱。これが立っていると普通のバス停じゃんと落胆したものだったが、ひょっとしたらこの形で立ってるのも現在では少なくなっているんじゃなかろうか。

出た、往復できない1往復運行。最晩年。
田代橋は大正15年建造のアーチ橋。バス停前から分かれる村道にかかっており、石橋マニアにはそこそこ有名なんだとか。

北川バス停の思い出


この出野線、出野を出た後数少ない民家のある集落に時折バス停が…というくらいの森の中の人口希薄地を下っていきます。
途中の森の中に、分かれ道だけがあるタイプのバス停があります。

バス通り沿いには民家はなく、分かれ道の奥に民家があるタイプのバス停はよくあるんですが、この分かれ道のその先のなさそうっぷりはどうよ!

一応廃止直前だし(?)今年も写真に…

おお!柱が変わっちょるね!!

…。

岩が…。


北川集落はこの山道を相当登ったところにあったらしい。
現在グーグルの写真地図では家も何もなく、一応国土地理院の航空写真サービスを調べておそらく平成頭まで集落があったんじゃないの?くらいの知見を得た。昭和50年くらいのものには何軒か家が確認できる。

他出野線のバス停


首なしだった柚の木バス停。

グーグルマップで見るとさらに趣深い。

更に降りた「仏石」。

ちゃんと普通のバス停だって撮ってるよ…

この川は大丈夫だっただろうか。

画像庫に入った白焼け写真。
バス停小屋は藁置場…

伝里バス停でした。やっぱり藁置場!

もうちょっと下流の、下一ツ戸~出山周辺の思い出は次回!!