島鉄バス,限界椅子

限界椅子シリーズ第二弾

以前大分で見た、サビサビのパイプ椅子使ってたバス停のような「限界椅子バス停」が嫁は大好きで、いつも車窓で「あ!あれ!!」と声を上げてきます。
「限界椅子」って人間椅子みたいでカッコいいね!!

路線は長崎のバスマニア的には「島原の旧県営エリア」というと一発でわかるでしょうか。
もう島鉄のバス停看板もこんなに錆びてしまって、時が流れるのは本当に速いもんです。

今回は二択!!

死にかけのデスクチェアか

そこの切株か!!


※からあげのるつぼ君は結構長い付き合いの知り合いです。なんか有名になってしまったな…。

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あれ?切株は別に持ってきたもんだったの!?

長崎県営バス,ポール型

工事写真台帳(1)

フルーツバス停を撮った某日、結構観光客と思しき同じ目的の人々が多く。
普段バス停を写真に収めるなんて人々はおそらくそんなにいないのでしょう、様子を見ていた嫁曰く
「一人だけ動きが的確でさっと済ませておった」
だそうで。
そんなわたくしの写真撮影のスタイルは、今も昔も変わっていないのですが一貫して『工事写真』です。
公道なんで周囲を確認して(絶対に上下両方向を確認しましょう、慣れがあっても危険です)


遠景

近景

近景(反対側から)

詳細
美しい映えスポットも、業務用のキャプションをつけるとアラ不思議!
あっという間に道路構造物点検調査報告書(その1)みたいな感じに早変わりですね!!
そんなもの普通の人は見ないか…。

この井崎バス停は上下線ともに待合室がありまして、県界(※実際に行先は「県界」です)方向の下り線はイチゴ。

粒々の質感…
なおイチゴも草から成るので、厳密には野菜です。

工事写真台帳(2)


長戸バス停。

やっと木になるやつが来たので、本物のフルーツ!!

枝の質感がリアル…

長崎は柑橘の栽培が盛んです。
柑橘畑がそこらじゅうにあります。
学生の頃、そんな長崎の柑橘畑の真っただ中にある寮に住んでいたのですが、夜は結構その果樹を目的にした昆虫が窓ガラスの明かりに群がってくるのにはマジで参りました。
窓ガラスに張り付いたカメムシの数を数えていたあの同級生、こないだ親の病院継いだとか言ってたな…。

一時間一本ぐらいじゃろ、みたいな都会者の邪推を打ち砕く、割とある時刻表。
フルーツバス停地帯、途中で「諫早~山茶花高原線」と合流をするため本数が少し増えます。
さてここまで来て気付いたのだが、

メロン(※ウリのなかま、厳密には野菜)

すいか(※ウリのなかま、厳密には野菜)

トマト(※ナスのなかま、っていうか野菜)

いちご(※バラ科だが草生、分類微妙だけど野菜らしい)
と案外フルーツなのか野菜なのか微妙な作物ばかりを扱っていることに気づかされるフルーツバス停。
…まあバス停の形にきれいにデザイン的にも予算的にも収まる果物、ブドウとかバナナとか長崎名産のビワとかは厳しかったからでは?
まあ、パインとかドリアンとか実現したら危険だろうなとか、想像だけするのは楽しいですな。
リンゴは実は九州ではほとんど栽培されていません。木になってるところを見たことがほとんどない。
そういえば91年ごろって国産のレモンとかほとんどなかったよね…

あと1回でこのまとめ終了!!

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大分交通・大交北部バス,珍名,ポール型

深耶馬渓のそばを食べながら考えた

思えばこのブログを始めたのは20年前に作っていた個人サイトの日記で、バス停行ってきたよコラムをたまに書いてたら
「ジマオ君の日記、バス停モノは面白い」
と知人女性が言ってきたのが最初だったような気がします。
ここ数日、久しぶりに更新した際にふと思ったんですよ。なんか筆が進まなくて。うーん、ここはどんな感じで平の文を書いていたものか、と。
初心に戻るというか、ウケたことがあるときどんな文章だったかとか。
おおよそ前身含め休み休み15年近くやっている計算なんですが、そういえば明確にバズったことはないのよね。だから後者は特にないとして。
初心に、戻る…
それを冷静に考えてみたら、50近いオッサンが30半ばで書く文章をこしらえようと考える事態…
おおこれは寒い、もう少し年相応にですね、文豪にでもなったくらいの佇まいを考えてみてはどうだろう?
年相応…とか、音楽活動でもそんなこと考えてたっけ…?

細く長く、粘り強く行きましょう。
とろろ蕎麦のごとく…
まあ、この歳迄続けてるの偉いな、やれなくなったことも多々だけど。
深く考えず、素で行こうと思います。文章力が落ちてたら、そりゃもうそれまでよ。
最近大分行くときこのそばにドはまりしています。
深耶馬渓のとろろ蕎麦本当においしい。

そんな深耶馬渓のもうちょっと山奥に…

岩肌の中にバス停発見!!

軍艦岩バス停です。

辺り一面は岩、森、川、そして岩。

背中にでっかい一枚岩。

特に集落がある訳でもなく、ひたすら岩と森しかない真ん中にポツンと。
道路地図で見ていると、なんか変わった名前のバス停あるなと気にはなってたんですが、ここまでバス停と岩以外何もないバス停とは思わず。
実際ここらを車で走るとわかるんですが、岩肌が迫る道路が延々と続いていて。
心の中でバイきんぐ小峠に「バス停も岩なのかよ!!」と叫ばせると結構心情的にマッチします。

え?軍艦岩はって?
確かこのアングルの先にあったような、見たような…
絶賛撮っていないのである。
(心の中のバイきんぐ小峠に「でしょうね!!」と叫ばせてみよう)

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サンデン交通,ポール型,小屋型

畏れ多い珍名バス停としては日本髄一

実は日本には何個か「天皇」がつくバス停がありまして、徳島県の四国交通というバス会社には「天皇森」、惜しむらくは廃止になった愛媛県のせとうちバス「天皇」バス停など。まあ天皇にゆかりのある地名が付いた場所にあるバス停が生まれたのなら、天皇がついて何が悪いの、と言われたら…

…はい、「様」です。

いや、結構すんごいとこだった。すぐ下流はダム。登ったさ、ひたすら。

一緒に行った嫁には「珍名だよ!!名前は着いてからのお楽しみ!!」と告げていたせいか、この名前に大満足!!

この名前について。
この近くに「安徳天皇御陵墓参考地」があります。
壇ノ浦の合戦で入水した幼君・安徳天皇の亡骸がここに弔われている、という伝承のある場所の一つと言われています。
このバス停から歩いてさほど離れていない場所ではあるんですが、ここから直接は見えない。

「天皇様」という字名からバス停が付いたのか、この陵墓そのものを指してこの名前が付いたのかは不明だけど、まあどちらかでしょう。
「様」が付いているところが、土着的な生々しさを感じます。

とはいえこの場所、特ににぎわってる風でもなく、観光地として人を集めるわけでもなく。あまり人気のないダム湖の奥にある集落に、異様な彩を添えて聳え立ってる印象はぬぐえず。

ここ、上下線ともに立派な待合所があります。

天皇様だけに貴賓室と呼ぶべきか。

それは不敬だと思います。

付近に世帯は4~5軒くらいしかなかったんじゃ。
流石に、管理は厳しいかな…

こう切り取るとなんかCDのジャケみたいだ。
「天皇様」でなければ。

でも片道で本数はこんな感じで、「意外にある!!」と思っている。
実際帰りにバスにすれ違ったし。
まだまだ廃止は先やと思うで!神の国!!(※さりげない神の国発言)

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長崎県営バス,ポール型

ご無沙汰していました

一説によると音楽活動等を行っているこのブログの主ですが、なんと「音楽をまじめにやってる時」も存在するらしく、割とその時期はブログを書くための脳の領域を大幅に食っている状態になります。まあまさにこの数か月はそうで、ちょっとおじさんマジになって音源をこさえたり新曲を考えたりしておりました。一応こんな作品を作ったりで何となく頑張っていますが、メジャーデビューとか言う気はさらさらありません。この歳で寒いわ!!
個人的にバス停を探しに行く活動は怠ってはいないのですが、ブログ脳はなかなか切り替わりが大変です。ありがたいことにライブで遠方に行く機会も少しながら増えつつありまして、バス停の写真だけがたまっていく…これではいけない。

実は昔からある元祖映えスポット

最近になって、主にインスタの影響なのか話題になってるのがこのフルーツバス停。
長崎県の諫早市から佐賀県に向かって伸びる有明海沿いの国道を走る高来・小長井線の沿線の10バス停+αに存在します。


リアルです。

これ、実は結構古い。
というのも筆者は高校時代長崎の高校に通っていて、連休の際は福岡に帰省をしていた車窓から見えた記憶があって。
出来たのは昭和末期かなとも思っていたが、どうも平成2年の長崎旅博覧会がきっかけらしい。

現在天気のいい日になるとスマホを掲げた家族連れがいっぱいになるほど。この釜バス停は特に後が海で、人気も高い。
次はスイカ…築切バス停。釜の二つ隣りになる。


スイカである。

何となく切り口もリアルな気がする…

県営バス、現在は一時間一本に来る12~13往復。
割と実際の生活レベルで使われているバス停でもある。
バス+徒歩で回るのというのも、そんなに非現実的な話ではないと思う。

大久保バス停。変化球でトマトである。
まあフルーツトマトともいうしフルーツだろう。
あまり言いたくない話だが、メロンもスイカも実は厳密な分類では野菜なのだが…

おもしろバス待合室の先駆けはどこだろう

猫塚(福岡県宮若市)

今泊(長崎県西海市)

などいくつかの場所で大掛かりなおもしろ待合室を目にしてきましたが、ここまで10数か所も同じ地区に点在しているのはこの旧小長井町のほかはそうないのではなかろうか。まあ言われてみればこういう「おもしろ待合小屋」というのは今まで
「うわ、バス停改修して新しくなってるな~」
みたいな感じで流し見をしてた(※我ながらヒネてるなあ)ことが多いんだけど、深く考えると案外その数はなくね?とも思う訳です。
上述の今泊に関しては実は、小長井のバス停をまねて魚で企画したものの一つ。猫塚も90年代後半くらいに出来たもので、小長井よりもずいぶん後のバス停です。
そして、小長井モノより前のものを見つけに行くのも面白いかもな!

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さいかい交通,ポール型

妖しい月が恐ろしい怪物を…


表題みたいなサムネイルが出来上がってしまった。

恐ろしげな一つ目の怪物をモチーフにしたバス停…

長崎と佐世保の中間、東シナ海(五島灘)に面した西彼杵半島の北端から、3本の橋でつながってる崎戸島のさらに西の突端近く。
崎戸町には4つ、魚をモチーフにしたバス停が置かれており、ここはその一つ。

元々この島は炭鉱があり、また高低差が多く他地方に比べて比較的バス交通が普及・発達した長崎県らしい事情もあってか、本数はちゃんと多い。
隣の大島まで走っている。

謎の生き物感半端ない…

SAN値の低下しそうなバス停

さて、別に謎の生き物という訳ではなく、どうも鯛らしいのである。

ああ…こうしてみると、これが後ろ姿で。右の身は切り取られた…と。

あー、この角度から見るとなかなか鯛ですな。

しかし車道から見るとこんな感じであり、やはり禍々しい月が遣わした名状しがたい何かに見えるのは致し方がないのである…。
なおこの日の同行者の報告なのだが、このバス停のジムにポケモンを置いたら19日間防衛していたそうだ。

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さいかい交通,ポール型,小屋型,終点

みんな大好き、行き方のわからない終点

先日「マニアが喜ぶバス停とは!?」みたいな話をとある商業クリエーターさんとメールでやり取りしてたんですが、そこで自分が述べたもので
「路線表のはじっこだったり終点だったりするのはみんな好きです」
とはっきり私論をぶちかましましたが、多分これは正解だと思う。

学生時代を過ごしたのは長崎でありまして、住んでいたのは西彼杵半島の根っこ、時津という長崎市から北に行ったところ。この半島は非常に平地が少なく、山と海が複雑に入り組んでいる地形。長崎市と佐世保市を結ぶ最短ルートであるがゆえに道路は非常に整備が早く、バス網も結構充実していた。自分のいた時なかった路線は時津北ターミナル付近(先久留里止めがあった程度で現埋め立て地は広い空き地でもあった)、小口港、水浦廻りか。亀浦延伸はぎりぎり覚えてて、よく乗った風早行きが消滅したのを惜しんだ記憶はある。
長崎バスって今はどうか知らないけど、車内に会社の全路線表が絶対貼ってあるんですよね。
長崎バス全路線図公式サイト

この路線表を見て育った長崎バスっ子で、この画像の右のほうにある幸物支線に一度行って見たいと思った子は絶対多いと思う、いやほとんどだと思う。多分。きっと。

30年後の幸物を、今と変わらず愛しています

さて、ワイも高校卒業して今年で30年。

やって来てみた!!
ええー…

なんつうかですよここ、集落どころか家が全く見当たらない。
山中路線だとよくある「脇道の奥に行くとたくさん家があるタイプ」の、県道沿いのバス停に散見される立地らしく。

汚れは気になるが立派な待合室。

新しい柱…
余談だが四角い名称版を使っていたのは古いタイプで、平成に入ってから市内を中心に丸板に入れ替わって行ったのを覚えているので、四角のものがこうして新しく更新されているのを見るとスゲエとなる。

時刻表。実はこの年末年始のお知らせのところに、現存していたものでは最古級の路線図がつい最近まで貼ってあったらしい。
そこには「青雲学園」「光風台」が入っておらず、昭和60年以前のものになるのではなかっただろうか。惜しいものを見逃した。

使われてる雰囲気はしない。

行ったこの日は1/4、全国的には休日なのか学休日なのか微妙な日。到達時刻は16時20分で…

そう、あと50分したら実はバスが来たかもしれず、幸物行きバスを拝めたんじゃね?というチャンスではあったのだけれど。この日は嫁と同行であったのでさすがにそこまではせず。

そのまま県民の森の方向に向かいました。
あの頃たどり着けなかったあの場所をただ見に行く、それだけなんですけどなんでこんなに妙な感動があるんでしょうかね?
「マニアが好きなバス停とは?」に対するアンサーとして、そういう感動がある場所もその一つだよね、という結論を見たのでした。

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宗像市ふれあいバス,ポール型

食ってみな!飛ぶぞ!!

茂みの中に現れるバス停…。


宗像ふれあいバスは「神の前貯水槽」「名残ダッシュ村」となかなか微妙なネーミングのバス停があるのだけど、多分普通の感覚だとこれが一番珍名と思うのではなかろうか。「クエバワカル前」である。段天は字名か。
場所は神湊の海岸沿いの集落の中で、大昔はこの経路にも西鉄バスが走っていた時代はある。神湊~玄海役場~鐘崎の路線が生きていたころの話。

しかし、クエバワカル…とは!?

いや、実際行けば単純にクエバワカルの前なんですよ!!
じゃあクエバワカルとは!!

客扱いをする飲食店としてやっているかはわからないですが、横にある寿司屋がクエバワカル。

撮影しに行ったのは真昼間だしなあ、あいてるかどうかすら見に行ってねえや…。

神湊は漁港の町。観光客向けの海鮮問屋やすし屋などが並ぶところで、割と古くからあるようであるからまあ実際美味いのではなかろうか。実際に行ってクエバワカルということで。え?ブログにしたためるくらいなら行こうよって?うーん、いつか行ってみるか…。

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大分交通・国東観光,ポール型,終点

「するってえと金蔵、西のほうってのは一体何処なんでぇ」

国東半島の終点。
国東市側のバス停は結構ちゃんと標柱を立てているところが多いんですが、友人から
「西方寺はなかなかいい」
みたいなメンションをもらっていて、ちょっと行ってみたくなった。


西方寺の一歩手前のバス停。そうかあ、一日1往復か…よくあるね!
もう、こういうの見るのも麻痺してそういう反応ができる自分もどうだかと思う。

そして終点。
路線としては沢をひたすら登るという感じで、学校や店や公共施設、神社仏閣名所がある訳でもなくただただ農村地帯であった。

国東の終点は結構巡ってたつもりだったんだが一目で初見と気づく。

文殊

上成仏

この二つとも寺があったり集落がそこそこ大きかったりしたんだが、ここは本当に何のイベントもないまま終点にたどり着いてしまった。
こういう終点って、逆にそそるものがあるよね!!

時刻表もストリートビューもない終点にあるものは…

このバス停、ストリートビューがない(!)。
もう一つ大事なものが見当たらなくて

スゲエ!!何と時刻表が全く見当たらない。
風で飛んだかなんかだろうか。真相は知らず。
公式サイトなどでは一応やってる…はずである。

そんなこのバス停、一つだけ意外なものがあって。ポケモンGOのジムがあるのである。
ポケモンGOジムはバス停ではなかなか却下されがちな物で、別にバス停が認定されてるわけではないんだが、バス停のすぐ脇、田んぼの畔の下にあるお堂がジムとして認定されていたりする(!)。到達の証にポケモン置いて帰ることができるよ!!
同行者いわく50日くらい防衛してたとか聞いたぞ…。


ジムはあるが、結局時刻表はない。
一応一往復半あるはずなんだけどね…。

西鉄バス・筑豊,小屋型

2020年10月、日本全国でバス路線の廃止が

4月と10月はバス路線の廃止などが多く発生する月です。
つとに今年の9月末廃止の多さは、後々語り継がれるんじゃないでしょうか。バス事業への長年の不況に加えてのコロナ禍。
大分ではこないだ発見したばかりの今畑が廃止になるとのこと…。

さて西鉄バスの福岡県の北部にある直方地区も大幅に廃止が決まっておりまして、この市は旧炭鉱街を縦横無尽に走るバス路線が特徴で。
中でもJR(国鉄)バスとの競合関係もあり、祭り縫いのように県道の回りに接しながら脇道を抜けて大回りを繰り返す10番系統宮田線は非常に面白い存在であった。

直方市の二字町の旧市街を抜けた後、県道21号に合流し西に行くかと思えば百合野団地の脇道に入り南下、そのまま大回りしていったん県道に戻った後に宮田の旧貝島炭鉱付近へと迂回して炭鉱・炭鉱住宅・国鉄駅などを嘗め回し大回り。北上後宮田の町役場を抜けてまた県道に戻って、今度はさらに北へ西へと集落を回って鍋蔓線状に倉久・中有木・十石とのたうち回るといった様相で。
度重なる廃止の末今は宮田の役所までになっているけれど、この大回りぶりはなかなか類を見ない。
この路線も9月末で全廃になります。


大回り区間にある筑豊最後の炭鉱町。菅牟田の炭鉱に分け入って、宮田の貝島炭鉱方面に向かう丘陵の上。

バス停、廃止寸前だからなのかこの周辺のポールはボロボロ。

歴史ある路線なんだけどな…

本数は平日(片道)7本とそこそこ残っており、今なおちゃんと生活動線として定着しているのがうかがえる。

接写すると昔の行き先とか浮かび上がらないか、と考えたがどうでしょう。出て「中有木」だろうかね…。
ここのバス停の名物が

これである。

稀少な西鉄バスの木造バス停小屋

西鉄バス、大昔は木造待合室も軒下吊り下げも存在していた記憶はあるのだけれど、その存在の記憶はあくまで当時福岡市在住の小中学生の行動範囲でしか観測できなかったものなわけで。

流石に筑豊の田舎にホイホイと車で行くような身分ではなかったので、こんなところを知る由もなく。

正直よく倒壊しなかったな、と感じる外見。

出自は待合小屋じゃなく商店だったのかしらん。出入口の構造見るとその面影あるかも。
この「キップ・回数券売り場」看板の現存はここぐらいじゃなかろうか。まだ他にもギリ発掘可能か?

実は向かいの道で工事が行われていて

対向車線のポールは残念ながら撤去済み。

ムネン アトヲ タノム…

工事関係の物置代わりにもなっていて寂しさが募る。
とりあえずこのバス停もあと5日。残念。

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