大野竹田バス,壁型,小屋型,崩壊系,終点

極狭峠道の上の車庫バス停

前行ったときは2016年。
初めて訪れた時と、情景も運行本数も全く変わっていないのに正直驚き。


おっそろしい山奥のバス路線。

この看板の「フリーバス」とは「バス停じゃないとこからでも乗れますよ」というやつね。

相変わらずとっ散らかった待合室。

納屋なのか待合室なのか全くわからないが…

時刻表はちゃんと現役。

とはいえここでは落ち着かんよね…

ここはなかなかの立地条件の厳しいとこで、ほとんど平地のないとこに無理やり作ったような、退避場に車庫を無理くり置いたような。
転回場そばはもう川になっている。一応道路拡幅の予定はあるみたいなんだが、その時はここも無くなるかね…。


だいぶん減ってしまった大分バスの壁バス停なんだが、ここは完全に現役。

車庫の中には運転手さんの車が止まっていて、朝ここに来た運転手さんが始発バスをこの車庫から出して。
最終便でここに戻り、バスを泊めて車で帰っていく。

前の道幅はバス一台分で、そんな場所なのに結構工事用のトラックなんかが通りがかった。バスで鉢合わせたらどうなるんだろう?


河面の先、山を越えていくとこんな郵便局に到達するよ!!

ストリートビューはこちら

筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型,民家型

山と山と山の間の集落

こないだアップした三箇山公民館の隣のバス停。


三箇山の集落を抜けると、山と棚田が見え。人家もなくひたすら、山と棚田しかない景色。
櫛木の集落は県道から脇道に入ったところに、森に埋もれるように佇んでます。
これがなかなかの秘境感。道も非常に狭い。

こんなところに、正直バス停があるのが凄いと思った…。

隣の三箇山と同じく、掲示板に貼ってあるスタイル。こちらはちょっと外に貼ってますね。

本数うんぬんよりここまでバスが来てるのは正直偉いと思う。
新品のこのバス停プレートも嬉しい。地元の集落の人はどう思っただろう。
おそらく有史以来ここにバスが来たことはなかったと思うのだ。

バスでたどり着いても自家用車でたどり着いても、ここは相当の達成感があると思う。
ここへのアプローチはバスが来る夜須町から、飯塚市側から、朝倉市側からどれを通っても峠を越えなくてはいけない。
果たして何もないかと思いきや、この盆地近くの集落にカフェとソフトクリーム屋さんなど飲食店は少しばっかしあるそう。


それにしても正直筑前町のバス停、こんなに面白いとは思わなかった。まだまだ掘ったら独特のたたずまいのバス停が見つかりそうだ…。
いろんなところのコミュニティバスを掘ってみねば。

ストリートビューはこちら

筑前町地域巡回バス,壁型,民家型,終点

久々・本格的にバス停を探しに行く旅

バス停探索用にグーグルマップ・ストリートビューと併用してナビタイムの地図検索を使っています。
グーグルのもの、バス停の位置情報は一部は載っているものの、地方ではまだまだ未掲載。
それで調べて、ナビタイムにはバス停あるけれど、グーグルのストリートビューには載ってないものが出てきました。
車で行ける場所なんなら、ぜひ行ってみようではないか。


この辺が、ナビタイム地図でバス停があるあたりでストリートビューでは何も見えなかった箇所。

…んん~

ばっちりありますな!あっさり発見!

家に帰ってもう一度グーグル見てみると写真には全くなく。…でも、この時期下のほうにある別のバス停は載ってたりして。この撮影日と思しき日はなぜなかったかは謎。延伸とかかね…。

落ち着いて写真に撮ってみてみると、大分・日田バスの川原と同じ趣のあるバス停。

この待合スペースといった風情も最高。
福岡県の筑前町曾根田という集落にあります。バス停の名前にある小字・坂根を冠した古民家料理屋もある模様。

平成生まれの味のある景色はまだまだ埋もれているはず

今まで日田バスなんかの景色に魅了された中で、「昭和っぽさ」とかそういう言葉のくくりの下でこれはいい、と評価してきたものはたくさんあったのですよ。

でもこのバス停、生まれは2013年とかでバリバリの平成。

実際この景色とか、自分も流石にノーマークで本当に驚いた。
まさかこんな風景が令和の世に…という感じではあるんだけど…

まあバス停自体のフォントを見たらこれやっぱ令和やねえ。

バス停としてはここが行き止まりの場所。この風景の向こう側にバスは下りていきます。

ストリートビューはこちら(※当然バス停は何もなし)

奈良交通,民家型

住宅街の真ん中にある絶滅危惧種

北ノさんからもらっている奈良交通のバス停をなかなか消化しきれないのはいかんいかん。
中には「住宅地の真ん中にもあるんですよ!」みたいな触れ込みで頂いたものも。


場所は大和郡山市の、市街地に取り残された感じの旧道の真ん中にあるバス停のようだ。
軽く調べてみればここはやはりそこそこ通には有名なようでぞろぞろとバス停のアップ画像が出てくる。
しかし…ここ本当に道狭いな!!


西鉄バス飯塚市内線の潤野あたりをほうふつとさせる蓋なし側溝の怖さ。ここにバスくるんだよな…という絶望と、本当に来た時のさらなる恐怖…。

今まで軒下のバス停といえば「もう寄り添う建物なんてこの家しかない!」みたいな山奥が多数なんですが、ここは
「すごーい!!どの家にくっつくか迷っちゃう!!」
くらいの勢い。
軒下系のバス停ではありえない本数も魅力的だ。毎時2往復くらいか。まあこないだの尾道の長江2丁目南校下と同じくらいか?

向こうの軒下とかのほうが待ちやすい気もするが…

さてこのバス停、残念ながら今はなく。(※撮影は2016年です)
というのもこの道に平行してトンネルもあるような大掛かりな新道が完成してしまい。バス停もそっちのほうに移転をしてしまいました。
奈良交通の移設のお知らせもここで読める。そもそも隘路にバスが入るのは交通安全上よくないし、ひいては運転手の職場環境改善に一役買うのだ、仕方はなかろう。
過去のストリートビューを表示するとかろうじて見ることはできる。しかし奈良県、おそるべしやな…。

ストリートビューはこちら

おのみちバス,壁型,民家型

おれの尾道三部作(2作目)

結局尾道ではバス停を三つしか写真撮らなかったのですが(※あと一つは珍名)、これを聞いて
「尾道まだ軒下バス停あるよ!!」
って返事が来たら絶対次行く。でも多分、この二つだけじゃないのかなという確信もないでもなく。


狭い。この道通って、複数の路線が隣の市町村の中心に向かうバスもあるくらいのメインストリートだった時期もあるようだ。
中国バスのウィキペディア項目見ると、この路地を通るバスの光景は一番の「見どころ」であるようだ。

発見したのは同乗中のうちの嫁。これは美しい、軒下型のバス停。
まあ柱立てるような道幅じゃねえよな。

尾道の港のほう向け

山のほう向け

尾道市営バス時代最後の遺産なのかな?

ここを走る路線は旧尾道市営バスのエリアに中国バス(本社は隣の福山市)が乗り入れる形で運行されていたようだ。

味のある古看板に

市営バスの看板。

おのみちバスは市営の第三セクター移譲。運営の移譲が起きるとバス停というのは施設更新が行われるもので、大分県で軒下・壁型が大量絶滅をしたそれと同じように、おそらく生まれ変わったのであろうおのみちバスのキラキラしたルビー色の標柱が市内のあちこちに立っておられました。

ここと、隣の長江二丁目はなぜ生き残ったのであろうか。まあ生き残ってくれたことは自分のような酔狂な人間には感謝でしかないし、一度訪れただけに過ぎない異邦人にはまだ見つけられもしない生き残りがいるのでは、という希望もはらんでいるのであります…。

ストリートビューはこちら

筑前町地域巡回バス,掲示板型,発見難易度高,壁型

有史以来バスが来れなかった集落は多い

田舎の地図を眺めていると、隅々の集落って有史以来一度はバスが訪れているんじゃ?と思うことはあるが、実際はそんなもんじゃない。
バスが通れるような道路が開通するのと、自動車運輸輸送の発展の歴史とその衰退のタイムラインと。田舎では特にそれらがアンバランスで、特に地形的制約が発生する峠の奥の山間集落や、海岸べたの閉ざされた港町なんかにはバスが訪れたことなんて一度もない、みたいな集落は山のようにある。


朝倉郡筑前町、旧夜須町の三並付近は昔からバス空白地。「西鉄100年史」の1968年ごろのバス地図でもぽっかり空白になっているし、かといって集落も道路もないわけでもなく、小学校や郵便局なんかもあるし人口が皆無という訳でもない。
そこから先のさらに奥、三箇山・櫛木などの集落のある夜須高原に至っては、ゴルフ場や国立青少年自然の家なんかが建っているがここにバスが通ったという話はほぼほぼ聞かない。地勢的に道路はこの集落を流れる川の沢を下った隣の筑穂町(現飯塚市)側に先に開通してしまっているし、こういった行政境界線と地勢のアンバランスな集落はどうしても秘境化してしまう。

四方が山。

道の駅がある三並からつづら折りの峠道を15~20分くらい登って、たどり着くまで一苦労。
まあそんな集落です。

…ここのどこかにバス停がある、はず…

え?

掲示板内バス停という新ジャンル

新ジャンルと言っていいのだろうか…

公民館の掲示板に貼ってあるという新しいスタイルである。

実際、ここが初めてという訳じゃなくって、結構日本中のコミバスでこれは出現していたりする。
ただ「コミバスの試用運転です!!」ということで各地区の公民館伝いにまず試験運行、みたいな流れでできたようなものがいくつか発見されていて、それらも本当にエクセル出力の時刻表だけが掲示板に貼ってあるだけという例のほうが多い。
ここのように本番プレート(※微妙に斬新な表現)をそのまま掲示板に、というのは初めて見た。
貴重な掲示板のスペースが恒久的なバス停の掲示に占用されておるがよいのだろうか。村祭りの告知とか、がん検診の告知とかはいいのか…。

そう思うと心なしか窮屈な掲示板にも見えてこないわけでもない…。
撮影後、下界の道の駅で、ハイエース改造のここ行きバスとすれ違い。あの峠道にこれから挑むんやな…と遠い目。

ストリートビューはこちら

西鉄バス・筑豊,発見難易度高,壁型

何気に老舗の西鉄バスの壁貼りバス停

そういやこのバス停、昔から知ってはいた。


反対側は普通の待合室バス停なんだけど…

向かいの壁に

…!!

ひょっとしたらひょっとすると「こうなっちゃった壁バス停」では最古参の部類で。
実際福津市の東バス停よっか成立は古いと思うし、見かけたときは
「事故の後の臨時措置かな」
って思ったこともあるくらい。東がああなったのももう15年くらいたってると思う。同じくらいか?

場所は飯塚市の中心街から少しだけ離れた個所で、このバス停のほうが飯塚バスセンター行きのほう。だから、バス停的に待合室で人が待つシチュエーションは

こちらより

はるかにこちらのほうが高い。
このアンバランスよ…。
最近筑豊にまたこういう案件が新たに発生したらしく、今後は西鉄沿線もくまなく見て回らないといけないかもしれんな…。

ストリートビューはこちら

筑前町地域巡回バス,珍名,壁型,擁壁

バス停の名前はざっくりしていないといけない

以前紹介した「神ノ原貯水槽前」のバス停名、かなりモヤっとくるものがある。
そのモヤッとの正体って何だろう?
バス停の名前の王道「〇〇前」の〇〇に入るには、「貯水槽」は微妙じゃないか?という話です。
個人商店でギリギリ、貯水槽はバス停の名前を背負うには微妙に格が足りないのでは…と。
このもやっとするギリギリ、いくつか集めて今後このブログで紹介しようかとも考えています。

今日のはそのもやもやの境界より少し、ざっくりラインより下のほうにあるバス停です。
嫁と南のほうに出かけた時に発見。電信柱貼り付けの時点で、名前以前に特殊案件。

草生した防火水槽、いいねー!!ナイス田舎!!

いや、この名前。
ふ…付近。
付近て!!

コミュニティバスのバス停名には期待大

平成から日本中にできたコミバスですが、バス停名はかなりフランクというか適当なものも散見されるようになり。
いわゆる「珍名バス停」を収集する人々にとっては
「これは、何が『面白い』の基準か見極める時代になったぞ…」
と戦々恐々ではないでしょうか。

一応筑前町のコミバス路線表を見たところ、これレベルのモヤモヤするネーミングは「玉虫お寺前」辺りだろうか…(※個人の感想です)。
さて、このバス停なんと生意気にも。

道路の反対側が…

民家の壁式!!

しかし付近交差点!!

しかしバス停オーラゼロの一角だ…まあまだ歴史の浅いコミュニティバスなんてそんなもんだなあ…。

ストリートビューはこちら

おのみちバス,壁型,民家型

それは10年くらい前に見たウィキペディアに遡る

ウィキペディアで「バス停」を調べると、昔軒下のバス停出なかったっけ?
いまのその項目では最早そんなもんあったっけな感じなんですが、一応ワイも調べてみた。

んー、やっぱあるね!!
詳しくウェブアーカイブの資料を見ていると2014年の8月には差し替えられているらしいが、確かに存在した。
場所は広島県尾道市。
そして、所要(音楽事)で山口県の岩国に用事がある次の日に、夫婦で行けるチャンス到来。
行くしかねえじゃん!!という訳で行ってきました。岩国から3時間くらい下道かけて…


…うわあ、どこだよ…

事前資料とストリートビューで改めてみてみよう


事前資料はこれ。ウィキペディアのサーバ内に画像データだけ残っており、うまく検索すると閲覧可能。
そしてストリートビューである。

最近のストビュー、バス停はここと示してくれることもあるが…
これがまったくもって見当たらない。
夫婦による探索は困難を極め、またこの道路い狭いのに異様に交通量が多く。あきらめかけたその時についに発見した。

あ!!

目が合った!!

軒下バス停は建物が無くなっても死ぬ

ようやく発見、しかしこれは…

軒下ではないが、民家の壁型のバス停。

民家というかこの建物が何に使われているかはついぞわからなかった。

しかしまあ、あきれるほどに狭い。ただこの道路や路線自体はかなり尾道市内でも重要路線である。実際短い滞在でバスが2台くらい通った。
滞在時は「この建物の軒先に吊るしていたものか」と考えていたのだが、のちに調べを進めていると資料写真では隣の家の壁が今のものと異なることが判明。

…うん、車庫あるし違うよね…ということでもう少しストリートビューを見ていると

…あ。この左の空き地…
ちょっとストリートビュー動かすとわかるけど、家が一軒分駐車場になっている。
なるほど…この家に下がってた?

軒下バス停の変遷的に民家の壁に残されて存続しているのは意外。日田バスでさえもポール立てたのになあ…。
いつまでも残ってほしいです。

しかしウィキペディアに乗ってたあのバス停に会えなかったのは残念ですなあ…。

ストリートビューはこちら

宇美町ハピネス号,小屋型

「昔は普通の子供だっだのに」

宇美町は福岡市のベッドタウンの元炭鉱町。山中に取り残されたような公営住宅街が残ってると思ったら、それを取り巻くように工業地帯や新興住宅街ができたり。農村が残ってたり。
ここの町営バスはほか自治体のものにありがちな、既存路線の廃止代替目的が大変少ない。その補完的な役割で、町の施設を結ぶ福祉バス的な運行をされてるとこが多い。このバス停は数少ない西鉄バス路線の廃止区間にあって、実際バス停自体は現役時代はポールが立っていた。

まあ、待合所もそのまんまなんだけど…。

凄く立派なのである。洒落ているのである。

…何ゆえにここは壁に貼ってあるのか…。

導入で書いたとおりで、この宇美町の福祉バス「ハピネス号」はかなりの区間で西鉄バスと併用区間があるんですな。
併用区間では西鉄バスのバス停に間借りしてバス停を置いている。
このバス停は間借り先のバス停が廃止になってしまったため、バス停はやむなく…


と推理したがいかがなもんだろうか?

「昔から実はあんまり普通でもない」

とはいえこのバス停、ちょっと元々立地が特殊な路線のバス停だったのは多少語り継がなくてはならんと思っている。
ここは元々隣の障子岳から、上障子岳まで向かっていた支線の一バス停。上障子岳はここから2つ先でした。
まあ短い支線といえば短い。

上障子岳、と書くと普通の山の集落ぽいんですが、ここ何と山の上にある福岡刑務所と、その職員官舎の真ん中
本村の次は「官舎入口」だったし、上障子岳は刑務所の門の前。

大昔は一日5~6往復くらいあり、稀に出所者も使ってた…時代もありそうですが、この待合室ができたのちの晩年は一日1~2本程度の運行になってたしなー。

そしてハピネス号の経路的にここだけがバス路線の残ってるとこになり。今やここが刑務所一番近いバス停に…いや、もっと近いとこもあるのか?
昔は刑務所に併設して職員官舎の町があって、小さなストアもあったりしたんですが今は何にもない模様。それじゃバスもいらないわけだよおっかさん。

ストリートビューはこちら