日田バス,古バス停

おそらくこのアナウンサーの手の部分にのびてる縦方向の道のどこかが「竹尾橋」になるのでしょう。


災害ニュースを見てたくさんのバス停写真群を眺めました。小野地区のバス停は小鹿田線、この路線は通学用路線として比較的本数が残っていて、また下流も人口の多い住宅地を比較的長めに通るので「普通のバス停」が多かったんです。なので通った記憶はあれど、あんまり写真に撮れてない。 そんな「普通のバス停」なのに風景に心を奪われて撮った写真。

小さな床屋さんの向かいに立っていました。

木の下にぽつんと立つバス停。

ツイッターでこの写真を上げたら、地元の住人の方が二人ほど「ありがとうございます」と感謝のレスをくださいました。写真を撮ったのは9年前。実はこの道路、拡幅されて今は2車線の道路になってます。

「十何年前毎日通った景色です」という地元の方の返信は、慙愧に堪えないものがありました。かけがえないものを喪う痛み。それも理不尽に。心中悼み入り極まりない。あえて「悼み」と書くのは犠牲者が出たからもありますし、ここを一緒に車で走り抜けた、助手席にいた亡き嫁のことを想い出してのことであります。

去年「今村」に行っているので当然ここは通りました。道が新しくなってるなあ、おしゃれなパン屋さんなんかできてて相変わらずドライブスポットやなあと。そこが、あんなことになるなんて…。
たくさんの住民様方のご無事と、一刻も早い復旧を願っております。

西鉄バス・福岡市内,ポール型,古バス停,終点

世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」
というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。
しかしここは色々事情が特殊。

場所は南区の井尻六つ角。
県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。
 
首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。
朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。
この折り返し場を拠点にする46番系統のために。
そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には
  
ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。

大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。

福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。
ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。

これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。
書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家暮らしの時
「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」
というライフハックが存在してました。覚えてます。

今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。

バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。
どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。

なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。

追記

この後、この折り返し場は廃止。今はこの敷地は女学院の学生寮になり、時代に一区切りがつきました。

大分交通・大交北部バス,古バス停,民家型,終点

去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。

中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。
だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。


ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。

終点にこんなものが残っていたのと
 
途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。

ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。
コミバス化というのは全然悪いことではないのです。
偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが楽しい。

全但バス,ポール型

あ、これあれだ。日本のマチュピチュとか言われてるあれですね。タモさんと宇宙人が行ったやつ?
そこにほど近いバス停です。

こういう標柱+電柱のダブル攻撃バス停があったのを思い出したのですが、

まさか兵庫にも同じようなやつがあるとは思わなかった。

標柱が真新しいのを考えると、ひょっとしたら小屋があって、取り壊したやつをそのままそこに残しているのか、今から小屋を建て替えるつもりなのか(全但バスはやりかねない)、まあ色々想像は付きません。

大分バス(佐伯地区),擁壁,道路構造物一体型


うむ、立っておるな。
と侮ってはいけない。グーグルマップで見たら怖ろしく圧倒されるバス停だった。

見よ、この法面吹き付け工!!

下から見上げるとなかなか壮大。
こういう斜面対策の構造物と一体化させて待合所を作る例というのは実はあんまりありません。
道路ののり面台帳的にはこの部位はどうなっているんだろう…。
待合所がテトリスで微妙に残ったブロックみたいになってるのが面白い。

かなり遠巻きで。あの山の上からブロック落ちてくるんやな・・・

西鉄バス・福岡市内,終点


名前から縁起がいいバス停。と言いながら私ギャンブルは一切やりません。
これ撮ったのいつくらいなんだろう。とにかく大昔。
そういや福岡市の地図を見ると、寄生獣のミギーみたいだなあと今になって思うんですが似てません?あの手の鎌みたいになったのが志賀島で。いや目玉か。

同意を得られない場合「シンイチ、ツメタイ」と拗ねることにします。平野綾の声のほうで。


まあ、そんな志賀島の先端にあります。バス停は海岸べたではなく、農村に引っ込んだとこです。
志賀島には漁師町の集落が二つ、ここは農村のほう。
終点の佇まいも思いっきり農村集落の終点。


農協の購買店なんかがありました。当然今はなし。田舎の購買店って角打ちがあったりしたよね!!
これ撮ったのは13年かそこら前。結婚(一回目)前だなあ。確か海にドライブ行く、といういかにもカップルなことしてる最中についでに撮りに行ったのでした。なんでこの写真庫の次には前嫁(故人)が写ってました。

海のバカヤロー!!

何でこんなもんが落ちてるんだーーー!!!!

懐かしい冬の玄界灘の思い出!!ああ、おかしい人…じゃなかった惜しい人を亡くした。

太宰府市コミュニティ・まほろば号,ポール型

平成以後、九州でコミュニティバスを最初に走らせたのはわが町太宰府だそうで。
民間バスが村営に譲渡(さらにコミバス化)という例は大分県の中津江と上津江にあるのですが、まほろば号、走り始めたときは
「凄い博打に出たなあ」
とも思いましたが同時にバス停空白地の観光地も新興住宅地もたくさんあるゆえ、うまくいくかもしれんなとは思ってました。

定着しちゃいましたねー。この成功で、周辺自治体がこぞってまねたという。

このバス停は山の上の国分団地にちょいと寄り道する、という趣のヒゲ線の折り返し点。
でも待合所もお店もあって、まるで昭和からあったよう。
商店は団地の山の上にはほんとにこの1軒しかなくて、山奥の集落の雑貨屋さんみたいになってます。

これも30年位したら、大分のバス停みたいに味が出るんだろうなあ。もう開通して10年過ぎてるし、随分と貫禄も出てきました。

本当に元からここに西鉄線があったわけでないのに。
不思議な貫禄があるこのバス停。

ここ、なかなかの狭隘路線でもあるので、乗りバスにもお勧めです。
自分もごくまれに使うことあるんだよな・・・マルキョウで砂糖が98円のときとか・・・(※生活観あふれるエピソードを何故、ここで挟む)

西鉄バス・筑豊,小屋型


バス停小屋の維持管理というのは
大分「古いものを大事に」
福岡「スクラップ&ビルド」もしくは「徹底放置」
と県民性が見事に分かれるところだなあと思うわけですが、ここはもう大事に大事に徹底放置されてる感がいつもします。変な日本語かもしれないが行けば理由がわかる。

社宅、いっぱいあったんだろうな~。

農村の地名由来みたいな名前ですが、元炭鉱街の社宅の真ん中のバス停といった風情です。

もと商店だったのか。

中、スゲエ落書きだらけです。これも県民性なのかなー。まあ学生感丸出しで、いい感じですけれど。それも味か。
HDD掘ってたらもっと昔のも出てきました。ガラケー時代に撮ったやつかなー。

まあ、変わらないといえば変わらないか。

太宰府市コミュニティ・まほろば号,小屋型


近所のコミュバス、内山線。古めかしい立派な待合室とベンチと広い折り返しを備えてます。
よくある光景・・・何だけど。

どこもおかしくないんだけど、実はこのバス停できたのは平成。しかも、西鉄もバスを通していなかった。

終点の貫禄は昭和っぽいんだが、不思議だ・・・。
まあ、ネタばらしになりますと実はここ、路線は開通してなかったけど、正月になると毎年太宰府天満宮の裏手から無料バスが正月出てた場所。竈門神社と宝満山という山の登山口がある観光スポットです。

思えば正月になると毎年前嫁とここに初詣に行ったものでした。
なんだかんだでバス停と故人、思い出は尽きません。散策旅行に厭な顔一つせずついてきたカミさん。当然ご当地の美味い飯やめぐりがついてくるからで。
実は写真の中のどれかに写ってます。クリスマスイブなんで。こんなブログでも、思い出に浸りたいのよ。
まあ今嫁もバス停散策に付き合ってくれるからいっか…。

(追記)
2019年ごろから内山のある竈門神社、アニメ「鬼滅の刃」効果で時期によっては恐ろしく混むことがあり、下手したらバス運休もあるそうです。
まだ付き合いのある太宰府のメガネ屋のお兄さんが言ってた!!

広電バス,ポール型

あけましておめでとうございます。
やー、年末年始忙しかった。
挨拶遅れて申し訳ないです。

広島、行って来ました。持ち時間は厳守!!
今回はバス停分は薄いです。音楽の話が多めで。

広島で「バス停トーク」やろうと決めたきっかけは、6月のバス停トークにさかのぼりまして。広島から深居優治君という新進気鋭のミュージシャンが
「広島でもやりましょうよ!」
「おれ、ヲルガン座でいつかライブしたいんだよね・・・」
「じゃあ俺、企画します!!」
なんて会話になったのが実現して。

来てしまったよ・・・!十日市のバス停すぐそば。

バンド「たま」をご存知でしょうか。「イカすバンド天国」とか「さよなら人類」とか、まあそれくらいのワードしか知らない方々が世の中では大半ではありますが、私目はといいますとですね。

※この先の台詞はバス停で言えば「うわあ、この十日市のバス停中国地方式すいせん型と電照型のハイブリッドだねえ」と盛り上がってるような感じのマニアックトークと思ってください。
「でったーーーーー!!!ここヲルガン座は知久さんが『おるがん』という歌作ったからオルガン買ったっていきなり家に置いてたのを柳原さんが見て呆れたという逸話で有名なあのクギユキピアノ製『イグリーグ』がおいてあるたまファンにとって聖地!!」


店主のゴトウイズミさんもこんなツイートを残していただきました。人間からは開放だそうです。もはや妖怪になったようです。

ほら、ほっといたら大学生くらいの自分に戻る…

ライブは大成功。写真は京都から来た共演のみつきゃすたーさん。

沖縄のごちゃまぜバスの話で大盛り上がり。

で、十日市のバス停。

中国地方のバス停って大体こんな形で、黄色の支柱二本にバス会社のついた丸板。

バス停名は黄色い鉄板ってのが定番なんだけど、広島市街地になるとこんな電照型とのハイブリッドもあるんだ。

他にも何箇所か発見できました。
つぶさに見てみると珍しい部類。こういう考察まで行くと・・・うん、バス停奥が深い。深いぞ。

呼んでくれた深居くん(何故か写真が1枚もなかった)、次も期待しててね!バス停沼掘ってくるよー!
この日のバス停トークは過去最高画質でした。ホントに楽しかった。