大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ


大分交通系統のバス会社のもので、初めて発見した軒下バス停。
見つけたときは声を上げてしまった。

自分の遍歴は福岡市→長崎市(郊外)で、この二つの市ともに共通するのが「バス会社が発達しすぎてる」ってこと。バスに関する施設の充足は特に事細かで、長崎バスに至っては印象として「ぼろぼろのバス停なんて見当たらないよな?」ってくらいどこも標柱がきれいだったりする。
つまり、軒下型なんて昭和中期の遺産が残ってる望みなんざ、はなっからない街にしかいなかった訳で、こういうものを見つけて一喜一憂する自分は大分県ではきっと寓話「一つ目村」の主人公さながらなんだろうなあ。

待合室に見えるようで、実は単なる民家の車庫。

道路は改良工事の真っ最中。
福岡の県境まで延びてはいるがこの県道、いまだに峠越えは果たせていない。

大分交通・玖珠観光,小屋型,終点,軒下吊り下げ


えらく立派な建物の軒先に、ひょっこりと顔を出すバス停。
バス用の車庫が鎮座している。

例えば朝の第一便、山奥の学生たちや通勤者が朝一で町にバスで出かけるとして。その山奥からの始発便は、町の車庫から早朝から回送で、くたびれるような長い距離を走って始発地にたどり着いている・・・と思うとそうではなく。始発地にあらかじめバスを止めて、運転手もそこに宿泊して、朝の第一便を運行するのに備えている。
福岡市内にもいくつかその名残があって、金武という集落に比較的最近までそれが残っていたなあ。東区の大岳は今も残っているかもしれない。

豊後森駅(玖珠町)~守実温泉(旧山国町)を結ぶいまどき珍しい峠越えの路線。豊後森からの夕方最終便だけがこの梶原で止まって、夜を越します。以前別のこういう車庫で見かけたけれど、いまどきの運転手さんたちは自家用車でここまでやってきていて、バスを止めたらそれに乗ってお帰りになられておりました。

日田バス,民家型,軒下吊り下げ


五馬線にあるバス停の王様。
その神々しい軒下バス停は、そのあまりにも軒下にあるという立地から、今までなかなか写真に収めることを躊躇させてきた。

ここはさすがに家の人の許可がいるだろうと思い、何度ドアチャイムを押してみても留守だったのである。
残念ながら上は遠巻きの写真。しかも携帯、画像保存サイズを間違えて小さいまま。これはいつか果たすその日までの宿題だったのかもしれない。

で、今日アタックしてみたら家人が表で園芸をしてらっしゃいました。早速了承を取るべく聞いてみる。
「あのう、すいません。このバス停の写真、撮らせていただけないでしょうか?」
「いいですけど、これそんな珍しいですかね?」
家人の方は、全くてらいのない表情でそう答えた。

写真を撮る間、このバス停が以前、「大坪尻」って名前だったのにいつの間にか「小坪尻」になった、という話をして頂いた。
撮影終了、丁重に礼を言い、幾重にもお礼をして現場を離れた。

日田バス、最近になってやっぱり標柱を作り変えているようだ。おそらくこのバス停も、もうじきそれに取って代わる予定だろう。それどころか、例の高速道路1000円の施策のおかげでこの一日2本の過疎路線自体が消えるかもしれない。日田バスのドル箱と想像していた高速バス路線のリストラが、先日発表になっているのだ。
いろんな意味合いで間に合った、という気分でいっぱいになる。
本当に家人の方、ありがとうございました。

日田バス,軒下吊り下げ

日田は割と古い商店街が元気だ。この町にはそういえば何とかモールやら、何とかタウンやらが存在しない。
街中を走ると、「おい、昔ながらの軒先バス停、まだ残ってないかな?」って気分になる。
まあ実際そいつをリサーチするにはきっと、自転車が必要だろう。
自動車でのリサーチは危険だ。わき見運転は事故の元だ。
一度レンタサイクルでも借りてみようかな。あるかどうか知らないけれど。

・・・さて、街中にほど近いバス停で、今のところ唯一見つかった待合室タイプのバス停。
サッポロビール工場のちょっと下のほう。阿蘇・津江方面から日田の温泉街に向かう道の、大山川左岸を通る旧道沿いに、ちょっと目立つ形で鎮座しています。バスは、前津江ローカル線(赤石・大野線)のみがここを通る設定。

周辺人口、非常に多い。ゆえに車量も多い。
だがこのバス停に止まるバスは、一日3往復。まあ、実用性はないに等しいといえるだろう。
狭い裏通りを自家用車があくせくと通り過ぎる景色の中、時間が止まったようなこの待合室のたたずまいは、いつ来てもなんだかやるせない。

日田バス,軒下吊り下げ


日田バスの有田線は、公式サイトにも載っているにもかかわらず一応市の福祉バスに転換されている。
バス停のほとんども市の福祉バス用のそれに変わっている。

俺は日田バスのバス停としての「王手石」や「缶詰工場」が見たかったけれど、それはまあ仕方がない。
いや、この路線にそんな名前のバス停があるわけよ。
スッゲーそそる名前と思わね?
・・・無くなってしまったのだから男ならぐっと我慢だ。
一応行ったけど、真新しい標柱はやっぱ興ざめた。

さてそんなリストラクチャーをくぐりぬけて、早い話取り壊したり取り外したりが面倒なバス停が4~5個現存していたりする。とはいえちゃんと、真新しい標柱も一緒に設置してあるんだけれども。
終点・岩下の一歩手前のバス停。

美しい。
なんつうかこう、峠道の木陰で日傘を指す清楚なお嬢さんみたいな、そういう景色だった。
いや、幾つもこういうバス停には行ってるんだけどね。そんな感情になったのはこのバス停が初めてだった。

何でそんな感情になったのか、いまひとつ言葉にできないんだけれど。
桜の季節にもう一度訪れてみたい気がした。
あの木、桜だったら出来すぎだよな。確か違ったと思うけど。

日田バス,民家型,軒下吊り下げ


塚田の続き。

温泉に入って、とりあえず帰路に着くことにはした。
五馬線に沿って帰ろう、新しい発見があるかもしれないなんてちょっと考えた。
確かに、再探訪の際路線表の見落としが発覚することはある。
この日の温泉への往路、実は「中園」というバス停の見落としが発覚、真新しい標柱が立ってしまっていたのだ。もっともそのバス停は村で最大の雑貨店のまん前で、標識ゼロ・時刻表のみ雑貨店の軒先に掲載だったという可能性も否定できないから、まあすっぱい葡萄だったと思うさね。ふてた顔で。

さて復路。五馬線は主要地方道・天ヶ瀬阿蘇線を通るのだが、所々が2車線に改良済み。
三日月湖のような旧道の入り口付近にバス停が配置されている。奥に行くことはないだろう。

そんな旧道の入口にある「ゲートボール場前」バス停。
旧道の出口部分はさほど離れていなくて、目視できる距離で再合流しているのがわかる。
ふと、野生の勘が働いた。
向こうに見える森は下り斜面のようだ。地形的にもあの旧道にはそう大きな集落はなさそう、今までそう判断してきた。しかし本当に、第六感的なひらめきでそこを曲がった瞬間・・・

・・・が、上の写真。

「ゲートボール場前」からは100メートルあるかないかの距離。
わざわざこのバス停のために、バスがここに入り込む必然性。
その軒先型とも壁型ともつかないフォルム。

考えれば考えるほど赤瀬川原平の考現学のような考察が頭をよぎってしまう。いやー、大発見をしてしまった。

日田バス,軒下吊り下げ


軒先型のバス停は絶滅寸前なんだけれども、院内町の「月の俣」のように、取り外しがめんどいから放置してるような例もあった。

このバス停の路線はいつかはわからないけれど、大分前に廃止になっています。草の入江という集落まで伸びていたようで、終点のあった場所には待合所が別用途で使われ、そのまま残っていました。

おれ愛用の15年前の道路地図にはこの路線が載っていて、ひょっとしたら路線跡みたいなものがあるかも?と一縷の望みをかけてアタックしたのです。
・・・結果は大吉と出た。って言うか驚いた。

見事な軒先型です。
訪問時間、夕方の6~7時。
はい、期待してなかったんです。本当に驚いた。

 

日田バス,軒下吊り下げ


在りし日の軒先型バス停。
今年はじめくらいにどうも標柱が立ち、軒先のものは撤去された模様。

この軒先の置かれ方が実は凶悪で、三叉路にこのバス停は位置していまして。

1やや広い1車線道路
2二車線の改修済み道路
3林道のような1車線の小道

が交差する場所。バス停は2に面する角度に置かれていたんですね。

こんな感じです。

・・・で、ここのバスは実は1→3ないし3→1の経路を通ります。
正直、ここに探訪を始めて3~4回目に初めて気づきました。こんなんわかるか!!

大分交通・玖珠観光,小屋型,軒下吊り下げ


屋根付きバス停進化系。
ちゃんと、建替えられてるようなとこもあったりします。しかもここ、上下線ともに存在。手厚いなあ。

この辺のバス停にたまに現存してる駅名板のような大きな古い看板、建物や待合室の壁に貼ってある場合があります。
近くの商店の片隅にひっそりと置かれてる看板を発見。その向かいには更にさびしげな看板も・・・。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

 取り外し失敗?

ちょっと行ったところに、この道が沿う沢の向こう側への集落へ続く橋がかかっていて、ここはその道への分岐点。
バス停の名前はその向こう側の集落の名前です。

今はその向こう側のほうに改修済みの県道が延びていて、こっちは寂れた旧道。