日田バス,壁型,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

2020年4月廃止の出野線バス停写真の御蔵だし

思えば出野線はこのバス停、下一ツ戸のインパクトが一番高かったな…。
最初に行ったときはここの隣人の方に撮影許可取ったの、よく覚えてる。その後テレビのナニコレ珍百景でも紹介されたらしい。
このバス停がこうなった経緯、詳細は昔書いた記事を見てほしい。

遠巻きに道路から俯瞰するとこんな感じ。とてもバス停を発見できるとは全く思えない。

一応今年、最末期に写真撮りに行きました。結局最後までこうでしたよ、このバス停。

これぞ日田バスのバス停。本当に惜しいバス停を無くしたよ。


その二つ先、荒平(2007年ごろ)。

そうだよな!!これが日田バスだよな!!

…なんと一年後に家が取り壊し!!

荒平付近、地元の方がたくさんの風車を置いている家がある。

これが結構壮観なので、ぜひなんとか映えを狙っていただきたい。

そのうちもっともっとグレードアップしたりするだろうか…。

日田バスバス停フルコース、出山バス停

出山というバス停、最初発見した際は


普通に民家の玄関のとこに貼ってあるだけのバス停だったんですよ。

日田バスの壁バス停の看板って3バージョンあります。
おそらく一番古いのが、隣の停留所の表記が入ってるやつ。

昭和50年代後半廃止の中津江村内と皿山線の一部にいくつか残っていました。
五馬線の「袋」天ヶ瀬の「小松屋前」に今なお現存したり、日出生線・山浦線などで見かけた黄色いマルハラ醤油バージョンはほぼ同時期だろうか。バス停名にふりがなが打ってあるやつです。

そして四角のバージョン。この四角のバス停プレート、実は日田バスの標柱って基本的に

丸型。そう、古い四角のやつは軒下か小屋にしか使ってないんですな。


出山って三つそろってたんですよね。

四角の標柱はつい最近のもの。日田バスと同じく福岡の西鉄バスの子会社化している、大分県のバス事業者・亀の井バスでも同じようなのを見かけたから、そういう流れだろうか。

最後の年。

壁にある時刻表、古いの多いぞ…。


十数年前の時刻表も貼ったまま…。

さようなら出野線


思えば日田バスのバス停を撮ろう、と再認識させてくれたのはこの出野線の終点星払が最初なわけで、その山のてっぺんから麓のこの深野までいろんなバス停で楽しませてくれた路線でした。
後の高架は国道210号線です。

バスの写真撮る前はバスセンターで貰える時刻表集めたりもしてて、この路線の時刻見て仰天したのもいい思い出です。
その頃に写真撮ってれば…とも思うけど、その時のケータイのカメラってしょぼかったよね…。
そもそも写真撮る趣味はおろか習慣がなくって。デジカメとかも持ってなかったし。

この深野のバス停小屋は早々に取り壊されたの覚えてる。
無くなるんだよね…。

バス、にまつわる遺構は本当に跡形なく消える。
まあ、この趣味の良さでもあると割り切って入るんだけど、こればっかしは仕方がないのだ。
いつか出野線の途中にある料理屋に、恩返しのつもりで食事に行こうと思う…。

ところでこのバス停、四角形の看板なんだけど…。壁だったりしたんかな。

大野竹田バス,軒下吊り下げ

大分軒下バス停、風前の灯火

今までたくさん扱ってきました大分の軒下バス停、もう正直絶滅危惧種となってきました。
確認しに行った「安藤」、家が無くなってました。4年前に見に行った時と記憶違いもなく。やっぱりもうあの時バス停は建て替わった後だったのでした。
結局現存してる軒下バス停は…本当に少ないよね?
正直山間部などの「見つかりやすいところ」は見つくした感。あとは地道に発見していくしかないけれど、例外的に市街地にポンと現存してる、とかいうのは正直意外に発見が難しい。そういうわけで

白丹、「しろに」と読みます。
温泉があったりします。


この錆!!
熊本との県境付近。バスも県境近くの「梅の木」まで伸びてます。

本数に関しては…うーん。


この路線、割と広い道路をずっと走るのでバス停はいたって普通に立っているんですが、白丹付近のみは旧道に入ります。
なんで軒下バス停が残ったロジック。

終点梅の木方向、熊本の方角を望む。

廃商店のわびしさよ

ここ、グーグルマップで調べた限りだと商店だったようで、2013年時点ではまだ店ののぼりだけは立っていたりします。

が、残念ながら店はやってない模様。
大分の軒下バス停って、調べ始めた当時ほとんどが商店併設だったんですよ。
ちょうど「ポツンと一軒家」というテレビ番組で、大分県を訪れた回がありまして。
家主さんが商店をやっていた理由を聞かれて
「ここはバスが走りよりましたけんね…」
とつぶやいててですね。文脈としては「バス停といえば商店が要る」というニュアンスをさらりと語られたことが結構重要で。
軒下バス停はそういう商業文化、流通スタイルがあった時代の名残なんでしょう。

この商店が大分の、軒下バス停商店の最後だったのかもしれない。
いや、何か思い出したら残ってるかもしれないんだけどね…。

軒下バス停は意外と看板は新調されてること多いんだけど、ここは古めかしいままです。

ここもいつまで残っているだろうか…。

ストリートビューはこちら

五條市生活バス,軒下吊り下げ

八木新宮特急バスの枝線

八木新宮特急バスという日本最長のバス路線があります。
奈良県の橿原市、大和八木駅から和歌山の新宮駅まで。所要時間は6時間半、三往復。
元々この路線に軒下バス停があるのをテレビで一度見た記憶があるんですが、紀伊半島をバイクで縦横無尽する北ノ君から
「あの辺?なら行ってきまひょか?」
とナチュラルに方言で返事をしてもらったのが、奈良の軒下バス停写真をいただいたきっかけ。

立川渡です。
このバス停のある枝線の奈良交通五條~日裏線は2008年廃止、五條市生活バスに移管だそう。

後の看板よ!!今あるのか診療所!!

バス停の形が奈良交通まんまなのは特注かなんかだろうか…

バス停をリニューアルするにはカネがかかる

この支線の別のバス停見ると、ポールはそのままで看板だけ差し替えた感じ。
奈良交通は独特の看板の形なので、それはそれでお金が要ったのではと推測される。
バス停のポールにはいくつかメーカー品があるようで、コミュニティバス移管となるとそういったものに一括変換されることはままある。
いっそそっちに統一、のほうが予算が下りやすい自治体もあるはずだろう。撤去業務も設置業務も増えて、ささやかながら工事屋が多少儲かる。
それは間違っていない。

でもこんな軒下が残ってると、やっぱそのままにしてほしいよね!!

上茄子原、立川渡から2バス停山を登る先。
コカ・コーラの看板も凄い…。

こないだ矢形のあったとこ行ったんですが、背の低い標柱が立っていて何にもなかったんだよね…。
まあ意地でもこんなバス停残してくれ、みたいな反対運動起こすとかは勘弁です。こういうのは無くなるから美しい。

夏には行きたいなー。

ストリートビューはこちら


立川渡

上茄子原

四国交通,軒下吊り下げ

四国のちょうどど真ん中

北ノさんファイルからの軒先バス停写真。

何と四国交通のものがあるではないか。
四国交通は徳島の西、三好市…というよりは阿波池田というとわかりやすいかもしれない。そのあたりを中心にしたエリアで運行中です。
バス停名は…

名頃下。それにしてもこりゃ鉄板が古い。いつぐらいから更新していないんだろう?

と思って色々路線について調べてみる。路線はJR大歩危駅から祖谷渓に向かったそこから先。久保までが四国交通の現存路線で、そこから先の末端部分の名頃まで(季節運航で剣山の登山口にもいくらしい)は昔に撤退しており、名目上は三好市営バスがここを運行しているようだ。
この市営バス部分がどうやら廃止前のバス停施設は据え置きのまま運行しているようで、
このバス停の二つ下の菅生

米屋の看板にさりげなくある

も一緒に送られてきているし

栗本バス停

モザイクがかかっている謎のバス停

あたりが点在している。壁、軒下、古めかしいポール…ひとこと言えるのはめっちゃパラダイスということだろう。
理想の残り方である。

バス停はさておき、かかしの里とは


そうなんである。このバス停、かかしがとにかく置いてある。


村おこしの名目でかかしを置き始めた場所、という趣らしい。
ストリートビューをつらつら見ると地元住民の努力で、他県から観光客も停まって行くようになっているようだ。
200体以上いるとのことである。(参考サイト:三好市公式観光サイト

これはぜひ自分で行ってみたい、と思うんだが恐ろしいほどの山奥。
北ノくんの旅のスタイルはバイクなので、狭隘路の恐怖とかないもんな…。まあ、四国上陸したらマストで向かうとこということで。伊予鉄と一緒にね。

一応四国交通の軒下もあるにはある

久保から降りた辺りはバス停がきれいに設置されているのだが、

現役のものもあるようだ。

公式サイトの路線表で見ると「和田下」「和田中」「和田上」があるんだが…

ここは和田のいかほどで?

※ちょっとブレイク,小屋型,崩壊系,民家型,軒下吊り下げ

柚の木(亀の井バス、大分県別府市)

2016年に竹田行った際の帰り道、道を間違えて変な場所に出てしまいレンタカーの返却時間を考えて断念したバス停。その時は存在していた。
別府を中心に展開する亀の井バスのおそらく唯一の軒下バス停だったのだが…

先日初めて立ち寄ってみたが予想以上の立地の凄さに感動してしまった。バスが通ると思えないような山道が続く。
在りし日を伝えるちょんびんさんのブログはこちら
廃止跡はユーバスという地元のコミバスの標柱のみが立っている。軒先は跡形もなく残念。

広平終点(祐徳バス、佐賀県鹿島市)

佐賀県南部に展開する祐徳バス。昔からある事業所なのに近年まで公式サイトがなかったことで(※マニアに)知られる。
長崎県県営バスとの県境乗り継ぎ路線や、珍名「1B」「2A」などのバス停、駅からそんなに遠くもない干拓地に延びるバス停2個分の支線新篭線(1往復)など、ローカルバス好きの心を久すぐる路線が勢ぞろい。近年路線整理が進んでしまって、それらの路線は廃止となってしまっている。
終点がごみ置き場にはっつけてある壁?バス停であった。

ここに至るまでにいくつか「広平」の名前が続いてこの「終点」。道路地図などにもこの名称が記載されていて、マップトラベラーの郷愁を誘ったという。2019年廃止。
よく見ると標柱の土台があったりするんで、ごみ置き場が標柱の代用だったりしたものか。かなり長い間この姿であったらしい。

竹の内(大分県大分市)


大分南部の旧道沿いにひっそりあった軒下の壁バス停。まだ残ってるだろうと先日行ったら残念ながら撤去になった後であった。
バス停はほど近い路地の中に移転、またベンチなどは残されており、バスが旧道部分に入るのは存続しているので狭隘路線マニア(※バスがわざわざ狭いとこに入るのをこよなく愛するみなさん)は安堵してほしい。
そもそもこのバス停の目の前の交差点から路線が分岐するんで、届け出とかが面倒なのもあるのだろう。キロ数変更とかあるだろうし…。

東中畑(福岡県宮若市)

旧JRバス直方線の支線、筑前日吉までの路線の終点近く。
小学校も近く集落があるのにバス停がない一角だと思っていたら…。
地元の人が道路わきで産直市を開いている周辺の小屋に時刻表みたいなものが貼ってあり、プレートなしのバス停なのかも…迄は知ってた。
いやいや、本当にこれバス停なんか!?様子見!!
とか思っているうちに標柱が新たに立った。
撮っておけばよかった…。

青のやつが問題の小屋。ストリートビューではつつましげですが、開いてる時は多少賑やかです。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

日田往還での発見

まだ日田バスのバス停を見つけたばかりでウキウキしていたころ。
日田バスのバスセンターでは時刻表が配られていまして、日田バスだけでなく大分交通の日田~中津のバスの時刻表が入っていました。
鉄道好きだと、1976年まで残っていた大分交通耶馬渓線の完成経路といえばわかるでしょうか。
この時刻表には気になる但し書きが入っていました。一日1往復の「伏木経由」。

行ってみると、今や国道からそれた脇道。1車線の狭い道路沿いに、集落から逸れてしまった山の中にバス停が。
これ見た瞬間に「え!こっちもあんの!!」となったのは言うまでもなく。


うーん、道はまだ先に続く。こうなったら先に行ってみようじゃないか。


おおお!やっぱりあんじゃん!!こういうバス停!!

日田市と中津市を結ぶ国道212号線が今越えるのは、大石峠のルート。トンネル等の整備で曲線が少なく向かえるルートはこちらであり、鉄道もおそらくこちらを通っていたと思われる。
もう一つの山越えルートはこの伏木峠経由で、江戸時代からの街道「日田往還」がルーツであるためか、峠頂上付近には比較的大きな集落が残っている。


坂ノ辻バス停。「伏木キャンプ場」の駐車場付近に存在した。
このあたりからなだらかな高原が続いていた。地図で河川を確認すると、分水嶺がこの高原上の伏木集落の真ん中に存在する。

ひょっとしたら知らぬまま消えていたのかもしれないバス停

この路線の廃止は割と早く、2012~13年頃だったと思います。
この時期、まあブログの前のほうを読むと色々あったのだなあと想像はつくと思うのですが、廃止だからとおいそれと出ていけないタイミングだったのは想像に難くなく。

ちょうどこの時バス停趣味の友人ができていまして、まあ「ほぼ西鉄バスの旅」のちょんびんさんなんですけど。
「壁とか待合室とかのバス停面白いね!!」
と言ってくださいまして大変励みになってまして。

この「足ヶ谷」探訪のちょんびんさんの記事もぜひ
彼はこの伏木線の最後あたりに写真撮りに行ったんですね。一緒に行きたかったなあとかは気分的にあるんですが、当時はしょうがないねー。

さて、彼からブログに書かれる前にメールか何かが来たんですよ。
「ジマさん!まさかの壁バス停発見しましたよ!!ありました!!」
「えーーー!!」
まさかの廃止直前まで見落とし!!
彼の記事「杉山」。

誰にも看取られずに消えた壁バス停、もっともっとあるんだろうなあ…。そんなことを考えさせられたあの日でした。
実際地図上だとこの隣にある「仮屋」バス停とか記憶が全くないよ…。

ストリートビューはこちら


※この付近にあったらしいですが、今はもう何も見当たらないです。

全但バス,軒下吊り下げ

全但バスは最後の楽園だと思う

北ノさんから全但バスの取材に行っていただいた写真をいっぱい眺めているんですが、真面目にこれが嫌なことがあるとかなり癒される内容で。

こんなバス停が2~30個あるんですよ!!しかもグーグルで見たら未収録のもまだまだあるんですよ!!
そんなわけで今日はこの民家の納屋?の軒下バス停。

遠景で見てると最早民家。
いやー、全但バスがすごいの、こういうのがいっぱい現役なんですよねー。
大分県のどこそこが廃止で無くなっただの、自治体転換でバス停壊されただのをここ何年もずっと聞いてたからさ…
壊される気配が皆無ってのがまたね…。

このあふれる現役感がまた羨ましい。
バス停は京都との県境にほど近いところ。旧但東町の出石から奥藤という集落まで伸びる路線の、終点手前。

民家バス停の魅力は「今や残ることが奇跡」

大分県のこういうバス停のなくなり方は大変シビアでした。
家の改築で。バス路線の廃止で。これがいともたやすくなくなってしまうのです。
多くのそれを看取ったここ10年を考えると全但バスは凄い。

この家が納屋を改築していたら?自治体がこの路線に補助金を出さなかったら?
いろんな奇跡がこのバス停にはおそらく積もっていたりしますが…
このバス停から連続3つくらい民家だったり待合室だったりするし、この周辺の人々はまだこういうのが珍しい、という認識はないのかもしれない。それはなかなか羨ましい話です。

ストリートビューはこちら

JR西日本バス,軒下吊り下げ

関西のアドバイザー、北ノ君からメールが来た

「ハローミスタージマオ。このメールは君が読んだ後消滅しない。」
とかいうやり取りは一切なく、京都の北を適当に走ってたら発見したよ!という旨の文章とともにこんな素敵なバス停写真が。

「京都市の北西の山間部、北山を走るJRバスです」
とのこと!!
京都。
画像検索やグーグルの調査などで、京都府は結構な量で待合室バス停が眠ってるのを知っている。
というかこの京都北部は、一昔前の大分のごとく待合室バス停が現役で大量に稼働しており。この地域に住む人々からすれば、こういうバス停を特殊だのと表現していたら笑われるのではないかという状況である。

しかしここは軒下バス停。
しかもこの名盤の文字をよく見ればゴシック系のデジタルフォント化されていて、近年に新調されたのがよくわかる。
ここは、この路線がどういう生い立ちか調べてかかろう。

栄光の国鉄バス京鶴線

ここを走る路線は現在こそ京都~周山(京都市右京区)を走っている路線だが、かつては国鉄バスの京都~福井県小浜を結ぶ路線の一部であったようだ。現在こそ高雄・京北線と名乗っているが、県境にそびえる堀越峠を目前にした鶴ケ岡(現京都府南丹市)までのこの京鶴線、小浜から南に延びる名田庄線を直結して、一日数本程度長距離直通バスが運行されていたようである。

高速もない時代、こういう下道の長距離輸送バスは日本中にあって、その名残のような路線はいたるところに散在している。
このバス停もまさにそう。
このバス停の付近の国道(162号線)は超大トンネルが走っており、この集落付近は長らく旧道部分となっている。道路の拡幅もなく、昔のバス停施設がきれいに取り残ることができたのだろう。このあたり、ちょうどJR九州バス直方線の脇田温泉付近のバス停の残り方と重なるところがある。

この美山町あたり、民間の京都交通との路線競合などもあり割と国鉄バス直方線の宮田町・若宮町と同じような勢力図になってるのが結構興味深い。交差する形で互いの勢力に越境してるような勢力図になっているのが見てて楽しい。
この付近の待合室バス停(※軒下・壁は精査しないとわからないがあるのでは?)の残り方は尋常じゃなく、逆にこういうバス停は関西の文化なのではという疑念も。関東になると本当に少ないし。
古いバス停施設の残り方についても、国鉄~JR・もしくは民間バス会社からのコミュニティバス化の時期が福岡県のそれ及び大分県の佐賀関線・臼三線辺りともずれている。いわゆる小泉構造改革以前の移行である。この辺も影響しているんだろうか。

ストリートビューはこちら

※ちょっとブレイク,小屋型,民家型,軒下吊り下げ

西ノ島(島根県隠岐郡西ノ島町)のバス停たち

昔は割と限られた場所しかなかったグーグルストリートビュー、今や割と日本中に広がって居て驚愕し仕り候。
正直こんな離島のバス停とかが見られるとか思いもよらなかったが、情報の集積の進化って凄いよね。

島根県の離島、隠岐の島の「島前」にあたる島の一つ。
西ノ島のバス停は基本待合室完備でバス停の柱が存在するのは数バス停しか存在しない。壁・待合室のみがほとんどで、大分のバス停で見られる古いタイプの発展形がほとんど。バス停の分類学から推考すると、「標柱が出現しなかったまま進化したバス停文化の未来」になるのかも。貴重です。

西ノ島の壁型

西ノ島の待合室

西ノ島町営バスの公式サイト、路線表がとにかくかわいい。

岐阜バス(岐阜県美濃市)のバス停たち

最近発見したバス停群。
大分県と同じく昔の様式のバス停が残存している感じ。ただ絶滅寸前感は割とひしひしと感じる。

壁と軒下が連なっていてほぼ大分と一緒なんだけど、新品のバス停も沿線で割と見かけられておりいつまで残るかは正直わからない。

わかりやすい壁式

あざやかな軒下

電柱?交通標識?それとも変わった形の標柱?

標柱?それにしては場所が変

モザイク処理されているバス停名。なお名前は蕨生局前バス停。

富山地方鉄道(富山県魚津市)のバス停たち

富山地方鉄道の魚津地区を中心に軒下バス停が散在している。

富山のものは魚津以外の分布はまだ不明。

こちらは魚津市の東蔵線。
前の道路は地図で確認すると現在拡幅中で、ひょっとしたらもうなくなっているのかもしれない。

黒部市の路線。割と連続で残っている。

終点の池尻は立派な待合室完備で美しい。

大分交通・大交北部バス,軒下吊り下げ

軒下バス停の廃止後の世界

もう何個もの軒下バス停の最期を看取っています。

  • 塚田

    何事もなかったようになっていました。
  • 横畑

    建物自体が無くなりました。
  • 東の前

    跡だけは残っています。

などとまあ様々なんですが一様に「跡形もなくなる」が大半。

では標柱は立てているけど、以前使っていた軒下バス停が残ってたという月の俣の場合は?

大分県宇佐市の大分交通バス定別当線。去年9月ごろ廃止になりました。
…実際に行ってみた。

文化遺産としての軒下バス停の価値

残ったのは凄い。

大分の地元の人とこういうバス停の話をすると必ず言われる
「こういうの、珍しいですかね?」
もう珍しいを通り越して、もはや常態保存をどっかで求めるレベルなんだけど。
でも何故そうなのかといえば、この形式が姿を消してる実態があるからにほかならないわけで。なぜ姿を消しているかといえば、現代の生活様式に少なからずそぐっていないところがある訳。
そもそもバス停みたいな公共物を、私有財産の間貸しで設置する考えは今なかなか融通が利きにくい。
今やバス停そのものの設置で「ウチの前に置くな!」ってトラブルがあるご時勢でもある。

年季の入ったバス停

スプライト看板も味

バス停なき今、また新道路が川の対岸にあるためここは何軒かある集落の前の路地のただの一角になっている。
誰も気に留める人はいないだろう。

軒下のバス停の跡、この建物もいつかは朽ちるだろうけれど。ここにバスが通い、かつての集落の賑わいの一手を集めた場所であるシンボルが残されているのだから、これは結構幸せなことだと思っている。

ここはまだ幸せなほう。まだ遺産として残っているのだから。
何事もなかったように原野に帰る、あるいは街に呑まれる。そんな集落を何個も見ているし…。

ストリートビューはこちら(探してみよう)